Letter To You/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Letter To You』2020)Bruce Springsteen
(レター・トゥー・ユー/ ブルース・スプリングスティーン)
 
 
ブルース・スプリングスティーンの新作が届いた。昨年の『Western Stars』アルバムから短いインターバルでまた新作が聴けてとても嬉しい。でもEストリート・バンドの全面参加となると2012年のアルバム『Wrecking Ball』以来だから随分と久しぶりだ。
 
ここ数年ブルースの新作はいろいろな形で発表されてきたし、Eストリート・バンドと言ってもずっと昔から聴きなれたサウンドなので、特に感慨はなかったんだけど、実際CDをトレーに置いてEストリート・バンドをバックに歌うブルース・スプリングスティーンを聴くとやはりワクワクする。改めて僕はこのサウンドが好きなんだと実感する。
 
Eストリート・バンドを特徴づけているのはクラレンス・クレモンスのサックス。それにロイ・ビタンのピアノとダニー・フェデリーシのオルガンも大きなポイントだ。残念ながらビッグ・マンとダニーはもういないけど、今のチャーリー・ジョルダーノもいかにもなオルガン・プレイを聴かせてくれている。ロイ・ビタンのピアノとチャーリー・ジョルダーノのオルガンからいつものフレーズが聴こえてくると胸が高鳴る。キーボード2台ではなく、ちゃんとピアノとオルガンというのが嬉しい。
 
本作は昨年の秋にたった5日間でライブ・レコーディングされたらしい。それでこれだけの完成度なんだから流石のキャリアと言うしかない。ただスケジュールの都合でビッグ・マンの甥、ジェイク・クレモンズのサックスが少ないというのが本作で唯一の残念なところ。5曲目の「Last Man Standing」でようやく聴けるジェイクのサックスは「よっ、待ってました!」と思わず言いたくなる。続く#6「The Power of Prayer」でのブロウ・アップも最高。やっぱりEストリート・バンドはこれがないとな。
 
前作の『Western Stars』もそうだったけど、ブルースのソングライティングはこのところシンプルでメロディアスなものになっている。新しいことをしようという力みもなく素直なメロディで、このアルバムもよい曲ばかりだ。うん、ホントどれもいい曲。実はここ数年バンド用の曲が書けなくなったという問題を抱えていたらしいけど、齢71才にして創作はまた新たな山を迎えている。
 
全12曲のうち、3曲が初期に書かれたものだそうだ。その3曲は初期感がありあり。特にリリックはあの頃のエネルギッシュで雑多な感じが出ていて「そうそうこんな感じだった」と思わずニヤけてしまう。#4「Janey Needs a Shooter」なんてまんま1978年の『闇に吠える街』に入ってそうだし、#9「If I Was the Priest」はディラン風ボーカルをめいっぱい楽しんでいるようだ。当時を思い出してかブルースの熱量も幾分か上がっている気がする。3曲ともゆったりとした曲で、Eストリート・バンドぽさ全開だ。
 
ブルースももう71才。ビッグ・マンはいなくなったし、ダニーもそう。最近はデビュー前に地元で組んでいたバンド仲間との別れもあったそうだ。心が引き裂かれただろう。落ち込んだだろう。もしかしたら今もまだそうかもしれない。けどブルースはここでこう歌っている。彼らは心の中にいる、いつもそばにいる、そこに実態はなくても呼べばまたいつものようにセッションできる。そういう心境の中で初期に作った曲を今改めて披露するというのはやはりブルースなりの意味があるのだと思う。
 
その手掛かりになるのはオープニング曲の「One Minute You’re Here」ではないか。「 One minute you’re here / Next minute you’re gone」。自らを育んだ大切な出会い。今ここにいると思ったら、次の瞬間もういない。逆に言えばこの感慨があるからこそ、まだ傍にいると感じられるのかもしれない。自然な態度としてそういう感覚がブルースの元にやってきて、それを自然に受け入れている、そういうことなんだと思う。
 
ルバム屈指のロック・チューン#10「Ghosts」ではこんな風に歌っている。「 I hear the sound of your guitar(あなたのギターが聞こえてくる)」、「It’s your ghost / Moving through the night(それは夜を突き抜けるゴースト)」「I need,need you by my side(あなたが必要、私のそばに)」。そして「I can feel the blood shiver in my bones(骨の中で血が震えるのを感じる)」。そして感動的なのは最後のライン、「I’m alive and I’m comin’ home(私は生きている、そして家に帰る)」。そしてそれは#1「One Minute You’re Here」の「Baby baby baby / I’m coming home」にも繋がっていく。
 
このアルバムはブルースから僕たちへの手紙だ。サヨナラは寂しいことじゃない。大切な人はいつまでも心に生き続ける。サヨナラが来たとしてもまた夢の中で会えばいいのだ。でも今はまだ「 I’m alive 」、これほど心強いことはない。

The Ascension / Sufjan Stevens 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Ascension』(2020)Sufjan Stevens
(ジ・アセンション/スフィアン・スティーヴンス)
 
