サニーデイ・サービスのこと

その他雑感:

サニーデイ・サービスのこと

 

サニーデイ・サービスのドラマー、丸山晴茂さんが今年の5月に亡くなっていたことを一昨日、スマホで知った。47才だったそうだ。びっくりした。僕にとってサニーデイ・サービスは特別なバンドだった。その夜、「雨の土曜日」とか「カーニバルの灯」とか「恋はいつも」とか「旅の手帖」とか思いつくままに片っ端から聴いた。サニーデイを聞くのは10数年ぶりだった。

個人的な事を書いてもアレなんだけど、僕は大学時代を京都で過ごした。当時、素敵な女の子がいたんだけど、その子は文学とか音楽とかを割と積極的に吸収していきたいっていうような子で、その子がよく口にしていたのがサニーデイ・サービスというバンドだった。

僕はサニーデイ・サービスなんて全く知らなかったんだけど、彼女がサニーデイの新しいシングルが出たとかでそれが欲しいなんてよく言っていたもんだから、まぁ今だったら臆面もなくシングルぐらいはプレゼントしてあげるんだろうけど当時の僕はまだ純粋でしたから(笑)。なんかそれモノで釣るみたいでヤダなとか、単純にこっぱずかしいなとか。

そんな頃に偶然αステーション(←京都のFM局のことです)からサニーデイ・サービスの音楽が流れてきて、あぁ、これがあの子の言ってたサニーデイ・サービスかぁ、いい歌だなぁと。僕とサニーデイ・サービスとの出会いはそんな風にして始まった。

サニーデイ・サービスは日本的な情景を歌うバンドだった。僕は嬉しいとか私は悲しいといった情緒は一旦横に置いておいて、登場人物が動く様をまるでカメラが追うように切り取っていく。特に若い男女の風景をロマンチックに描くのが抜群だった。その俯瞰的に切り取られたストーリーは、僕のことではないんだけどまるで僕の物語のように感じられ、僕はいっぺんにサニーデイの虜になった。

サニーデイのアルバムはどれも思い出深いんだけど、セルフ・タイトルになった4thアルバム『サニーデイ・サービス』は特に好きだった。それこそ僕の物語みたいで(笑)。それにこのアルバムはバンド・サウンドが前面に出ていて凄くカッコイイ。特に巧い訳じゃないんだけど、曽我部さん(←サニーデイのボーカルでソングライターです)が言うようにバンドがピークにあった時期で、目一杯気合が入っていて迫力がある。勿論、丸山さんのドラムも目一杯カッコイイ。「星をみたかい?」や「旅の手帖」は丸山さんの聴かせどころだ。

そうこうしているうちに僕は就職をして結婚をして人並みにバタバタして、ある日サニーデイは解散をして、いつの間にやら僕は音楽自体をあまり聴かなくなっていった。

サニーデイの音楽には僕の青春時代が真空パックされている。数年前、サニーデイが復活したって聞いたけど、僕にとってはもうどうでもよかった。変なノスタルジーがある訳じゃないんだけど、やっぱり僕にとってあの京都時代とサニーデイは密接に結び付いている。河原町であり、賀茂川であり、町屋が並ぶ路地裏だったり。サニーデイ・サービスと聞くと今でもキュンとなる。そこは大切にしまっておきたい。

丸山さん、ひとつぐらいそんな音楽があってもいいですよね?

R.I.P.

彼女は栄養補給に余念がない

ポエトリー:

『彼女は栄養補給に余念がない』

 

地下街のジューススタンドで
彼女はいつもミックスジュース
残り僅かな生を詰め込む
栄養補給に余念がない

彼女は大学のキャンパスで
小鳥のさえずり 不確かな声を啄む
彼女は栄養過多
情報収集に余念がない

友達から相談を受けた
恋人をどちらにするかで迷っているらしい
彼女は親身になって聞いてあげた
彼女は友達だから

彼女にも恋人は一応いる
けど好きなんだかどうだか
そのくせ、お揃いでスキニージーンズ
そのくせ、既読は翌々日

 

彼女は21になったばかりで
21年分の煩わしさ 紙切れのように小さく折り畳み
大学の図書館の隅、
21-Cの棚に投げ込んだ

彼女の視線の先には
いつもコントロール出来ない煩わしさがあって
その重箱の隅をつつくような視点は
いつも僕を困らせた

彼女は僕より二つ下
けどいつも彼女は二つ上のフリ
ごめんよ
君が欲しいものが僕にはまだ見つからない

道行く人にやたら愛想よく
近くの人も遠くの人も気に掛ける
彼女は実は虚弱体質
密かに息をひそめている

 

