かつて理解して

ポエトリー:

「かつて理解して」

 

熱い涙は体温だ
森の真ん中に迷い込んだ
かつて人類は東へ向かい
新しい道を歩き始めた

かつて かつて
かつて わかって
かつて かつて
かつて 理解して

空回りでも心は回る
やがてその軸を焼き尽くした
かつて人類は渚へ向かい
仲間とはぐれて暮らし始めた

かつて かつて
かつて わかって
かつて かつて
かつて 理解して

僕のお母さんは朝早くに出かけ
夜遅くに帰ってきた
僕は海原に小舟を浮かべ
釣糸を眺めていた

かつて かつて かつて わかって
かつて かつて かつて 理解して
かつて かつて かつて わかって
かつて かつて かつて 理解して

かつて人類は
空をつかむように
同じ体温の誰かと
手を繋ぎあった

 

2021年8月

Collapsed In Sunbeams / Arlo Parks 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
 
Collapsed In Sunbeams (2021年) Arlo Parks
(コラプスド・イン・サンビームス/アーロ・パークス)
 
 
 
デビュー作ながら2021年のマーキュリー・プライズに輝いた本作。マーキュリー・プライズというのは英国のグラミー賞ですね。グラミー賞は芸能界的なとこがありますが、マーキュリー・プライズは純粋に音楽のみで評価するというイメージがあります。ノミネート作を見ても断然こっちの方がカッコいいですね。そういうメンツの中で受賞したアーロ・パークス。そんな凄い賞獲るような人には見えない、なんか愛嬌があってとても親近感ある人ですね。
 
このアルバムは出た時からずっと評判が良くって、僕も時折聴いていたんですけど、実はあまりピンとこなかった。というのもサウンド的なインパクトはあんまりないんですね。勿論、聴く人が聴けばその凄さは分かるんでしょうけど、僕にはそこまで分からない。ただ曲はいいし、全体的に優しい雰囲気で聴き心地がよいので仕事帰りの電車なんかでよく聴いていたんです。
 
そんな中、歌詞がすごくいいというのを知ってですね、YOUTUBEには親切にもMVに和訳つけてくれてる人も結構いるので、そういうのを何曲か聴いてみました。彼女はビリー・アイリッシュと一緒で割と私生活を歌詞に変換して歌っているんですけど、あんまりそんな感じはしない。要するに私は私は、ではなく聴き手が入っていける隙がいっぱいあるんです。
 
その理由として彼女は名詞を上手に使うというのが挙げられると思います。「アーティチョークをスライスする」とか「ターコイズのリング」といった表現が何気に出てくる。更には「トム・ヨークを引用する」とか「一人でツインピークスを見ている」といった具合に固有名詞もいっぱい使っている。つまり聴き手に具体的な情景を喚起させるんですね。ポップ・ソングというのは喜怒哀楽といった感情で歌詞をリードしていくというものが非常に多いですけど、アーロ・パークスはそうじゃなく、自分の過去の出来事であってもそれをスケッチして歌に載せていく。この年齢でそんなことできるのって凄いと思います。
 
彼女は元々、詩が好きでオードリー・ロードやシルヴィア・プラスなどを愛読していたとインタビューで語っています。なので詩を作ることが先行してあったんですね。そういう影響がソングライティングにも出ているのかもしれません
 
あと電車で流し聴きではなく家でちゃんと聞いていると、サウンドの良さが私にも分かってくるようになりました。時折いい具合でギター・リフやオルガンなんかが薄っすらと聴こえてくるんですけど、この薄っすらがいいんですね。電車じゃ聴こえないですけど(笑)。基本はバンドなんですかね。今時はプログラミングと生演奏の区別はつかないので、よく分かりませんが全体的にアナログなこんもりとしたイメージではありますね。
 
あと#10『Eugene』なんかはレディオヘッドですよ。こういうロック的なサウンドもあれば、私はちょっと疎いですがネオ・ソウル、R&Bであったりもすると。なので、あ、私これ好き、って言ってもらえる間口が広いんですね。私がレディオヘッドっぽさに食いついたように色んな人にアプローチしてもらえるのも彼女の強みかなと思います。
 
彼女は同性愛を公言していて、#7『Green Eyes』は自身の体験に基づく歌なんですけど、「公然とは手は繋げなかったわ」みたいな歌詞が出てくるんですね。最近はLGBTQのニュースもよくやってるし、特にヨーロッパは全体として理解が進んだ国というイメージがあるけど、実際には高校生が大っぴらに同性同士で手をつなげるような状況ではないんだということ。そういう実際のところが歌を通して分かるというのもポップ・ソングの良さですね。