 
前作の評判が良かったので名前は知っていたのですが、ちゃんと聴いたのは映画『君の名前で僕を呼んで』が初めてでした。あの映画はとても美しかったんですけど、とても印象的なシーンで流れていたのがスフィアン・スティーヴンスの曲でした。その後の最新アルバムということで期待をして聴いたんですけど、違いましたね、サウンドが(笑)。このアルバムはかなりエレクトロニカです。
 
調べてみるとスフィアンさんは元々そういう人らしく、アコースティックとエレクトロニカを交互にリリースされているようで、今回はエレクトロニカの番だったようです。ただクレジットを見ているとほぼ全曲で生楽器が使用されているんですね。確かドラムとギターは全ての曲にクレジットされてたんじゃないかな。
 
でも聴いているとそんな感じは受けないです。やっぱ冷えた感じというか硬質感は否めない。恐らくそれはアルバム全体を覆うムードですよね。全体としてのディストピア感がそうさせるんだと思います。最近の映画は詳しくないんですけど昔で言うとリュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』みたいな近未来の監視社会。そこに暮らす青年がそれこそ『フィフス・エレメント』でブルース・ウィリスが住んでいたような小さなアパートで密かに制作をしてできたレコード(記録)。そんなイメージです。
 
だからそれはレジスタンスのレコードですよね。それも社会的な強いメッセージを出しているということではなく、かつての人類は緩やかな連帯の中で人々はそれぞれに必要で必要とされていたんじゃなかったっけ、そんな人類の記憶を掘り起こしている、この閉塞感ってなんなんだって、そんな人間らしさを求めるレコードなんじゃないか、そんな気もしてきます。
 
だからこれ15曲、80分以上もあるんですけど、そんな疲れないですね。ある意味リアリティが希薄だから。夢うつつというか白昼夢みたいな。まぁ実際80分も集中力は持たないですから、半分に分けて聴いたりはしているんですけど、それでもやっぱ聴いてても興奮したり逆に悲しくなったりしない、体温は保たれたまま、という感じですかね。
 
アルバムの最後は『America』という曲で、これ12分30秒ありますからタイトルといい大作感めっちゃありますけど、実際、レビューでよく取り上げられていますね。ただこのアルバムの核はその前のアルバム・タイトル曲『 The Ascension』なんじゃないかなと思います。
 
コーラスの対訳をそのまま載せますと「なのに今、手遅れながらもこの心に突き刺さる/僕はあまりに多くを周りの人たち皆に頼みすぎていたということが/そして今、手遅れながらもこの心に突き刺さる/僕は自分自身の責任を取るべきだということが/昇天の日が訪れたら」。
 
これが非常に抑えたサウンドで独白のように歌われるんですね。まるで教会のなかでひっそりと聴こえてくるかのように。だから贖罪の歌に聴こえます。社会に違和感や閉塞感を感じながらも最後は自分自身でごめんなさいと言わざるを得ない。なんか切ない話になってきましたけど(笑)、これってやっぱりリアルな話ですよ。
 
まぁそんなアルバムではありますけど、基本、スフィアンさんのメロディは美しいですから、そんな暗いアルバムではないですよ(笑)。こういうテーマでもメロディの美しさは消せない、そんなアルバムです。

Imploding The Mirage / The Killers 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Imploding The Mirage』 (2020年) The Killers
(インプローディング・ザ・ミラージュ/ザ・キラーズ)

 

キラーズももういいかなと思っていたんですけど、先行の2曲を聴いたらもう止まりませんでした。久しぶりに解放感があって、何かこうスパークしてる。もしかしたらこのアルバム、いいかもしれない、そんな期待感を感じましたね。

ここ最近のアルバムも悪くはなかったんですよ、これぞキラーズっていう曲もちゃんとあったし新しいことにも取り組んでいたし。でもちょっと窮屈な感じはあったんですね。ちゃんと新作を出し続けてくれてたんですけど、なんか頑張って無理してるのかな~と。

今回のアルバムもキラーズ全メンバー参加ではないです。だからというわけじゃないのでしょうけど、とにかく沢山の人とコラボしてて、さっき言った先行曲のひとつ「Dying Bread」なんてビックリしますよ、ブックレット見たらソングライティングになんと11人!!でもこれこそがブランドンの吹っ切れ具合を示してるんじゃないでしょうか。

プロデューサーは主にショーン・エバレットとジョナサン・ラド。目を引くのはジョナサン・ラドですよね。彼はフォクシジェンっていうバンドのメンバーで、他にもいろんなとこでプロデューサーとして活動してますけど、割りとマニアックというか芝居がかったサウンドを作る人で、でも最高にポップっていう。だから最初ジョナサン・ラドが来るキラーズの新作のプロデューサーと聞いた時は僕の中でうまく繋がらなかったんですけど、アルバム聴いてると徐々に明確になってきました。

要するにキラーズのいいとこをグイグイ突いてくるんですね。例えばブランドンが「ちょっとそれやり過ぎなんじゃないの?」って言ったら、「いやいや何言ってんすか、キラーズはこれでしょう」、「そ、そうか、そうだな」みたいな(笑)。良い意味でジョナサン・ラドの芝居っ気にブランドン、というかキラーズが再生していったというような印象を受けますね。

