一筆書きの太陽

ポエトリー:

「一筆書きの太陽」

 

知らない人から埋もれていく
あれは
一筆書で書いた太陽

カラスは小躍り
自信なさげな僕はぐったりして
見知らぬ扉
ただぼんやりして開け放つ

短い夏
時間が惜しいから
タンスの奥から貯金を引き出した
溜まりに溜まった鬱を
振り込める先
一筆書の太陽

幼い時から騒いだりして
散らかしっぱなし
半透明に覆われた温もり
大事にしたいこだわり

更には言い逃れようと
アスファルトに立つ静かな熱気
夢中になって静かに荷ほどき
平らになった地面が余程気持ちいいのか
ひたすら横になっていたっけ

しばらくするとウサギの耳
ピンと立つように
ある日のこと思い出し
蛇腹になった未来を
出来るだけ目一杯
伸ばしてみた

それが唯一の自信
狭い報告に
一喜一憂するより
先頭切って走る短い夏
それが暴れ回る前に
そっと肩を叩き
そら、あれが太陽ですよと
よせばいいのにその気になって
軽く一筆書きする真似をする

濡れ落ちる太陽
踏みしめる唯一の自信
それがあればよかった

 

2020年8月

Fetch the Bolt Cutters/Fiona Apple 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
「Fetch the Bolt Cutters」(2020)Fiona Apple
(フィッチ・ザ・ボルト・カッターズ/フィオナ・アップル)
 
 
心に(或いは頭に)浮かんだものをそのまま表現出来ればよいのだが、形がないものを目に見える形に変換することはそう容易なことではない。それができるのが芸術家ということかもしれないが、芸術家だって思いのままを表現できるなんてことは稀であろう
 
試行錯誤なんていうけれど、実際はバッと書いたもん勝ちというか、頭からケツまで一気に出来てしまうのが一番強い。先日、棟方志功の映像を見たけどあれが芸術家ってもんだ。推敲すればするほど当初の感覚が薄れ、ダメな方へ向かうのでは思うのは僕が素人だからか。
 
ただ棟方志功だっていつもスッパリ出来てしまうというわけにはいかないだろうし、わけ分かんなくなって途中でやめた、なんてことがあるかもしれない。音楽界で言えば、天才の名をほしいままにしてきたフィオナ・アップルにしても作品ごとのインターバルがやたら長いのはその証左であろうし、逆に言えば満足できるものでなければ世に出さないという、これも芸術家としての態度。
 
今コロナ禍にあって大きなプロジェクトが組めない中、それぞれがリモートや宅録で作品をリリースしている。面白いのはそのどれもが最も大事な生な感情を出来るだけ簡素にパッケージしたようなシンプルなサウンドになっていること。そうなってしまったというニュアンスが強いのかもしれないが、あの手この手が入らず、初期衝動から最も距離が短い方がより本質を伝えることが出来るのは当然といや当然。
 
しかしフィオナ・アップルの『フィッチ・ザ・ボルト・カッターズ』はそうなる前からそのように作られた作品として明らかに毛色が異なる。そうなったのではなく、そうしたくてそうしたという意味合いは大きい。これはいかにすれば初期衝動を最短距離で(若しくはそのまま)パッケージできるかを突き詰め、尚且つそれを表現しうる技量を持ち合わせているフィオナが自らの意思で作り上げたフィオナ主導の作品だ。
 
心に(頭に)浮かんだものを出来るだけ形を損ねずに作品として変換させることは容易ではない。技量やセンスだけでなく、既存の表現に引っ張られることだってある。そこから如何に自由になるか。言ってみればそこが腕の見せ所だろう。
 
この作品はフィオナの中にある芸術衝動が出来るだけ形を損ねずに表出され、けれどそれが聴いてワクワクするような音の塊に翻訳されたフィオナ独自の大衆音楽である。

歌は世につれ世は歌につれ

その他雑感:
 
「歌は世につれ世は歌につれ」
 
 
クラウド・ナッシングスの新作が非常にポップだ。僕はこれまでクラウド・ナッシングスをちゃんと聴いたことはなかったのだが、ネット上でメロディが立ってすごくいいという情報を知り、じゃあと思って聴いてみたらハマってしまった。ハードでエモい印象があったのだが、すごく聴きやすくてちょっとネオアコっぽかったりバーズぽかったり。こういうの好きです。
 
