The 1975 At Their very best 大阪城ホール 感想

The 1975 At Their very best – Japan 2023 大阪城ホール 4月30日

 

4月24日から始まったThe 1975のジャパン・ツアー、東京、横浜、愛知と来て本日の大阪が最後になります。しかし凄いね、東名阪5公演のホール・ツアーを完売させるなんて。しかも当日は立見席も急遽用意されていました。大阪城ホール周辺にはThe 1975のTシャツを着た人があちらこちらにいる。こういう風景を見ると、気分も盛り上がりますね。

18時5分、ホール内にエルヴィス・プレスリーの『ラブ・ミー・テンダー』が流れ観客は総立ち。その後は映画音楽のようなのがかかってました。後から情報によると、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッド作品のようですね。ジャパン・ツアーは例の大掛かりな家のセットではなく、シアトリカルな演出だという前情報があったので、ジョニーの曲もその一部と化していました。とそこへマティ登場。大歓声です。腰掛けて早速ウィスキーみたいなのをあおります。おちょこではなかったのね。

大画面には「Atpoaim」の文字が。これも後情報ですが、「A Theatrical Performance Of An Intimate Moment(=親密な瞬間の劇場的なパフォーマンス)」の頭文字だそうです。最近バンドが公開しているショート・フィルムの名前なんだそう。

ライブの感想を大雑把に言えば、貫禄の大人なライブといったところでしょうか。こっちはマティの挙動不審さとか危なっかしさを折りこみですが、それとは真逆の安定のライブでしたね。ジャパン・ツアー最終公演ということでどっちに転ぶのかなと気にはしていたのですが、安定の方に転びました。多分、喜んでよいのでしょう(笑)。東京から始まって各公演でいろいろな顔をみせていたようですが、大阪はちゃんとした大人なマティでした。

バンドの演奏も安定感バッチリ、曲と曲つなぎも工夫されていてもう盤石ですね。今回は気のせいかアダムのギター・プレイが印象に残りました。アダムは前へ出てくるプレイヤーではないのですが、アレンジがいつもと違ったのかもしれませんね。アレンジと言えば、『Sincerity Is Scary』はオルガン風のキーボードが際立ってました。いつもと異なる曲の表情が出ていてとても良かったです。

ツアー・タイトルどおりのベリー・ベストな選曲だったのですが、個人的には女性ボーカルが加わった『About You』から『Robbers』の流れが良かったです。『I Always Wanna Die (Sometimes)』のクライマックス感も強く印象に残りました。この日のマティにおかしなところはなく(笑)、きちんとショーを全うしていましたね。ていうか歌が上手いのを再確認しました。今日も格好よかったです。いつもベラベラ喋るMCが少なかったのは残念だったかな。ちょっと前に要らん事を言った穴埋めか、『Guys』の「~Japan」のくだりだけを歌ったのには笑ってしまいましたが(笑)。

会場もすごく盛り上がっていてイイ感じだったと思います。僕はスタンド席の最後尾から2列目だったのですが、端っこのこの席でも皆テンション高くて、踊ったり騒いだり楽しんでました。もちろん僕もはしゃぎっぱなし、目いっぱい楽しみました。

今回は5公演だったので、大阪に至るまでの各公演の状況をTwitter上で読むのも楽しかったですね。まるっとThe 1975に浸ったⅠ種間の最後の締め、楽しい時間を過ごすことが出来ました。次はもうちょっと奮発してアリーナ席へ行こうかな。やっぱ近くで観たいぞ!!

Being Funny in a Foreign Language / The 1975 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Being Funny in a Foreign Language』(2022年)The 1975
(外国語での言葉遊び/The 1975)
 
 
先日行った中村佳穂のコンサートで、彼女は曲終わりを告げるのに両腕を広げ、手のひらをギュッと握ることで演奏を締めていた。フロントマンが示すこういうジェスチャーは単純にカッコいいから好きだ。このアルバムのジャケットではマシュー・ヒーリーも同じように打ち捨てられた車の上で両腕を広げている。踊っている最中のようにも見えるが、これは何かを止める合図なのか。
 
そもそもアルバム・ジャケットに人が登場するのは今回が初めて。次からはまた誰も登場しなくなるのかもしれないが、とりあえずは彼ら自身が称していた’Music For Cars’の時代は前作『仮定形に関する注釈』(2020年)で終わった。とすれば、今回からは新しいフェイズ、アルバム・ジャケットの方向性が変わるのも頷けるが、このアルバム・ジャケットはどうも始まりには見えない。やはり何かの中途、間に挟まれるものという印象を受ける。
 