そうさ、誰にだってすべてのありかを探す術は無く
出来ることはちゃんと自分の手綱を握っておくこと
そんなことあなたに言われなくたって
また二つ上のフリをして 彼女は教室を後にした

あれから半年ほど経ったけど
結局、友達は誰とも付き合っていない
変わったことといえば、地下街のジューススタンドが派手な飾りつけを発明してSNSで少し話題になったこと
彼女が髪をグレーに染めたこと

自意識が埋もれてしまう前に
地下街のジューススタンドへ
残り僅かな生を満たすため
彼女は栄養補給に余念がない

 

2018年7月

 

Islands/Ash 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Islands』(2018)Ash
(アイランズ/アッシュ)

 

例えばレディオヘッドやアークティック・モンキーズは新しいことにチャレンジしていって、ロック音楽の可動域をどんどん広げていく。かたやアッシュはデビュー以来変わらず愛嬌のあるポップ・チューンを奏で続けている。それが意図的なものではなく自然発生的な創作意欲に駆られた結果だとすれば、出てくるものは違うけど、音楽への向かい方はどちらも同じと言えるのではないか。対外的な評価で言えばレディオヘッドな方がスゲエってなるけど、いやいや、ずーっとおんなじことやって未だに飽きさせないアッシュも凄いです。

アッシュだってそりゃ当然その時々で新しい取り組みはあったろうけど、基本的にはティム・ウィーラーのソング・ライティングでグイグイ押してくる。しかもロック・バンドにありがちな原点回帰とか意図的にシンプルにしようぜっていうことではなくて、自然とそうなっちゃう。多分それがいつまでも鮮度を失わない秘訣かもしれないけど、20年以上やってこの初々しさはやっぱ不思議。ティム・ウィーラー恐るべし!

1曲目『True Story』からして特にどうということはないんだけど、このどうということにないメロディを聴かせてしまう技ってのは一体なんなんだろか。2曲目『Annabel』、3曲目『Buzzkill』は分かりやすいアッシュ節。そうそうこんな感じよねっていうパワー・ポップなんだけど、4曲目『Confessions in the Pool』は一転ダンス・ポップ?っていう雰囲気。曲的には同じフレーズを繰り返すだけなんだけど、ちゃんと起承転結があって最後はギターがジャ~ンでやっぱこれやろみたいな(笑)。こういう愛嬌もアッシュの魅力だ。

6曲目『Don’t Need Your Love』はサビを「I don’t need your love」のひと言で持っていくワンフレーズ・サビ。こういうのって実は難しくて、しょぼくなってしまいがちだけど、この曲ではグッと高揚感が高まっていい感じ。ワンフレーズにキラキラとした感性を込められるのはやっぱ初期衝動ならではだと思うんだけど、もうとっくに初期衝動ではないところで曲を作っているアッシュがいとも簡単にやってのけるのはやっぱロック七不思議のひとつかもしれない(あとの6つは知らんけど)。

全部で12曲あってどれも特別に大げさでもなく込み入っている訳でもなくシンプルなメロディですぅーっと行くんだけど、どの曲にも何気に聴かせどころというのがあって、そこにちょっとしたチャームが含まれている。このどうということないメロディにちゃんと愛くるしさが含まれているのには何か勘所があるというか秘訣があると思うんだけど、ちょっとティムさん、「ロック作曲講座」なんてのをやってくれないかな(笑)。

僕は『フリー・オール・エンジュルズ』(2001年)と『メルトダウン』(2004年)以来真面目に聴いてこなかったんだけど、こりゃちょっと反省しないとだな。いい年ぶっこいて(ティムはもう40過ぎ!)未だにキラメキを封じ込められるんだから、もう返す言葉も御座いません!!

