兄弟/ビートたけし

詩について:
 
「兄弟/ビートたけし」
 
 
詩を書く時はもちろん作者の個人的体験や見たこと聞いたこと、或いは長年培った思考や物事への捉え方がベースになりますが、それはあくまでもトリガーに過ぎず、詩において作者の喜怒哀楽というのは重視されません。むしろ作者自身の喜怒哀楽から離れることでその言葉は詩になりえるものだと思います。
 
例えば宮沢賢治の詩は賢治の個人的な体験や思想から出たものであるけれど、我々が読んでもとても心に響くものです。これは何故か。賢治の詩は個人の喜怒哀楽にとどまってはいないからです。宮沢賢治は自身の詩のことを‘心象スケッチ’と呼びます。この言葉が全てを表していますよね。だから我々はそこに入り込むことが出来るんです。
 
だから詩は日記とは違うんですね。個人的な体験がそのまま綴られた日記、あるいは個人的な感情がそのまま吐き出された日記に他人が入る余地はありません。せいぜい、あぁ、あなたは嬉しかったんだね、あなたは悲しかったんだねというぐらい。その言葉はその人だけのもので、そこから広がってゆくものではないんです。
 
次に取り上げるのはビートたけしさんの「兄弟」という詩です。たけしさんはお笑いだけじゃなく絵も描きますし文章も書きます。映画監督としては外国で大きな賞を取るほどの名監督ですよね。つまりたけしさんも賢治同様、自身の個人的な体験を他人事のように描けるひとなんです。
 
加えてこの「兄弟」という詩は子供時代の話ですから、もう何十年も前のことを思い出して書いている。つまりこの時点で個人的な体験から距離が十分に取れているんですね。簡潔で大切な部分だけが純化されている。流石のたけしさんも昨日今日の体験ならここまで描けなかったろうと思います。
 
 
 
 
「兄弟」 ビートたけし
 
兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれて行ってくれた
初めて見た外国の映画は何か悲しかった
ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ
兄ちゃんが、後から入ってきた、タバコを吸ってる人達に
殴られて、お金をとられた
帰りのバス代が一人分しかなく
兄ちゃんは僕をバスに押し込もうとした
僕はバスから飛び降りた
兄ちゃんと歩いて帰った
先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた
僕も泣きながら歩いた

粗忽ながら

ポエトリー:
 
「粗忽ながら」
 
 
 
音楽の種類にロックとかヒップホップとかブルースとか色々ありますけど、大きな括りで見ればこれら全てはポップ・ソングということになると思います。つまり大衆音楽ですね。これを文学に置き換えてみると、俳句や短歌は詩に含まれると言えるのではないでしょうか。
 
けれど詩は大衆のものか。これにはいささか疑問符が付きます。俳句や短歌が多くの人に愛されているのに対し、詩は何か僕たちの生活とはかけ離れた存在であるように思います。
 
詩というのは例えば、中原中也や山田かまちのような感受性の強い繊細な人が書くもの、というイメージはないでしょうか。また、ポエムという響きには不思議ちゃんが書くものというどこか馬鹿にしたイメージがあるかも。現代詩はどうでしょう。もうイメージも湧かないくらい遠いものですよね。一部のインテリが勝手にやってる感じ(笑)。まぁそれぐらい遠い存在だと思います。
 
でも詩というのは本来自由なものなんです。多くの人が俳句や短歌を気楽に楽しむようにただ風景を歌うもの、好きな人を想って書くもの、ちょっとした妄想や空想、ユーモアであったりシュールな世界だったり、そんな気楽で何気ないものなんです。
 
僕は詩を読むのも詩を書くのも好きですから、詩も俳句や短歌のように出来るだけ多くの人に親しんでもらいたいし、楽しんでもらいたい。詩はもっと日常に即したものなんだよというのが僕の意見です。勿論芸術足りえるようなエネルギーに溢れた詩もありますが、それは俳句や短歌も同じこと。一行や二行でもいい、教科書の隅に書いた落書きだって詩なんです。
 
てことで以下はこないだの日曜、ママチャリに乗ってる時に浮かんだ僕の空想です。ホント我ながらくだらないなぁと思いますが、なんか文章にするとそれっぽくなってませんか。ん?なってない?ま、本人が楽しけりゃいいんです(笑)。
 
