リビングにて

ポエトリー:

「リビングにて」

 

自在にゆれる肩掛けの光は
レースのカーテンのせいで
それをまとう女のせいで
しどけない日曜

時間にたゆたう女を見るのに飽きたら
ぼくはおとなしく、
ふたりぶんのコーヒーカップをゆすいだ

しまらない話も
きみがいれば高みにのぼる
ぼくももう少しちゃんと
死んだようにねむれたら

そんなふうにして
今日が過ぎ去る
ただのヒューマンとして

 

2025年1月

ぼくは生まれる

ポエトリー:

「ぼくは生まれる」

 

ぼくは生まれる
ぼくに似合うにんげんは
今のところママとパパとおねえちゃんだけだけど
明日にはおばあちゃんとおじいちゃんが来て
ぼくに似合うにんげんがふえる

家に帰ればコロや近所のひとも似合うにんげんになる
コロは犬だから似合うにんげんというのとはちがうんじゃないというかもしれないが似合うということで言えば似合うにんげんでもいいとぼくは思う

そのうち学校に行って似合うにんげんはたくさんふえる
似合わないにんげんもたくさんふえる
似合うにんげんと似合わないにんげんごちゃまぜ!
そしてぼくは似合わないにんげんとも一緒にたくさん話しをする

もう少したつとぼくはママやパパとはちがったものすごく似合うにんげんに出会う
でも意外とうまくいかなかったりする
反対にものすごく似合わないにんげんどうしなのにものすごくうまくいくときだってある

ものすごく似合うにんげんどうし
ものすごく似合わないにんげんどうし
ママとパパはどっちか知らないけど
ママとパパにものすごく似合うとてもかわいいこども
それがぼく
似合う代表、似合う選手権1位

今のところぼくに似合うにんげんはママとパパとおねえちゃん
明日にはおばあちゃんとおじいちゃん
その次にはコロと近所のひと
ぼくに似合うにんげんがふえる

せっかくだからこのままずっと似合うがいいけど
あまりこだわることはないかも
似合っても似合わなくってもずっとなかよしでいることはできるから

似合う選手権1位じゃなくてもいい
ずっとなかよしがいい
ずっとなかよしがいい
そんなふうに声をあげて、
ぼくは生まれる

 

2024年12月

People Watching / Sam Fender 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『People Watching』(2025年)Sam Fender
(ピープル・ウォッチング/サム・フェンダー)
 
 
英国出身の30才。2019年のデビューで今回で3作目だそうだ。1stの頃はブルース・スプリングスティーンに影響を受けた所謂ストリート・ロックという触れ込みだったので、僕もなんとはなしに聴いた。でもそんなでもないかなという印象だった記憶がある。確かその年のサマソニのステージで観たはず。
 
そういうところから始まって、今はスプリングスティーンというよりキラーズに近いというもっぱらの評判。久しぶりに聴いてみると近いというよりもうまんまキラーズでした(笑)。アルバムタイトルにもなっている#1「People Watching」はキラーズの新曲と言ってもいいぐらいで、ブリッジのとこなんてそのものだ。間奏やアウトロではサックスが鳴っていて、こういうところはスプリングスティーン。でもまったく暑苦しくなくオシャレなリフが印象的に挟まってキレイにまとまっている。
 
オープニングのこの曲を聴き、これはどえらいアルバムだなと期待感満載で続きを期待して聴いていったのだが、落ち着いたテンポの曲が続く。フムフム、なかなかよいメロディで爽やか。しかし一向にテンポアップしない。。。もしかして最後までこの状態?と心配になってきたら、どうやら景気の良い曲は1曲目だけであとはずっとミドル・テンポの曲でした(笑)。
 
それこそキラーズばりに派手な曲があと2曲ぐらいあれば最高だったんだけどな。いいにはいいけどなんか物足りない。。。スプリングスティーンのように労働者階級のことを綴ったリリックがよいらしいけど和訳読んでないからそこまでわかんねぇ。いやいや、でもやっぱもうちょっと景気のいい曲ほしいよな。こうなってくると暑苦しくなくキレイにまとまっているのが逆に物足りなくなってくる。プロデュースがザ・ウォー・オン・ドラッグスの人らしいからもうちょっとスプリングスティーンぽいのあってもいいのにね。

Open Wide / Inhaler 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Open Wide』(2025年)Inhaler
(オープン・ワイド/インヘイラー)
 
 
2023年の2ndから2年ぶりの3rd。劇的な変化はないものの、1stから2nd、2ndから3rdと着実に手堅いステップアップ。3枚目といえどコンスタントにリリースしているし、なんかもうベテランバンドのような安定感。派手な若手ロックバンドがいろいろと出ているけど、こういうバンドもいるというのが楽しい。
 