象徴的なのが表題曲の「Imploding The Mirage 」です。ブランドンの良さってあの伸びやかな声が真っ先に浮かびますけど、ドラマチックな歌い方も魅力ですよね、名曲「When We Were Young」とか。「Imploding The Mirage 」では「When ~」とは反対側にある押さえた芝居っ気というか、例えばサビの「~camouflage」、「~collage」と韻を踏むとこのイントネーションが下がるとこなんてバタ臭いんですけど不思議とカッコいい。いや~、ブランドン、吹っ切れてんなー。

ま、キラーズ史上最強のウキウキソングと言っていいこの曲でアルバムの最後を締めるっていうのが全てを象徴してるかな。ブランドン、「イェイェ~」ってコーラスするぐらいですから(笑)。それにしてもジョナサン・ラド、いい仕事してるなぁ~。

あとはこれをライブで聴きたいということですね。2、3年前に来日した時は台風で来日が遅れて大阪公演が中止になったんですよね。東京は武道館だったんですけど、聞くところによると結構空席が目立ったとか。世界最強クラスのヘッドライナーが日本ではあまり人気がないというのは信じがたいですけど、コロナが明けた日にゃ懲りずにもう一度来日して欲しいッス。次こそ大阪公演、待ってるぜ!

Folklore / Taylor Swift 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Folklore』(2020年)Taylor Swift
(フォークロア/テイラー・スウィフト)
 
 
なんでもステイホーム中にレーベルに内緒で制作したんだとか。プロデューサーはザ・ナショナルのアーロン・デスナーで17曲中11曲を手掛けている。テイラーさんは以前から一緒にやってみたいと思っていたらしく、けれどザ・ナショナルというとインディど真ん中の人なので、1曲ならまだしも通常だとレコード会社がうんとは言わない。そこで内緒で(しかもリモートで!)作ったそうです。
 
しかもアーロンさんはこれもUSインディのトップランナーであるボン・イヴェールに声をかけ、「exile」という曲で共演を果たしている。まさかテイラーさんのアルバムでジャスティン・ヴァーノンの声が聴けると思わなかった。とても新鮮な驚き。
 
以前から気になっていたとはいえ、このコロナ禍にあって アーロン・デスナーやボン・イヴェールと共演し、静謐で内証的なサウンドを選ぶというのはやっぱりテイラーさん自身に世を見る目の確かさというか、今何をすれば当たるかという、そういう下世話な話ではないのだろうけど、結果的に人々が求める作品をジャストに出してしまえるのは無意識的にせよ、やっぱり凄い人だなぁと思わざるを得ない。
 
肝心の曲の方は勿論ばっちりで、このところは派手な衣装に身を包んで、ポップなダンス・ナンバーを披露するといった印象が強くなった気がするけど、僕が最初にテイラーさんを知ったのはアコースティック・ギターを抱えて歌う「Fifteen」なので、基本はそっちの人なんだという気持ちの方が強い。案外そういうファンは多いのではないか。恐らくテイラーさんも自身のそういう地味だけど基本となるストロング・ポイントを理解していたはずで、けれどこれだけ巨大になると自分の思いだけでは済まない部分も多いわけで、そこをこの状況を逆手にとって密かに作家性の強い作品を出してしまうというのはなかなかしたたかというか、かっこええ話や。
 
アルバムはもう絶賛の嵐で、ここにきてテイラーさんのベストではないかとさえ言われている。卓越したソングライターである彼女があのアーロン・デスナーのサウンドで歌うのだから、間違いないに決まっている。彼女本来の持ち味であるメロディの良さが歌に注力したサウンドをバックに従え、初期の作品のように前に押し出されている。
 
ということでテイラーさんの曲がくっきりと浮かび上がってくるんだけど、思うのは盛り上げるのがすごく上手いなと。派手なサウンドではないんだけど、曲自体がそういう大波小波を内包しているから後半にかけて、特にブリッジでの盛り上がりが半端ない。「august」なんてすんごいです。どういうサウンドになろうがポップなところなところからは離れられない体なんでしょうか。てことで命名します。テイラーさん、あんたはブリッジの女王や。
 
プラス、今回はとりわけタイトルに『フォークロア』とあるように、’だれかの物語’にチャレンジしたということで、いつもの’わたしの話’ではない切り口のリリックも魅力。「the last great american dynasty」でのブルース・スプリングスティーンばりの遠い過去に思いを馳せたストーリー・テリングには思わず鳥肌が立ってしまった。過去の戦争から現在の医療従事者へと繋げる「epiphany」も素晴らしいし、ポップなところで言うと17歳の男の子になって歌う「betty」も面白い。けれどなんとなく物語にイントゥしていけないのは何故だろうか。
 
それはやっぱり’わたしの話’が完全に抜け切らないところで、例えば さっきの「the last great american dynasty」は凄くいいのに最後に「その家を私が買った」というリリックで締めくくっちゃうのはちょっとなぁと。あと「invisible strings」での「アメリカのシンガーに似てますね」と言われたってリリックもそれあんさんの話やないかと。巷で言われているほど’民間伝承’な歌ということではないような気もしますが、それも過去の作品と比べればということでしょうか。
 