 
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「粗忽ながら」
 
 
 

自転車で 荷物を落とした
振り返ると 人が手招く
自転車を止めると わたしは小さな丸になり
自転車の脇を 跳ねていった

毬になったわたしは 道を右に折れ
迷うことなく 皆の憩いの場 公園へ向かう
サッカーに興ずる子どもらが 毬を蹴り返し
誰に蹴り返したのかと 先を見やれば
手招く人がわたしを拾い上げ 小脇に抱えた

あなたはだれですかと尋ねると
わたしはあなたですと答え
毬のわたしは自転車のカゴへ
二人は仲良くお家へ帰った

家へ着くと 毬はおもちゃ箱
わたしは2階へ上がり 家族と夕飯の支度を始めた
誠に粗忽ながら 自転車から落ちたのは一体何だったのか
わたしは もはやなにがなんだか分からなくなっていた

 

2020年11月

引退試合

その他雑感:
 
「引退試合」
 
 
先日、藤川球児投手の引退試合が行われたんですけど、僕はあれがどうも苦手です。藤川投手は’00年代の強いタイガースの象徴でもあり、僕も好きな選手の一人なんですけど、ああやってこれで最後ですよと笑顔で登場して、バッターがわざと空振りをして、意図的なショーを演出するのはどうしても直視できません。
 
先ず僕にはプロ野球選手というのは僕らの手の届かない特別な存在だという認識があります。150km/hの球を投げる。ホームランを打つ。とてつもない身体能力で届きそうもない打球をキャッチする。鍛え抜かれた体と技術を有したプロの選手が真剣に勝負をするからこそ、僕は感動したり興奮したりするんですね。それが予め決められた予定調和であれば興味はない、筋書きのないドラマだからいいんです。
 
藤川投手はまだ150km/h近い球を投げることが出来る。仮にチームが戦力として考えているならば、引退宣言しようがしまいが1軍で投げればいい。僕たち観る側としては戦力としてマウンドに上がった藤川投手を、あぁ、今日で最後かもしれないな、と心に思いながら観る。それが特別な存在であるプロ野球選手に対するリスペクトではないかと思います。もし残念ながら1軍に上がることが叶わなかったら2軍のマウンドに上がった藤川投手を観に行けばいいし、マウントに上がれなかったならばそれもしょうがない、プロの世界はそういうものなのだから。
 
引退するんだからそれでいいじゃないかとか、ファンが喜んでいるからいいじゃないかという意見もあるかもしれません。でもプロ野球選手は僕らの愛玩の道具ではないのです。あくまでも主体はプロの野球選手同士の真剣勝負であるというところを忘れてはいけないと思う。
 
引退試合に出てきた選手に花を持たせようと故意に空振りをする、故意に打ちごろの球を投げるというのは所謂「忖度」と呼ばれるものです。それはここ数年、政治の分野で何度も耳にした、僕たちが忌避していたものではなかったでしょうか。そんな大層なものではないよと言う人がいれば、それこそプロ野球選手へのリスペクトに欠けるのではないかと思います。
 
故意に空振りをするというのはその投手の価値をおとしめるものです。あの分かってても打てないと言われた火の玉ストレートはなんだったのかと。あの藤川球児が手加減される姿など見たくはありません。
 
プロ野球はファンあってのものです。けれど最も大事な部分は保持しなければならないと思います。

「伊集院光のらじおと(ゲスト:佐野元春)」2020.11.4 感想

その他雑感:
 
「伊集院光のらじおと(ゲスト:佐野元春)」2020.11.4 感想
 
 
 
佐野さんは40周年を機にベスト盤2種をリリースしまして、それに絡めたメディアへの露出がこのところ続いています。ラジオ出演についてはインターネットで後からでも聴けるので、全部ではないがチェックはしているんですけど、今回とくに聴きごたえがあったのが伊集院光さんの番組、『伊集院光とらじおと』での出演でした。
 
冒頭、まだ佐野さんが登場する前、つかみとして伊集院さんが話していたのは佐野元春の歌はカラオケでは歌えないという話。『SOMEDAY』を引き合いに話していたんですけど、これは僕も常々思っていたことなんで目から鱗でした。
 