てことでもう一度アルバム・ジャケットを見てみると、広げられたマシュー・ヒーリーの両手は真逆にねじれていることに気付く。つまり’Music For Cars’時代とこれから迎えるべき新しい時代の間で彼らはねじれてしまっているということだ。
 
渾身の大作が2作続き、ホッと一息入れたいところで現にホッと一息つくようなポップ・アルバムが出た。しかも彼らにしては異例の11曲、トータル約44分というコンパクトさ。にもかかわらず、これはねじれた状態であるという矛盾。普通に考えるとこっちがスタンダードと思うが、彼らはもうそうではないところに来てしまったのか。これをシリアスに受け止めるかユーモアと受け止めるか。
 
とはいえ、このアルバムは彼らのブライトネスを切り取ったようなポップで軽やかなアルバム。あまりにも軽やかすぎて何か引っかかってしまうなどと面倒くさいことは言わず、ヘッドライナーで登場した今年のサマーソニックをマシュー・ヒーリーが「ベスト・ヒット・ショー」と称したように、素直に楽しく歌って踊りだせばいい。僕たちまでねじれてしまうことはないのだから。
 
今回が恐ろしく個人的で愛に溢れたアルバムになったからといえ、彼らはもう社会的な出来事にコミットメントしない、降りた、ということではないだろう。一方で本当に表舞台には出てこないんじゃないかという危うさも相変わらず保持しつつ、30代を迎えたとはいえThe1975はまだまだ安定とは縁遠い不安定さにいる。
 
結局、アルバム・ジャケットは何かを静止させているわけでも何かの狭間でねじれているわけでもなく、静止させようにも叶わず、グラグラした天秤の上でただバランスを取っているだけ、ねじれはその動作に過ぎない、ということなのかも。そしてそのバランスを保つ唯一の術は、このアルバムで語られているとおり個人の愛なのだろう。

Notes On A Conditional Form/The 1975 感想レビュー

洋楽レビュー:

「Notes On A Conditional Form」(2020年)The 1975

(仮定形に関する注釈/The 1975)

 

 

前作の「ネット上の人間関係についての簡単な調査」(2018年)が外へのメッセージがふんだんに盛り込まれた大作だったし、今回の「仮定形に関する注釈」は「ネット上の~」と対となる作品だなんて聞かされていたものだから、なんとなく、よし次も大作が来るぞなんて構えてしまっていたけど、リリースされて1か月以上経った今思うのは、この作品はそんな肩肘張ったものではなく、彼らの日常からポロリと零れ落ちた諸々の日々を歌う何気ないアルバムなんだなということ。

このアルバムは前作にも増してサウンドがあちこちに飛びまくって、いきなりグレタ・トゥーンベリのスポークン・ワーズで始まったかと思えば、マット・ヒーリーが喉がちぎれんばかりに叫びまくって、その後には一転して壮大なストリングスによるインスト、そんでもって心の弱さを歌う軟弱なエレクトリカルが続いたりと、サウンドだけじゃなく歌詞の方も行ったり来たり、心の円グラフがスピードを変えてあっち行けばこっちにぶつかるようなめまぐるしい展開をしていく。

ただ確かにこれは一般的にはめまぐるしい展開ということになるんだろうけど、実際にはそんなめまぐるしいなんて思わないし、至って自然に僕たちの心にストンと収まる。それは何故かって、やっぱり僕たち自身があちこちに飛びまくる心の持ち主で、心の有り様はいつも同じところに留まっているわけじゃないからだ。

今多くの人がSNSで色々なことを発言しているけど、多分それはいつも同じ内容ではなくて、調子のよい時もあれば具合が悪い時もある。政治的なことを言っちゃう日もあればくだらない痴話を言ってしまう日もあるだろう。自然災害がこれだけ続けば環境問題だって気になるし、レイシズムは絶対嫌だし、もっと自然に生きていければいいのなぁと思ったり、自分がとことん嫌になって沈んじゃう日もある。でもそれも特別なことではなく当たり前の日常。で僕たちはそれを殊更隠し続けたりしない。もうマッチョである必要はないのだから。

