ポエトリー:
「水色の分母の上に緑色を乗せて」
クソ暑い真夏の朝でさえさわやかに
すいすいとすべる自然の動力をそなえ
普通にいいひとを紹介するノリ
まるで意味がわからない
水色の分母に緑色を乗せたみたい
特に集中力なんていらないみたいにすいすいと
だからその普通にいいひとを紹介するノリ
マジで意味がわからない
水面をすべる木の葉のように
くるっと回ってあんたそのうち
派手に事故っても知らないからね
2023年5月
ポエトリー:
「水色の分母の上に緑色を乗せて」
クソ暑い真夏の朝でさえさわやかに
すいすいとすべる自然の動力をそなえ
普通にいいひとを紹介するノリ
まるで意味がわからない
水色の分母に緑色を乗せたみたい
特に集中力なんていらないみたいにすいすいと
だからその普通にいいひとを紹介するノリ
マジで意味がわからない
水面をすべる木の葉のように
くるっと回ってあんたそのうち
派手に事故っても知らないからね
2023年5月
洋楽レビュー:
『In the End It Always Does』(2023年)The Jananese House
(イン・ジ・エンド・イット・オールウェイズ・ダズ/ザ・ジャパニーズ・ハウス)
英国の女性シンガーソングライター、アンバー・ベインによるプロジェクト。デビュー作から4年ぶりの2ndアルバムです。僕は2019年にリリースされたシングル『Something HasTo Change』で彼女を知った口です。この曲はほんと大好きで何度も何度も聴いたので、今回のアルバムは凄く期待していました。ちなみに『Something HasTo Change』が納められた4曲入りのEP盤『Chewing Cotton Wool』もジャスティン・ヴァーノン参加曲があったりしてなかなかよいです。
でこのアルバム、オープニング曲の『Spot Dog』からイイ感じです。と言ってもこの曲は大半がピアノのインストですけど、この短い曲にジャパニーズ・ハウスらしさがしっかりと出ていると思います。風合いとしてはアコースティックでアナログなサウンドにエレクトリカルな部分が混ざってくるんですけど、最大の特徴は穏やかな口調ながら心の奥に熱を秘めている部分が見え隠れする点です。淡々と演奏されてはいるんだけど焦点が明確に定まっている、そんなタイプの曲なんだと思います。余談ですが、リリックの「I think I know you best」っていう部分が「行~かな~いで~」って聴こえます。空耳的なもんだと思いますけど、なんかイイ感じです。
製作には同じレーベルのThe 1975 からダニエルとマット・ヒーリーが参加しています。なのでそれっぽい要素もあったりはしますが、他にも多くの協力者が名前を連ねていますので、特にどうということではないです。むしろ彼女の紡ぐメロディと声とサウンドは他にはない独特の雰囲気があるので、誰がどう関わろうとザ・ジャパニーズ・ハウスという根幹は変わらないのだと思います。
あと彼女の場合はリリックも重要ですね。自身も同性愛者でもあるというところでの恋愛体験を素直に表現しています。英国は日本とは違い社会の理解も進んでいるとは思いますが、まだまだ偏見はあると思います。けれどもこうして表現していく姿勢というのは、同じくそうである人にもそうでない人にもきっと良い影響を与えるもの。アートの役割とも言えます。そこに正面を向いて歩いていくアンバー・ベイン、とても強い意志を感じるソングライターです。
ライブ・レビュー:
カネコアヤノ 野音ワンマンショー 2023 in 大阪城野外音楽堂 2023年7月23日
念願のカネコアヤノのライブに行きました。場所は大阪城野外音楽堂。木に囲まれ空は高く、最高のロケーションでした。木に囲まれているから蝉がずっと鳴いていて、カネコアヤノとバンドがエモーショナルにガーッて演奏し、曲が終わってもしーんとならず蝉はずっと鳴いてる。なんか生き物がいる感じがとても良かったです。そんな環境的な印象も含め初カネコ、とても記憶に残るものとなりました。
