Sometimes, Forever / Soccer Mommy 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Sometimes, Forever』(2022年)Soccer Mommy
(サムタイムズ、フォーエバー/サッカー・マミー)

 

Alvvaysに続いてはこれ、サッカー・マミーです。90年代の青春映画で流れていそうな90年代のオルタナ・ロック感が随所に現れています。それこそ『リアリティバイツ』を観た世代なんかはグッと来るんじゃないでしょうか。ハイ、私がそうですね(笑)。

90年代オルタナ・ギター・ロック、特に『ザ・ベンズ』とか『OK コンピューター』期のレディオヘッドの面影を感じます。#2『With U』とか#3『Unholy Affliction』とか#6『Darkness Forever』辺りですね。なんだかんだ言って、レディオヘッドはギター・ロックの地平を切り開こうとしていたこの時代が皆好きですから(笑)、この辺りのニュアンスが出てくるとやっぱ嬉しいです。

という中でこの時期の一方の雄、オアシスを彷彿させる#7『Don’t Ask Me』なんかもあったりして、この世代の音楽に親しんだ人間のツボをどんどん押してきます。アウトロのドラムがドタドタするところにギター・ソロが絡んでくるところなんてたまらんぜぇ。

ただまぁそれも、彼女がよいメロディーを持っているから、ソングライティングがしっかりしているから可能なんですね。アレンジがどう転がろうが問題ない。1曲目の『Bones』なんかを聴いていると曲の良さが凄く伝わってきます。つまり単純に曲の良さで勝負できる人なんだと思います。その中で彼女が選んだのサウンドが90年代オルタナ・ギター・ロックなのかなと思います。

後はボーカルですね。この世代にありがちな平熱トーンのボーカルが少し物足りない。いや、この声だからこそいいっていうのもあるとは思うんですけど、もう少し感情が爆発するような、聴き手に揺らぎを与えるような強さがところどころにはあってもいいのかなと思いました。

それにしてもフィービー・ブリジャーズといいスネイル・メイルといい、米国ではどうしてこう活きのいい女性シンガーソングライターが続々と出てくるのでしょうね。しかも全部ギター女子っていう。ロック不遇の2010年代にローティーンを過ごしたであろう彼女たちがなんでまたギターを手にしたのか、一方で男性側からこういうのが全然出てこないのも含めて謎です。とにかく、先述のAlvvaysや英国のビーバドゥービーなどなど、新しい人がドンドン出てくるのはオルタナ・ギター・ロック好きとしては嬉しい限り。

ちなみに子供にサッカーの英才教育を施そうと一生懸命になっている母親のことを米国では’サッカー・マミー’と言うそうです。’スネイル・メイル(カタツムリ便)’といい、この世代はネーミングセンスも抜群ですね。

『THE FIRST SLAM DUNK』(2022年)感想

フィルム・レビュー:
 
 
『THE FIRST SLAM DUNK』(2022年)
 
確かにこれだけの映像表現が可能であれば、120分をまるっと山王戦で通す方法もあったかもしれない。それだけの映像インパクトはあるし、スラムダンクの映画化を楽しみにしていた当時のファンを十分に喜ばせることは出来ただろう。けれども連載終了時から30年近く経った今、それだけをすることにどれだけの意味があるのだろうか。
 
確かにあのスピード感や立体的な動きを再現できたことには驚く。しかし技術は日々進化する。今は驚きの目で見られた表現でさえ、10年後20年後にはそれを上回るものは必ず出てくる。いずれ、あの時は凄かったね、で終わってしまう。あの『ジュラシックパーク』や『マトリックス』が人々の記憶に残っているのは単に映像表現が凄かったから、だけではないのだ。
 
ではこの映画にその深みを与えているものは何かと言えば、それは間違いなく宮城リョータの家族をめぐる物語。もう一人の主人公はリョータの母親ではないかとさえ思えるような、極力セリフを配した丁寧な描写、心象風景。これらを幾つも挟みながら殊更説明することなくただ山王との試合に挑むリョータの肉体表現へ徐々に変換されていく様。今まさに現在進行形でそれを目撃している私たち。
 
また過去を捉えた幾つもの場面は手に汗握る湘北対山王の死闘に興奮状態にある私たち観客に落ち着きをもたらす効果もある。緊張感はいつまでももたない。チェンジ・オブ・ペース。まるでポイントガードである宮城リョータのように井上雄彦は映画全体を俯瞰する。
 