つまりはこのアルバムはあのThe 1975が出した「ネット上の~」に続く続編!ってことで大騒ぎをするような代物ではなく(もちろん大騒ぎするのは楽しいけど)、その正体は彼らの中にある毎日のいろんなことを考える気持ちを少しずつ切り取った雫のようなアルバムだったということで、面白いのはそれが僕たちの日常ともかぶさってくるという点だ。

マット・ヒーリーは自分の体験をもろに歌う人なんだと思うけど、今回はそこに僕たちが入っていける余地が大いにあるというか、もちろん僕はクスリをやったことはないし、知らない子とキスしたりしたこともないけど、あぁこれ分かるなって余地がふんだんにあって、それはやっぱりマット・ヒーリーの言葉に向かう姿勢に変化があったからなんだと思う。自分のことであってもすごく誰かの物語感が強くなった気はするし、距離感は微妙に変わってきている。グレタの声で始まって最後はバンド・メンバーのことを歌って終わるっていうのは象徴的なんじゃないかな。単純に言葉が近くなったなぁと思います。

それともう一つ。図らずもそのグレタ・トゥーンベリがスポークン・ワーズで語っているように僕たちはもう色々なことをはっきりと言うべき時に来ているということで、それは決して誹謗中傷という意味ではなく、はっきりと良くないものは良くないと言わなければならないということ。今までのように悪いことをうやむやにしたり、良いことに知らないふりをしたり、よくある大人の見識としてやっぱりこれはアレだからアレにしようとか言ってなんとなく灰色になっていくというやり方はやっぱ失敗だったよって。

でとっくにThe 1975ははっきりと語っている。お前節操ないなと言われようが今思うところをはっきりと語っている。そりゃ時には間違っている場合があるかもしれないけど、その時は訂正すればいいという自由なスタンスで今思うところをはっきりと述べている。このアルバムは僕たちの日常に即して今起きつつあるそうした変化を一つ一つ丁寧に語っていくという一面もあるような気もします。

大事な事というのは知らぬ間にやって来て知らぬ間に過ぎ去ってしまう。変化というのは気付かぬうちに起きているのだとすれば、この「仮定形に関する注釈」はその静かな変容についてのアルバムなのかもしれない。

『仮定形に関する注釈』についてのとりあえず最初の感想

洋楽レビュー:

THE1975『仮定形に関する注釈』についてのとりあえず最初の感想です

 

まだ聴いたの1回だけですけど(笑)、とりあえず今の感想としてはマッティ、曲が出来て仕方がないんだろなって。

そういう意味ではこのアルバムを聴いて僕が最初に思い浮かべたのは昨年のチャンス・ザ・ラッパーの『The Big Day』で、とにかく長い!曲いっぱいある!『The Big Day』も賛否両論でしたけど、ま、平たく言えばとっちらかってるってことですかね(笑)。

なんか一曲作る度にもう興味は次のアイデア、次の曲に行ってしまってるというか、彼らはそれぐらいの力量もありますから、言ってみればちょっとした躁状態のまま最後まで行ききったという感じですかね。

このアルバムは前回の『ネット上の人間関係についての簡単な調査』が出た時からもう話題には挙がっていて、そっから時間をかけてではあるけど一曲づつシングルが出て最終的には8曲かな、先行で公開されてて聴いてる方としても自分も一緒にリリースに向けて段階を踏んでいるという感覚があったんですけど、振り返ってみればそういう気分の高め方って新しい手法ですね。

また8曲も公開されて普通ならこれアルバム全曲に近い感じなんでしょうけど、このアルバムは22曲もありますから(笑)そういう意味では8曲ぐらい公開されてもどうってことないし、さっき言った聴き手との一体感も含めて逆に面白いアルバムだなって気はします。

それにしても22曲ですよこれ。もうこの曲数自体がヒップホップ的というか、実際チャンスさんみたいな曲もありますし、チャンスさんほどではないけど彼らには珍しくゲストも登場してますし。かといって一曲一曲の時間が短いというわけではなくトータル80分以上ありますから、もうホントにやりきったということなんだと思います。

でそれだけありますから、じゃあトータルで整合性高めていこう、一枚のアルバムにまとめていこうなんて思ってももう多分あとの祭りなんでしょうね。インスパイアされた時ってもうその時だけのものですから取り返しがつかない。変に触れない。それに多分躁状態だし(笑)。

