ポエトリー:

『道』

 

君は何度も何度も何度も何度も何度も…
空を仰いで
鳥のように雲のように旅人のように
答えを聞いた

君は何度も何度も何度も何度も何度も…
世界をぬって
風のように糸のように歴史のように
道を探した

懐中電灯を片手に
照らした 足元だけじゃなく
時折
誰かの落し物を 見つけた

君は何度も何度も何度も何度も何度も…
踵を蹴って
ツグミのようにシャボンのように干草のように
河を渡った

君は何度も何度も何度も何度も何度も…
恋人を呼んで
二人はいつしか波のようにさざ波のように
小さく暮らした

出来るだけ穏やかに
暮らしてゆきたいと
人知れず静かに
愛し愛されてゆきたいと

二人は何度も何度も何度も何度も何度も…
世界を越えて
虹のように星のように月のように
大地を巡った

二人は何度も何度も何度も何度も何度も…
星をまたいで
父のように母のように祖母のように祖父のように
時を重ねた

君は何度も何度も何度も何度も何度も…
答えを聞いた
世界は何処から来て
あなたは何の為に

君は何度も何度も何度も…
あなたは何処から来て
私は何の為に

君は何度も何度も…
私は何の為に

 

2017年7月

 

魚屋

ポエトリー:

『魚屋』

 

近未来

過去6時の方向で

死んだ魚が泳ぐヒレ

垂直に落ちる汗共々

光を遮るため地下に潜る

ハイウェイを過ぎて真夜中のトンネル

窮屈に揺れます

初めてのウェイクボード

 

頭並べて仲良く

発泡スチロールの中

なだらかな肩に

砕いた氷の上で落ち着いて

ようやくのんびり過ごします

でも死んでます

真夏の魚屋の軒先で

そのうち誰かの家へ売られます

 

2017年7月

 

『MANIJU』 覚え書き②

『MANIJU』 覚え書き②

二度目に聴いて思ったこと。佐野さん自由(笑)。とにかく言葉が前面にあって、あとはどっちだっていいって感じ。勿論どっちだっていいってことはないだろうけど、コヨーテ・バンド、好きにやっちゃって、て感じ。もうこだわりが無いというか、メロディの決まり事もどうでもいいというか、別に何かに似ててもいいというか。

聴いてると、あ、これビートルズだなとか、あ、ディランだなあとか、マービン・ゲイだなあとか、はたまたこれは大瀧詠一だなあってのまであって、そういうのにもう無頓着でいられるっていう。そういう自由(笑)。それに今まではバンドに対して細かく指示を出していたと思うけど、そういうのも止めちゃったっていう自由(笑)。ま、想像だけどね。

先ず言葉があって、そっから音楽化していくには勿論佐野さんのビジョンがあるんだろうけど、割と成すがままに流れ着いたんじゃないかって印象を受けた。で恐ろしいことにそれも織り込み済みというか、要するに今回の隠しテーマはもしかして「自由」なんじゃないかと。こんな世の中、でも前回の『Blood Moon』アルバムみたいに硬質なメッセージを携えるんじゃなくて、佐野さん自身が自由に振る舞う中で見えてくるものに意味があるという。

僕はちょっと前にこのブログで、フランスのバンド、フェニックスの新しいアルバムに触れて、ヨーロッパの人たちのアティチュードについて書いたけど、そこと割と繋がってるような気がして。つまりはアーティストの態度というか、何が根本にあるのかということをもう一度確認してみた、披露してみた、佐野さんの視点は今そんなところにあるんじゃないかと。まだ二度しか聴いていないけど、そんなような印象を受けた。そういう意味でも今回のアルバムはなんか特異。こういう感じは今までになかったな。

今回はアルバム・リリースの知らせがあってからも僕の中であんまり盛り上がってこなくて、リード・トラックを聴いてもあまりピンと来ずに、まあとりあえずって感じ聴き始めたんだけど、さっき書いた理由とか諸々あって、今はじんわりと吸い寄せられている。こういうパターンは初めて。ちょっと面白い。

