言葉のない夜に / 優河 感想レビュー

邦楽レビュー:
 
『言葉のない夜に」(2022年)優河
 
 
いわゆるUSインディー・フォークと呼ばれる系譜にあたるのだろか。優河の音楽は今回初めて聴いたのですが、冒頭の数十秒で確信しました。あ、これオレの好きなやつや。
 
USインディー・フォークというとフリート・フォクシーズとかビッグ・シーフの名前が浮かびますけど、1曲目の『やらわかな夜』を聴いた感想はマイロ・グリーンですね。あんまりメジャーな存在じゃないですけどコーラス感とかピアノの入り方が彼らの1stアルバムに近いような感触がありました。
 
続く『WATER』はこのアルバムの特徴である優河自身による多重コーラスが独特の浮遊感を出しています。時折聴こえるエレピかな、シンセかもしれないですけどズレたような相打ち音がとても心地よいです。描かれる景色に一気に引きずり込まれる感じですね。
 
3曲目『fifteen』、なんでフィフティーンっていうタイトルか分かりませんけど、聞いた瞬間ノラ・ジョーンズだ、って思いました。あのくすんだ声、スモーキーなんて言われますけど英語で歌うと同じなんじゃないかと思うほどそっくりな声です。この曲はギターがいいですね。すごく印象的に鳴っていてこの曲に関してはロック色が強く出ています。もう1回言います。ギターがすごくカッコイイ。
 
続く『夏の庭』も独特の浮遊感が漂っています。タイトル通り、夏ですよね。そこで描かれる景色も少しけぶっているでしょうか。2分ちょいの短い曲ですけど、メロディもバンドも声も完璧に近いですね。素晴らしいです。優河はあるインタビューで、悲しみを帯びた曲だと言葉や演奏がすでに悲しいのだから、ボーカルまで悲しくなってしまうと情緒過多になる、と語っています。そういう意味でこの曲なんかはそこでバランスを取る彼女のボーカルの妙がすごく出ているような気がします。
 
5曲目『loose』も『fifiteen』と同じくロック色の強い曲です。この曲はドラムが印象的な活躍をしますね。あとこのアルバムで欠かせないのが電子ピアノです。僕も大好きなフェンダーローズやウーリッツァーが沢山使われています。この曲ではメインがローズでそこに印象的なピアノのフレーズが入ってくる。ホント、素晴らしい演奏でうっとりします。
 
アルバムで演奏しているのは魔法バンドの面々です。元々、優河の前のアルバム『魔法』に参加していたミュージシャンがそのままバンドという形をとって、以来、ライブやレコーディングを共に行っているとのことです。折坂悠太の重奏とかカネコアヤノバンドみたいな感じですかね。自然発生的に生まれたバンド、故の説得力があります。
 
6曲目の『ゆらぎ』。アルバムの中で一番強い光を放っているのはこの曲でしょうか。先ほど述べたボーカルの曲へのアプローチがこれまた凄いですね。バンドメンバーもほれ込む優河の声、確かにある一定の声音というのはあるのですが、アルバムを聴いていると、彼女は曲によって歌い分けているのが見て取れます。声の質感が曲ごとに違う。この曲では声で曲をリードしていくというか、声が前に来ていますね。特に最後のコーラス、「愛が・・・」とリフレインしつ最後へ向かい着地する部分は多重コーラスも相まって声の力が凄い。このアルバムのハイライトのひとつですね。
 
コーラスの美しさだと次の『sumire』でしょうか。曲調は全然違いますけど、通底するところは『夏の窓』に近い曲のような気もします。こっちはもう少し明るいイメージかな。僕はこのアルバムで初めて優河を聴いたのですが、前作までコーラスはしてこなかったそうです。どんな感じだったのか気になるのでこれから聴こうとは思っていますが、とにかくコーラスは今回から始めたと。で、やってて面白かったからデモでは全曲コーラスを付けてるそうです。となればそれも聴いてみたい気がしますね。
 
『灯火』はドラマの主題歌になりました。ということでドラマサイドから要望があったのかなと思わせる他の曲とは異なるトーンがありますね。一言で言うと派手(笑)。なんてったってサビで始まりますから。ただ違和感があるかといえばそうでもない。この辺は魔法バンドの流石の存在感といったところでしょうか。でもこういう曲がポンと入ることで全体としてのスケールの大きさに繋がっていると思います。
 