とまあ、今の段階でもこのアルバムは十分好きなんですけど、『ネット上の人間関係に関する簡単な調査』みたいな時代を象徴する作品かというとそことはちょっと違うのかなと。そうではなくて事前の噂どおりこのアルバムは個人的な側面に重きを置いたアルバムでそう聴けばよりしっくり来るような気はします。夜に一人でじっくり聴くというね。僕もこれからじっくりと聴きたいと思ってます。

あとこれは無茶ぶりかもしれないですけど、グレタ・トゥーンベリさんのスポークン・ワーズを僕は各国仕様で吹き替えでやっても面白かったんじゃないかなと思います。もちろんグレタさんの声ということに意味はあるんでしょうけどやっぱり英語ですから、それぞれの言語に当ててですね、そんなこと言うと何ヵ国語必要やねんとか、技術的にもそんなことできっこないだろとは思うんですけど、彼らならそれをやりかねないでしょ。ラジオや店でこの曲、って言っていいのかな、これかかかると凄く面白いと思います。

一曲目がグレタさんのスポークン・ワーズで二曲目がハードコアなパンク・ソングで三曲目がストリングスのインストという最初の三曲でもう結構お腹いっぱい(笑)。なんにしてもこれだけ多岐にわたるスタイルでパワーのある曲を22曲も、そんなに時間をかけずに作るんですから凄いバンドです。

名盤の条件のひとつに語りたくなるってのがあるとすれば、この『仮定形に関する注釈』もそうですね。僕も一回しか聴いてないのにもうこんなに喋ってますから(笑)。あぁ、SUPERSONICで見れるかなぁ。

A Brief Inquiry Into Online Relationships/The 1975 感想レビュー

洋楽レビュー:

『A Brief Inquiry Into Online Relationships』(2018)The 1975
(ネット上の人間関係についての簡単な調査/The 1975)

 

The 1975、およそ2年半ぶりの3rdアルバム。全英全米ともにNo.1になった2ndアルバムで一躍若手ロック・バントの筆頭株となった彼らだか、3枚目ともなると『OK コンピューター』のようなアルバムを作らないといけないと、フロント・マンのマット・ヒーリーはかのレディオヘッドの名盤の名を持ち出した。とはいえ彼らはThe 1975。確かにシリアスな一面もあるが、自身のアイドル性を敢えて持ち出すしなやかさが売りだ。『OK コンピューター』と言われてもなと、半ば冗談として受け止めた我々を尻目に The 1975 は本当に『OK コンピューター』のような強大なアルバムを作り上げた。しかもそれは『Music For The Cars』というシリーズ2部作の1作目になるという。もう一山来るというのは本当だろうか。

オープニングはいつもの『The 1975』のテーマ。オートチューンにゴスペルクワイアと近年のトレンドを恥ずがしげもなく採用しているが、いつもの如くその違和感の無さは、確か前からそんな感じだったよなと我々に思わせてしまう器用さと屈託のなさ。しかし今回はこれまで披露してきたテーマ曲とは異なり才気走っている。これはロック音楽にとってとても重要な事だ。

確かに The 1975 はデビュー・アルバムからジャンルを横断する一筋縄ではいかない存在だった。例えば、誰かに The 1975 とはどのようなバンドかと聞かれれば答えに窮してしまう、悪く言えば無節操で、よく言えばこれまでのジャンルでは形容しがたい新しい魅力を備えていた。しかし今後我々はもう躊躇する必要は無いだろう。彼らは古き良きギター・バンドであり、アンビエントな音階を奏でるエレクトロニカであり、心地よくも煌びやかな80’sであり、首筋に直に接続してくるネオソウルであり、そのいずれもが The 1975 という1個の音像として誰もに納得してもらえるだけのサウンドを確立したのだから。

本作の特徴を歌詞の面で見ていくと、マット・ヒーリーによる一人称の語り口調が目立つ。これまでも実体験を元に新たな物語を作り上げていたヒーリーだが、今回は特に個人的な側面が強くなっている。それは自身のドラッグの問題であったり、いつもの痴話話だったり。とはいえここにいるのは稀代のストーリー・テラーだ。個人的側面が強くなったところで間口が狭くなることはない。まるで他人事のように話し、極限の感情を押し込める本作におけるヒーリーの詩作は恐ろしく切れている。

そう。幾分キャラ先行であったマット・ヒーリーはこのアルバムで堂々と新しい世代のフロント・マンとしての覚悟を示したと言ってもよいのではないか。過剰さに重みが加わったヒーリーの声はありとあらゆる場所へ節操なく飛び移る多種多様なサウンドやストーリーを統べている。彼のボーカリストとしての新たな深みや記名性が The 1975 というバンドに新たなステージをもたらしたと言っていいだろう。

