Month: 5月 2024
Bright Future / Adrianne Lenker 感想レビュー
あめのどようび
ポエトリー:
「あめのどようび」
ぼくがひとりでいたいとき
きみがあらわれてももんくはいわないよ
せっかくのどようびなのに
あめがじゃじゃぶりで
でかけるきがおきないわけさ
ずっとそのころ
きみはびょういんのまちあいしつで
そのむこうでもあめがじゃじゃぶりで
それどころじゃないじゃないか
せっかくのどようび
ぼくはひとりでいるようなきぶんで
とはいかないわけさ
そのうちとびらをのっくしないきみがあらわれて
とたんにはなしをはじめるから
ぼくがひとりでいたいとき
きみがあらわれてももんくはいわないよ
ぼくがなにかをしていても
きみはきゅうにはなしをはじめるし
そのうちそふぁーでちいさながめんをながめるし
でもかってだなんていわないよ
それでいいから
そのままでかまわないから
ぼくがひとりでいたいときなんて
じつはありはしないから
ぼくがひとりでいたいとき
きみがあらわれてももんくはいわないよ
どのみちきょうはあめがじゃじゃぶりで
なにもおきるわけないからさ
まどのそとは
きょうはあめがじゃじゃぶりで
いつもはじゃまなこだちたちもみえやしない
だったらせめてながしておくれ
いっさいがっさいながしておくれ
2024年3月
OTODAMA’22~音泉魂~ 2024年5月5日 感想
Your Favorite Things / 柴田聡子 感想レビュー
邦楽レビュー:
『Your Favorite Things』(2024年)柴田聡子
僕は歌詞と一般的な詩は分けて考えるようにしている。あまり文字として書かれた詩を読む人はいないだろうから、そこまで気にしている人はいないと思うけど、歌詞というのは、あくまでもメロディやバンドの演奏、ボーカリストの声を前提にした言葉であって、音楽家が表現しようとする音楽の構成要素のひとつという見方もできる。
なので、本来であれば言葉数多くを要さないと表現仕切れないところも、声や演奏が代わりに表現してくれたり、あるいはネガティブな歌詞であっても音楽全体としてポジティブに響かせることだってできる。歌詞だけを抜き取って楽しむことも勿論できるけど、それはそういう楽しみ方もできるということであって、音楽家が本来表現しようとしているところから少し外れた、言ってみればスピンオフみたいなもんだ思う。
ただ柴田聡子という人は歌詞だけでも成立するように、それだけ抜き取って読んでもらってよいように、あらかじめそういうものとして言葉を選んでいっているような気がする。ていうか彼女はそれこそ音楽とは離れた文字だけの詩集も出しているし、そこでも勝負できる人。ただ、ということを踏まえても、音楽と同時に発せられた言葉の切れ味にはもう手も足も出ない。完全に言葉と音楽の関係に自覚的な人が、音楽無しの言葉でも勝負できるレベルの言葉を紡ぎ、その上で音楽としてこれ以上もないほど言葉を機能させている。僕はもう#6『Kizaki Lake』を聴いいて参ってしまった。
僕は前作から聴き始めた口ではあるけど、前作とはかなり印象が違う。多分今までもアルバム毎に作風を変えているのだと想像する。ていうか今作はウィスパーボイスやん。ていうことではあるんだけど、これは多分かなりやり切った感があるのではないか、ていうぐらいの傑作だと思います。ついでに言うと、共同プロデュースとしてあの岡田拓郎の名前がクレジットされているけれど、岡田色というのはあまりというか、ほぼ感じない。それぐらい柴田聡子として屹立している。
今朝のこと
ポエトリー:
「今朝のこと」
誰かからの誘いがあってないようなことで
耳が赤くなる
昔からひとがいないところで咳をするのがクセだった
風が運ぶ音階を見ず知らずのひとに紹介する
そんなひとになりたかった
まさかが狭い部屋で衝突する
今朝は6時頃にそれが起きて目を覚ました
それは思い当たるふしがあるような完成が近いプラモ
ドキドキしていた
もうじき
風と風が向き合うところでこだまする
本当のことを知りたがるわりに地面に手をつこうとしない
そのくせ
ひとからの誘いで心あたたまる
だけど今朝は呼吸が短い
とりあえず今日は
言外で凍らせる人
そんなひとになりつつあった
2024年4月