Only God Was Above Us / Vampire Weekend 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Only God Was Above Us』(2024年)Vampire Weekend
(オンリー・ゴッド・ワズ・アバブ・アス/ヴァンパイア・ウィークエンド)
 
 
2010年代はロック不遇の時代と言われながらも、幾つかいいバンドはいた。中でもUSインディーなどと呼ばれた一群の評価は高くそれなりのポジションを得ていたのだけど、現在も引き続き活躍しているバンドと言えば、今やヴァンパイア・ウィークエンドぐらいしか思い浮かばなくなってしまった。やはり2010年代はロック不遇の時代だったのだ。
 
ロックのくせに地味なこれらの中にあって、エズラ・クーニグが甲高い声で歌うヴァンパイア・ウィークエンドはひたすら陽気だった。陽気と言ってもひと際知的な集団でもある彼らは、そこにアフリカ文化や米国文化の歴史を挟み込みながら、他のバンドではやり得ない角度で社会を写し取ろうとしていた。教養のある彼ららしい幾分皮肉めいたやり方で。
 
そんな印象が少し変わってきたのは2019年のアルバム『Father of the Bride』だった。斜に構えた印象は遠のき、分かる人にだけ分かればいいという態度も消え、開けっぴろげに大衆へ向けてよき歌を歌おうと心がける彼らがいた。
 
5年ぶりにリリースされたアルバムも相変わらずのヴァンパイア・ウィークエンド節が炸裂している。今までよりピアノとオーケストラがグッと前に出ている印象だ。前作から主要ソングライターのロスタム・バトマングリが抜けたけど、なんのことはない、彼ららしいユーモアと本気の混ざり具合はそのままに、このバンドでしか聴けないメロディとサウンド、そして今も変わらないエズラの大学生みたいな声が響き渡る。
 
いきなり’Fack the world’という歌詞で始まり、ロシアだのアメリカ軍だの戦争だのといったフレーズが散見されるが、アルバム制作は2020年以前だそうだ。にもかかわらず、9曲目『Pravda』で’Pravda’はロシア語で’真実’と歌ってしまっている不思議。当時の嗅覚がそう言わせたのだろうか。彼らはやはり単に目の前の憂鬱を歌う音楽家ではない。一言で言えばヒューマニズム。そこに力点が置かれているバンドだと思う。
 
残念ながら僕は彼らのライブを見たことがない。2019年のアルバム後はフジロックに来たけど、単独で来日したことはあるのだろうか。それぐらいライブをしているイメージはない。ということで、日本での人気はそんなでもないのかもしれない。実際に見る見ないは大きいから。
 
この素晴らしいアルバムをライブで聴きたい。どうやって再現するのか、いや再現できるのかこれ?僕の中のヴァンパイア・ウィークエンド像をもっと強固なものにしたい。
 

Bright Future / Adrianne Lenker 感想レビュー

あめのどようび

ポエトリー:

「あめのどようび」

 

ぼくがひとりでいたいとき
きみがあらわれてももんくはいわないよ
せっかくのどようびなのに
あめがじゃじゃぶりで
でかけるきがおきないわけさ

ずっとそのころ
きみはびょういんのまちあいしつで
そのむこうでもあめがじゃじゃぶりで
それどころじゃないじゃないか

せっかくのどようび
ぼくはひとりでいるようなきぶんで
とはいかないわけさ
そのうちとびらをのっくしないきみがあらわれて
とたんにはなしをはじめるから

ぼくがひとりでいたいとき
きみがあらわれてももんくはいわないよ
ぼくがなにかをしていても
きみはきゅうにはなしをはじめるし
そのうちそふぁーでちいさながめんをながめるし
でもかってだなんていわないよ

それでいいから
そのままでかまわないから
ぼくがひとりでいたいときなんて
じつはありはしないから

ぼくがひとりでいたいとき
きみがあらわれてももんくはいわないよ
どのみちきょうはあめがじゃじゃぶりで
なにもおきるわけないからさ

まどのそとは
きょうはあめがじゃじゃぶりで
いつもはじゃまなこだちたちもみえやしない
だったらせめてながしておくれ
いっさいがっさいながしておくれ

 

2024年3月

OTODAMA’22~音泉魂~ 2024年5月5日 感想

Your Favorite Things / 柴田聡子 感想レビュー

邦楽レビュー:

『Your Favorite Things』(2024年)柴田聡子

 

僕は歌詞と一般的な詩は分けて考えるようにしている。あまり文字として書かれた詩を読む人はいないだろうから、そこまで気にしている人はいないと思うけど、歌詞というのは、あくまでもメロディやバンドの演奏、ボーカリストの声を前提にした言葉であって、音楽家が表現しようとする音楽の構成要素のひとつという見方もできる。

なので、本来であれば言葉数多くを要さないと表現仕切れないところも、声や演奏が代わりに表現してくれたり、あるいはネガティブな歌詞であっても音楽全体としてポジティブに響かせることだってできる。歌詞だけを抜き取って楽しむことも勿論できるけど、それはそういう楽しみ方もできるということであって、音楽家が本来表現しようとしているところから少し外れた、言ってみればスピンオフみたいなもんだ思う。

ただ柴田聡子という人は歌詞だけでも成立するように、それだけ抜き取って読んでもらってよいように、あらかじめそういうものとして言葉を選んでいっているような気がする。ていうか彼女はそれこそ音楽とは離れた文字だけの詩集も出しているし、そこでも勝負できる人。ただ、ということを踏まえても、音楽と同時に発せられた言葉の切れ味にはもう手も足も出ない。完全に言葉と音楽の関係に自覚的な人が、音楽無しの言葉でも勝負できるレベルの言葉を紡ぎ、その上で音楽としてこれ以上もないほど言葉を機能させている。僕はもう#6『Kizaki Lake』を聴いいて参ってしまった。

僕は前作から聴き始めた口ではあるけど、前作とはかなり印象が違う。多分今までもアルバム毎に作風を変えているのだと想像する。ていうか今作はウィスパーボイスやん。ていうことではあるんだけど、これは多分かなりやり切った感があるのではないか、ていうぐらいの傑作だと思います。ついでに言うと、共同プロデュースとしてあの岡田拓郎の名前がクレジットされているけれど、岡田色というのはあまりというか、ほぼ感じない。それぐらい柴田聡子として屹立している。

今朝のこと

ポエトリー:

「今朝のこと」

 

誰かからの誘いがあってないようなことで
耳が赤くなる
昔からひとがいないところで咳をするのがクセだった
風が運ぶ音階を見ず知らずのひとに紹介する
そんなひとになりたかった

まさかが狭い部屋で衝突する
今朝は6時頃にそれが起きて目を覚ました
それは思い当たるふしがあるような完成が近いプラモ
ドキドキしていた

もうじき
風と風が向き合うところでこだまする
本当のことを知りたがるわりに地面に手をつこうとしない
そのくせ
ひとからの誘いで心あたたまる

だけど今朝は呼吸が短い
とりあえず今日は
言外で凍らせる人
そんなひとになりつつあった

 

2024年4月