それは音楽性にも表れていて、世の中でどういう音楽が流行ろうがそういうところとは一切関係なく自分たちのロック音楽を実直に追及している。裏を返せばそれは自信の表れだろうし、こういう事を言うと下世話になるが、ボノの息子という事でシャカリキにならなくて済む育ちの良さも影響しているのかもしれない。
 
ということで冒険はしないが、曲調は多種多様。この辺りはソングライティングもそうだけど、バンドとしての表現力が並みじゃないということ。突出したキラー・チューンが前作ほどはないかなというのはあるけど、全体としての底上げは断然こっち。彼らなりのチャレンジもうかがえるし、アルバム単位で聴くのはこっちの方が楽しい。聴く回数もこっちだな。所謂じわじわくるアルバム。アルバムとしての平均点ではまたひとつグッと上がったように思う
 
全英アルバム・チャートでは2位。テイラー・スウィフトの企画ものに1位を奪われたみたいだけど、そんなこと関係なくこれだけの曲と雰囲気があればもっと売れてもよさそう。あとはイケメンの割に地味という、華やかさがイマイチというところだろうか。おやじ譲りのいい声してるんだけどなぁ。

HAYABUSA JET Ⅰ / 佐野元春 感想レビュー

 

『HAYABUSA JET Ⅰ』(2025年)佐野元春

 

僕が佐野元春の熱心なファンになったのは1992年、アルバム『Sweet16』や「約束の橋」再リリースの後だ。言ってみれば僕は佐野元春ファンの第二世代だった。その頃にリリースされたコンピレーションアルバム『No Damage Ⅱ』を僕は数え切れないぐらい聴いた。後から知ったことだがこのベスト盤は初期からのファンには不評だったようだ。けど僕には関係なかった。

『No Damage Ⅱ』で1番好きだったのは冒頭を飾る「New Age(The Heartland Ver.)」。このアルバム用に再録されたものだ。佐野はライブで頻繁にオリジナルとは違うアレンジをする。この「New Age(The Heartland Ver.)」は当時のバックバンドであるThe Heartland とライブを通して練り上げたものだった。初期からのファンにとってはアルバム『Visitors』の「New Age」が本道だったろうけど、僕にとって「New Age」と言えばこっち。それは『No Damage Ⅱ』に再録された「約束の橋」も「新しい航海」も同じだ。

デビュー45周年を迎えた佐野の新しいアルバム『HAYABUSA JET Ⅰ』は80年代、90年代に発表した曲の「再定義」だそうだ。テーマはずばり”for new generations”。あの「Young Bloods」や「ガラスのジェネレーション」が新しい装いとなって披露されている。中には The Heartland 時代のように原型を解体してしまっている曲もある。野心的な試みだと思う。

新しい意匠を纏い、よりスリリングに生まれ変わった曲がある一方、個人的にはこれはやり直す必要があったのかなと思う曲もある。でも僕のような古いファンの戯言なんてどうでもいいし、その事についてここで詳しく述べるつもりはない。肝心なのは佐野のことを全く知らない新しい世代にこれらの曲がどう響くかだ。

直近のインタビューで佐野は HAYABUSA JET に改名しようとしたら周りに止められたと冗談めかして話している。僕はそれは半ば本気だったと思っている。佐野は現在の巷の音楽を見渡した時に、青年佐野元春が作った曲は今もまだ有効なんじゃないかと直感したのだと思う。だったらばそれを世に問うてみたい。そのために佐野元春という名前が邪魔をするのであれば取っ払ってしまえばいい。僕はそんなふうに想像する。それにどんな作家も自分が過去に作った作品であっても今現在や新しい世代に響かせたいと思っているはずだ。それは作家の本能ではないか。

佐野は自分の名前を伏せてまで新しい世代に届かせようとしている。昔ながらのファンに不評になるかもしれなくても、彼らの特別な過去の曲に思いっ切り手を入れたくてウズウズしている。新しい世代に響かせるために。佐野のこのトライアルが成功するかどうかはわからない。けど改めて思う。僕は佐野元春のこういうところがたまらないのだ。

僕もここに収められた曲の核になる部分は今も有効だと思う。そしてリフレッシュされた。オリジナルとは全く違う「New Age(The Heartland Ver.)」に30年前の僕が魅了されたようにアルバム『HAYABUSA JET Ⅰ』が新しい世代に届くことを切に祈る。ハヤブサ、新しい世代の元へ飛んでゆけ。