初めて生で聴きましたが、バンド、素晴らしかったです。技術的にどうこうというのは分かりませんが、わたしたちはこういう音楽をしたいんだという意思が明確にあって、皆が同じ方向を向いている。その上で、曲に合わせて色々な表情を出せる素晴らしいバンドだと思います。あとオリジナルをそのまま再現するのではなく、もっとダイナミックにもっと幅の広いアレンジでいろいろやっちゃうところも、あぁバンドっていいなぁと。久しぶりにバンドらしさを体現している人たちに出会えたような気がします。
今年になってかな、ドラムとベースが変わりましたけど、そういうことは全く感じませんでしたし、むしろ今、カネコアヤノとバンドは表現のピークを迎えているんじゃないか、そんな風にも思いました。つまり、新しい曲も今までの曲もすべてが旬な感じがして、デビューしてここまでやって来た初期の集大成をガッとやるみたいな、少し矛盾した言い方になりますけど、ここで一区切りというか来るとこまで来ちゃった、それぐらいのピーク感を感じました。
そしてそれはカネコアヤノのボーカルも同じで、大声でグワーッと歌うスタイルもここに来て最高潮を迎えつつあるんじゃないかって。今後も歌い方自体は変わらないのかもしれませんけど、今のこの年齢だから出せるバカみたいにでかい声と、度重なるライブで鍛えられた表現力が交錯して今は凄いことになっている。これを大阪城野外音楽堂の開放的な空間で聴けたというのはホントに素晴らしい体験でした。
ライブにはエモーショナルな瞬間が幾度も訪れました。そのクライマックスは最後の『わたしたちへ』。どんな辛いことがあっても、泣きながらでも目をつむりながらでも両手で闇を押しのけようとする、そんな魂の発光、命の強さというものがあの轟音の中にあったように思います。会場にはどのぐらいの人いたのか分かりませんが、カネコアヤノの音楽を心の底から必要としている人が沢山いたのだろうと。そんな人たちに、いや、そうじゃない人たちにもきっと何か届いた、バンドの轟音やカネコの叫びが大多数ではなく観客ひとりひとりに向かう素晴らしいライブだったと思います。カネコアヤノが大好きな人も、あまりよく知らなかった人も何か感じるものがあったのではないでしょうか。
それにしても『アーケード』での盛り上がりはすごかったですね。割とシリアスな曲が多い中で、このロック一直線の曲が始まった時のみんなの爆発力は凄かったです。あと僕自身はなんの曲か忘れましたが、聴いてる途中に高い空を見上げ、そういやオレは子供の頃に何になりたかったんだっけ、そんな風に思う瞬間がありました。カネコアヤノの歌声にはそういう気持ちにさせる何かがあったのだと思います。
開演前のBGMではベックの『ルーザー』がかかってて、終演後にはレディオヘッドの『クリープ』がかかってました。この日僕はレディオヘッドTシャツを着ていまして(笑)、なおのこと余韻の中で聴く『クリープ』は本当にいい感じで最高でした。
ポエトリー:
「レビュアー」
カメラが向こう側をむいたから
関係ないことを言うことにする
レビュアーはあること無いこと言いつらね
早くも帰り支度
お前さんが額に入れたのは正解さ
早くも値が下がり始めているがね
結果的にさまよう方を採る
それが我らの性分さ
前面にしつらえられたカメラは反転し
否応なくテキストを映しだす
お前とは面と向かって話をしたくない
そこにはそんなことが書かれてあった
2023年3月
ポエトリー:
「珍しいもの見るようにジロジロと」
冷たい顔がそばに来たから目覚めるの
新しいことしなくちゃってあおるくせに
珍しいものを見るように
ひとの生態ジロジロと
迂闊に思ったこと言えやしないから
わたしは黙って離れる
いみじくも声の隙間に入り込む空気の層
うさんくさくて聞けやしない
心配そうに
見捨てたりしないって言ったって
わたしは一言も見捨てたりしないでって言ってない
冷たい顔でそばに寄られるぐらいなら
珍しいままでよいのだと
眉間に皺を寄せ
誰も近寄るな
かまうことなかれ
今のわたしは誰もいらない
2023年6月
邦楽レビュー:
『タオルケットは穏やかな』(2023年)カネコアヤノ
下北沢にある書店、日記屋月日 には物珍しい本、その名の通り書籍化された日記が置いてあるそうで、僕が詩を好きなのを知っている友人が東京土産にそこで購入した日記をプレゼントしてくれました。リトルプレスの『犬まみれは春の季語』という本です。著者は柴沼千晴という方で、日記屋月日で行われていたワークショップ、「日記をつける三ヶ月」でつけていた2022年1月1日から2022年3月27日までの日記をまとめたものだそうです。