佐野元春というと初期の頃なんかは特に一音に一語以上を載せたりだとか、英語を混ぜこぜにしたりというところで注目されて、この辺はサザンの桑田さんもそうでしたし、一般的にもそういう言われ方をするんですけど、一番の特徴は独特の譜割にあると僕はずっと思っていたんですね。だからカラオケやなんかで歌うと全然うまく歌えないんです、歌ってて全然楽しくない、だってかっこ悪くなっちゃうんだから(笑)。
 
ところが当然のことながら佐野さんが歌うとべらぼうにかっこいい。これはいつも僕は体内時計って言うんですけど、言葉のメロディへのフックのさせ方が抜群になんです。僕らが歌うとあんなにぎこちなくなる『SOMEDAY』を佐野さんはすごくスムーズに滑らかに歌う。その独特の佐野元春譜割を歌えるのは佐野元春だけという、これを伊集院さんは見事に言葉にしてくれて、さっきも言いましたが言葉数だとか英語だとかそういう話はよく聞くんですけど、佐野さんの譜割の話はメディアで初めて聞いたので、伊集院さん、すごいとこ突いてくるなぁと。ちなみに佐野さんは今もそうだし、この点は宇多田ヒカルさんもそうですよね。
 
佐野さんが登場してからも伊集院さんは面白いことおっしゃっていました。佐野元春は新しいものが好きなのに古いものも好きで、これは非常に珍しいことだと。例えば佐野さんはインターネットを早くからやっていた、ヒップホップ音楽を早くからやっていた。けれど一方でオールディーズと呼ばれる古い音楽が大好きだ。普通、新しいもの好きの人は新しいから好きなのであって、古いものが好きな人もこれは古いから味があるから好きなんだとなる。けれど佐野元春はどっちも好き。つまりは新しいから好きなのではないし、古いから好きなのではないのだと。これは見事でしたね。佐野さんも自身の感性をこういう風に解釈してもらって嬉しそうにしていました。
 
あと音楽の聴かれ方についてですけど、今はプレイリストなんて言って個々人が自由に音楽を聴いている。けれど作者が考えたアルバムの曲順通りに聴いていくとまた違った響きで聴こえてくるんですよという話を伊集院さんは野球が好きですから野球に例えてですね、2番バッターの役割とかを交えながら話していくんですね。それに対する佐野さんの答えもそれはコンセプト・アルバムと言うんだよと。僕は今までもそうしてきたし、これからもそうやってアルバムを作っていくと話されていて。で面白いのはそれでも佐野さんも伊集院さんも今のプレイリストみたいな線ではない点での聴かれ方についても全く否定していなくて、むしろ肯定している部分もある。けれど伊集院さんが言うのは気に入った曲があったらそれが収録されているアルバムを曲順通りに聴いてほしいなと。そうするとまた違った良さが現れますからと。とてもよい話だと思いました。
 
ちなみにこの話をするにあたって、伊集院さんは佐野さんの『コヨーテ、海へ』という曲の話から入って、それが収録されている『COYOTE』アルバムの話に繋げたんですね。まずファンとして嬉しいのは古い作品ではなく比較的新しい『COYOTE』アルバムというのを持ってきてくれたということ。そしてこのアルバムは佐野元春作品の中でも一つの映画となるようにいつも以上に全体のストーリーを意識して作られた作品だったということ。だからこの曲順とかコンセプト・アルバムの話をする例えに『COYOTE』アルバムを持ってくるのは伊集院光、よく分かってるなと(笑)。
 
今回佐野さんが色々なラジオに出演しているのを聴いてると、中には昔の話ばっかりするDJもいるんですね。ま、40周年でそれを記念したベスト盤が出る訳だからそういう話になるのは当然ちゃあ当然なんですけど、実はそれって聴いてる方もあんまり面白くない。ある番組では昔の話とか既存の佐野さんの発言を引き出そうとするDJもいて、だんだんと佐野さんの口数が少なくなって楽しくなさそうだなっていうのもあって(笑)。
 
その点、伊集院さんが番組の最後に話していたのは、伊集院さんも最初はやはり40周年だから昔の話から始めようと思っていたと。けれどちょっと話してみるとこの人はどうも昔の話には興味がない人だなと認識して、そこからは自分が今聞きたいことだけを聞こうとしていったと。実際、いくつか聞いた番組の中でもこの伊集院さんの番組が佐野さん一番楽しそうに笑いながら喋ってたし、だからやっぱ伊集院さんの観察力はすごいなと改めて思いました。
 
