変なリセットに対する違和感 補足

その他雑感:

 

『変なリセットに対する違和感』補足

先にアップした『変なリセットに対する違和感』について。言葉足らずだったので、ちょっと補足を。

僕がこの言葉に違和感を抱くのは、一つにはそこに同調圧を感じてしまうから。なんかオリンピックについての後ろ向きなことを言う空気を抑えつける作用を感じてしまうから。ちょっと待ってよ、おかしいことまだ解決してないでしょって言うと、お前今はそういうことじゃなくて、国を挙げてよいものにするために皆で協力すべき時だろ?みたいな。

もう一つはそれでほくそ笑んでいる人がいるんじゃないかってこと。勿論この言葉を発する人の多くは、純粋に「やると決まったからにはよりよいものにしましょう」ってことで言っているのだとは思いますし、そりゃあ僕もそう思いますが、一方でそういう空気を実に巧みに利用する連中がいる、ほらほら時間が経てばいつものように皆忘れるからって密かに逃げ切ってしまう連中がいる、だから僕たちは「オリンピックを良いものにしましょう」と言う一方で、それはそれとして、おかしな問題はまだまだ解決されていないでしょ、それおかしんじゃないかってのは言い続けるべきなのではないか、でもそっちの言葉が今全く聞こえてこない事に嫌な感じがするのです。

何気ない「やると決まったからには一致団結してやりましょう」と言う言葉で、そのことが少しずつ少しずつ塗り固められていくような違和感。それを『変なリセットに対する違和感』と言ったのです。

変なリセットに対する違和感

その他雑感:

ニュースウォッチ9を観ていたら、スポーツコーナーで来るべき東京オリンピックについて、サンドウィッチマンがこんなようなことを言っていた。
「最初は東北の復興が遅れるからどうなんだろうって思っていたが、やると決まったからには一致団結してやりましょうと」
これ、わりと聞く言葉ではないでしょうか。

やると決まったからには皆で協力し合って、いいものを作り上げましょう。一見前向きな良い言葉に見えるけど、本当にそうなの?動き出した大きな流れは良しとしなきゃいけないの?

コンパクトな五輪のはずがそうじゃなくなったり、東京に人手が集中してしまったり、誘致にはお金が動いてたんじゃないかとか、オリンピックの後どうすんだとか、いろいろあったけど、やると決まった以上は一致団結してやりましょうってなんか変。やると決まっていてもおかしなことはおかしなままのはず。

勿論、サンドウィッチマンにしても実際に多くの復興に尽力していて、僕よりも沢山考えて、沢山行動している。それなのにお前なに偉そうなこと言ってんだと言われるかもしれませんが、でもやっぱりおかしなことには、それおかしいよって言い続けるべきではないでしょうか。

せっかく決まったんだからとか。何にしてもやることはやるんだからとか。そういう変なリセットの仕方はちょっと方向が違うんじゃないかと僕は思います。

吉村芳生 超絶技巧を超えて 感想

『吉村芳生 超絶技巧を超えて』美術館「えき」KYOTO 2019年6月2日

結局、最後まで吉村さんはなんで描いてるのか分からなかった。当たり前だけど。吉村さんは実物を見て描くのではなく、わざわざ写真に撮ったものを描く。自分というものを放っぽって数学的に、機械的に描く。だから吉村さんの意図とか感情が見えないのはそれでいい。多分。

吉村さんは自画像を描く。新聞紙上に描く。ある年には365枚描いた。パリ留学の時にはパリに居るのに部屋に籠ってパリの新聞紙に自画像だけを描き続けた。展覧会ではその自画像の山が辺り一面に貼り出され、たくさん居る吉村さんに僕たちは囲まれる。吉村さんの居ないところで一人ぼっちの吉村さんが描いたたくさんの自画像にたくさんの人々が感嘆の声を上げる。ここでは一人ではなくたくさんの人々に囲まれる吉村さん。なんか意味分からない。