ただ懐かしむために井上雄彦は腰を上げたのではない。これは『バガボンド』や『リアル』を経て、また現在の日本のバスケットボール界を見据えた、今の井上雄彦の新作である。作家に’同じこと’を望むなんて野暮なこと。何故ならそれは芸術家にとって死を意味することだから。ましてあの井上雄彦である。
 
『THE FIRST SLAM DUNK』は過去の焼き直しでもリメイクでもない。今の井上雄彦が一から創り上げたリクリエイト(再創造)作品である。きっと漫画『スラムダンク』のように井上雄彦の作品として何十年後も残るだろう。『THE FIRST SLAM DUNK』は決して、あの時は凄かったね、で終わらない。

Blue Rev / Alvvays 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Blue Rev』(2022年)Alvvay
(ブルー・レヴ/オールウェイズ)
 
 
毎年、年末の各媒体の年間ベストを眺めてると、いくつか気になるのが出てくるんですけど、2022年末の場合はこれがその筆頭でした。全然知らなかったんですけど、3枚目のアルバムだそうです。男女混成の5人組、カナダのバンドです。Alvvaysの読みはオールウェイズ。先にAlwaysというバンドがいたようで、急遽、w を vv に分割したらしいですけど、vvの方が意味あり気でいいですね。
 
ネオアコにシューゲイズでドリーム・ポップという、もうこの文句だけで好きになりそうですが、1曲目の『Pharmacist』を聴いた時点で「これ好き」ってなりました。そう思っているところにアウトロで最高のギター・ソロが流れてくるもんだから「これ好き」が「めっちゃ好き」に速攻変わりました(笑)。
 
ただこんな風に掴みでグッとやられるだけでなく、彼女たちの場合は聴けば聴くほど良くなっていく、どんどん好きになっていきます。多分それは完成度が高い、練り込まれているってことなんじゃないでしょうか。初めはさほど気にも留めていなかったボーカルにしても、よくよく聴いているとこの透明感が稀有なことに気付いて、しかも高音になっても同じようにス~ッと入ってくるんです。#8『Velveteen』の最後のところなんてその典型ですね。
 
あと、最初に言った1曲目とか一番人気かもしれない#3『After The Earthquake』といったネオアコ色の強いポップ・ナンバーのみならず、#11『Belinda Says』みたいな最後にボーカルがグワッと盛り上がる切ない曲もあるし、不意に#7『Very Online Guy』のようなシンセでリードしていく曲もあれば、はたまた思わぬジョニー・マー節に笑ってしまいそうな#5『Pressed』もあったりと、曲調も豊かでこういった点も最初の印象と違って長く愛せるアルバムになっているのかなぁと思います。
 
それにしても2022年にこんなギター・バンドがいたなんて驚きですね。ていうか2014年のデビューらしいので、ギター・バンドが見向きもされなかった時代にこういう実直に取り組んでいたバンドがいた、それが今花開いた、そういうことなんじゃないでしょうか。本人たちはこれからも時代に関係なくよい音楽を作っていく、そういうスタンスなんだと思います。こりゃ1枚目や2枚目もちゃんと聴いてみないとね。

『RRR』(2022年) 感想

フィルム・レビュー:
 
『RRR』(2022年)
 
 
インド映画は割と好きだ。好きと言えるほど見てはいないが、あの急に歌ったり踊ったりするのも含めて、「んなアホな」の練度が非常に高いインド映画は、あちこちに飛ぶストーリーや、アクションとか恋愛とか友情とか謎ときの全部盛りを強引にではなく、「んなアホな」のくせに説得力のある形で丁寧につなげていく。エンタメに徹した無茶苦茶さとそれを破綻させない丁寧さ。むしろ観客をその渦に巻き込んでしまうところがインド映画の魅力かもしれない。
 
つまりあのキン肉マンでおなじみの、ウォーズマンのベアークローを2つにして、いつもの2倍のジャンプに云々のくだり。あるいはバッファローマンによるキン肉バスター返し、「6が9になる!」。よくよく考えてみればおかしな話だが、とはいえ無茶苦茶な飛躍ではないし、それもアリかなと思わせる微妙なラインのギリ。というかこちらにそのギリを補正させる愛嬌。
 
『RRR』はこの「んなアホな」を許容できるギリの説得力を保ちつつ、その「んなアホな」のレベルを段階的に上げていき、「んなアホな」の許容範囲を徐々に拡張していく。そして観客に徐々に生まれる共犯意識。細かいところは抜きにしておもろかったらええやん、ではなく、細かいところを抜きにしていないからこそここまで面白いのだ。
 
エンタメの渦に巻き込まれて、一緒になって観客自身が更に面白くしていくライブ感。コロナ禍を受けた次のステップとして、こんなにふさわしい映画はないのではないか。

詩への向かい方

詩について:
 