最後に聴き方の話でもうひとつ。今はラジオだってインターネットを通じて好きな時に聴ける。けど希望としてはほんのたまにでいいんだけど、リアルタイムで、或いは雑音の中で聴いてもらいたいなと、そんなことを伊集院さんは最後に話していました。つまりライブってことですよね。文字の書き起こしでもなく、インターネットで後から聴くでもなく、話し手が喋っている同じ時間を過ごしながら聴くというのは何かしら意味があるんじゃないか。そこを信じたいっていう。大きく見ればさっきのアルバムの曲順にもつながる話なんだと思います。
 
僕は佐野さんのファンですからついつい佐野さんの言葉に耳が向きがちなんですが、今回ばかりは佐野さんの言葉より伊集院さんの言葉が強く印象に残りました。Eテレ『100de名著』でも凄いコメントするときがありますが、伊集院さんは誰も気づかない王道を突いてくるんですね。誰も気づかないというと横からとか穿った見方とかってなるんだろうけど、そうじゃなく正面から見据えた誰も気づかなかったことを突いてくる。一般論ではなく自身の解釈でど真ん中を突いてくるっていうのは、なかなか出来ることじゃないですよね。これは爆笑問題の太田光さんもそうだと思うんですけど、ご自身の中にぶれないものの見方があるからなんだろうなと思いました。
 
伊集院さんはオレの主戦場はラジオとよく仰ってますが、それも頷ける、テレビで見る時とはまた違う魅力を発見した気もしました。伊集院さんのラジオ、他にも聴いてみようと思います。できればリアルタイムでね。

子供たちのヒーロー

その他雑感:
 
「子供たちのヒーロー」
 
 
 
「鬼滅の刃」が一大ブームとなっている。うちは保育士をしている奥さんが園児たちの影響で先にはまり、僕はそれを「ふ~ん」と横目に眺めていたのだが、先日のテレビ総集編を一緒に観たところ、遂に僕もはまってしまった。
 
僕はまだその総集編とその後に始まったテレビ・シリーズの再放送を観ているだけなので、ほんの序の口しか観ておらず、これからまだまだたくさん楽しめるという特権を持っている。どうだ羨ましいだろう(笑)。職場の同僚がコミックを貸すよと言ってくれたが、僕は借りない。これからテレビ・シリーズを毎週観ながらちびちび楽しむつもりだ。この特権を簡単に手放すものか(笑)。
 
人喰い鬼の話なので結構グロいシーンがある。小さな子供が観て大丈夫かなと思っていたが、そこはあまり気にはされていないようだ。確かに観ていてもさほど印象に残らない。「進撃の巨人」を観たときは気持ち悪くなって観るのをすぐ止めたが、あれとは決定的に何かが違うのだろう。それでも小さな子供たちに悪い影響がかなければいいなとは思う。
 
昨日、会社の帰りにTUTAYAへ寄ったら小さな子供が母親の手を引っ張って「鬼滅の刃」コーナーの前に行き、一生懸命になにかを説明していた。舌足らずの様子がかわいくて仕方がなかった。今朝は今朝でまた別の小さな子が炭治郎の羽織柄マスクをしていた。炭治郎は子供たちのヒーローなんだと思った。
 
主人公の炭治郎は心が清らかで優しい男だ。怖くても一歩踏み出して誰かを助けようとする。やられそうになっても諦めない。最後の最後までどうしたらいいか、どうしたらいいかと考え続ける。週刊少年ジャンプの主人公の伝統としてやたらメンタルが強いというのはあるにせよ、それは悟空やルフィのような天然な強さではない。炭治郎は誰かを守るために自らを奮い立たせていく、そこが魅力なんだと思う。
 
主要登場人物は炭治郎に限らず皆そうした後天的に身に着けたたくましさを持っている。苦境に陥っても「呼吸を整えてよく考えるんだ」と諦めずにベストを尽くそうとする炭治郎。男女関係なく今の子供たちにとって最高のヒーローなんだと思う。

愛の形

ポエトリー:

 

ふと「愛の形」というフレーズが浮かびまして、英語で言うと「Shape of Love」ですね。洋楽にそんなタイトルの曲がありそうだなと検索したんですけど、ありませんでした。邦楽にはありました。懐かしの Every Little Thlng です。あと初めて聞く名前ですけど、DISH っていうグループにもあるようですね。