毎日の新聞紙面。その日の一面に掲載されたその日一番のニュースを背景に描かれた自画像。つまり吉村さんのインスタグラム。今たくさんの人々が`いいね´を押す矛盾。自分というものを放っぽって描くことに執念を燃やしたクセに自画像ばかりを描く矛盾。本当に分からない。

吉村さんが次に選んだのは色鉛筆による表現。ん?表現?吉村さんが表現したかったのかはさておき、観ている人々は一様に驚きの声。わぁ!写真みたい!でもどうかな。写真とは違う。

変な違和感。素直に写真とは言えない得も言われなさ。吉村さんも感じていたのか色鉛筆画には色々な試行錯誤の後が見える。なんか違うなー、なんか違うなーって。鉛筆画の変態としか言えないような細かな作業に比べればやはり物足りなかったのでしょうか。わざわざ写真みたいに描いた色鉛筆画にダメージを付けるなんて。やっぱり吉村さんは変態です。

表現するというよりむしろ。ある一定の作業量があって、作業がある一定量まで来ないと気持ちが落ち着かない、描いた気にならない感じ。そこにある程度の労働が組み込まれていないと満足出来なかったのでしょうか。

結局、最後まで吉村さんは何をしたかったのか、何を描きたかったのか分からず仕舞い。それはつまり吉村さんのミッションが完遂された証。元々そんなもの分かるべくもないけれど、いつも分かったような気になる僕たちを横目に、そんなものは鼻からないんだとか、そういう表情すら見せない吉村さん。吉村さんは何て言われるのが一番嬉しかったんですか?

 

という感想をその日の内に書いて、今なんとはなしにスマホの写真を見ると、展覧会の出口で撮った、壁に書かれていた吉村さんの言葉がありました。

「退屈だとして切り捨てられる日常のひとこまから、非日常な新鮮味を発掘してみせる。それが芸術の力でしょう。一輪の花に、それを見いだしたいんです」

僕がその日のうちに書いた感想は、これらの言葉に打たれ、成す術もなく崩れ去っていきました。分かったような愚かな感想ではありますが、その日のうちに書いたそれも事実ですから、それはそれとして、赤っ恥を承知でそのままにしておきます。

Big Whiskey & The GrooGrux King/Dave Matthews Band 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Big Whiskey & The GrooGrux King』(2009)Dave Matthews Band
(ビッグ・ウィスキー・アンド・ザ・グルーグラックス・キング/デイヴ・マシューズ・バンド)

 

たまに海外では大層な人気なのに日本ではからきし認知されていないバンドがいるが、デイヴ・マシューズ・バンドはその最たるもの。確か何年か前にライブ動員数だったかライブ収益だったかの年間世界一になったと思うが、日本じゃほとんど知られていない。昨年出たアルバムが7作連続の全米№1になったそうだが、それでも日本じゃほとんど知られていない。加えて日本の主要音楽誌にもほぼ載らないという不思議なバンドです。

ちょこっと紹介すると、デイヴ・マシューズ・バンドというのは南アフリカ出身のデイヴ・マシューズがバーテンとして働いていたジャズ・バーの出演メンバーに声を掛け結成したバンド。ドラム、ベース、ギターにサックスとバイオリンという一風変わった編成で、白人2名と黒人3名という構成も大きな特徴かもしれない。

兎に角演奏が上手い!半端なく上手い!ライブでは1曲が10分近くなることもしばしばで、所謂ジャム・バンドと言えるのかもしれないが、根がサービス精神旺盛なバンドなので疲れません。楽しいです。そんな彼らの近年の代表作がこれ。『Big Whiskey & The GrooGrux King』です。

1曲目の「Grux」はサックスによる短いインスト。ま、イントロですな。そのサックスを担当しているのはリロイ・ムーア。残念ながら、バンドとして7作目にあたるこのアルバムがリロイ・ムーアの遺作となってしまいます。交通事故に遭われたんですね。リロイ・ムーアの愛称が GrooGrux King ということですから、このアルバムの名は彼に捧げられたもの、という風に解釈できます。