ロック・バンドにはバンドを決定づけるアルバムがある。そういう意味で本作は The 1975 というバンドを決定づけるアルバムと言えるのかもしれないが、先にも言ったようにこの後バンドは『Music For The Cars』という2部作のもう一枚(既にタイトルは『Notes on a Conditional Form』と決まっている)を今年の早い段階でリリースする予定だという。ここまでのアルバムを作り上げしまった以上、この後は『KID A』のような幽玄の彼方に行くしかないのか。それとも彼らには別の頂が見えているのか。いずれにせよ彼らが選んだ道は長く険しい。しかし彼らは持ち前の器用さ不真面目さでそれを乗り越えてゆくだろう。いつもの如く我々に確か前からそんな感じだったと思わせながら。

 

Tracklist:
1. The 1975
2. Give Yourself a Try
3. TOOTIMETOOTIMETOOTIME
4. How to Draw / Petrichor
5. Love It If We Made It
6. Be My Mistake
7. Sincerity Is Scary
8. I Like America & America Likes Me
9. The Man Who Married a Robot / Love Theme
10. Inside Your Mind
11. It’s Not Living (If It’s Not with You)
12. Surrounded by Heads and Bodies
13. Mine
14. I Couldn’t Be More in Love
15. I Always Wanna Die (Sometimes)

日本盤ボーナストラック
16. 102

The 1975 『A Brief Inquiry Into Online Relationships』 レビュー ~プロローグ~

洋楽レビュー:

The 1975 『A Brief Inquiry Into Online Relationships』 レビュー ~プロローグ~

 

僕たちは本当にクリック一つで地球の裏側まで行けるようになったのだろうか?それでも自分の年齢を知るのは集めたレコードの数だったりコーヒーの種類だったりするのだけど、君が何回あいつに連絡したのかは知らないし、僕があの子に何回電話したのかに至っては本当にどうだっていい。絵の描き方を一度も習ったことはないけど、僕たちは何度もトライアンドエラーを繰り返し気付いたことは嘘はいけないってこと。なのに連中の話すことに一切真実はないし、けれどそれを僕たちは愛さなければいけない。近代化が何ももたらなさいにせよ、それが僕たちがこしらえたものならば僕たちはそれを愛さなければならない。とはいえ何に付け自己言及的な僕は君に僕の間違いになって欲しいとうそぶく。それでも僕たちは友達になれるかな?まさか憎み合って終わったりしないよね?死ぬのが怖い。ちゃんと話し合いをしたい。だから銃は要らない。でもインターネットは要る。インターネットは君の友達。けど恐ろしいことに君がどこかに行ってしまってもインターネットはどこにも行かない。君の大体の事は知っている。加工された写真も知っている。これからも君はきっと上手くやれる。でも僕は本当の君を知りたい。ややこしいことに足を突っ込んで抜けられないなんてことあるよね。君無しじゃ生きている気がしないとか(笑)。そこで僕たちは静かに過ごす。余計なことは話さない。彼女はここでのリハビリをもう一週間続けることにしたらしい。言いにくい事があればジャズの調べに乗せたらいい。ほら、本当の事でも傷付けたりしない。僕は君の時間を無駄にしたって言うけれど、これ以上どうやって愛すればいいのだろう。僕は本当の人生を歩んでいない……、だから僕はいつも死にたい。時々。どうしようもなく生きたい。

これらは全て、the1975というバンドのスクリーンの中の物語。けれどそれは今、世界で起きている出来事。或いは彼らなりのオンライン上の簡単な調査。

追伸:結局、本当に大切なことは僕たちの些細な日常にしかない。時代が変わろうとも真実は毎日の暮らしの中にしかない。個人的な事を正直に話すことこそが(この正直っていうのが最も難しいが)、世界についてを話すこと。

I like it when you sleep, for you are so beautiful yet so unaware of it/The1975 感想レビュー

洋楽レビュー:

『I like it when you sleep, for you are so beautiful yet so unaware of it』(2016)/The 1975
(君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついてないから。/The 1975)

 

1stがなかなかのものだったので、次はどうなるのかと期待して待った2nd。キーワードは‘すぎる’。オシャレすぎるし、甘すぎるし、80年代っぽすぎるし、ロマンティックすぎるし、センス良すぎるし、イケメンすぎるし、モテすぎるし…。そして何より、、、長すぎるっ! まあタイトルからしてこれですから…。