あとコヨーテ・バンドの印象も随分変わってきた。ホントもう自由に演奏しちゃってる。前回のアルバムがコヨーテ・バンドここに極まれりって感じで、一種の到達感みたいなのがあったんだけど、ここに来てもう完全にやらかしちゃってる。一旦組み上げたものを崩しにかかってる。形が無くて水のよう。そこに言葉を乗っけて漂っている感じ。

このバンドの最大の特徴は目的地に向かって最短距離で突き進むってところにあったんだけど、そこから離れていくとすれば、もうどうなってくんだ?この自由さはホーボー・キング・バンド的だぞ。それとも聴き込んでいくともっと印象は変わっていくのか。

『MANIJU』 覚え書き①

『MANIJU』 覚え書き①

昨日、佐野元春の新譜『MANIJU』が届いた。夜、早速聴いた。第一印象は、メロディが随分遠のいた。言葉が先行している気がする。どちらかと言えば、スポークン・ワーズに近いのかも。抑揚のないメロディに、今までとは少し違う言葉が乗っかっている。アルバム『COYOTE』から始まって、『ZOOEY』、『BLOOD MOON』は同じ世界の言葉で綴られていたように思う。けど今回はベクトルが違う方向を向いている。今はまだそこまで。聴き続けるに及んで、少しづつ見えてくるだろう。

Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not/Arctic Monkeys 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』(2006) Arctic Monkeys
(ホワットエバー・ピープル・セイ・アイ・アム ザット・ホワット・アイム・ノット/アークティック・モンキーズ)

僕の印象ではもっとイケイケな感じかと思っていた。勿論、代表的な#1や#2なんてのは思いっ切りアガルんだけど、クークスやザ・ヴューの1stを聴いた後だとアークティックの1stはより落ち着いて聴こえる。前述の2組のバンドはどっちかっていうとガレージ色が強く、ガチャガチャしててギアが入ったら止まらなくなる感じ。それでいてUKロックの香りがフッとしてくる。一方のアークティックはヘビーでよりダーク、夜のイメージだ。同じシンプルなバンド構成だけど、こっちは得体の知れなさというか、無国籍な感じがする。アークティックはこの後、ずっとヘビーなサウンドを指向してゆくんだけど、こうして聴いてみると黒っぽい要素もあって最初からその萌芽があったんだなあ。

意味なんてどうでもいいよ、というクークスやザ・ヴューと比べてもちょっと奥歯にものが挟まった感じというかシニカルな感じはする。そういう意味でもアレックス・ターナーの立ち位置というのはやっぱ時代を映しているというか、00年代のバンドだなあと。今や世代を代表する巨大なバンドになった訳だけど、その辺が喧しい近所の腕の立つ職人といった風のクークスやザ・ヴューとは決定的に違うとこなのかもしれない。それになんかこう書いててもアークティックの方は真面目な文章になってしまうから不思議。

あとアークティックを記名づけているのがリリック。直近のアルバムも凄かったが、この1stは溢れんばかりの言葉数。アレックスはきっと詩人としてもやっていけそうだ。

キャリアを重ねたバンドが原点回帰ってのはよくあるが、結局初期衝動は1stだけのもの。ザ・ヴューにしてもザ・クークスにしてもアークティックにしても今もいい音楽を作っているが、スピード感で言えばやはり1枚目。アクセル踏んだら止まれないスピード感が欲しければ、この00年代UKギター・ロック御三家だ!

 

1. The View from the Afternoon
2. I Bet You Look Good on the Dancefloor
3. Fake Tales of San Francisco
4. Dancing Shoes
5. You Probably Couldn’t See for the Lights But You Were Staring Straight at Me
6. Still Take You Home
7. Riot Van
8. Red Light Indicates Doors are Secured
9. Mardy Bum
10. Perhaps Vampires is a Bit Strong But…
11. When the Sun Goes Down
12. From the Ritz to the Rubble
13. A Certain Romance

何と言っても冒頭2曲の破壊力。お尻に火が付いてるみたいだ。

Inside In/Inside Out The Kooks 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Inside In/Inside Out』(2006) The Kooks
(インサイド・イン インサイド・アウト/ザ・クークス)