厳かなサックスで始まる導入部から2曲目の「Shake Me Like a Monkey」は一気にテンションMAX!!これ聴いて何とも思わない人はいるんでしょうかっていうくらいなファンキー・ダイナマイト・ナンバー。もう、すんごいです。どこがどうっていちいち挙げてたらキリないぐらい聴きどころ満載というか、でもそうもいかないんで、一応挙げときます。

先ずボーカルに注目してみよう。デイヴさんはギターも超絶に上手いんですが、歌もめちゃくちゃ上手い!しかも技が豊富!裏声だったりがなり声だったり、スキャットも多用しますし、キン肉マングレートかっていうぐらいの技を持ってます。で言葉の乗せ方が独特なんですね。ラップのように早口でまくしたてる時もあれば大股に舵を切ったりと縦横無尽。いやこの曲だけじゃないんですが、デイヴさんのボーカルに集中して聴いてみるのもいいと思います。なんじゃこれ!?とたまげることうけあいです。

あとこの曲で注目したいのはドラムです。カーター・ビューフォードと言う人です。この人のドラムもすんごいです。いわゆるロックなドラムではないし、手数がやたら多い早叩きでもないんですが、踊っちゃってるんです、ドラムが。さっきボーカルがラップっぽい時があると言いましたが、ドラムもそうかもしれないですね。ドラムがラップしてるというか跳ねちゃってるんです。この独特のリズム感というか叩きっぷりは癖になりますね。ホント独特。特に最後の畳み掛けるドラム捌きは何回聴いてもシビれます!

次の「Funny the Way It Is」からは落ち着いた曲が続きますが、このアルバムの山場は後半です。これぞデイヴ・マシューズ・バンドとでも言うような凄まじい熱量を発するのは後半です。特に素晴らしいのが「Squirm」。もうロック・オペラですね。デイヴさんが囁くように歌って静かに始まりますが、その時点で既に不穏な空気満載。サビは得意のがなり声。2番を過ぎたあたりから、大きく耳に飛び込んでくるのはストリングス。まるでドラキュラ伯爵でも登場したかのような危機感煽るアレンジ。ギャー!おそろしやー!って感じです。

もうね、ストリングスがうねるんです。まぁロックにストリングスはありがちっちゃあありがちなんですけど、こういう使い方は聴いたことないですね。それに伴い他の楽器も上や下やらあちこちから雪崩れ込んできてカオスです。もう無茶苦茶です。カオスです。でもカオティックなロック・パノラマが最高にカッコいい。で最後はなにやらアラビアンな楽器で終わるという最後までカオス。

その後、「Alligator Pie」、「Seven」、「Time Bomb」と続きますが、もう全部転調してます。メロディ途中で変わります。もう上手すぎ!それでもちゃんとそれぞれに違った色がありますから聴いてて面白いんですね。だから熱量はハンパないけど疲れない。強弱があって楽しいメロディがいっぱいだから聴いてて飽きないんです。

デイヴ・マシューズ・バンド。聴いたことある人少ないと思いますけど、聴けばちょっとびっくらこくと思います。一応の形あるじゃないですか。ドラムはこんな感じで、ギターリフはこんな感じでっていうロックの形が。もうそういうの、全部ひっくりかえさります。ドラムで言えば一回もそういう風に叩かないです。ずっと変則プレイです。もうこの人達は変態ですね。

その変態たちが最高にスパークしてる代表作がこの『『Big Whiskey & The GrooGrux King』。あ、最後の「You & Me」は普通にメロウなラブ・ソングです。こういう素敵な曲を最後に持ってくるところなんか完全に確信犯ですね。

 

Tracklist:
1. Grux
2. Shake Me Like a Monkey
3. Funny the Way It Is
4. Lying in the Hands of God
5. Why I Am
6. Dive In
7. Spaceman
8. Squirm
9. Alligator Pie
10. Seven
11. Time Bomb
12. Baby Blue
13. You & Me

いやいや「いだてん」は面白い!

TV Program:

いやいや「いだてん」は面白い!