敢えて作った音の隙間にセンス抜群のフレーズを持ってくるオシャレ感は今回も健在だ。アクセントをつけて押韻を転がしてくリリックも抜群で、裏拍(間違ってたらゴメンナサイッ)を効かせて畳みかけるリズム感もお手の物。そこのバックで鳴ってるのは同じフレーズをリピートするシャレたギター・リフだという1stからお馴染みのこの得意技をやられた日にゃあ、そりゃあもう誰だって参りますよ。「まあ皆さん聞いて下さい」ときっと人生幸朗師匠も唸ったであろうセンス抜群のオシャレ感だ。

リード・トラックが#2 『Love Me』のようなファンク・チューンだったので、今回は1stとはまた違うジャンルレスなアルバムになるのかなあなどと(何でもできそうな人たちなので)思っていたが、ふたを開けてみれば1stの甘い部分を更に過剰にしたデコレーションな仕上がり。要所要所でピリッと辛さを効かせてくれたりもするんだけど、基本的にはこの恋人に話しかけるような甘い感じが続く。まあ今回はこの過剰さで突っ切るってことなんでしょうか。なんつったってジャケットがピンクだっつう(※巨泉さん風に)。ただ歌詞のフォントまでピンクにするのは止めてちょ。めっちゃ見にくい…。目ぇ疲れるやんけっ!

もうひとつ苦言を言わしてもらえればインスト。収録時間の長いアルバムなので、箸休めにでもなるべき存在であるはずなんだが、ちょっとここでもやりすぎ。表題曲の#12くらいメロディに強弱があればいいんだけど、同じシークエンスの繰り返しは流石にしんどい。特に#7、「まだ続くんかいっ、終わったと思ったやないか!」というセリフが出てくること請け合いである。

さらに難点を言わせてもらうと80年代すぎるという点。目をつむってたらハリウッド映画全盛期の80年代にいるような気分。あ、日本では角川映画です。#10や#14みたいなもろ80年代な、ロマンティックス・ニュー・ウェーブ感(また違ってたらゴメンナサイッ)は、アラフォーのわたくしなどは思いっ切り振り返りモードになってしまい、なんとなく寂しくなってしまうのです。折角なんでもできる器用さを持ってるのだから、#2みたいな、「やったるで!」感をもう少し見せて欲しかった。

とはいえ、これだけずっとナルシスティックでいられるのは大したもの。対セル戦に備え、スーパーサイヤ人のまま過ごす悟空のようだ。しかも17曲もやっておいてお腹一杯感や胃もたれが一切しないのは不思議。つまりはこれは必死こいた感が皆無だからなんですねぇ。だからまあ今回は甘~いアルバムになったけど、やろうと思えばがっつりロックとかダンスものとかもできるんだぜ、みたいな。悟空なら、「おめえ、まだ力隠し持ってんだろ?」とか言いそうな余力感もこのバンドの魅力なのではないでしょうか。中盤に挿まれる#8『Lostmyhead』や#9『The Ballad of Me and My Brain』や#11『Loving Someone』みたいな尖ったやつだってオシャレにこなしちゃうし、最後の3曲(#15『Paris』、#16『 Nana』、#17『She Lays Down』)なんて涙ちょちょぎれるいい曲じゃあないの。もしかして最後に「普通にこんなんもできるんやん!」って思わされた私は彼らの思う壺なのでしょうか?

やばい、なんかこのままではモテない野郎のひがみになっちまいそうだ…。また詞がいいんだなこれが。輸入盤のひとも是非ネットで訳詞を検索してみておくんなまし。陽のサウンド・デザインと陰のポエトリー。その対比を存分に味わえ!

まったく、なんて‘すぎる’連中だ。最後に一言言わせてくれ。ちくしょー!オレもモテたいぜ! しまった、まんまとレビューも長すぎてしまった…。

1. The 1975

2. Love Me

★3. Ugh!

4. A Change of Heart

5. She’s American

6. If I Believe You

7. Please Be Naked

8. Lostmyhead

9. The Ballad of Me and My Brain

10. Somebody Else

11. Loving Someone

12. I like it when you sleep, for you are so beautiful yet so unaware of it

☆13. The Sound

14. This Must Be My Dream

☆15. Paris

16. Nana

17. She Lays Down