「詩への向かい方」
 
 
詩は誰でも気軽に始められるアートです。音楽のように楽器が弾けなくてもいいし、絵画のように道具も要らない。同じ文学にしても俳句や短歌のような制限もないから、思い立って書くだけで誰もが始められる。こんなに間口の広いアートフォームは他にないと僕は思っています
 
そして思いつくまま書いてみる。意外と書けたら嬉しくなってまた書いてみる。そうするとネットで詩を調べたりするだろうし、アンソロジーの詩集を買ってみるかもしれない、特定の詩人の詩集を買うこともあるかもしれない。そういうことを繰り返していくうちに、ふと気付くことある。そうか、こうやって書けばいいんだ、詩とはこういうことなんじゃないかって。
 
でもその気付きは一瞬のこと。気付いたはずのことさえ分からなくなるし、すぐにまた別の壁が立ちふさがる。書けば書くほど分からなくなってくるし、読めば読むほど分からなくなってくる。これはもう音楽とか絵画とかも一緒ですけど、分からなくなってくるということは少しずつ分かってきているっていうことなんです。ただそうしたちょっとした気付きを繰り返していくと、たとえそれが些細な、それこそ紙きれや薄いセロファンのような薄い気付きであっても積み重なっていくものがあるんです。そしてその薄い積み重なりによって、少しずつではあるけれど、自分にとっての良い詩が着実に書けるようになっているのだと僕は思います。
 
ここで大事なのは自分にとって、ということです。少しずつ書けてくると、少しずつ詩が読めるようになってくると、詩とはこういうものなんじゃないか、詩とはこうあるべきなんじゃないかというルールが自分の中で芽生えてくることがある。それはそれでいいのだと思います。自分の目指す詩というものが明確になっているということですから、そこを目指せばいい。厄介なのはそのルールを他人にまで当てはめてしまうことだと思います。例えば、あなたのこれは詩じゃない、日記だ、単なる感想だって。
 
詩への向かい方って人それぞれなんだと思います。それこそ志高く絵画や音楽のようにいっぱしの作品としてアートとして成立させたい、そう思う人もいるだろうし、自分自身のセラピーのために書いている人もいるかもしれない。あるいは身近な人、困っている人に向けて元気になってもらいたい、そう思って書く人もいるかもしれない。千差万別、そこも含めて自由なアート表現なんだと僕は思いたいです。
 
せっかくの誰でも気軽に始められるアートなんです。広い間口をわざわざ狭くする必要はない。今の時代、ただでさえ詩は遠い存在なのですから、どんどんウェルカムでいい、僕はそう思っています。ただ自分なりの価値観で、こんなのは詩ではないと論じることも否定されるべきではありません。それもまたひとつの詩のありよう、詩への真摯な向かい方なのですから。
 
ただ僕のスタンスとしては、当人がこれが詩ですと言えばそれは詩でいいと思っています。せっかくの自由なアートなのです。ルールなんてクソくらえです。せっかくの懐の深い、自由な世界です。もっと多くの人に詩に触れてほしい、取り組んでみてほしい。それが僕の詩に対する基本的な向き合い方です。というところで繰り返しになりますが、これもあくまでもひとつの考え方です。

Only The Strong Survive / Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Only The Strong Survive』(2022年)Bruce Springsteen
(オンリー・ザ・ストロング・サバイブ/ブルース・スプリングスティーン)

 

2020年の『レター・トゥー・ユー』以来のアルバムはブルースが若かりし頃に愛聴していたというR&B、ソウル・ミュージックのカバー・アルバム。僕は元歌を全然知らないが、カバーであろうが何だろうが圧倒的なボスの声がある以上、こちらの感触としては変わらずボスのアルバムである。古き良きポップ・ソングに倣ってストリングスやホーンセクション、コーラスもふんだんにゴージャスなサウンド。と言ってもそこはボス。時折E・ストリート・バンドっぽさを覗かせることも忘れちゃいない。流石、ファンの気持ちをよく分かってらっしゃる(笑)。

それにしても73才を迎えても素晴らしい歌声。元々、3時間でも4時間でもライブができる強い体と喉を持っている人ではあるけれど、シンガーというよりシャウターというスタイルなだけに、長年の喉の疲労も相当あるはず。本作の告知を兼ねたTV出演を見ていると、流石にかつてのガタイはなく随分とほっそりとしてきたけど、声の方は相変わらず元気。昔懐かしの歌謡ショーではなく、ちゃんと今現在にフィットしているのはブルースの張りのある声があってこそ。プラスこれがアメリカのポップ・ソングの下地の強さでもあるのあろう。

