邦楽レビュー:
中村佳穂の言葉~例えば「LINDY」
「ハッときて ピンときたんだLINDY」。これだけじゃ何のことだか分からないですよね。これ、中村佳穂さんの『LINDY』の冒頭の言葉です。
以前カネコアヤノさんの『布と皮膚』のリリックに言及した時にも書いたんですけど、言葉というのは予め意味を持っているんですね。その予め意味を持った言葉を解体して新たなイメージを構築しようとする、それが詩人の仕事だとすれば、この『LINDY』の歌詞は正にそれを象徴するような歌詞だと思います。
それと中村佳穂さんの曲に顕著なのが韻ですね。それも理知的に捉えたライミングというより曲の流れのなかで、曲を口ずさむなかで発せられた動的なライミング。例えば『LINDY』。分かりやすいところでは、
ON AND ON ドキドキ
ON AND ON トキメキ
となえるのさ
応援をあげる
「ドキドキ」と「トキメキ」もそうですけど「ON AND ON」と「応援を」ですねここは。ちょっと私の説明、野暮ですか(笑)。ただ前半はそんなゆったりとした韻なんですがリズムが忙しくなる後半に入ると、
パッと見て不意に気づくさLINDY
おどけたふりして 結び直してゆく
と、この短いリリックの間でもそこらじゅうで韻が踏まれいて、「不意に」の「意」と「に」が「リンディ」の「リ」と「ィ」に。「おどけたふりして」の「ふり」が前段の「不意」と、プラス「ふり」は「リンディ」の「リ」、次の「結び」は発音も「結びぃ」となり前段の「リンディ」と掛かります。
まぁそこらじゅうで跳ねるようにアクセントが置かれていくんですけど、この一連のメロディを一気に聴くとですね、やはり言葉とメロディは一体なんだなと。そしてそうなることで冒頭の話じゃないですけど、新たな意味が構築されてゆくのが聴いているこちらも体で理解するんですね。これはやっぱり理屈じゃありません(笑)。
そう考えると中村さんはやはり詩人なんですね。意味を追いかけていかない、何百年も昔からあって既に意味を持っている日本語を駆使して自ら意味を授けようとしている。恐らくそれは意識してというより、もうそういうもんなんだという自覚があるからだと思います。
何故なら中村佳穂が捉えたポエジーは大げさな言いようですが、その場その時人類が初めて経験するポエジーなわけですから(それは僕やあなたのポエジーもそうです)、それを表す言葉というのはまだこの世に存在しないんです。それをたまたま自分が持っていたのが日本語であるならそれを利用して表現をするんだと。それが「ハッときて ピンときたんだLINDY」という言葉になるのだと思います。
あと言葉の解体と言えば、この曲では中盤にどっかの地方の掛け声のような、これも日本語を解体して新たなイメージを構築するという典型的な部分ですけど、その新しくイメージされた掛け声言葉が明けてのドンッと中村佳穂さんの歌い出しがあって、それは「全部あげる」という解放が始まるところですが、この「全部あげる」には深いエコーがかかってですね、佳穂さんの声は微妙にビブラートするんですがそれもあって、「全部あげる」が「ぜ え ん ぶ う あ げ え る」と解体されて聴こえてくるんです。もう言葉自体が解体されてしまっているんですね。
つまりここではもう give you :あげるという意味は解体されているんですね。勿論そういう意味はまだ含まれていますけど、そこを越えたコズミックなイメージが聴き手それぞれにもたらされる。歌い手が捉えたポエジーと同じ空間が手渡されるわけです。個別の意味とかは越えた感覚的なイメージですよね。だからもうこの部分は聴いていて本当に鳥肌が立つところでもあります。
詩人の茨木のり子さんが仰っていたのは、よい詩というのは最後に離陸する詩なんだと。そういう意味ではこの「全部あげる」という部分は見事に離陸しまくってます(笑)。そこまでも本当に素晴らしいんですけど、それがまるで助走のようにここで一気に飛翔するんです。
この曲は現時点の中村佳穂さんの最新曲になるのかな。その前のアルバム『AINOU』(2018年)も本当に素晴らしいので興味を持たれた方は是非手にとっていただければなと。動的なというものに限らず理知的で素晴らしい歌詞も沢山ありますので、頭と身体と同時に響いてくると思います。