もっと大きなくくり、「Shape of ~」で見ていくと真っ先に出てくるのがエド・シーランの「Shape of You」。再生回数50億!笑いますね。あとパッと思いつくのはスティングの「Shape of My Heart」。映画「レオン」の主題歌として有名ですね。映画と言えば「Shape of Water」。とても素晴らしい映画でした。

「~の形」、他にも色々ありそうです。つまり目に見えないものにも形があるということ。『聲の形』という映画がありましたけど、声や文字、あるいは手話としての言葉だけじゃなく、体の動き、あるいは心の動きにも形はある。きっとそれは人それぞれが持っている個性にも繋がるものなんだと思います。

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『愛の形』

なんとはなしに 出会っていた
なんとはなしに 話していた
二人は同じ映画をみていた
やがて笑い転げた

僅かなすき間にすべり込む
二人の間にしのびよる
ふれあいのときを大切にしよう
限りある命
愛の形

なんとはなしに 時がたっていた
なんとはなしに かげっていた
疲れていた 虹のような階段は
思いの外 前へは進めずに
君のこと 君のことだけに
いつしかなって なってしまった

僅かなすき間にすべり込む
二人の間ににじりよる
大きな黒い塊が
不確かな命
愛の形
それともこれは何の形?

 眠れぬ夜には
 大きく帆を上げて
 ゆっくりと漕ぎ出そう
 高鳴る胸の荒波を

僅かなすき間にすべり込む
二人の間にしのびよる
ふれあいのときを大切にしよう
限りある命

僅かなすき間にすべり込む
時が経つのもものともせずに
大切な想いをここにとどめよう
命ある限り
愛の形

眠れぬ夜にそっと…
二人の間にそっと…

 

2020年10月

The Ascension / Sufjan Stevens 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Ascension』(2020)Sufjan Stevens
(ジ・アセンション/スフィアン・スティーヴンス)
 
 
前作の評判が良かったので名前は知っていたのですが、ちゃんと聴いたのは映画『君の名前で僕を呼んで』が初めてでした。あの映画はとても美しかったんですけど、とても印象的なシーンで流れていたのがスフィアン・スティーヴンスの曲でした。その後の最新アルバムということで期待をして聴いたんですけど、違いましたね、サウンドが(笑)。このアルバムはかなりエレクトロニカです。
 
調べてみるとスフィアンさんは元々そういう人らしく、アコースティックとエレクトロニカを交互にリリースされているようで、今回はエレクトロニカの番だったようです。ただクレジットを見ているとほぼ全曲で生楽器が使用されているんですね。確かドラムとギターは全ての曲にクレジットされてたんじゃないかな。
 
でも聴いているとそんな感じは受けないです。やっぱ冷えた感じというか硬質感は否めない。恐らくそれはアルバム全体を覆うムードですよね。全体としてのディストピア感がそうさせるんだと思います。最近の映画は詳しくないんですけど昔で言うとリュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』みたいな近未来の監視社会。そこに暮らす青年がそれこそ『フィフス・エレメント』でブルース・ウィリスが住んでいたような小さなアパートで密かに制作をしてできたレコード(記録)。そんなイメージです。
 
だからそれはレジスタンスのレコードですよね。それも社会的な強いメッセージを出しているということではなく、かつての人類は緩やかな連帯の中で人々はそれぞれに必要で必要とされていたんじゃなかったっけ、そんな人類の記憶を掘り起こしている、この閉塞感ってなんなんだって、そんな人間らしさを求めるレコードなんじゃないか、そんな気もしてきます。
 
だからこれ15曲、80分以上もあるんですけど、そんな疲れないですね。ある意味リアリティが希薄だから。夢うつつというか白昼夢みたいな。まぁ実際80分も集中力は持たないですから、半分に分けて聴いたりはしているんですけど、それでもやっぱ聴いてても興奮したり逆に悲しくなったりしない、体温は保たれたまま、という感じですかね。
 
アルバムの最後は『America』という曲で、これ12分30秒ありますからタイトルといい大作感めっちゃありますけど、実際、レビューでよく取り上げられていますね。ただこのアルバムの核はその前のアルバム・タイトル曲『 The Ascension』なんじゃないかなと思います。
 