また、間もなくリリースされるザ・キラーズの新作から2曲が先行公開されたのだが、これが笑ってしまうぐらいのキラーズ節で、もういい加減キラーズはいいかなと思っていたのだが、これを聴いたら買わねばなるまい(笑)。
 
もういっちょ。テイラー・スウィフトの「フォークロア」。テイラーさんはこのところ何処へ行きたいのかよくわからないサウンドだったけど、このアルバムではタイトルどおりフォーキー(と言ってしまっていいのかどうか)で、彼女本来の良さである曲の良さがしっかりと前に出ている。
 
ということで3枚だけですけどかつてなくポップなんです。すごく聴きやすい。多分これは今の状況を反映してるんですね。暗い世の中ですからシンプルにいい歌っていう、素直にソングライティングが活かされた曲が出てきてるんです。これ逆に世の中が浮かれてると暗い内省的な歌が多くなりますよね。世は歌につれ歌は世につれなんて言いますけど、つくづくその通りだなと思います。
 
物理的に大きなプロジェクトが動かせないというのもあるかもしれませんが、やっぱり皆、素直な曲を聴き手に真っすぐに届けたいという気持ちが強くなっているんだと思います。

目指した

ポエトリー:

「目指した」

 

君が目指したのは嘘
僕は言うがまま
戦いになったりはしない
間違っても

文字通り
嘘みたいに
急拵えの意味
言ったそばから
失せていく

そうやって生まれていく(意味)
昨日とか今日とか明日とか
本物と見まごうばかりの(本能)
でも
信じてはいけないからね
そうやって
今日もまた
なくすことを目指す

磨いても
磨いても
一向に綺麗にならないものなら
いっそなくしてまえばいいと気づいた
それからは
間違っても
薄汚れたりはしないから

君は
今日も硝子戸を開けて
嘘っぱちでなんにもない朝
本物と見まごうばかりのそれを
軽く吸い込んで西の空
太陽のない方を選んだ

正しさを争う前に

 

2020年7月

Woman In Music Pt.III / Haim 感想レビュー

洋楽レビュー:

「Woman In Music Pt.III 」 (2020年) Haim
(ウーマン・イン・ミュージック Pt.III / ハイム)

 

ハイム三姉妹、安定の三作目。とはいえ前作から三年のインターバルだから、本人たちにとっては安定なんて生易しいものではなかったのだろう。けれどここで第一期というか彼女たちの音楽が一息ついた感じはする。

僕はハイムの言語感覚が好きだ。独特のリズムに乗せて畳み掛けていくリリック、今回で言うと「I Know Alone」とか「Now I ´m In It」なんてすごく分かりやすいハイム節。こういうのを聴くと思わずにやけてしまう。歌詞の中身はヘビーなんだけどね。

てことでハイムはデビューの時からもうソングライティングは完成されている。それぞれが曲を書けてボーカルを取れて色々な楽器を演奏できる中、それぞれに特徴はあって、でも姉妹だからやっぱり同じ方向に顔が向く。この阿吽の呼吸感とさっき言ったリズム感がハイム最大のオリジナリティー。

だから後はどう肉付けしていくかということ。そこを担うのがアリエル・リヒトシェイドとロスタム・バトマングリで、もうこのコラボは五人でハイムと言っていいぐらい親密なもの。だからちょっとヴァンパイア・ウィークエンドぽい、というか昨年の『Father of The Bride』の流れを感じてしまうところも所々。次女のダニエルも参加してたしね。

思えばハイムの1stからは随分と洗練されてきました。バックに流れるちょっとしたサウンドは流石アリエルにロスタムで超何気なく超オシャレ。今回はラッパの音が印象的かな。そして時おり前に出てくるダニエルのギター・ソロ。そうそう今回はフィーチャリング彼女のギターってところもあってこれが物凄くカッコいい。いかにもなマッチョなギターじゃなくて自然体で鳴らされるダニエルのギターも本作の聴きどころ。

そうそうここ数年、#MeTooとかジェンダーに関する動きが活発でしょ?彼女たちはやっぱし三姉妹ロッカーですから、色々とね、デビュー以来やな事はあったみたいです。でそのことを自分たちの日常に即して表現している。例えば「The Steps」では「私は自分のお金を稼ぐために毎朝起きてる」、「同じベッドで一緒に寝てるからってあなたの助けは要らないわ」、「そこんとこ、ちゃんと分かってる?分かってないでしょベイビー」って。