映画『オアシス:ネブワース 1996』(2021年)感想レビュー

フィルム・レビュー:
 
『オアシス:ネブワース 1996』 (2021年)
 
 
劇中で「リアムはこの時が声もルックスもピークだ」なんて言っている人がいましてですね、いやいやデビュー当時もカッコエエし、なんなら今の大人な渋さもエエやんって心の中で思いまして。で、映画を観終わって帰る道すがら当然のごとくYOUTUBEだなんだと色々見返していたんですけど、やっぱり思ったんですねぇ、「ネブワースのリアムが一番カッコエエやん!!」と(笑)。
 
そりゃデビュー当時は『Live Forever』の裏声だって自分で歌ってたし、アラフィフの今は今で渋くって好きなんですけど、あの大声と爆発力はやっぱネブワースの頃だなと。しかも映画観てるとタバコ吸いながら歌ってるシーンもあって、それであの声ですからやっぱこの人すげえなと。ま、この不摂生のせいでこの後は声がダメになっちゃうんですけどね(笑)。それにしても『Slide Away』のラスサビ後のコーラスをリアムががなり立てるとこはめちゃくちゃカッコエエ!!
 
オアシスが解散して十数年経ちますけど、過去に一度でも彼らの音楽に夢中になったことがある人なら、この映画はきっと気に入ると思います。僕もちょっと忘れかけてたんですけどね、この映画を観て思い出しました、リアム、すげぇって。ネブワース公演自体は何年も前からYOUTUBEで見れるんですけど、多分もう皆忘れてしまってると思うんですね。そこへこうやって改めて映画館で観るとですね、『Don’t look Back in Anger』と『Wonderwall』を同じ週に書いて『The Masterplan』をB面にするソングライティングの化け物ノエルと、天性のフロント・マンであるリアムがいるあのとんでもなかったオアシスの特別感というのがまたよみがえってくる感じはありますね。
 
映画は、僕はてっきりフィルム・コンサートみたいな感じかなと思ってたんです。でも全然違って、ネブワース・ライブに参加した当時の若者、25年経ってますから今はもういい年をしていますけど、彼彼女らの証言で進んでいきます。彼彼女らがどういう思いであの日に臨んだのかっていうところに焦点を当ててですね、何しろイギリス国民の2%がチケット争奪をしたっていうぐらいですから、そのチケットをどうやってゲットするかというところから始まって、片田舎のネブワースに到着するまでの姿を、それだけじゃなくラジオ中継もあったので参加できなかった子たちがラジカセの前で準備する様子とかもね、当時の映像なんかも交えながら進んでいきます。
 
これがすごくよかったです。こういう映画にありがちな業界関係者の証言とかじゃなく、ファンの声ですよね、それがいかに彼彼女らにとってオアシスがどういう存在であったというのをちゃんと伝えてくれるんです。今じゃもう彼彼女たちは中年ですよね。ここまで色々ありながらも何とかサバイブしてきた。その人生半ばを過ぎた今、過去を振り返ったときに何があったかというとね、人に自慢できるものはなかったかもしれないけれど、あのオアシスとの日々があったという事実。実際栄光を掴んだのはオアシスであってファンの子たちではないんですけど、俺たちも栄光を掴んだ、あの時の俺たちは輝いていた、そんな風に思わせる力がやっぱりオアシスにはあった、その象徴としてネブワースはあったんだなというのがヒシヒシと伝わってきて、これはちょっと感動的でもあるんです。
 
今はコロナですからライブにも行けなくて、僕自身もこれまでにチケットを買ったものの行けなかったライブが4つあります。エンターテインメントは不要不急呼ばわりされて、それも仕方ないとは思うんですけど、音楽が必要なんだという人は世界中に沢山いて、実際に誰かの人生に寄与してきた、そういう事実をこのコロナ禍にあって図らずもこの映画は示してくれた、そんな気もします。
 
あとさっき当時のイギリス国民の2%云々って話をしましたけど、映画を観る限りは白人の若者ばかりなんですよね。たま~に黒人とかアジア系とかいますけど、ほぼ白人。イギリスはパキスタン移民も多いはずなんですけど、ネブワース公演の映像を観る限りはほとんどが白人の男女。だからどうなんだということではないんですけど、2021年の今ではそういう目でも見てしまうとこあるなとは思います。当時の白人じゃない若者はどうだったのかなぁって。
 
映画は2週間ほどで公開を終了するみたいですから、今更オアシスっつってもな~って迷っている人がいたら、ちょっと時間に余裕があれば、観に行ってもらいたいなと、得るものはあるんじゃないかなとは思います。
 