正直、他人の日記なんて興味ないよと渋々読み始めたのですが、これが思っていたのとは全然違って散文のような、時には詩のような。しっかりとした観察眼で書かれていて日記という形式であっても場合によってはこうやって作品足りえるのだなぁとまた新しい発見がありました。
結局、詩にしても日記にしてもそれを作品と称するからにはある程度自分からは切り離して、ただ何よりも個人の思いが大事なのでそこのところは難しいのだけど、自分の心にうずくまったり時にはこぼれそうなものを精一杯書いても、見えるところは作者本人ではなく他者の共感を得る方向へ向かうというのが大事で、でもそういうのは意図的にどうこうできるものではないと知りつつ、けど何がしらの自覚があってこそなんだと思います。そこのところがとても大きく他者への共感に向かうのがカネコアヤノの音楽ではないでしょうか。
さぁこれから、というところでコロナ禍にまみえたカネコアヤノですけど、負けじと無観客ライブだのなんだとできうる限りの活動を続けて、元々アルバム出す毎に脱皮していくような印象はありましたけどコロナ禍を経ての今回のアルバムでは更に太くたくましくなった印象を受けました。
あとカネコアヤノは心象風景を歌う作家だと僕は思っているのですが、前作の『よすが』ではそれも部屋の風景に落とし込まれている印象がありました。それが今回は外に向かった解放感というのが復活しているような気はして、例えばタイトル曲の『タオルケットは穏やかな』での「家々の窓には~」っていうのはもう完全に外の景色、昼か夜かは人それぞれの受け取り方だと思いますけど、とにかくそこには空があって風が吹いてというところまで想像できる、しかも迷っているけど「シャツの襟は立ったまま」という。すべてではないですけど、歌ひとつひとつが外で鳴っていて、今歌の主人公は外にいるんだという感じはすごくします。
あと太くたくましくというところで言うと、今回もバンドがすごくいいです。同じメンバーでもう何作目になるのかは知りませんけど、一緒にアルバム作って一緒にライブしてっていうのをずっと続けてきた中で、お互いの理解が更に進んでいるような気はします。特に目新しいことはしていないと思うのですけど、ごく自然なやり取りの中で歌に合わせてちゃんと曲の表情が変わっていって、何よりバンドの演奏だったりカネコの歌であったりというところで全く継ぎ目がなく聴こえてくるところがとても素晴らしいです。
『よすが』があって、窮屈な中で活動を続け、今作の1曲目『わたしたちへ』でギターが思いっきりかき鳴らされるオープニングというのはやっぱグッと来ます。単純にソングライティングの練度もどんどん上がっているし、もちろんその時々のアルバムでの良さはありますが、災厄を経てまた一段、音楽家として大きくなったんだと思います。
ところで、日記『犬まみれは春の季語』でもカネコアヤノへの言及が沢山出てきます。好きなものが横に広がっていく感じが嬉しいです。
洋楽レビュー:
『Council Skies』(2023年)Noel Gallagher’s High Flying Birds
(カウンシル・スカイズ/ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ)
ノエルのソロもこれで4枚目。と言っても前作が2017年だから随分と久しぶり。アルバムとしては間が空いたものの、ワーカーホリックのノエル兄さんのことですから、もちろん何もしていなかったわけではなく単発でポンポンと新曲は発表しておりまして、なのでこちらとしてもそれほど間隔が空いた感はないです。
前作は思い切ったサウンドで僕は結構好きだったんですけど、今回はサウンド的なチャレンジは一切なし。曲を聴かせるためのアルバム作りに徹しています。ということでノエル兄さんの最大の魅力であるソングライティングに思いっきり焦点を当てた作品になっています。全部で10曲と少ないですけど、流石にいい曲ばかり。書き溜めてた分なのか近年に書いたものなのかは分からないですけど、これまでにも100曲以上を書いて、もう50才を幾つか越えているのに、未だこんな引き出し持ってるんだからやっぱこの人はソングライティングの化け物ですね(笑)。