ただやっぱりここは’だれかの物語’に徹底して欲しかったかな。そういう煌めきは随所にありますから。あぁ、「その家を私が買った」の一文さえなけりゃなー。
 
それと彼女はやっぱり声が強いですから、なかなか人の歌になり切れないというか、考えてみればまだ30才になったばかりということなので、そこをあんまり求めてもなってところはあります。僕がテイラーさんのアルバムを買うのは『フィアレス』以来、十数年ぶりなんですけど、更に10年経つとまたその辺も変わっているのかもしれません。 
 
僕にとっては新譜を追いかける人ではないですけど、これだけ巨大な人だと新譜が出りゃ自然と耳には入ってくるわけで、そういう中で今回のように「おっ、こりゃいいな」とまた手に取ってみる機会はこれからも案外あるのかもしれません
 
ところでテイラーさんがアーロン・デスナーに声をかけたときに、アーロンさんはボン・イヴェールとのユニットであるビッグ・レッド・マシンの新作に取り掛かっていたとか。ところがコロナ禍にあってそれが中断したところにテイラーさんから声がかかったらしいです。てことでビッグ・レッド・マシンとしての新作もあるかもですから、これも凄い楽しみです。

The Black Hole Understands/Cloud Nothings 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Black Hole Understands』(2020) Cloud Nothings
(ザ・ブラック・ホール・アンダースタンズ/クラウド・ナッシングス)
 
 
クラウド・ナッシングスというとハードなイメージがありました。ボーカルも声割れるぐらいシャウトするっていう。今回このアルバム、すごくいいいなぁと思って過去作も聴いてみたんですけど、やっぱそんな感じでしたね。
 
ところがこのアルバムはすごくポップなんですね。いや、今までも激しかったんですけど、曲はチャーミングだったようで、今回はアレンジも含めてポップっていうことで、だからすごく聴きやすいです。声割れてないし(笑)。ていうかどうしちゃったんだろうっていうぐらいソフトな歌声です。ただ相変わらずドラムはせわしないですな(笑)。ちなみにこのアルバムはリモートで作られたそうです。結果、元々持ってる彼らのメロディ・センスが前面にでてくるのが面白いですね。
 
そうそう思い出しました。過去作も普通に曲がいいからアルバム買おうかなって何度か視聴したことあったんですけどね、ただちょっとサウンドが好みじゃなかったっていう。でも今回はハードはハードなんですけどクラッシックなパンクっていうイメージで、クラッシュとかそんな感じ。ほらクラッシュも曲が抜群によくて細かいニュアンスちゃんと聴こえてくるでしょ。
 
あともっと古いところで言うと、ザ・バーズ。ああいうフォークロック的なニュアンスあります。3曲目の「An Average World」とかですね。我慢しきれなくなってかアウトロは激しくなりますけど(笑)。ずっと鳴り響くギターもいいですけど、丁寧にギター刻んでくるのがいいですね。
 
聴きやすいというところで言うと、ある意味邦楽ロックに通じるようなメロディっていうんですかね、起伏に富んでキャッチーなままいろいろ展開していくんです。洋楽に比べると邦楽はメロディのふり幅が大きいですから、割と馴染んできやすいと、そういう部分はあるかもしれません。ただ、このメロディ・センスはちょっとやそっとじゃ真似できませんね。
 
あと全体の構成が冒頭からアップテンポなのが続いて中盤は落ち着いたメロディ。インストもあって後半はまたテンポアップしていくっていう、まぁパターンと言えばそうなんですけどこれが見事にはまって、しかもトータル30分ちょいで、曲が抜群にいいですから、ホントに笑っちゃうぐらい全部いいんですけど、これはやっぱり最後まで集中して聴けます。もしかしたら傑作なのか?
 
ただ実はこのアルバム、サブスクでは聴けなくて毎月5ドル払うBandcampっていうサービスでしか聴けないそうです。すごくちゃんとしたサービスなんですけど海外もんなので僕は手を出せないでいますが、まぁ今回はYouTubeで聴けたっていう、ラッキーですね(笑)。ま、いつ聴けなくなるか分かりませんから、今のうちにしっかりと聴いておきたいなと。タダで聴こうなんざ不届きもんですな(笑)。
 
ちなみにBandcampでのこのアルバムの売り上げは25%が教育基金に寄付されるそうです。そしてこのアルバムではリモートでしたけど、続けて今度はみんなで集まって次のアルバムに取り掛かっているそうです。行動力のあるバンドなんだと思います。タダで聴いた報いに次はちゃんとお金払います(笑)。

Fetch the Bolt Cutters/Fiona Apple 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
「Fetch the Bolt Cutters」(2020)Fiona Apple
(フィッチ・ザ・ボルト・カッターズ/フィオナ・アップル)
 
 
心に(或いは頭に)浮かんだものをそのまま表現出来ればよいのだが、形がないものを目に見える形に変換することはそう容易なことではない。それができるのが芸術家ということかもしれないが、芸術家だって思いのままを表現できるなんてことは稀であろう
 