コーラスの対訳をそのまま載せますと「なのに今、手遅れながらもこの心に突き刺さる/僕はあまりに多くを周りの人たち皆に頼みすぎていたということが/そして今、手遅れながらもこの心に突き刺さる/僕は自分自身の責任を取るべきだということが/昇天の日が訪れたら」。
 
これが非常に抑えたサウンドで独白のように歌われるんですね。まるで教会のなかでひっそりと聴こえてくるかのように。だから贖罪の歌に聴こえます。社会に違和感や閉塞感を感じながらも最後は自分自身でごめんなさいと言わざるを得ない。なんか切ない話になってきましたけど(笑)、これってやっぱりリアルな話ですよ。
 
まぁそんなアルバムではありますけど、基本、スフィアンさんのメロディは美しいですから、そんな暗いアルバムではないですよ(笑)。こういうテーマでもメロディの美しさは消せない、そんなアルバムです。

女性アーティストを応援するゾ!!

その他雑感:
 
女性アーティストを応援するゾ!!
 
 
 
久しぶりに赤い公園を聴いています。やっぱいいですね。曲も演奏も最高なのになんで売れないのか不思議です。『猛烈リトミック』(2016年)は結構行くと思ったんですけどね。そういや赤い公園とほぼ同時期のきのこ帝国も2014年の『フェイクワールドワンダーランド』がそれまでの重い感じから一気にはじけてすごく格好いいアルバム、これでどうだ!って感じだったんですけど、本格的なブレイクには至らなかった。同じく女性陣メインのバンドで言うと、最近は羊文学もいいなぁなんて思ったりしていますけど、どーなるんでしょうねぇ?
 
 
 
 
なんかバンドに限らず邦楽の女性ってなかなか売れてこないです。男性陣は時代に応じて続々と新しい名前が出てきますけど、最近の女性陣だとどうでしょう、あいみょんぐらいじゃないですか。僕が知っているだけで中村佳穂とかカネコアヤノとか他にもすごい人いっぱいいるのにこれはやっぱ残念な状況です。
 
ここ数年、海外では女性アーティストの活躍が目覚ましいですよね。元々そうでしたけど#MeTooで更に火が付いたところがあって、政治的な発言も増えているしそれが作品にも反映している。しかもそれは女性だけじゃないです。サム・スミスとかフランク・オーシャン、彼らは同性愛を公言していますが、評価も高くセールス面でも実績を上げている。
 
BLMもそうですよね。映画『ブラックパンサー』を例に出すまでもなく、いわゆるマイノリティーと言われた人たちがメインストリームで重要な役割を果たしている。翻って日本は女性アーティストの活躍さえままならない。ダイバーシティなんて言葉を最近耳にしますが、こと日本では道遠し。これは僕たちカルチャーを享受する側にとっても大きな損失です。
 
これはメディアの責任も大きかったと思うんです。本来紹介者の役目を果たすべきメディアがインスタントなものしか紹介できなかった。でも逆を言えばこちらがそれを望んでいたからとも言えますよね。残念だけど僕たち日本人は文化に対する要求が異常に低いのかもしれない。個別にみれば日本人でも世界的な芸術家はたくさんいますが、一般的な受け手側の文化に対する優先度はかなり低いのかも、そんな風にも思ってしまいます。
 
でも時代は変わりました。テレビや雑誌といったメディアにかつてほどの影響力はありません。インターネットですよね、みんながそれぞれ個別で情報を収集し分け合う。もしかしたら1体1でコミュケートするラジオも見直されているかもしれません。大資本のメディアが質の高い文化を紹介しきれないのなら、僕たちで発信していけばいい。そういうことなんだと思います。事はそう簡単なことじゃないかもですけど。
 
あとやっぱり一番大きいのは日本は世界有数の男性社会であるということですね。確かに表向きは露骨な女性蔑視はないですけど、逆に言えば深く深く浸透しているということです。
 
例えば結婚している男女って大概は男性の方が収入が多いと思います。これ、当たり前のようになっていますけどなんかおかしいです。これは何も女性の方が劣っているから、ではないですよね。さっき邦楽では男性陣が次々とブレイクしていくけど、女性ではほとんどないって言いましたが、これも女性アーティストが劣っているからではないですよね。
 