同時期にリリースされたフィオナ・アップルの『Fetch The Bolt Cutters』があちこちで絶賛されてますけど、あっちが誰が聴いても分かる化け物みたいな作品だとすれば、こっちの『Woman In Music Pt.III』は誰が聴いても革新性を感じないと思うんです。でも僕はフィオナに負けないぐらいこの作品が好きです。何故ならここにも彼女たちのリアルがあるから。

彼女たちは声高に叫ばない。でもいつも変わらないトーンで身の回りの大事なことを歌っている。個人的なことを歌うことが世界を歌うことになる。誰かがそんな事を言っていたけど、それは一番難しいこと。彼女たちの歌には彼女たちの顔がちゃんと見えて、その向こうに世界が写っている。ごく自然体でこういうことが出来るのがハイムの凄みではないでしょうか。

このアルバムでは特に「Gasoline」と「Summer Girl」が好きです。ちょっと気が早いけど、次のアルバムではアリエルとロスタムには少し控えてもらって、三姉妹だけで作ったアルバムを聴きたいな。三姉妹で作ったミニマルな歌を通して聴こえる世界の声を感じ取りたい。

全国紙に派手なヘッドラインを出していくということではなく、言ってみれば地方紙というか、けれどその方がかえって真実を照らし出しているという側面もある。そしてそれはとても大切なこと。僕にとってハイムはそんなイメージです。

無理なお願い

ポエトリー:

「無理なお願い」

 

  着ている服の一枚一枚を
  あの人にもあげ
  この人にもあげ
  密やかに塗り替えられた夜は
  地を這うようにして
  辺りの景色を一変させた

投げ出してしまわぬように
あの人の面影を
そっとタオルに染み込ませ
道行く人、一人一人に
あなたではなかったですか?
あなたではなかったですか?
と問いかける

風ゆらめく草木によろめいて
僅かに背中に出来た指紋こそ
これはわたしのものですと
色付いた頬

きよつけの姿勢も曖昧な
あの人の姿勢が
中空に伸びたまま
空になるよすがを
黙っては見ておれぬ身体
最後の溜め息が流れる数秒間
全体がまろみを帯びるまで
わたしはじっとして
南中する太陽の真下

それは
遠いビルディングの影が
膝元に落ちるまでの
時間との戦い
狭まる肩幅への
無理なお願い

 

2019年5月

つむじ風

ポエトリー:

「つむじ風」

 

ひとりぼっちの君
風に吠えてる日々
性懲りもない君
月が吠えてる日々

声かけてきたあの子
振り返る君
つむじ風みたいに
二人は出会った

ツバメが弧を描く
君は街を急ぐ
前のめりにならないように
見透かされないように

声かける君
階段の中程
斜めになりながら
戸惑いながら

心ならずもいっぱい
ちぐはぐになる心
浮草みたいに
行き交う人波に

頭の中はいっぱい
千切れ雲でいっぱい
息を吸って目一杯
目の前も揺れる

自転車乗って行こう
抜け道ぬって行こう
君の前ゆくあの子
おもしろくない君

時間がないよ一体
どうすればいい?
二人静かに肩寄せながら
膝から崩れる

明日からは絶対
頭ごなしにいっぱい
春の営みみたいに
光が降りてくる

数え切れない失敗
爪を噛んでた日々
放り投げてしまう
嫌になってしまう
ひとりぼっちの君

見つけたのは宝物きっと忘れない…

二人でいれば絶対
夜も昼にすり変わる
忘れないよな日々
とりとめのない意味

頭の中はいっぱい
千切れ雲でいっぱい
息を吸って目一杯
つむじ風に揺れる

「聲の形」(2016年)感想レビュー

フィルム・レビュー:
 
「聲の形」(2016年)感想レビュー
 
 
先日、テレビ放送されていたこの作品、タイトルを見て気になったので録画をして観ました。僕はアニメーションには詳しくないのですが驚きました。アニメーションってこんなに繊細な表現ができるんですね。すごく丁寧な作りだなという印象を受けました。
 
てここで良かった点。オープニング曲にThe Whoの「My Generation」が使われていた!!僕としてはこれだけで、はい、観ます観ます!って感じでしたね。ま、なんでこの曲なのかはよく分かりませんでしたけど(笑)。
 