 

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の視聴率が低調らしいが、いやいやかなり面白いぞ。ということで唐突ですが、先日の第20回「恋の片道切符」の感想です。はは~ん、そういうことやったのねと思っていただければ幸いです。

とその前に。このドラマが始まる前、天の邪鬼な私としては、「けっ、2020年東京オリンピックのプロパガンダかいっ」と思っていました。が実は実は大間違い。プロパガンダどころかちゃっかりスポーツはこうでなくっちゃっていう批評が盛り込まれているんです。

例えば、満を持して出場したアントワープ・オリンピックでは、テニスで日本初の銀メダルを獲得するものの金栗四三始めその他の競技は完敗。帰国後の記者会見で記者から選手団が集中攻撃を受ける中、二階堂トクヨはこう言い放ちます。「オリンピック最優先の体制を改めない限り、わが国の体育の向上はない!」と。これ完全に今の日本に対して言ってますよね(笑)。

あと嘉納治五郎が欧米との実力の差にこう呟きます。「重要なのは50年後、100年後の…」。視聴者はこれまでの嘉納治五郎のイケイケぶりを観てますから、きっとこの後のセリフは、「50年後、100年後の日本選手が欧米人と対等に、いやそれ以上に戦えるよう」みたいなことを言うのかと想像します。ところがです、嘉納治五郎は満面の笑みでこう言うんです。「50年後、100年後の選手たちが、運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としては嬉しいよね」と。

この場面の嘉納先生は神々しかった~(笑)。それまでは女子はスポーツしては駄目なんですかと訴えるシマに対しても、全く理解を見せるところが無かったあの嘉納治五郎がここでは打って変わってこういうセリフを吐く。なんか嘉納治五郎が一気に開花したような錯覚を覚えました(笑)。

シマは女子がスポーツなんかするもんじゃないと言われながらもこっそりと朝早く起きて、マラソンの練習に励んでおります。そこへ四三の朝練とかち合います。そしてその邂逅と四三がオリンピック後の放浪中にベルリンで観た景色、女子が当たり前のようにスポーツをする景色を見て四三は天啓を得るわけですが、ここでシマとの邂逅が繋がるわけです。

そのシマ。今回の話では彼女の「キエーッ!!」というシャウトが聞けます。そうです。四三の持ちネタですね。四三が素っ裸で水浴びをして「キエーッ!!」と叫ぶ。もう「いだてん」の定番です。ところが最近はその四三の「キエーッ!!」の回数が減ってきた。そこで今回はシマが初の「キエーッ!!」。次週の予告編ではシマが何度もシャウトする姿が描かれています。しかも四三は女学校の教師!?

つまり第21回、ここから四三の精神がシマへ受け継がれることを意味するのです。密かな主役交代と言っていいんじゃないでしょうか。日本人初のオリンピアン、金栗四三から女子体育の夜明けを担うシマへのバトンタッチ。私はそういう風に受け取りました。

この点、先のトクヨさんの発言や嘉納先生の発言と被って来ません?つまりそういうことなんです。勝利至上主義やメダルを何個獲ったとかではなく、市井の人々が等しくスポーツを楽しめることこそが本来のスポーツではないかと。金メダル、金メダルと念仏のように唱えていた四三もまたここで鮮やかに開花するのです。

私は芸術というのはすべからく批評の精神が宿っていると思っているんですね。たかが日曜夜の大河ドラマにそんな大層な理屈付けるんじゃないよと言われるかもしれませんが、これはやっぱり芸術なんだと。制作者一同もきっとそういう心意気なんだと私は思います。

ちなみにシマ演じる杉咲花さんは昨年末の「笑ってはいけない」に出演。バス内でのコントでいきなり「ギヤーッ!!」と叫び笑いを起こしていました。「いだてん」でのシャウトはそこから始まったのではと私は勝手に解釈しております(笑)。

Lonely Avenue/Ben Folds and Nick Hornby 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Lonely Avenue』(2010)Ben Folds and Nick Hornby
(ロンリー・アヴェニュー/ベンフォールズ・アンド・ニック・ホーンビィ)