試行錯誤なんていうけれど、実際はバッと書いたもん勝ちというか、頭からケツまで一気に出来てしまうのが一番強い。先日、棟方志功の映像を見たけどあれが芸術家ってもんだ。推敲すればするほど当初の感覚が薄れ、ダメな方へ向かうのでは思うのは僕が素人だからか。
 
ただ棟方志功だっていつもスッパリ出来てしまうというわけにはいかないだろうし、わけ分かんなくなって途中でやめた、なんてことがあるかもしれない。音楽界で言えば、天才の名をほしいままにしてきたフィオナ・アップルにしても作品ごとのインターバルがやたら長いのはその証左であろうし、逆に言えば満足できるものでなければ世に出さないという、これも芸術家としての態度。
 
今コロナ禍にあって大きなプロジェクトが組めない中、それぞれがリモートや宅録で作品をリリースしている。面白いのはそのどれもが最も大事な生な感情を出来るだけ簡素にパッケージしたようなシンプルなサウンドになっていること。そうなってしまったというニュアンスが強いのかもしれないが、あの手この手が入らず、初期衝動から最も距離が短い方がより本質を伝えることが出来るのは当然といや当然。
 
しかしフィオナ・アップルの『フィッチ・ザ・ボルト・カッターズ』はそうなる前からそのように作られた作品として明らかに毛色が異なる。そうなったのではなく、そうしたくてそうしたという意味合いは大きい。これはいかにすれば初期衝動を最短距離で(若しくはそのまま)パッケージできるかを突き詰め、尚且つそれを表現しうる技量を持ち合わせているフィオナが自らの意思で作り上げたフィオナ主導の作品だ。
 
心に(頭に)浮かんだものを出来るだけ形を損ねずに作品として変換させることは容易ではない。技量やセンスだけでなく、既存の表現に引っ張られることだってある。そこから如何に自由になるか。言ってみればそこが腕の見せ所だろう。
 
この作品はフィオナの中にある芸術衝動が出来るだけ形を損ねずに表出され、けれどそれが聴いてワクワクするような音の塊に翻訳されたフィオナ独自の大衆音楽である。

Woman In Music Pt.III / Haim 感想レビュー

洋楽レビュー:

「Woman In Music Pt.III 」 (2020年) Haim
(ウーマン・イン・ミュージック Pt.III / ハイム)

 

ハイム三姉妹、安定の三作目。とはいえ前作から三年のインターバルだから、本人たちにとっては安定なんて生易しいものではなかったのだろう。けれどここで第一期というか彼女たちの音楽が一息ついた感じはする。

僕はハイムの言語感覚が好きだ。独特のリズムに乗せて畳み掛けていくリリック、今回で言うと「I Know Alone」とか「Now I ´m In It」なんてすごく分かりやすいハイム節。こういうのを聴くと思わずにやけてしまう。歌詞の中身はヘビーなんだけどね。

てことでハイムはデビューの時からもうソングライティングは完成されている。それぞれが曲を書けてボーカルを取れて色々な楽器を演奏できる中、それぞれに特徴はあって、でも姉妹だからやっぱり同じ方向に顔が向く。この阿吽の呼吸感とさっき言ったリズム感がハイム最大のオリジナリティー。

だから後はどう肉付けしていくかということ。そこを担うのがアリエル・リヒトシェイドとロスタム・バトマングリで、もうこのコラボは五人でハイムと言っていいぐらい親密なもの。だからちょっとヴァンパイア・ウィークエンドぽい、というか昨年の『Father of The Bride』の流れを感じてしまうところも所々。次女のダニエルも参加してたしね。

思えばハイムの1stからは随分と洗練されてきました。バックに流れるちょっとしたサウンドは流石アリエルにロスタムで超何気なく超オシャレ。今回はラッパの音が印象的かな。そして時おり前に出てくるダニエルのギター・ソロ。そうそう今回はフィーチャリング彼女のギターってところもあってこれが物凄くカッコいい。いかにもなマッチョなギターじゃなくて自然体で鳴らされるダニエルのギターも本作の聴きどころ。

そうそうここ数年、#MeTooとかジェンダーに関する動きが活発でしょ?彼女たちはやっぱし三姉妹ロッカーですから、色々とね、デビュー以来やな事はあったみたいです。でそのことを自分たちの日常に即して表現している。例えば「The Steps」では「私は自分のお金を稼ぐために毎朝起きてる」、「同じベッドで一緒に寝てるからってあなたの助けは要らないわ」、「そこんとこ、ちゃんと分かってる?分かってないでしょベイビー」って。

同時期にリリースされたフィオナ・アップルの『Fetch The Bolt Cutters』があちこちで絶賛されてますけど、あっちが誰が聴いても分かる化け物みたいな作品だとすれば、こっちの『Woman In Music Pt.III』は誰が聴いても革新性を感じないと思うんです。でも僕はフィオナに負けないぐらいこの作品が好きです。何故ならここにも彼女たちのリアルがあるから。