観ていて先ず思ったのはすごく作り手が冷静だなと。表現をしたいことがすごく明確にあってそこがぶれていかないという。だから高校生たちの青春物語であり、聴覚障害者が登場するというところに目が奪われがちですけど、それは設定に過ぎないというか、目指したい場所に向かって丁寧に歩を進めていく、そんな感じがしました。
 
あと、やっぱり言い過ぎないというのが効いてますよね。中にはちょっと分かりにくいという人もいるかもしれないですけど、敢えて説明しないというのかな、かといって分かる人にだけ分かればいいというのでもなく、分からないところがあっても、そういう感覚と並走していける優しさもちゃんとあるんです。
 
ただ、なんでもそうですけど分からないって当たり前のことなんですね。なんでも分かりやすくっていう時代ですから、すぐになんでも分かろうとしますけど、実はそうじゃなくって、この映画も当たり前にそういうトーンですよね。最後も明確な答えは出てこないし。でも明らかに彼彼女たちは成長してますよね。だから最初にこの映画は繊細で丁寧でって言いましたけど多分そういうことなんだと思います。
 
あとこれは一番思ったことですけど、主要登場人物の誰にも肩入れできない仕組みになってるんですね。誰とも近寄れない距離感がある。多分映画を観た人の多くは好きな登場人物っていないんじゃないでしょうか。でもそれもやっぱり当然というか、人ってそんな簡単なものではないですよね。そういう揺らぎが登場人物にちゃんとあって、こちらとの距離感も揺らいでいく。この感じもなかなか新鮮でした。
 
個人的な話になりますが、僕には小学校からの友人が何人かいて今も年に2回ぐらいは会うんです。30年以上の付き合いですからまぁ仲はいいです。でもだからといって彼らとの間には永遠の友情があるだなんて思っていないんです。人と人との関係はそんな簡単なものじゃないんです。30年以上の付き合いがあろうが、明日からはそうじゃなくなるかもしれない。人と人というのはそういう部分をはらんでいるんですね。
 
だからあの登場人物たちもね、これからも色々あるんです。今は友達ですけど、離れ離れになって結局誰一人一緒にはいないかもしれない。でもそれは別に驚く事ではなく普通のことなんです。でもずっと誰とも分かり合えないの嫌じゃないですか。ほんのひと時でも良い関係を築きたいし、楽しい時間を過ごしたい。だから多分僕たちは他者とコミュニケーションを図ろうとするんですね。そしてそのほんのひと時の繋がりが命を救うことだってあるわけです。
 
今の世の中って繋がろう繋がろうって割と簡単に言います。それはそれで良いことかもしれませんが、そうではない、人と人とはそう簡単には繋がれないんだよ、でもだからといってそこで切ってしまわないで、丁寧に握手をしようとする。そういう誰もが経験する、そして今も誰もが現在進行形で真剣に行っているコミュニケーションについてを非常にリアルに切り取った映画だと思いました。
 
最後に。この映画はすごく良かったんですけど、ちょっと女性の脚を見せるようなカットが多かったんですね。それ必要かなって。こういう絵は要らないんじゃないかなとは思いました。

「カセットテープ・ダイアリーズ」感想レビュー

 

フイルム・レビュー:

「カセットテープ・ダイアリーズ」(2020年)感想レビュー

 

「カセットテープ・ダイアリーズ」を観ました。先ずは久しぶりの映画館、僕は平日の朝イチの回を見に行きまして、予想通り人はまばら、ていうかほぼ空席でした(笑)。ま、この時期ですから、みんな外に出るのを控えてるんだと思います。とはいえ映画館ではマスクをして大人しくしているわけですから、朝晩の通勤電車に比べればよほど安全ではないかなと(笑)。なんにしてもやっぱり映画館で観るのはいいですね。しかも僕にとっても特別な人、ブルース・スプリングスティーンを題材にした映画ですから尚のこと素晴らしい時間となりました。ありがたや、ありがたや。

映画の主人公ジャビドと同じく多感な頃にブルースの音楽に出会った身としては、もう涙腺緩みっぱなしでした。ブルースのあの声とE ストリート・バンドの演奏と、そしてジャビドを奮い立たせるかのように視覚化されたリリック、僕は40後半ですけど、もう年齢は関係ないです。よい音楽というのは時代を越えてしまうものなのです。