ポエトリー:

「時」

 

よどみなく消える、時間は

良いときも悪いときも

見さかいなく

 

わたしたちの舟はゆれる

岸が離れていても近くても

水草に手が届くなら

それが安心

 

いつからかわたしたちは

困り果てた顔をする

自由だからか

不自由だからか

 

しかし確かに

訪れるものがある

 

その日が来るとしたら

きっと今朝のように寒い日かもしれない

それは鉢に薄い氷が張るようなとても寒い日

それは水草の間に花が咲くようなきらびやかな日

 

一番小さなしあわせがわたしたちを満たすとき

時間はわたしたちだけのものになる

それが行って過ぎるまで

 

2025年2月

 

そういう芽生え

ポエトリー:

「そういう芽生え」

ぼんやりと生きることが
暮らしの支えになる
どうやら
そう信じていた節がある

自分に信念のようなものがあるとすれば
きっとそんなようなものだと
それもまた
ぼんやりと気づいた

ひとには
誰に教わるわけでもなく
そういう芽生えが
生まれながらにあるらしい

 

2025年2月

きみよりの

ポエトリー:

「きみよりの」

きみが何に急ぐのかぼくにはわからないけど
ぼくは手間どるのが結構すき

きみの手柄はぼくもうれしいけど
余るようならひとに分けてあげてほしい

きみとぼくがうまく合わされば今よりのんきになってしあわせになる
でものんきはぼくの性質だからぼくよりのしあわせということになる

ぼくとしては
ぼくよりもきみの方が少しだけしあわせになってほしいから
きみよりのしあわせがいいと思う
でもそれすら
ぼくよりのしあわせかもしれないけど

 

2025年1月

ペグ

ポエトリー:

「ペグ」

 

よく晴れた日
飛ばされそうでペグを打つ
隣人は片方の靴下をもう脱いで駆け出していた
路面は暖簾のように緩やかで
どこからもようこそと言われているようだった

わたしたちの水銀灯は熱を帯びていた
これから何をしようと責任は取る必要のない朝
二重にした袋からも汁が漏れそうな気がして
振り返るたび路面は揺れる

一方向しかないベクトルの
業務用でしかない喧騒を
我が事として捉えることができるのは
将来の夢が固まったひとだけだと聞いた

「ほんなら誰もおれへんやん」

振り返るとそこに影がいた
影もろとも飛ばされないようにペグを打つ
とてもよく晴れた日

 

2024年12月

This Cloud Be Texas / English Teacher 感想レビュー

『This Cloud Be Texas』(2024年)English Teacher
(ディス・クラウド・ビィ・テキサス/イングリッシュ・ティーチャー)
 
 
ここ数年、英国から新鮮なロック・バンドが登場しているけど、割とマニアックな音楽性に振れている部分はあった。それはそれで個性的なんだけど一般的なところにまで手が届くかというとちょっと厳しかったのも事実。その点、このバンドは技量に長けてるけど、間口が広くてテクニカルなところに流れていかない。バンド名もふざけてていい。
 
リリックがシンプルなのもいい。単にフレーズを置いていくだけであとはそっちで考えて、っていうツンデレ系ではあるけど、とてもポエトリーとして機能している。#3「Broken Biscuits」や#4「I’m Not Crying,You’re Crying」の似たようなフレーズを延々繰り返すカッコよさ。ボーカルも肝で基本リーディングでメロディーに乗せて歌うという感じではないのだが、リーディングのくせに跳ねるように歌っていやがる。このリズム感とか呼吸の入れ方とかは相当スゴイ。新種の才能と言ってよいのではないか。
 
ということでポエトリー・リーディングではあるけど、一向にだれてこない。ていうか、いろんなパターンがあってどの曲もめっちゃ楽しいぞ!それを下支えしているのは冒頭に述べたテクニカルなバンド。転調はあるし、プログレのような意表を突く展開を見せるし、バロック調のものある。けどあくまでもポップで楽しく。#8「R&B」や#9「Nearly Daffodils」のベースでリードしながらグイグイスピード上げていく辺りはめちゃくちゃカッコいい。かと思えば、#11「You Blister My Paint」のようなビリー・アイリッシュぽいスローソングで歌い上げたりする。ホント、楽しませてくれる。曲間が短いのもいいなぁ。
 
心配なのはこのアルバムのテクニカルだけどシンプルな明るさが今後も維持されるかという点。このやったった感は初期衝動にだからこそなし得たのか、それとも次もこの路線で屈託なくやっちゃうのか。いずれにしても今後に期待させるバンドの登場だ。