私はなんか今の勢いじゃ、もうすぐリリースされるネブワースのCDを買ってしまいそうです(笑)。映画を観た後だと、オリジナルのスタジオ録音バージョンは物足りないんだよなぁ(笑)。

小指は震える

ポエトリー:

「小指は震える」

 

小指を
遠くに見える鉄塔と重ねてみた
すると、
ぶるっと音がして
小指から四方に電線が走った

目に見えるものはすべて捉えよと
うろ覚えの歌が言う
君は困らない
このままゆけるところまでゆける
はずだ

小指がぶるっとして
それは嘘だと弾けた

ところが
積み上げた仕草が
小指以上に語りかけてくる

すべて君の手柄だ
すべて君の手柄
すべて君の
すべて…
す…

小指が震える

 

2021年8月

Our Extended Play / Beabadoobee 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
EP『Our Extended Play』(2021年)Beabadoobee 
(アウアー・エクステンデッド・プレイ/ビーバドゥービー)
 
 
2020年のデビュー・アルバムに続くEP盤。4曲のみではあるが聴きごたえ十分、というかこのぐらいが丁度よいぞ。
 
というのもこのEPは The 1975 のブレーンであるマット・ヒーリーとジョージ・ダニエルがプロデューサーとして関わっていて、ビーバドゥービーとスタジオに籠って集中的に制作したらしいのですが、どうしても The 1975 っぽさは避けられないと。多分このままフル・アルバムってことになってしまうといったい誰のアルバムか分からなくなってしまうんじゃないかというところもあって、ちょっとした合間の出来事としてはこのぐらいがよいのかもと思った次第です。
 
と言ってもビーバドゥービーの気だるいくせに言うことを聞かなさそうな声の魅力は存分に発揮されているし、彼女の作品の中にポップ寄りのこういうのが混じっていてもよいのかなとは思います。ま、ギター女子感は横に置いときまして、次のアルバムでは1st以上にガシャガシャ言わしてもらいましょう。
 
The 1975 としてはこのところシリアスな作品が続いていたけど、こういう初期によくあったポップ・ソングを今でも書こうと思えば書けるんですね。本人たちはもうこういうのやらないのか。ていうかこっちがそれじゃ物足りない?なんにしてもビーバドゥービーのファンには The 1975 を気に入ってもらえるだろうし、The 1975 のファンにはビーバドゥービーを気に入ってもらえるような気はする。
 
しかしまぁ4曲というのはちょうどいい。わたしゃ割と真面目にアルバムは頭から最後までちゃんと聴かなきゃと思うたちなんですが、4曲だとちょっとした時間に気軽に聴けてよいですな。

イカヅチ

ポエトリー:

「イカヅチ」

腕に繋がれた鷲が
猛禽類であることを自覚するが如く
如く
威嚇する
何を
この世界を

かつて、
己が身体で威嚇するものは
するものは
その隆々たる羽や
筋張った足や
足や
まっしぐらな眼光や
鋭い嘴や

今や、
開かれた空に放たれる
繋がれたままでも離さないお前の前夜はイカヅチ
イカヅチ
這い出る隙間もなくこの世の無情
無情

今夜、
お前の命はうるさい
うるさいにもほどがある

 

2021年7月

Pressure Machine / The Killers 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Pressure Machine』(2021年)The Killers
(プレッシャー・マシーン/ザ・キラーズ)
 
 
2年連続で新作が届いた。コロナ禍で単に時間があったということもあるだろうけど、そんなことよりも曲が出来て仕方がないという方が本当のような気もする。デビューして20年、今はとても良い状態なのだと思います。なんにしても好きなバンドの新作が2年続けて聴けるのは嬉しいことです。
 
ブランドン・フラワーズがブルース・スプリングスティーンの大ファンだというのは有名なところ。今までもスプリングスティーン的な世界を時折覗かせてはいたけど、今回はそちらへ思い切り振りきったアルバムです。と言ってもそれはサウンド的な、Eストリート・バンド的なということではなく、歌詞の方ですね。
 
てことで歌詞が圧倒的に素晴らしい。元々、ストーリー・テリングを用いた歌詞はブランドンの真骨頂でしたが、アメリカン・ドリームからは遠い人々の存在をこれだけはっきりと浮かべ上がらせる歌詞は驚き。2曲目に『Quiet Town』という曲がありますが、そんな静かな町で起きる小さな物語。人生に訪れるちょっとした闇に引き込まれてしまった人々、或いは引き込まれそうな人々を丁寧に描いています。ブランドンさん、こんな深い内容の話を書けるんですね。ちょっと見直しました。ちなみに『Quiet Town』はスプリングスティーンというより、ジョン・メレンキャンプっぽいかな。
 