 

ベン・フォールズとニック・ホーンビィによるコラボレーション・アルバム。ニック・ホーンビィという人は英国の著名な作家で、幾つかの作品がハリウッドで映画化されているそうだ。そんなことは全く知らないが、英国人らしい皮肉やユーモアを交えながら素晴らしい詩を紡いでいる。そしてそこに曲を付け、表情を与えるのがロッキン・ピアノ・マン、ベン・フォールズ。とても素晴らしいメロディ・メーカーであり、サウンド・デザイナーである。

その詩の内容はとりわけ特別なテーマを描くのではなく、僕たちの隣人の物語。例えば、大晦日の夜を病気の息子と病院で過ごす母親の心象風景『Picture Window』。副大統領候補の娘と付き合ったばっかりにマスコミの格好の餌食となった青年のため息『Levi Johnston’s Blues』。お互いささやかな幸せを掴みつつも、一向に巡り合えないソウル・メイツを描く『From Above』。どれも人生つまずきながらも、なんとかやりくりしていこうとする人々の日常を切り取ったもので、まるで良質の短編映画を観るよう。

良い悪いの判断も、彼らがどうなったかもとりあえずは横に置いておいて、ただ彼らの動く様子をカメラで追ってゆく。そんな俯瞰的な描写が好い。しかしながら、作者の登場人物に対する愛情は多量である。

彼ら登場人物を更に活き活きと動き回らせるのが才能豊かなピアノ・マン、ベン・フォールズ。ニック・ホーンビィが登場人物を温かく見守る親なら、ベン・フォールズは彼らの肩を叩く友人といったところか。彼らがしっかり歩いてゆけるよう、珠玉のメロディで道を照らしている。

本作で僕が最も好きなのは『Claire’s Ninth』。「もう、最低!」と歌うところは本当にスクール・ガールのよう。この曲の主人公はティーン・ネイジャーだが、曲によっては年老いたミュージシャンであったり、作家であったり老若男女問わず様々。どれも素晴らしいストーリー・テリングと色彩豊かなサウンド・デザインで幅広く奥行き深く楽しむことが出来る。シリアスなストーリーが多かったりもするのだが、あくまでもポップに。そこがまたいい。

日本盤ボーナストラックとして最後に『Picture Window』のポップ・ヴァージョンが収められている。ストリングスとピアノによる本編とは異なるバンド・サウンドだ。歌詞がシリアスな分、ポップなサウンドとの落差にかえって胸が締め付けられる。本編は絶望を幾分和らげるためにストリングスというオブラートを掛けたのかもしれない。

 

Tracklist:
1. A Working Day
2. Picture Window
3. Levi Johnston’s Blues
4. Doc Pomus
5. Your Dogs
6. Practical Amanda
7. Claire’s Ninth
8. Password
9. From Above
10. Saskia Hamilton
11. Belinda
(日本盤ボーナストラック)
12. Picture Window(Pop Version)

THE BARN/佐野元春 感想レビュー

 

『THE BARN』(1998)佐野元春

 

1998年頃の佐野は久方ぶりのテレビ出演やCM出演があったり、かつてない程のマスメディアへの露出があった。デビュー以来のパーマネント・バンドであるThe Heartlandを解散し、新たなメンバー(結成当時はInternational Hobo King Band という長い名前だった)と作り上げた1996年の『FRUITS』アルバムは佐野を知らないリスナーにまで届く可能性のある、非常にポップで明度の高い作品であったし、それを受けたツアーもニュートラルで開放感ある素晴らしいものだった。そして前述のテレビメディアへの露出。その後の新しい聴き手をがっちり確保するいわば勝負の時期に佐野は『THE BARN』というアルバムで挑戦してきたのである。しかしそのアルバムは1984年の『VISITORS』同様、誰もが手放しで喜べるものではなかった。