あとやっぱり歌が上手い。聴いてるとこの辺りの曲はもう完全に歌が主役で、歌が前にあって演奏が後ろにあるのだけど、つまりブルースがこのアルバムに取り組んだのもなんとなく分かるというか、俺だってこれぐらい歌えるんだぞっていうかむしろ歌いたいっていうか。昔好きだった曲というのもあるだろうけど、そういう歌に対するパッションが根底にあるのがこのアルバムを前向きなものにしているのだろう。

それにしてもボーカルだけを抜き取ってもブルースは凄い。結局ソウル・ミュージックだし、歌うより叫ぶところもあったりするのだけど、声量もさることながらソウルフルなボーカルは流石。ホント、歌がリードしています。あと歌が主役とはいえ、もちろんサウンドも素晴らしいからちょっと聞き耳を立ててみると、それはそれで気持ちがいい。よいオーディオとスピーカーがあればもっと最高なんだろうな。

2023年にE・ストリート・バンドでのツアーを開始するとの公式アナウンスがあった。6年ぶりだとのこと。バンドと作った『レター・トゥー・ユー』からの曲も沢山演奏するのだろう。E・ストリート・バンドとのライブだってあとそう何回もあるものではない。ましてバンドを連れて日本に来ることはもうないのだろう。あのブルースだってちゃんと年を取るということを胸に刻みつつ、これからの作品もしっかり聴いていきたい。

2022年 洋楽ベスト・アルバム

 

コロナ禍に縮こまっていた2年を過ごし、本格的に動き始めた2022年。創作期間がたっぷり取れたのか、良い作品が幾つも生まれた。とりわけ困難な一年となった2022年ではあるが、不思議と社会的な出来事を直接的に表現する作品は少なかったように思う。むしろ音楽として単に良いものを作りたい、みんなそこにフォーカスしていたのではないか。それぞれが自身のストロングポイント、或いは以前より新しく取り組みたいと思っていたことに本腰を入れ突き詰めていく。平常心に戻った作家が初期衝動に戻っていった1年なのかもしれない。
 
ということで来年以降は一転、シリアスな作品も増えていくのかもしれないが、とにかく今は新しい人も名うての古株もそれぞれが腕を振るった極上のベリーベストに身を委ねたい。というところで真っ先に名前を挙げたいのがアークティック・モンキーズ。随分と風変わりだった前作の延長線上に見事な歌のアルバムを用意してくれた。アレックス・ターナー歌謡ショーのような新作は時間が経つごとに魅力が増す不思議な味わい。さてはまたもやこれで何年も持たすつもりか(笑)
 
もう一方の英国の雄、The1975は逆にこれまであった実験的要素は皆無のカードが全部表にひっくり返ったみたいなポップ・チューンの連打。レディオヘッドならぬザ・スマイルもカッコいいギター・ロックを聴かせてくれたし、どこの年間ベストにも名前は挙がらないが、同じくベテランのステレオフォニックスも近年まれにみるカッコいいロック・アルバムだった。有名どころ以外にもウェット・レッグを筆頭に個性的な若手もどんどん出てくるし、英国ロックは更にいい感じだった。
 
あと2022年は日本に関わりのあるアーティストが躍進した年としても記憶される。ミツキとJojiは共に全米チャート5位。リナ・サワヤマは全英チャート3位。移住した時期は違うけれど、日本で生まれ日本語をネイティブに話し、叩き上げでここまで来た彼彼女たちの快挙は日本であまりにも知られなさすぎ。欧米でちょっと有名、ではなくマジで聴かれています。己の才覚でここまでのし上がった彼彼女たちは素直にカッコいい。
 
さて、僕の2022年ベスト・アルバムは何だったか。世間的には海外ではビヨンセとケンドリック・ラマーとハリー・スタイルズ、国内では宇多田ヒカルと藤井風といったところだろうが、僕はあくまでもロックが聴きたい。というところで見れば、ビッグ・シーフと優河の一騎打ちだ。追いかけるのはアークティックとThe1975。ビーバドゥービーや羊文学も結構聴いたぞ!
 