スプリングスティーンに『ウェスタン・スターズ』(2019年)というアルバムがあって、それは自身の年齢と照らし合わせるように晩年を迎えた市井の人々の姿を捉えたものなんですけど、この『プレッシャー・マシーン』はそのキラーズ版というか、ブランドンもそろそろ不惑を迎えて色々思うところはあるのかもしれないですね。ていうかアラフィフの私にも身のつまされる内容ですな、こりゃ。
 
あと大事なのはスプリングスティーンにしてもブランドンにしても無理に風呂敷を広げないというか、世の中多様性云々で今的に言えばジェンダーとか人種とかそういうところへ目配せした方が受けるのかもしれないけど、そういう視点ではなく自分の身の回りで起きていることを丹念に描いているというところに誠実さを感じますね。
 
歌詞に対する言及ばかりになってますけど、メロディも凄くいいです今回。自身のストーリー・テリングに導かれたのかどうか分かりませんが、詩の内容に沿った自然で美しいメロディ。確かに詩は素晴らしいですけど、そこにメロディーが加わることで景色がより立体的になりますね。ブランドン、凄い才能持った方なんだなぁと改めて思いました。そこに鳴るギターがまたいいんだ。
 
2年連続と言っても今回は少し毛色が違う。ていうかこれまでのキラーズにはなかった作品。ただ、こういうことが出来るのも前作『インプロディング・ザ・ミラージュ』(2020年)でのこれぞキラーズといった成果があってこそ。次のアルバムももう進行中だとか。今の彼らは第二期のクリエイティブなピークにあるのかもしれないな。
 
追記:ほとんどの曲の冒頭にアルバムの舞台ともなっている、ユタ州の人々のインタビューが曲のイントロダクションのような形で収録されています。歌詞カードにこの部分の記載はないですが、ネット検索をするとすぐに見つけることができます。そんなに難しい英語ばかりでもないので、ここの部分で何を言っているのかを知ると、このアルバムの聴こえ方はまた違ったものになるのかなと思います。ちなみにここはすべてが完成してから最後に付け足したそうです。

『風立ちぬ』(2013年) 感想その2

フィルム・レビュー:

『風立ちぬ』(2013年) 感想その2

 

映画『風立ちぬ』を見て今思うのは、やっぱりあれは菜穂子の物語だなと。二郎は子どもの頃から飛行機が好きでその道へ没頭しますが、栓なきことを言えばそれだけのことなんです。自分のもっとも良い時期に生涯の仕事をやり遂げた。それだけなんです。

じゃあお前はどうなんだと問われれば随分と心許ない。どころか二郎に比べちっぽけなことも成し遂げていない。そういう意味で言えば失礼ながら僕だけではない。世のほとんどの人がそうだと思います。

であるならば。二郎の生涯、と言ってもまだ壮年には程遠いですが、僕たちの人生とは少しかけ離れた世界とも言えるのかもしれません。にも関わらず宮崎駿監督はそうしたある種特殊なひとりのエンジニアの半生を描いた。なぜか?そこには菜穂子の存在があったから。それしかないように僕は思います。

この物語をもう少し知りたいと思って、原作のひとつにもなった堀辰雄の小説『風立ちぬ』を読みました。原作と言うより着想を得た、と言ってよい繋がりだとは思いますが、そこで得た僕の感想はやはり、主人公の男は頼んない。

頼んないというのは物語の主人公としてという意味ですが、この物語の主人公は余命幾ばくもない女性とのサナトリウムでの交感、その言葉にならぬ、例えば夏草の先にしずくのように命が少しずつ溜まっていくような描写、そんな物語だと思うのですが、それに比較して主人公の男のつまらなさ。いや、二郎は優しくていい男ではあるんてすが、そうではなくこれは自分も含めた男のつまらなさなんだと思うのですが、突き詰めて言えば映画『風立ちぬ』での二郎もそれに似たような、彼は彼の人生をもしかしたら主体的に生きてきたというのとは少し違うのかもしれないと。

というところとの比較。菜穂子は完全に主体的であったわけですから、だからこの映画の二郎の半生というのは極端に言えばバックグラウンドに過ぎない。より重要なのは『風立ちぬ』というタイトルになっていますけど、そういう生涯の仕事をした、というはっきりと目に捕まえられるような代物ではなく、もう少しぼんやりとした抽象的なものが主題だったような気がして、その主題にもっとも近づいたのは菜穂子の方だったのではないかと。勿論二人の交感というところではあるけれど、それもより菜穂子の側にその働きかけはあった、というところが僕がこの映画はやっぱり菜穂子だよなぁと思うところではあります。