彼女たちは声高に叫ばない。でもいつも変わらないトーンで身の回りの大事なことを歌っている。個人的なことを歌うことが世界を歌うことになる。誰かがそんな事を言っていたけど、それは一番難しいこと。彼女たちの歌には彼女たちの顔がちゃんと見えて、その向こうに世界が写っている。ごく自然体でこういうことが出来るのがハイムの凄みではないでしょうか。

このアルバムでは特に「Gasoline」と「Summer Girl」が好きです。ちょっと気が早いけど、次のアルバムではアリエルとロスタムには少し控えてもらって、三姉妹だけで作ったアルバムを聴きたいな。三姉妹で作ったミニマルな歌を通して聴こえる世界の声を感じ取りたい。

全国紙に派手なヘッドラインを出していくということではなく、言ってみれば地方紙というか、けれどその方がかえって真実を照らし出しているという側面もある。そしてそれはとても大切なこと。僕にとってハイムはそんなイメージです。

「カセットテープ・ダイアリーズ」感想レビュー

 

フイルム・レビュー:

「カセットテープ・ダイアリーズ」(2020年)感想レビュー

 

「カセットテープ・ダイアリーズ」を観ました。先ずは久しぶりの映画館、僕は平日の朝イチの回を見に行きまして、予想通り人はまばら、ていうかほぼ空席でした(笑)。ま、この時期ですから、みんな外に出るのを控えてるんだと思います。とはいえ映画館ではマスクをして大人しくしているわけですから、朝晩の通勤電車に比べればよほど安全ではないかなと(笑)。なんにしてもやっぱり映画館で観るのはいいですね。しかも僕にとっても特別な人、ブルース・スプリングスティーンを題材にした映画ですから尚のこと素晴らしい時間となりました。ありがたや、ありがたや。

映画の主人公ジャビドと同じく多感な頃にブルースの音楽に出会った身としては、もう涙腺緩みっぱなしでした。ブルースのあの声とE ストリート・バンドの演奏と、そしてジャビドを奮い立たせるかのように視覚化されたリリック、僕は40後半ですけど、もう年齢は関係ないです。よい音楽というのは時代を越えてしまうものなのです。

そしてこのことは僕にとっても新しい発見でした。ブルースの歌は今の僕にとっても有効であると。あの頃心を震わせた音楽というのは単なるノスタルジーではなく現在進行形でもあるのだということ。やっぱりブルース・スプリングスティーンの歌は成長の歌なんですね。

と随分映画の本題からは離れてしまいましたが、ジャビドはブルースの音楽を聴いて音楽がただの音楽ではなくなります。印象的なシーンはカセットテープをセットするところ。ジャビドはポータブル・テープレコーダー(ウォークマンって言っていいのかな)をベルトの腰の辺りに装着していて、真正面のバックルの位置ではないのですけど、そこにカセットテープをガシャっと押し込むんですね。すると気持ちに変化が起きる。ブルースの歌の力が装填されるんです。言ってみれば変身ベルトです。てことで仮面ライダー(笑)。ほら、平成ライダーはベルトにUSBとかカプセルとか差し込みますからね、僕はまさにあれを思い出しました。

そうやって、ジャビドはブルースの力を借りて変身をする。だから映画の序盤から中盤にかけてはジャビドがカセットを装填するシーンが沢山出てきます。好きな子に告白する時なんかまさにそう。ブルースの言葉を借りて力に変えていくのです。

それが中盤から最後にかけては少し様子が違ってきます。徐々にジャビド自身に変化が起きてくるのです。それがはっきりと分かるのはスピーチのシーン。ここに至ってはもうブルースのカセットを装填する必要はないんですね。ジャビドはブルースの言葉を借りることなくジャビド自身の言葉で話します。彼は単なる憧れからブルースをきっかけに自分を変えていくんです。翻って僕はどうだろうか。単なる憧れで終えてしまってないだろうか。やっぱり好きなら尚のこと憧れで終わりたくない。そんなことを思いました。ジャビドを見て大事なことを学べたような気がします。

この映画にはジャビド以外にも魅力的な人物が沢山登場します。ジャビドの家族、お父さんだけではなくお母さんや姉妹たちとのエピソードも心に残ります。ガールフレンドや学校の先生、カッコいいですよね。そんな中、特に印象的だったのはジャビドの親友、マットとループスです。

映画はジャビドとマットの子供時代から始まるんですね。小高い丘で二人は永遠の友情を誓います。そうですね、映画では激しいレイシズムもそこかしこに描かれています。パキスタン移民であるジャビドたちは随分とつらい目に合う。けれどマットはそんなことは気にしない。すごくシンプルにジャビドは友達なんです。で途中、ジャビドとマットが仲違いをする場面がある。けれどここで原因を作るのはジャビドの方だし、最後の方で夢に向かって順調に歩み出すジャビドに対し嫉妬とか距離を置くとかもなく、子供時代と変わらずずっとマットは同じトーンなんですね。なんかマット、素敵だなって思いました。あと関係ないけどマット、ピート・ドハーティにそっくりや(笑)。