ただこうなるとですよ、やっぱあの人の声でこのグッドメロディを聴きたくなるというのが人情でしょう(笑)。結構ファルセットもあって難しい曲も多そうですけど、オアシス晩年のではなく、今の絶好調リアムさんなら歌えんじゃないのかなと。ノエル兄さんの歌も味があっていいんですけどね、やっぱこの人のボーカルは突き抜けた魅力は希薄なんで(笑)、そこを前作みたいにサウンドや曲編成なんかで面白い事やってくれると、これがノエル兄さんのやりたいことかぁと楽しく聴けるんですけど、こうも歌に振り切っちゃうとリアムさんの声が頭をもたげてしまいます。。。
前作みたいな変わったことやってると、旧来のファンからは嫌がられるし、かと言って普通にいい歌を書くとリアムの声で聴きたいと言われるし、ノエル兄さんもなかなかハンドリングが難しいとこですね。ただ、アルバム自体はすごくいいですよ。曲はオアシス後期からソロ作含めてもかなりトップクラスの出来栄えだと思います。だからこそ頭の中で簡単にリアムさんの声に変換できちゃうっていう微妙な感じはありますが。。。#6『Easy Now』なんてまんまやん(笑)。
『今、何処TOUR 2023』 佐野元春 & THE COYOTE BAND
(大阪フェスティバルホール 2023年7月2日)
先行でチケットを取ったのだが、2階のバルコニー席となった。今回はアルバムが好評ということもあり、早くから席が埋まっていたのかもしれない。バルコニー席は初めてだったが意外と眺めは悪くない。ここ何年かの佐野のコンサートでは観客の高齢化もあり、2階以上はほとんど立たないのだが、幸運にもバルコニー席の一番外側の席だったので、今回は遠慮せずに立つことが出来た。ある意味ラッキー。若い子の姿も少しだけ見ることが出来て嬉しい。
ステージは18:00の定刻ちょうど、アルバムと同じくSEからの『さよならメランコリア』で始まった。佐野はじめ、コヨーテ・バンドの出で立ちは黒のスーツに白のシャツというスタイルで統一している。『さよならメランコリア』の聴きどころは沢山あるが、最後にぶっ叩く小松シゲルのドラムもその一つ。生で聴くと尚のこと迫力がある。近頃のコヨーテ・バンドは小松のドラムが随分と目立つようになってきた。コンサートの後半で演奏された『純恋 (すみれ)』や『優しい闇』のアウトロもそうだし、アンコールで演奏した『約束の橋』もそう。僕は小松のドラムが腹に響くくらいもっと音量を上げてもらいたいと思った。
曲は『銀の月』へ続く。アルバム屈指のロック・ナンバーだが、この曲は間接的なリリックのどちらかと言うと自分とは距離のある曲と認識していた。特にフックの「そのシナリオは悲観的すぎるよ」というラインは社会的な一般論として受け止めているところがあった。しかし冒頭から僕は胸が詰まってしまった。間接的だと思っていた言葉が不意に僕個人に突き刺さってきたからだ。他人事ではなくこれは僕の歌じゃないか、そう体が反応した瞬間、僕は泣き出しそうになった。そして同じことがコンサートの中盤で演奏された『エンタテイメント!』でも起きた。普段は奥に押し込まれていたものがこの曲がきっかけで露わになったような感覚。まさかこの2曲が僕のそんな内側を突いてくるとは思わなかった。
『今、何処』アルバムを曲順通りにすべて演奏するのかなとも思ったが、アルバム前半を終えたところで、『エンタテイメント!』、『新天地』ともう一つの新作アルバムへと続いた。今回の演出で印象的だったのは、ステージ後方のスクリーンに歌詞の一部が表示されていたこと。歌詞のすべてではないが一部分がリリック・ビデオのように大きく表示されていく。コンサートで初めて聴いた『詩人の恋』は歌詞が縦書きで全て表示されていた。ただ大掛かりなサウンドは無い方がいいと思った。この曲は淡々と奏でられる方が浮かび上がるものが多い気がする。
『詩人の恋』の後はアルバム『今、何処』に戻り、アルバム後半の曲が演奏された。『水のように』でもドラムが躍動し、その勢いで『大人のくせに』へつながった。ギターがギャンギャン聴けて最高だ。アルバムの性質上、今回のステージではギターが前面にということではなかったが、コヨーテ・バンドのギター・サウンドは流石にカッコいい。アルバムの実質ラスト、『明日の誓い』から『優しい闇』へ続き、本編は締めくくられた。