『THE BARN』は60年代70年代の米国フォーク・ロックへのオマージュである。ザ・バンド、ボブ・ディラン、幾多のウッドストック・サウンドへの憧憬を隠すことなく露わにしている。直接ウッドストックへ赴いてのレコーディング合宿。それは言わばハネムーン期を過ぎたThe Hobo King Bandの面々の共通のバックボーンを辿る旅でもあった。

果たしてそれは成功したか否か。作品としては大成功である。素晴らしい名演の数々。新しいフェーズを感じさせるソングライティング。当時流行のダンス音楽とは一線を画す、アナログで且つキレ味鋭いサウンドはどの曲をとっても生々しい手触りに満ちている。しかし新しい聴き手を獲得する勝負の時期としてそれは的確だったか。残念ながら商業的な成功を収めるに至らず、一般向けには相変わらず佐野元春はよく分からない人というイメージを覆すことは出来なかったように思う。

それは作品が素晴らしいだけに、長らく佐野のファンであった僕には非常にもどかしい感覚だった。しかし。このアルバム20周年にあたる2018年には1万円以上もするアナログ盤をメインにした非常に丁寧なボックス・セットが発売された。このことはこの『THE BARN』アルバムに熱い思いを持つ人達が数多くいたことを証明するトピックではなかったか。確かに当時は不特定多数を巻き込むヒットにはならなかった。しかし、ある特定の人達の心には深く強く響いたのだ。

このアルバムは1984年の『VISITORS』と同じく、佐野のキャリアでは特異点と呼べるような作品だ。歌詞、メロディ、サウンド、どれを取ってもこの時にしか成し得ない表現がパッケージされている。中でも印象深いのは歌詞だ。『THE BARN』アルバムを語る際に真っ先に挙げられるのは、ダウン・トゥ・ジ・アースと言われるいなたいサウンドだが、僕にはそれよりも先ず、リリックが強く響いてきた。佐野は時折目の覚めるようなリリックを書くが、このアルバムでは正にそう。佐野は元々情緒を廃した情景描写を行う作家であるが、ここでは普段より更に乾いた情景が非常に細やかに描かれている。

例えば『7日じゃたりない』。
 「話しかけるたびに不思議な気がする/この体中の血がワインに変わりそうさ/あの子のママが言うことはいつも正しい」

例えば『風の手のひらの上』。
 「身繕いをしながら/仕方がないと彼女は言う/疑わしく囁いて/黒いレースのストールを夜に巻きつける」

例えば『誰も気にしちゃいない』。
 「この辺りじゃ誰も気にしちゃいない/庭を荒らされても何も言えない/君を守る軍隊が欲しい」

それだけで現代詩になるリリックが目白押し。これらが佐野元春節とでもいうような独特の譜割で歌われる。

独特といえばメロディもそうだ。Aメロ、Bメロ、サビ、といった基本フォーマットは無視されている。サビがどこにあるのかよく分からない自由なメロディ。このアルバムの曲の大半は現地で書かれたそうだが、そのオープンな環境に触発されたのか、自由で伸びやかなメロディが横溢している。そこにユニークな言葉の載せ方が加わり、僕たちは言葉とメロディの幸福な関係を見る。

当時、佐野はレイド・バックしたなどと揶揄する向きもあったが、20年経った今聴くとどうだろう。未だに鮮度は失われていない。いや、今でもまだ新しい。それはやはり、その場その時でしか成し得ない衝動に佐野が忠実だった証左。世間に何故今これなんだと言われようが、今はこれなんだという自ら肌で感じる時代感覚が成し得た成果ではないだろうか。『THE BARN』は『VISITORS』と並ぶ異形のアルバムと言って差し支えないだろう。

 

Tracklist:
1. 逃亡アルマジロのテーマ
2. ヤング・フォーエバー
3. 7日じゃたりない
4. マナサス
5. ヘイ・ラ・ラ
6. 風の手のひらの上
7. ドクター
8. どこにでもいる娘
9. 誰も気にしちゃいない
10. ドライブ
11. ロックンロール・ハート
12. ズッキーニ-ホーボーキングの夢