 

1. True Story
2. Annabel
3. Buzzkill
4. Confessions in the Pool
5. All That I Have Left
6. Don’t Need Your Love
7. Somersault
8. Did Your Love Burn Out?
9. Silver Suit
10. It’s a Trap
11. Is It True?
12. Incoming Waves

NHK SONGSスペシャル 宇多田ヒカル 2018.6.3.放送 感想

TV program:

NHK SONGSスペシャル 宇多田ヒカル 2018.6.3.放送

『初恋』を聴いていたら冒頭の「うるさいほどに高鳴る胸が~」のところでいきなりグッと来て目頭が熱くなった。感動したとか切なくなったとか、ましてや初恋云々ではない。それにこの曲は一般的な初恋について歌われた曲ではないし(勿論そうも読み取れる)、宇多田さんにとっての最初の愛、両親に関わる愛についてを歌ったものだという話もあった訳で、ところが何故か冒頭の歌詞でいきなりグッと来て、それは今思い出してみれば、そこに人間の原初に立ち返るような言葉の響きがあって僕はそれに少し震えていたのかもしれない。

『初恋』のメロディは後韻を踏む言葉と共に繰り返しが多用されていて、そのせいかどうかは分からないけど、まるで昔からある童謡、『かごめかごめ』のような懐かしさがふわっと立ち昇る。それが最初に言った原初的な感覚とも繋がるのかもしれないけど、そのふるさとに触れたようなノスタルジーは切れば血の出るような生々しさを含んでいて、つまりは子供の頃の夕方の暗くなりつつある世界、異世界に踏み込んでいくおどろおどろしさでもあり、そこが宇多田ヒカルという人の凄みにも繋がっていく気がしました。

自分のことを歌っているのに自分のことではないような、気持ちを込めて歌っていてももう一人の自分が違う場所から見ていているような。それは自身の生い立ちにも関係しているのかもと述べていたけど、僕にはまるで魂の入ったマネキンのようにも見えてしまうのです。悲しみの純度は益々高くなって、そのマネキンは益々人間になっていく。そういう部分に起因するのかもしれないけど、宇多田さんは今が一番綺麗な気がします。

あと余計なことを言うと、、、。宇多田さんは生い立ちもあって社会の出来事に関心はあっても歌には出来ないと言っていたけど、宇多田さんが社会の事、世の中の事を歌ったらどんなだろうって。若干の怖いもの見たさもあるけど(笑)、彼女が世界をどういう風に歌うのか、それも気になるところです。

私はICOCAをかざします

ポエトリー:

『私はICOCAをかざします』

 

あなた方の 凍える元気に 私は ICOCAをかざします あなたの声に 耳を傾けると 時折 大切な夜に木霊する 小さな踊りを発見した もしくはキャッチした 誰か 町内の出来事を伝える回覧板を 届けて下さい 近頃とんと 世間の動きに疎いのです 私を導く 筆の動きはたどたどしく 微弱な電波はそれを正しく清書し そちらへ向かうような夜のおとぎ話 お友達は夢見がち… 沢山の皆さんに披露する第二章がかくれんぼをする前に それもできるだけ今夜のうちに書き留めて また より良い明日にするため 眼鏡のレンズは綺麗にしておく より良い明後日にするために 靴下の毛玉は取っておく それも今夜のうちに けれど 連絡網は微弱な電波 時間があればそれは子供たちと朝までかくれんぼをしているから からできるだけ急うに呼び鈴を鳴らして 私を呼び出して下さい だだから今夜 あなた方の 凍える元気に   わたしは  ICOCAを    かざ しています  私のデータは 有効に活用され ててい ますか 私のデー  ぇタをあげるから私も そこ       を 通し て く ださいま せんか 私も  あなたのところ に  行きたいの です

 

2018年4月

明日はパンの日

ポエトリー:

『明日はパンの日』

 

天国ってあるのかな

空の向こうにあるのかな

今はどんよりとしているけれど

その向こうには目の覚めるような青空があって

月日の概念も遠ざかって

皆が仲良く手を繋いで

一緒にテーブルを囲むような

そんな世界があるのかな

 

なんてバカらしいや

チャイムが鳴るまであと三十分

窓際の席でだらりとながまる

明日はパンの日

知っているのはそれだけ

みんな そんな難しい顔をしないで

 

2018年4月

Eテレ 日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー」 感想

TV program:

Eテレ 日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー」 2018.7.2放送 感想

 

教科書に載っていたのかな。何かの媒体で目にしたことがあるのかな。どこかで見たことがあるような気はするけど、実際そんな身近な絵とでもいうか、決して画壇のお偉いさんや巨匠が描いた絵ではなく、一見シュールな絵なんだけど手が届きそうな親しみ。僕たちの側にある絵。それは独学で学んだということにも関係してくるのかもしれないけど、自由で明るく前向きな彼の姿勢が強く関係しているのかもしれない。そんな風に思いました。