そしてループス。ジャビドと同じパキスタン移民の彼がジャビドにブルースの存在を教えることになります。だからループスはジャビドにとって運命の人でもあるわけですが、例えば僕も十代の多感な頃にブルース・スプリングスティーンを知りました。それは雑誌だったんですけど、その文面というか紙面は今でもちゃんと覚えています。レンタルCD屋でブルースのCDを探している時のことも。大切な何かを知ったとき、出会ったとき、そこには必ずきっかけがあると思います。だからループスというのはそのメタファーというか、自分と大切な何かを結びつけた象徴でもあるわけです。

いつも変わらない非常にリアルな存在のマットと、放送室に忍び込んだり街中で一緒に歌い踊るファンタジーなループス、もちろんエンドロールに登場したようにループスも実在の人物なのですが、イメージとしてはユージュアルなマットとアンユージュアルなループスという対極にある人間関係がジャビドには存在したというのも大きな要素であったような気はします。

そして最後の場面。ジャビドが助手席に父親を乗せて旅立ちます。ここでかかるのが「Born To Run」。始めに言ったように僕はブルースの曲が流れると条件反射的にウルウルしちゃったんですけど、ここではそうはならなかったんですね。すごく清々しい気分で「Born To Run」を聴けた。それはブルースの映画だということで幾分興奮していた僕が劇中のジャビドと同じように曲に対して、ブルースに対してちゃんと距離が取れていったということだと思います。そしてジャビドと父親の乗る車が俯瞰で描かれます。ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードですよね。そして丘の上の見知らぬ少年のカットになる。ここですよね、バトンが繋がっていくという。

最初にも言いましたが、この映画で描かれるブルース・スプリングスティーンの音楽は単なるノスタルジーではないんですね。ここはすごく大事なところ、グリンダ・チャーダ監督の思いなんだとを思います。いろいろな出来事があってジャビドは旅立つ。ジャビドには過去があって今があって未だ見ぬ未来がある。そして丘の上に立つ少年もまたそうなんだと。更にはそれだけではない。助手席に座る父親だってそして映画を観ている僕たちにも過去があって今があって未来がある。この場面から僕はそんなメッセージを受け取ったような気がしました。

ジャビドが特別な経験をしたのは音楽でしたけど似たような経験、誰しもあると思います。音楽でなくても文学であったり映画であったり。そうではなく実際の人との出会いがそうだったかもしれないし、具体的な何かの体験がそうだったかもしれない。人にはきっと多かれ少なかれそうした経験があるのだと思います。

でも時が経ち、あの気付きは、あれは若気の至り、勘違いだったのかもしれないと思うときがある。あれは目が眩んだ戯言だったんだと。でもきっとそうじゃないんです。若気の至りだろうとなんだろうとそう感じたのは紛れもない事実で、それは今も心のどこかにちゃんと残っている、今の自分を形作っている大切な要素なんです。そのことをも思い出させてくれた。僕にはそんな映画でもありました。

最後にもうひとつ。グリンダ・チャーダ監督のユーモア、素敵ですよね。僕も沢山笑いました。マットのお父さんとか、ブルースの曲をバックに踊るマイケル・ジャクソン男とかめちゃくちゃ面白かったー!

テイラー・スウィフトからのサプライズ!急遽、新作「フォークロア」をリリース!!

その他雑感:

テイラー・スウィフトからのサプライズ!
急遽、新作「フォークロア」をリリース!!

テイラー・スウィフトのアルバムがサプライズでリリースされましたね。こんな時だからと、逆に今できることを積極的にトライして楽しんでいく。さすがテイラーさん、ポジティブですねぇ。

なんでもほぼリモートで作られたとのこと。それだけでもちょっとした驚きなんですが主要プロデューサーがなんとThe National のアーロン・デスナー、しかもBon Iverのジャスティン・バーノンも参加していてボーカルをとっている曲もある!タイトルが「フォークロア」というのも気を引かれます。

アーロン・デスナーとジャスティン・バーノンのコンビと言えばビッグ・レッド・マシンですよね。2年前でしたか、二人のコラボ・アルバムが出たの。このアルバムは僕も大好きで、このブログにもレビュー書きましたけど、ホントに素晴らしくって、その二人が参加するとあっちゃこれはもう聴かずにはいられないです。

僕はテイラー・スウィフトの熱心なリスナーではなく、手元にあるのは彼女が大ブレイクした「フィアレス」だけ。ミーハーですね(笑)。これは結構聴きましたけどただその後はね、どんどんセレブ化していって音楽の方までがっつりメインストリームに浸かっていきましたから、僕の興味は薄れていったんですけど、ここに来ておやおや、っていう力強さを感じてます。というのもジョージ・フロイドさんの事件後、ブラック・ライブス・マター運動をテロ呼ばわりするトランプ大統領に対し、「次の選挙では必ず落選させる」と発言したんですね。あぁ、彼女はそういう一面もあるのだなと。そこへ来てこのコロナ禍にも負けない創作ですから、これは俄然彼女に興味が沸いてきました。

さっそく今はSportifyで聴いてますけど、かなり良いですね。元々透明感のある切ない声の持ち主ですから静謐なサウンドがよく似合います。彼女はやっぱアコースティックな感じがいいですね。まだちらっとしか聴けてませんが愛聴盤になりそうな予感満載です。