月影

ポエトリー:

『月影』

 

夜の向こう側に降りてくる
柔い光が集まるという
煤けたコンクリートの階段
あの人の歩幅は頼りない

月影を半分こちらに向けて
にじり寄る電球が
チラチラともよおす殺意
誰に向けられたものではない

走り去る人の肩にぶつかって
階段をまっ逆さまに転げ落ち
それでも全体は丸く収まって
何事も無かったように終息していく

まるで古いビデオテープ
訳もなくこんがらがって
中身はいかほどでもない
どうりで汗をかかないわけだ

けれどどうしても落ちていく
落ちていく姿しか見えないんだ
白々として、もう朝になるというのに
そんな自分の姿しか見えないんだ

 

2018年12月

Amnesiac/Radiohead 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Amnesiac』(2001)Radiohead
(アムニージアック/レディオヘッド)

 

今こうやって聴いてみると、さして違和感はない。メロディアスな曲が多いからだろうか。生の楽器がちゃんと聴こえるからだろうか。恐らくもう、2019年に至って、トム・ヨークのブルースに僕たちが追い付いたからだろう。憂いに満ちた世界がデフォルトとして横たわっている。当たり前のこととして暮らしている。そういうことかもしれない。

ブルース。エレクトロニカだったり、ジャズであったり、ストリングスであったり、音の背景は色々あるだろうが、これはもうトム・ヨークのブルースだ。ここに『KID A』の攻撃性はない。ただ地を這って横に広がってゆくのみ。トム・ヨークが憂いている。そういうアルバムだ。

だからはっきり言って、アルバム全体の印象は散漫な感じは否めない。どれもが独立して立っていて全体としてのバランスは考えてられないようだ。それはこのアルバムの背景、あの『KID A』からこぼれ落ちたもの、と考えれば合点がいく。しかし何事もつまり、こぼれ落ちたものにこそ大切なものはあるのだ。

僕はこのアルバムを聴いて嫌な感じはしない(←この表現もおかしな話だが)。ていうか心地よい。アルバム・ジャケットが物語るように『KID A』で剥かれた牙はここにはない。それになんだかんだ言って、トム・ヨークはポップな人だ。でないとあんな服装はしない。

『KID A』~『Amnesiac』期というのはテンションが振り切ったまんまのかなりのストレス状態で作られたわけだが、そうは言っても常に中指を立てていたわけではないだろう。時に憂いが吐き出されることがある。そうやって吐き出されたブルースが綺麗なメロディや豊かな音楽性によって語られる。

たまには地を這うのも悪くない。そうやって僕たちは日々のブルースをやり過ごす。

 

Tracklist:
1. Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box
2. Pyramid Song
3. Pulk/Pull Revolving Doors
4. You And Whose Army?
5. I Might Be Wrong
6. Knives Out
7. Morning Bell/Amnesiac
8. Dollars & Cents
9. Hunting Bears
10. Like Spinning Plates
11. Life In a Glasshouse

竜馬がゆく/司馬遼太郎 感想

ブック・レビュー:

『竜馬がゆく』 司馬遼太郎

 

『竜馬がゆく』を読んだのは大学生の頃。大学の購買で買って読み始めたんだけど、当時は読書の習慣なんて丸っきりなかったからすぐに挫折(笑)。その後何のきっかけで再び読み始めたのかはとっくに忘れたけど、とにかく僕にとっては沢木耕太郎『深夜特急』とともに、読書をするきっかけになった、読書の面白さを知るきっかけとなった思い出深~い小説です。

でやっぱり竜馬さんはスーパーヒーローなんですね。ケンカは強いわ、でも基本は戦わない人で、優しくって愛嬌あるからモテるし、普段は軽いけどいざとなりゃ凄みがあって、頭もバチバチっと回転して誰にも負けないし、ていうか自分も含めなるべく勝者を作らない。そりゃあもう男なら絶対憬れるような要素をこれでもかってぐらいに持っている人で、勿論これは小説だし、司馬さんの創作なんだろうけど、やっぱ生き生きとしているから、生身の人間みたいに思っちゃう。だから幾多の大学生同様、当時僕は京都に住んでいたから、霊山へお墓参りに行ったり、寺田屋へ行ったり、まあ単純なもんですな(笑)。とにかく竜馬、竜馬って憬れたもんです。