本編は当然のように、コヨーテ・バンドとの曲のみで構成されたが、アンコールでは昔の曲が演奏された。僕はいつも昔の曲になるとやたら盛り上がる古くからのファンがどうも苦手だったのだが、今回はそれを感じなかった。むしろ微笑ましい光景としてみることが出来た。勿論それは本編が近年の曲だけで構成された最新形の佐野元春という前提があったからだと思うが、古くからのファンと思しき人たちが笑顔でいる様子を見ていると、なんかそれもありなんじゃないかって思った。
つまりそれはただ単に懐かしいというのとはちょっと違うのかもしれないということ。あの頃はあの頃として、今自分はここにいる。そしていろいろあってうまくいかないことの方が多かったけど何とかここまで生きてきた、そんな自分へのちょっとした祝福。年に一回あるかないかのコンサートでそんな気分になるのもいいじゃないかと。
僕はこの日、『銀の月』や『エンタテインメント!』が思いがけず今の自分に突き刺さった。それは過去の自分ではなく、懐かしいあの頃でもなく、今の自分の状況に刺さったということ。恐らくはそれと似たような物だと思う。少しルートは違うけど、どちらも日常生活ではかえりみることがない自分のある部分がコンサートという特別な夜に露わになったということ。『冬の雑踏』では「あの人はどこにいるんだろう」と歌われるけれど、「あの人」だけではなく自分自身の立ち位置をも確かめる、長く愛しているアーティストのコンサートに行くということは、そんな意味もあるのかもしれない。
繰り返し言うが、それも本編が今の佐野に溢れていたからである。そして最後のアンコールでおまけのようにあの頃から今を生きた自分を祝福する。あの頃は良かったではなく、今の自分を。2階席の古くからのファンが急に立ち上がり笑顔で『アンジェリーナ』を歌う姿を見て、僕も素直に笑顔になれた。みんな自分の’今、何処’を確認しているのだ。
洋楽レビュー:
『My Soft Machine』(2023年)Arlo Parks
(マイ・ソフト・マシーン/アーロ・パークス)
2021年のデビュー・アルバムでいきなりブレイクした英国のシンガーの2nd。僕も割と好きですが、正直どこがどういいっていうのはなかなか難しい人ですね。一言で言うと雰囲気がいいということになるのかもしれませんね。あいまいな言い方ですが。
それとこれは恐らくですが、歌詞がやっぱり共感を集めるそれなのだと思います。僕はそこまで英語を理解できませんが、彼女はセクシャルマイノリティでもあるし、そこのところの言及も勿論あるのですが、ただそういった部分が強めに出てくるということではなく、ごく普通の20代前半の女性の等身大の悩みと直結するような表現に落とし込んでいるというところがね、元々詩を読むのも書くのも好きだという傾向もあるせいか、自身のことを書いていても俯瞰でみんなの物語として書けるっていう、ここは自覚的にそうなのかどうかは知りませんが、そういう才能はあるのだと思います。
あとやっぱり雰囲気がいいと言いましたが、聴いててすごく心地いいですね。彼女の声、なんて表現したらいいのか分かりませんが、単に愛らしいということではなく、やっぱりここも自分自身を前面にということではなく、何かフワフワとした実存の無さというか、つまり優しさというか、私の歌を聴いてよではなく、この歌を必要な人に向かって歌うという感じはあります。
今回は時流に沿ってかロックな表現も多いです。特徴的なのは#3『Devotion』ですね。ベースが引っ張っていって間奏でギターをギュイーンと鳴らすみたいな。全体としてはプログラミングによるサウンドだと思うのですが、この曲とかもそうですし、バンドで音を出しているのも何曲かありそうですね。#7『Pegasus』ではフィービー・ブリジャーズも参加してますし、ロック方面への接近は感じますね。ただこの辺はその時々の傾向によるのだと思いますし、全体としての印象は前作とさほど乖離するほどではないです。
ところで歌詞は本人なんでしょうけど、曲はどうなんでしょう。ここのところがちょっと分かりませんね。曲も彼女が手掛けているとしたら、これは相当なものだと思います。
ポエトリー:
「野末」
朝方に見た君の声が
夕方、野末の向こうに落ちていた
君がここを通ったわけでもなかろうに