やっぱり日本は根深く男が特をする世の中になっているということです。振り返ってみれば子供の頃、生徒会長は当たり前のように男でしたし、出席番号も男からでした。そういう積み重ねが少しずつ蓄積されてきた。知らず知らずのうちに男も女もそういう体にさせられていったんだと思います。多分僕たちは気付いてないけど男の方が圧倒的に楽な人生を歩んできた。無自覚であったとはいえ、それを甘受してきたということは僕たちもそちら側に加担していたということなんだと思います。
 
あれだけの才能が集まった赤い公園がブレイクしなかったというのは重い事実として受け止める必要があるのではないかと思っています。もっともっと日本の女性アーティストはブレイクすべきです。これだけミュージシャンがいるのに、売れてるの男性ばっかで、女性で売れてるのはアイドルだけってなんか変!フェスのヘッドライナーが男ばっかって考えてみりゃおかしいでしょ。
 
ってことで、これからはめちゃくちゃ小さなメディアですけど、このブログでもしっかり女性アーティストを応援していきたいと思います。
 
 
 

赤い公園『NOW ON AIR』

赤い公園『NOW ON AIR』

赤い公園を知ったのは『NOW ON AIR』です。もう6年前になるんですね。久しぶりに聴いたんですけど、相変わらず素晴らしい!ホント素敵な曲です。

下に貼り付けたライブ映像を見てもらえば分かるんですけど、ボーカルの佐藤千明さん、皆の耳目を集める天性のフロント・ウーマンです。残念なことに脱退してしまったんですけど、ホント素晴らしいボーカリストです。

サウンドも抜群にカッコいいです。勢いでバーッということではなく、ちゃんとテクニカルな部分が垣間見える。ベースやドラム、キーボード、それぞれに聴かせどころがあって、演奏を聴いているだけでも幸せな気分になれます。

なかでも印象的なのはギターですね。カッコいいフレーズがたくさん出てきます。ギター・リフって難しいですよね、変に個性出そうしてもダサくなるし、シンプル過ぎても耳に残らない。そこのさじ加減はもうセンスですね、この曲ではそういうシンプルでカッコいいフレーズがたくさん出てきます。2番が終わってラスサビへ向かうところのギター・ソロといったらもうカッコよすぎっ!

この曲を書いてるのはそのギターを弾いている津野米咲さんです。赤い公園全般の曲を書いているソングライターですね。サウンド・デザインも津野さんでしょうか。僕はあまり詳しくないのでその辺りはよく知りませんが、これだけの曲を書く人ですから、大部分でタクトを振るっていたのではないかと想像します。

 

『NOW ON AIR』
(作詞作曲 津野米咲)

日々の泡につまづきやすい
あの頃 毎日のように
ハガキにメッセージ
書き溜めていた

新しいものに流されやすい
この頃 ついうっかり
あなたの事を
忘れかけていた

今も私には
才能も趣味もないから
せめて せめて
Please Don’t Stop The Music Baby!!

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
他愛もないヒットチャートを
めくるめくニュースを
この先もずっと
聴いていたいの

どんな人からも愛されやすい
あの子は 毎日のように
幸せそうな
写真上げている

当の私には
夢も希望も遠いから
どうか どうか
Please Don’t Stop The Music Baby!!

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
ぱっとしないヒットチャートも
重たいニュースも
瞳を閉じて
聞いていられるの

レディオ
居なくならないでね
今夜も東京の街のど真ん中
ひとりぼっちで
NOW ON AIR

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
窮屈なヒットチャートも
悪くないけど

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
異論のないグッドチョイスな
いなたいビートを
いつもありがと
この先もずっと

二人の電波
たぐり寄せて

 

やっぱり僕たちには音楽が必要です。音楽には僕たちの傷んだ心をそっと押し上げる力がある。今、この曲を聴いて改めてそう思いました。

この素晴らしい歌詞を歌う最高の声と最高の演奏を多くの人に聴いてもらいたいです。なんてことない日々を過ごす私たちをそっと癒し、やさしく鼓舞する。ゴキゲンなビートで明日を肯定する素晴らしい曲です。

コロナ禍にあって大変な日々が続きます。もう誰もいなくなってしまわぬように、ひとりぼっちの部屋にこの歌が届けばいいなと切に願います。