アンリ・ルソーが本格的に絵を描き始めたのは40才を過ぎてから。パリの税関で働きながら休みの日に絵を描くという日曜画家。な~んだ、サラリーマンだったのかって余計に親しみを覚えてしまいました。ただ彼は日曜の休み毎にのんびりと描いていたわけではなく、展覧会に出す絵はことごとく酷評。私生活でも一人目の妻、二人目の妻を病気で亡くし、更には5人の子供のうち4人までをも病気でなくしている。そんな絵などもう描きたくなくなるような試練の中、彼は強い心で絵を描き続けた。

少しづつ世間に認められつつあったルソーは絵の先生として地域の人々に絵を教え始める。自身の肖像画にはその資格を認められたバッジを胸にした姿が誇らしく描かれている。見ているこちらにまでその喜びが伝わるような絵だが、そこに描かれたパレットには亡くした二人の妻の名前が書き込まれている。全体としてはまるでどこかの万博ポスターのような明るい絵だけど、彼はそういう人なんだな。

今回、番組で談義を繰り広げるのは、世田谷美術館学芸員の遠藤望さん。ミュージシャンのグローバーさん。女優の鶴田真由さん。ルソーの研究家でもある遠藤さんでさえルソーの絵はよく分からないという不思議な世界。けれど彼はあきらめない人、めげない人だと、そこは何度も強く強調していた。結局はそこがいつまでも掴んで離さない彼の絵の魅力なのかもしれない。

ミュージシャンのグローバーさんの言葉も印象的だった。影を描かなかったり、朝陽なのか夕陽なのか分からない描き方をする時間の概念を無視したルソーに対し、時制に囚われたくなかったのかも、との気付きを話していた。あぁ、確かにそうだ。時間の概念よりも大切なものがルソーにはあったんだ。それに対し鶴田真由さんはこういう見方をしていた。彼は興味あるものにしか目が向かない人なんじゃないかって(笑)。それもそうかもしれない。男の子にはそういうところがあるからな。ルソーは男の子の部分を大きく残していた人のような気もするし、うん、確かにそうかもしれない(笑)。

死の半年前に描かれた「夢」という作品はルソーの総括。この世の生命力を象徴するような絵だ。ルソー自身の諦めない、めげない精神を象徴する絵。遠藤望さんは彼の絵は晩年になればなるほど良くなっていくと言っていたけど、死の半年前に書かれた絵が最高傑作だなんて。もしルソー自身もそう思っていたとしたら、絵描きにとってこんな嬉しいことはないのかもしれない。

苦労してきたのに暗い感じで絵に出ていない、そこが酷評されてもくじけないところとリンクする、と言った鶴田真由さんの言葉が強く心に残りました。人生はつらいことの方が多いけど、出来るだけ前を向いていたい。そんな風に考えている人はきっと、アンリ・ルソーの絵に何かを感じるのかもしれません。勿論僕もそんなひとりです(笑)。

幼い頃からの夢を持ち続け、40才を過ぎてから筆を取り始め、妻や子供を失くしながらも、世間に酷評されながらも描き続けたルソー。そんな彼の絵を僕はいつか直に見てみたいと思いました。

ちなみに、、、。感性で話すいつまでもロマンチストなグローバーさんと、論理的でいつまでもクールな鶴田さんの対比が可笑しかった。やっぱ女性にはかなわないや(笑)。

The 1975/Give Yourself A Try が僕の記憶を呼び起こす

その他雑感:
 
The 1975/Give Yourself A Try が僕の記憶を呼び起こす
 
 
僕はやっぱり10代から20代前半のあの頃の自分が一番正しかったと思っている。まぁ正しかったと言っても当時の自分は何も解決できなかったしだらしなかったし、大人になった今の方が精神的にも落ち着いていて、ちゃんとやれているのは間違いないんだけど、どっちが正しいかと言われればやっぱあの頃の自分の方が正しかったんじゃないかと。今の自分が間違ったことをしているということではないし、何が‘正しい’ってのは聞かれても困るんだけど(笑)、それでも他に言いようはなくあの頃の自分は圧倒的に正しかったのだと思います。
 