久しぶりに聴いたザ・ヴューのデビュー作がとてもよかったので、今度はクークスのデビュー・アルバムを聴き直してみた。やっぱこっちも曲がいい。

ザ・ヴューが2007年デビューで、クークスそしてアークティック・モンキーズが2006年のデビュー。彼らの1stを改めて聴いてみるとこの00年代UKギター・ロック御三家(←僕がそう言っているだけです)は、最初から確かなソングライティングという基盤があったんだなというのが確認できる。やっぱりそれは複雑で技巧を効かせたメロディに頼るのではなく、2~3分でダッ始まってダッと終わる、しかもただ勢いだけではなくちゃんと緩急が効いてて起承転結がしっかりとある。単純なギター・ロックというだけじゃなく色んな要素が垣間見えるというのはやっぱり背景に音楽的な基礎体力が備わっているということなんだろう。1曲1曲は短いけどホントよく出来てるんだよなぁ。

でクークスの1st。まあ単純にかっこいい。ザ・ヴューと一緒で意味とか理屈に無頓着なところがまたいいんだよな。勿論これだけの曲を構成できてしまうんだから知性もふんだんにあるんだろうけど最優先されるのは感性。特にしゃくりあげるように歌うルーク・プリチャードのボーカルは歌うっていうよりカンに任せて転がってゆく感じ。ノッてくるとどうにも止まらない感がいい。

バンドも前のめりで突っ込んでくるロック・チューンはグイグイ来るし、アコースティックな落ち着いた曲は心地いいフレーズを奏でてる。このバンドのいいとこは確かな腕があるのにあくまでもボーカルの引き立て役に徹しているところ。これだけアッパーな曲を揃えているのに知性を感じさせるのはそういう部分があるからかもしれない。

 

1. Seaside
2. See The World
3. Sofa Song
4. Eddie’s Gun
5. Ooh La
6. You Don’t Love Me
7. She Moves In Her Own Way
8. Matchbox
9. Naive
10. I Want You
11. If Only
12. Jackie Big Tits

同年デビューのアークティックより売れたというこのアルバム。
それも納得の1枚。とにかくカッコイイ!

あの人のことを知りたければ

ポエトリー:

『あの人ことを知りたければ』

 

韓国人の事を知りたければ

韓国人の詩を読めばいい

アメリカ人の事を知りたければ

アメリカ人の詩を読めばいい

中国人の事を知りたければ

中国人の詩を読めばいい

 

ただそれだけのこと

気まぐれや気取りは詩になっても

嘘は詩にならないから

 

だから君も

誰か気になる人がいれば

その人の詩に耳を傾けてみて

きっとどこかに顔を出しているから

 

もちろん君の詩も公開しなくちゃね

 

2015年1月

キリンの子/鳥居 感想

ブックレビュー:

『キリンの子』 鳥居

書くことは苛酷な記憶を辿る行為となるかもしれないけれど、それはそれとして存在しつつも一方で、鳥居さんは言葉を紡ぐ行為自体がただ楽しかったのではないかと思います。絶望だけではなく、命の輝きとか命の尊さが見え隠れするのは、きっとそういうことなのではないかと。鳥居さんの歌は死んでいない。ちゃんと生きている。掴んで離さない命が地中深く根付いている。そんな気がしました。

いい詩とは、最後に離陸する詩だと、詩人の茨木のり子さんは言っています。鳥居さんの歌もイメージの飛躍が素晴らしいと思いました(例えば、「水たまりをまたいで夏が終わる」とか)。

解説にもあったけど、冷静な観察眼も特筆すべきことだと思います。「母が死体になる」も「みょうが46パック」も彼女の目線は同じです。温度が変わらない。湿度がありません。歌が心のありようを詠むものだとしたら、大抵はそこに何らかの気分は入れたくなるものだけど、彼女は正確に描写をするだけ。けれどちゃんと作者にも読み手にも立ち上がる言葉。言ってみれば正岡子規の言う写実ということになるのだろうけど、これはやろうと思ってもなかなか出来るものではなくて、才能もあるけれど、本人がそうすべきだと自覚しているからだと思います。

この短歌集は何度も読み返したくなります。それは読むたびに新しい発見があるのを知っているから。僕は短歌のマナーや技術的な良し悪しは分からないけれど、彼女のバックボーンに依らずとも、純粋に素晴らしい短歌集だと思いました。