さすがに急なリリースのせいかSportifyにリリックまだ載ってません。それに日本国内盤が出るのはまだしばらく先になりそうですね。僕は英語力が頼りないのでいつも和訳が記載されてる国内盤を買うのですが、これも間違いなくそうなりそう。それまではSportifyで楽しみたいと思います。

それにしても今年の僕の購入履歴、女性アーティストの割合が多くなってます。へイリー・ウィリアムズにフィオナ・アップル(←やっと国内盤が出て購入しました)にフィービィー・ブリジャーズ。ハイムも良かったです。世の動きを見てもこういう時は女性の方が柔軟なのかもしれませんね。

Notes On A Conditional Form/The 1975 感想レビュー

洋楽レビュー:

「Notes On A Conditional Form」(2020年)The 1975

(仮定形に関する注釈/The 1975)

 

 

前作の「ネット上の人間関係についての簡単な調査」(2018年)が外へのメッセージがふんだんに盛り込まれた大作だったし、今回の「仮定形に関する注釈」は「ネット上の~」と対となる作品だなんて聞かされていたものだから、なんとなく、よし次も大作が来るぞなんて構えてしまっていたけど、リリースされて1か月以上経った今思うのは、この作品はそんな肩肘張ったものではなく、彼らの日常からポロリと零れ落ちた諸々の日々を歌う何気ないアルバムなんだなということ。

このアルバムは前作にも増してサウンドがあちこちに飛びまくって、いきなりグレタ・トゥーンベリのスポークン・ワーズで始まったかと思えば、マット・ヒーリーが喉がちぎれんばかりに叫びまくって、その後には一転して壮大なストリングスによるインスト、そんでもって心の弱さを歌う軟弱なエレクトリカルが続いたりと、サウンドだけじゃなく歌詞の方も行ったり来たり、心の円グラフがスピードを変えてあっち行けばこっちにぶつかるようなめまぐるしい展開をしていく。

ただ確かにこれは一般的にはめまぐるしい展開ということになるんだろうけど、実際にはそんなめまぐるしいなんて思わないし、至って自然に僕たちの心にストンと収まる。それは何故かって、やっぱり僕たち自身があちこちに飛びまくる心の持ち主で、心の有り様はいつも同じところに留まっているわけじゃないからだ。

今多くの人がSNSで色々なことを発言しているけど、多分それはいつも同じ内容ではなくて、調子のよい時もあれば具合が悪い時もある。政治的なことを言っちゃう日もあればくだらない痴話を言ってしまう日もあるだろう。自然災害がこれだけ続けば環境問題だって気になるし、レイシズムは絶対嫌だし、もっと自然に生きていければいいのなぁと思ったり、自分がとことん嫌になって沈んじゃう日もある。でもそれも特別なことではなく当たり前の日常。で僕たちはそれを殊更隠し続けたりしない。もうマッチョである必要はないのだから。

つまりはこのアルバムはあのThe 1975が出した「ネット上の~」に続く続編!ってことで大騒ぎをするような代物ではなく(もちろん大騒ぎするのは楽しいけど)、その正体は彼らの中にある毎日のいろんなことを考える気持ちを少しずつ切り取った雫のようなアルバムだったということで、面白いのはそれが僕たちの日常ともかぶさってくるという点だ。

マット・ヒーリーは自分の体験をもろに歌う人なんだと思うけど、今回はそこに僕たちが入っていける余地が大いにあるというか、もちろん僕はクスリをやったことはないし、知らない子とキスしたりしたこともないけど、あぁこれ分かるなって余地がふんだんにあって、それはやっぱりマット・ヒーリーの言葉に向かう姿勢に変化があったからなんだと思う。自分のことであってもすごく誰かの物語感が強くなった気はするし、距離感は微妙に変わってきている。グレタの声で始まって最後はバンド・メンバーのことを歌って終わるっていうのは象徴的なんじゃないかな。単純に言葉が近くなったなぁと思います。

それともう一つ。図らずもそのグレタ・トゥーンベリがスポークン・ワーズで語っているように僕たちはもう色々なことをはっきりと言うべき時に来ているということで、それは決して誹謗中傷という意味ではなく、はっきりと良くないものは良くないと言わなければならないということ。今までのように悪いことをうやむやにしたり、良いことに知らないふりをしたり、よくある大人の見識としてやっぱりこれはアレだからアレにしようとか言ってなんとなく灰色になっていくというやり方はやっぱ失敗だったよって。

でとっくにThe 1975ははっきりと語っている。お前節操ないなと言われようが今思うところをはっきりと語っている。そりゃ時には間違っている場合があるかもしれないけど、その時は訂正すればいいという自由なスタンスで今思うところをはっきりと述べている。このアルバムは僕たちの日常に即して今起きつつあるそうした変化を一つ一つ丁寧に語っていくという一面もあるような気もします。

大事な事というのは知らぬ間にやって来て知らぬ間に過ぎ去ってしまう。変化というのは気付かぬうちに起きているのだとすれば、この「仮定形に関する注釈」はその静かな変容についてのアルバムなのかもしれない。