The1975 の新しい歌、『Give Yourself A Try』が公開された。僕はマット・ヒーリーみたいに格好よくないし沢山のことを経験した訳じゃないけど、不思議とあの頃の風景が折り重なっては次々と浮かんでくる。友達のこと。好きな子のこと。よく歩いた通り。すれ違った人々。上手くいったことや上手くいかなかったこと。英語なんて全然聴き取れへんのになんでやろね。
 
全てを正しくあろうとしたあの頃に顔向けできる大人になっているだろうか…。
とか言ったりして(笑)。

Waiting for the Dawn/The Mowgli’s 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Waiting for the Dawn』(2013)The Mowgli’s
(ウェイティング・フォー・ザ・ドーン/ザ・モーグリス)

 

8人編成の大所帯バンド。過去にEP盤はリリースしていたみたいだけど、これが初のフル・アルバム。作詞作曲は全員、ボーカルも全員、楽器も特に取り決めがないような感じで、とにかくバンド始めようぜ!てな勢いが満載だ。

ほとんどの曲を全員で歌っていることもあってとにかく賑やか。クレジットを見ると、バンジョーやらフィドルなんて文字も。マムフォード・アンド・サンズとまではいかないが、アコースティックなサウンドでジャカジャカ攻めてくる。そうかと思うと、ギター・ポップな曲があったり、シンセが絡んできたり、はたまたカントリー調になったり、ほんとゴチャゴ混ぜ。でもこういうゴチャゴチャ感は結構好き。

歌詞も至ってシンプル。難しい顔してないで顔を上げて行こうてな具合。なんてったってオープニング・チューンが『San Francisco』ていうくらいだから、その陽気さというのは窺い知れる。その楽天性は未熟さ、或いは若さゆえという人もいるかもしれないが、そんなことは元より承知。彼らのそれは分別めかした連中への陽気なカウンター。つまりそれがロックンロールということだ。

『Slowly,Slowly』みたいな疾走系から『Emily』みたいなかわいい系もあって結構楽しめる。女性ボーカルが一人混じっているのもいいアクセント。疾走系ナンバーが結構あって、それをみんなで合唱するなんてのはあまり聞いたことが無いのでとても新鮮。若さに任せてアクセルが徐々に上がってゆくこの感じはファーストならでは。こういうのって年取ると、やろうと思っても出来ないんだよなあ。

とにかく明るくって楽しくって、暑い夏にはもってこいの作品。演奏もアレンジも申し分なく、このまま身も蓋もないまま突き進んでほしい。サマソニあたりに来てくんないかな。

 

1. San Francisco
2. Slowly, Slowly
3. Waiting for the Dawn
4. Love Is Easy
5. Clean Light
6. Time
7. Emily
8. The Great Divide
9. Say It, Just Say It
10. Leave It Up to Me
11. Carry Your Will
12. Hi, Hey There, Hello
13. We Are Free

丸善にて

ポエトリー: 

『丸善にて』

 

岡崎でゴッホを見た後、河原町の今はBALの地下にある丸善で、僕は詩集コーナーと文芸誌コーナーを行ったり来たりしながら、ここは詩集が沢山あるからいいなぁ、大阪にもこんな本屋がないかなぁなどと、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集とレクスロスの詩集のどちらかを何度か手に取り、下の方にあるイェイツにも目を落とし、パラパラとこれは無理だななんて、また文芸誌コーナーというかその類いの新刊が山積みになっているレジの近くに行って、ユリイカの今月の作品として掲載された僕の名前をもう一度確認し、隣にいるお姉さんにこれは僕ですと言いたくなる気持ちを少しだけ堪えて、というかそんなでもないけど、とりあえずもう一度確認してから詩集コーナーに戻り、やはりウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集とレクスロスの詩集とを迷いつつ、昔、というか前に僕が京都に住んでいた時の丸善の、あのエスカレーターが好きだったなとか、横切る彼女のガラス越しに写る姿が美しかったなとか、もういい加減そんなことは卒業して今はここに至るのかオレはとか、そんなどうでもいいことを考えながら、どっちかといえばウィリアム・カーロス・ウィリアムズかなと思いつつも、急に帰り道に京阪モールでケーキを買って帰るんだっけと思いだし、早く帰らなくちゃといそいそとしだしたこともあってその日はレジには向かわずに、それでもユリイカに載ったと知ったのがここの丸善で良かったな、昔の丸善じゃないにしてもやっぱ丸善だったというのはなかなかいい気分だなと、何かの物語になぞらえて、僕は新しくなった丸善を後にした。

 

2018年2月