ところがですねぇ、これがだんだんと覚めてくるわけです。現実を見始めるというか、余りにもスーパーヒーロー過ぎて、やっぱ遠すぎるんですね。ちょっと違うんじゃないかなって。そこで出会ったのが司馬さんのもう一つの幕末人気作、『燃えよ剣』でございます。

ここに出てくる土方歳三って人が、この人もめっぽう強くてカッコいいんですが、とにかく一途なんです。新鮮組ですから時代と逆行しているんですけど、それでも親友の近藤勇と共に信じる道を突き進む。けどだんだんと追い詰められていく。それでも近藤勇と袂を分かってまで抵抗し続ける。ま、滅びの美学ってんですか。やっぱこれもねぇ、暇を持て余しているバカな大学生にはグッとくるわけですよ(笑)。そこでやっぱオレは竜馬じゃねえ、土方さんだって思い始める。これまた単純な話やね(笑)。

つーことでしばらくは土方のファンになって、そんでもってそっち関係(←幕府側ってことね)の本を読み漁る。例えば池波正太郎の『幕末遊撃隊』。ここに出てくる主人公の伊庭八郎がまた涙ちょちょぎれるぐらいカッコいいんだ。あと北方謙三の『草莽枯れ行く』とか、これもよかったな~。まぁそういう時勢や損得に関係なく、己の信じた道を突き進む男たちに憬れて、その代表として土方さんがいたってことでしょうか。

ま、でもこれも良し悪しでね。盲目的に信じた道を突き進むってのはそりゃ、大学生ぐらいの年代にゃひとつの憧れにもなるんだろうけど、実際にはね、最初の信念に殉じていくってんじゃなく、一時の情緒に燃え上ってしまうってんじゃなく、自分で考えてこれ違うなって思ったらちゃんと軌道修正して、人に変節したなんて言われようと自分の中で理屈の通った考えを持っていくっていうことに当然ながら気持ちは傾いていくわけで、そうなりゃやっぱ竜馬さんなんです(笑)。

確かに表面的なスーパーヒーロー感というか全能感はありますけど、それはそれとしてね、もっと根本のところというか、自分で考えて、皆の意見を尊重して、より良い方向へ向いていくにはどうしたらいいかっていうことを、これでいいってことじゃなく絶えず考えていくっていうのかな。土方さん的に言うと、そんなこと分かってんだ、それでもオレはこっちに行くんだってことになるんだろうけど、それはやっぱりネガティブっていうか自分も含めて皆がしんどくなるし、気持ちいこと言っちゃうけど、やっぱ一人では生きていけないわけだから、誰かがいて自分がいるっていう、そういう当たり前の営みの中であーでもないこーでもないって思い悩んで軌道修正していく方が自然なんじゃないかって。竜馬さんもきっとそっちの人だったんじゃねぇかなって。

だからまた変わるかもしれないけど(笑)、今は竜馬さんみたいにあっちこっちぶつかりながら自分の考えに固執しない、メンツとかプライドなんか放っぽって、素直に「あっそうか」って簡単に心変わり出来るように、そんなんでいれたらいいなって思うのです。

大学の頃に司馬遼太郎の作品に出会って、そっから夢中になって全作品とは言えないまでもかなりの数を読みまくって、中には何回も読み返したのもあったりして、『竜馬がゆく』も文庫本で全8巻もあるのに覚えているだけで3回は読み返してるし、なんだかんだいって僕は竜馬さんが好きなんだろな~と。家族を持って、いい年になって、今もう一度読み返してみたら、また新しい発見があると思うけど、読みたい本が他に山ほどあるからねぇ。いつになることやら(笑)。