そしてこのことは僕にとっても新しい発見でした。ブルースの歌は今の僕にとっても有効であると。あの頃心を震わせた音楽というのは単なるノスタルジーではなく現在進行形でもあるのだということ。やっぱりブルース・スプリングスティーンの歌は成長の歌なんですね。

と随分映画の本題からは離れてしまいましたが、ジャビドはブルースの音楽を聴いて音楽がただの音楽ではなくなります。印象的なシーンはカセットテープをセットするところ。ジャビドはポータブル・テープレコーダー(ウォークマンって言っていいのかな)をベルトの腰の辺りに装着していて、真正面のバックルの位置ではないのですけど、そこにカセットテープをガシャっと押し込むんですね。すると気持ちに変化が起きる。ブルースの歌の力が装填されるんです。言ってみれば変身ベルトです。てことで仮面ライダー(笑)。ほら、平成ライダーはベルトにUSBとかカプセルとか差し込みますからね、僕はまさにあれを思い出しました。

そうやって、ジャビドはブルースの力を借りて変身をする。だから映画の序盤から中盤にかけてはジャビドがカセットを装填するシーンが沢山出てきます。好きな子に告白する時なんかまさにそう。ブルースの言葉を借りて力に変えていくのです。

それが中盤から最後にかけては少し様子が違ってきます。徐々にジャビド自身に変化が起きてくるのです。それがはっきりと分かるのはスピーチのシーン。ここに至ってはもうブルースのカセットを装填する必要はないんですね。ジャビドはブルースの言葉を借りることなくジャビド自身の言葉で話します。彼は単なる憧れからブルースをきっかけに自分を変えていくんです。翻って僕はどうだろうか。単なる憧れで終えてしまってないだろうか。やっぱり好きなら尚のこと憧れで終わりたくない。そんなことを思いました。ジャビドを見て大事なことを学べたような気がします。

この映画にはジャビド以外にも魅力的な人物が沢山登場します。ジャビドの家族、お父さんだけではなくお母さんや姉妹たちとのエピソードも心に残ります。ガールフレンドや学校の先生、カッコいいですよね。そんな中、特に印象的だったのはジャビドの親友、マットとループスです。

映画はジャビドとマットの子供時代から始まるんですね。小高い丘で二人は永遠の友情を誓います。そうですね、映画では激しいレイシズムもそこかしこに描かれています。パキスタン移民であるジャビドたちは随分とつらい目に合う。けれどマットはそんなことは気にしない。すごくシンプルにジャビドは友達なんです。で途中、ジャビドとマットが仲違いをする場面がある。けれどここで原因を作るのはジャビドの方だし、最後の方で夢に向かって順調に歩み出すジャビドに対し嫉妬とか距離を置くとかもなく、子供時代と変わらずずっとマットは同じトーンなんですね。なんかマット、素敵だなって思いました。あと関係ないけどマット、ピート・ドハーティにそっくりや(笑)。

そしてループス。ジャビドと同じパキスタン移民の彼がジャビドにブルースの存在を教えることになります。だからループスはジャビドにとって運命の人でもあるわけですが、例えば僕も十代の多感な頃にブルース・スプリングスティーンを知りました。それは雑誌だったんですけど、その文面というか紙面は今でもちゃんと覚えています。レンタルCD屋でブルースのCDを探している時のことも。大切な何かを知ったとき、出会ったとき、そこには必ずきっかけがあると思います。だからループスというのはそのメタファーというか、自分と大切な何かを結びつけた象徴でもあるわけです。

いつも変わらない非常にリアルな存在のマットと、放送室に忍び込んだり街中で一緒に歌い踊るファンタジーなループス、もちろんエンドロールに登場したようにループスも実在の人物なのですが、イメージとしてはユージュアルなマットとアンユージュアルなループスという対極にある人間関係がジャビドには存在したというのも大きな要素であったような気はします。

そして最後の場面。ジャビドが助手席に父親を乗せて旅立ちます。ここでかかるのが「Born To Run」。始めに言ったように僕はブルースの曲が流れると条件反射的にウルウルしちゃったんですけど、ここではそうはならなかったんですね。すごく清々しい気分で「Born To Run」を聴けた。それはブルースの映画だということで幾分興奮していた僕が劇中のジャビドと同じように曲に対して、ブルースに対してちゃんと距離が取れていったということだと思います。そしてジャビドと父親の乗る車が俯瞰で描かれます。ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードですよね。そして丘の上の見知らぬ少年のカットになる。ここですよね、バトンが繋がっていくという。