僕は基本的に英国インディ・ロックが好きだ。一方でどうやら米国インディ・フォークも好きらしい。ウィルコしかりビッグ・シーフしかりボン・イヴェールしかり、振り返ってみると自然と体がそうなっていた。いや、分かるようで分からないリリックが好きなのかもしれない。そういう流れでまさか日本人アーティストでそれを体現する人がいたなんて知らなかった。魔法バンドと共に作り出したそこにある雨風と時折差し込む光としてのサウンド。そこにあるゆらぎを言葉にしようとするトライアル。2022年、僕のベスト・アルバムは優河の『言葉のない夜に』にしたい。
 
今年は大変なことが起きたなぁではなく、大変なことが起きるのが普通になりつつある現在。僕たちは新たな混乱の戸口に立っているのかもしれない。とすれば本番はこれから。遠い昔の出来事だったあらゆる物事が僕たちの出来事になる前夜。これまで音楽や映画や文学を通して社会や歴史を学んできたように、これからもどなたかも分からぬふわふわとした言説ではなく、顔の見える作家たちの屹立する個の声を聞いていきたい。
 
ちなみに僕の2022年ベスト・トラックはウィルコの『Hearts Hard To Find』。ついでに言うと2022年にSpotifyで最も聴いたアーティストもウィルコでした。あと、佐野元春の『今、何処』も間違いなく2022年を代表する作品ではありますが、ここでは選外にしています。十代の時からのファンなもので、客観的な判断はできませぬ。ていうか洋楽ベスト・アルバムって割には邦楽への言及が多くなったな(笑)。

蘇生

ポエトリー:

「蘇生」

 

隊列から離れるに従って
雲がさまざまな形に変わっていった
他に何にもすることがなかったから
庭先に立ってじょうろで水をやろうと思った

精神的な自立は光合成
大きく伸びてよく育つ
焦って取ってしまわないでね
誰にも時期はあるのです

「あなたは、夜中にヒドイ夢を見て飛び起きたことがある人」
身に覚えのない手紙のようにそう言われてもピンとこなかった
これは誰からの手紙?

庭先に立ってじょうろで水を撒いたのは
他に何もすることがなかったから
額の汗を拭って透明になることを願った
今朝は太陽が眩しかった

 

2022年6月

もののはずみ

ポエトリー:

「もののはずみ」

 

ありもしないものは
はじめからそこにないのだから
なくなったりはしないのに
どこにいったいつなくした
あそこにおいたはずなのに

こにくたらしいかのじょのえがおに
なんどにがむしをかんだかなんて
きどったようにいったとしても
そんなこともあったようななかったような

ありもしないものは
はじめからそこにないとしりつつも
むねぽけっとのたかなりは
なんだったのかとたずねてみれば
もののはずみというものですよ

ねぼけまなこのたかなりが
あっちへふらふらこっちへふらふら
ついぞみはてんあなたののぞみは
けっきょくちいさなむねさんずん

さりとてちいさなむねさんずん
ありもしないからはじまるのですよと
わかったようなくちぶりで
それこそもののはずみです

 

2022年6月

アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO 感想

アート・シーン:
 
『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』in 京セラ美術館
 
 
京都市京セラ美術館で開催されている、『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』へ行ってきた。僕はいわゆるポップ・アートと呼ばれるものに疎い。子供の時からそれなりに絵は得意だったが、デザイン的なものになるとからきし弱い。ま、要するにセンスが無い。そんな僕でもアンディ・ウォーホルの面白さは分かる。そういうポップ・アートに疎い連中にもタッチできるのがアンディ・ウォーホルということなのだろう。ちなみに最近はウォーホールではなくウォーホルと言うみたい。
 
展示物は秋に行った岡本太郎展と比べると圧倒的に少ない。しかも原画というものが存在しない。彼の作品のほとんどがシルクスクリーンで印刷されたものだからだ。それでも圧倒的に楽しい。なんなんだこのお気軽な楽しさは。作家の魂とか作家の生き様なんてのはここにはない。あの作品はどうだとかこの作品はどうだとかウンチクを述べたところで手応えはなく、まるでプラスチック製の容器に手を触れるような感覚。それこそが工業デザインということになるのだろう。平熱で面白がって平熱で会場を後にする楽しさが心地よい。
 
真の意味のオリジナリティなど存在しない。我々は何かしらの影響や先人の遺産をいじりまくることで別のものを生み出していく。何十年も前からそういうもんじゃんと堂々とやってのけたウォーホルはやっぱり天才。京都滞在中に描き残したと言われる、幾つかの模写を見ていると、何も無いところから何かを生み出すということではなく、そこに在るものから何かを生み出す人なんだなと改めて思った次第。いくら面倒くさいことを言おうとも、我々はそこに在るものを足して引く。それでいいのだろう。
 
ちなみに大リニューアルされた京都市美術館改め、京都市京セラ美術館へ初めて行きました。なんてことない入口から階段を昇ると大ホールの吹き抜けがあり、その向こうに東山の景色が覗く。思わず感嘆の声が出ました(笑)。