最初にも言いましたが、この映画で描かれるブルース・スプリングスティーンの音楽は単なるノスタルジーではないんですね。ここはすごく大事なところ、グリンダ・チャーダ監督の思いなんだとを思います。いろいろな出来事があってジャビドは旅立つ。ジャビドには過去があって今があって未だ見ぬ未来がある。そして丘の上に立つ少年もまたそうなんだと。更にはそれだけではない。助手席に座る父親だってそして映画を観ている僕たちにも過去があって今があって未来がある。この場面から僕はそんなメッセージを受け取ったような気がしました。

ジャビドが特別な経験をしたのは音楽でしたけど似たような経験、誰しもあると思います。音楽でなくても文学であったり映画であったり。そうではなく実際の人との出会いがそうだったかもしれないし、具体的な何かの体験がそうだったかもしれない。人にはきっと多かれ少なかれそうした経験があるのだと思います。

でも時が経ち、あの気付きは、あれは若気の至り、勘違いだったのかもしれないと思うときがある。あれは目が眩んだ戯言だったんだと。でもきっとそうじゃないんです。若気の至りだろうとなんだろうとそう感じたのは紛れもない事実で、それは今も心のどこかにちゃんと残っている、今の自分を形作っている大切な要素なんです。そのことをも思い出させてくれた。僕にはそんな映画でもありました。

最後にもうひとつ。グリンダ・チャーダ監督のユーモア、素敵ですよね。僕も沢山笑いました。マットのお父さんとか、ブルースの曲をバックに踊るマイケル・ジャクソン男とかめちゃくちゃ面白かったー!

テイラー・スウィフトからのサプライズ!急遽、新作「フォークロア」をリリース!!

その他雑感:

テイラー・スウィフトからのサプライズ!
急遽、新作「フォークロア」をリリース!!

テイラー・スウィフトのアルバムがサプライズでリリースされましたね。こんな時だからと、逆に今できることを積極的にトライして楽しんでいく。さすがテイラーさん、ポジティブですねぇ。

なんでもほぼリモートで作られたとのこと。それだけでもちょっとした驚きなんですが主要プロデューサーがなんとThe National のアーロン・デスナー、しかもBon Iverのジャスティン・バーノンも参加していてボーカルをとっている曲もある!タイトルが「フォークロア」というのも気を引かれます。

アーロン・デスナーとジャスティン・バーノンのコンビと言えばビッグ・レッド・マシンですよね。2年前でしたか、二人のコラボ・アルバムが出たの。このアルバムは僕も大好きで、このブログにもレビュー書きましたけど、ホントに素晴らしくって、その二人が参加するとあっちゃこれはもう聴かずにはいられないです。

僕はテイラー・スウィフトの熱心なリスナーではなく、手元にあるのは彼女が大ブレイクした「フィアレス」だけ。ミーハーですね(笑)。これは結構聴きましたけどただその後はね、どんどんセレブ化していって音楽の方までがっつりメインストリームに浸かっていきましたから、僕の興味は薄れていったんですけど、ここに来ておやおや、っていう力強さを感じてます。というのもジョージ・フロイドさんの事件後、ブラック・ライブス・マター運動をテロ呼ばわりするトランプ大統領に対し、「次の選挙では必ず落選させる」と発言したんですね。あぁ、彼女はそういう一面もあるのだなと。そこへ来てこのコロナ禍にも負けない創作ですから、これは俄然彼女に興味が沸いてきました。

さっそく今はSportifyで聴いてますけど、かなり良いですね。元々透明感のある切ない声の持ち主ですから静謐なサウンドがよく似合います。彼女はやっぱアコースティックな感じがいいですね。まだちらっとしか聴けてませんが愛聴盤になりそうな予感満載です。

さすがに急なリリースのせいかSportifyにリリックまだ載ってません。それに日本国内盤が出るのはまだしばらく先になりそうですね。僕は英語力が頼りないのでいつも和訳が記載されてる国内盤を買うのですが、これも間違いなくそうなりそう。それまではSportifyで楽しみたいと思います。

それにしても今年の僕の購入履歴、女性アーティストの割合が多くなってます。へイリー・ウィリアムズにフィオナ・アップル(←やっと国内盤が出て購入しました)にフィービィー・ブリジャーズ。ハイムも良かったです。世の動きを見てもこういう時は女性の方が柔軟なのかもしれませんね。