で、『灯火』で一旦しめて、最後の『28』は夜明けを迎えるような作りになっています。もう完全に太陽が出てきていますね(笑)。こういう明るいトーンで終わるところに彼女たちの意思が表れているような気がします。28というのはどういう意味だろうか?1周回って明け方の4時ということでしょうか。4時だとまだ暗いか(笑)。
 
アルバム・タイトルにあるように言葉がキーワードになります。言葉というのは実態があるようでない、言わば借りものの器です。人々の間にはなにがしかの共通の意思疎通アイテムが無いとコミュニケーションは図れませんから、我々は仮に嬉しいとか悲しいとか丸いとか赤いとかを名付けているんですね。でも正確に言うと、例えばあなたが今朝食べた食パンは昨日のそれとは違う。食パンもあなたの体も1日分変化している。大げさに言うと、今朝のあなたの食パンを食べるという行為は人類史上初めての経験なわけです。であればそれに的確に当てはまる言葉はこの世にもまだ存在していないということになります。でもそこになんとかして既存の言葉、我々で言うと日本語を使って言い表そうとする、というのが詩人の仕事なのかなと思っています。
 
つまり、というような理由で優河は言葉というものを当てにしていない。けれど逆に言えば言葉を非常に大切に思っているとも言えます。このアルバムの抽象的な歌詞は慣れていない人からすると難解に聴こえるかもしれない。そんなもってまわった言い方をしないで、例えば悲しいなら悲しいって言えばいいじゃないかって。ただ、みんなが即座に理解しうる言葉、インスタントな表現で即座に理解してもらえたとて、そこに何の意味があるだろうか。であればわざわざ歌う必要はないのではないか。つまり言葉で表現することに対して、優河は出来るだけ誠実であろうとしている、ということなんだと思います。
 
夜というのは人々が思いふける時間帯ですよね。時には眠れない夜を過ごしたりもする。そこには簡単に言葉をあてはめられないものです。けれど我々は言葉を探そうとする。そう考えると『言葉のない夜に』というタイトルもなかなか深いものがありますね。

サヨナラ

ポエトリー:

「サヨナラ」

見違えたよ
その喋り方
見違えたよ
その微かに目にかかって前髪
急にどうしたんだいという声に備える君の
億劫な瞳

いつでもどこでも
見ず知らずの人に喋りかけられるようにいたい
そんなことを仲良しの友達にも言う君に
僕たちは悪気がないようクスクス笑った

そんな日の明け方、
僕たちの靴下にはよじれたような染みがあって
けどそれには目もくれずおしまいの証、
サヨナラと
手を振りあったりしたんだよな

 

2022年3月

OOPARTS / 羊文学 感想レビュー

邦楽レビュー:

『our hope』(2022年) 羊文学

 

聴いて一番に思うことは塩塚モエカの声が力強くなったということ。いや、力強くなったというだけじゃないな。彼女はきっと語り部になったのだと思う。物語があって、そこに自分自身の喜怒哀楽は立ち入らせない。表現者としてまた一歩、前へ進んだのだと思う。

ではあるけれど、音楽というのはボーカルだけじゃない。彼女が歌わなくてもバンドが表現してくれることがある。その取捨選択が見事だなと思う。つまりバンドとしてもまた一つ、ステージが上がったということ。サブスク時代にあって歌以外の部分は飛ばされることが多いけど、こと羊文学の音楽の聴き手に関してはそんなことしないかもしれない。

リズム隊であったり、コーラスであったり。ボーカルであったり、ギターであったり、3ピースではあるけれどこれだけ音がまとまってガッと届いてくるバンドはそうはいない。いくら塩塚モエカの才能が素晴らしくとも彼女一人ではここまでの音楽にはならなかった。突出した塩塚モエカのバンドではなく、どこからどう見ても羊文学というバンドでしかないというのが清々しい。

その清々しさはやはり3人の曲に向かうアプローチから来るのだと思う。よい意味で淡々としているというか、勿論実際はそんなことはないのだろうけど、入れ込まなさ、というのが背後にあるのではないかと。メロディーありき言葉ありき曲ありき。そこにどうアプローチしていくかしかなくて、ああしてやろうとかこうしてやろうといった気負いがない。それは恐らく前作やコロナ禍であってもライブを続けてきたことの成果であり、曲に向かっていればよいのだという自信の表れなのかもしれない。#7『くだらない』での深刻でありながらも淡々とした疾走感と、だからこそのやるせなさはそれを端的に表している。

オープニングの『hopi』は暗い夜更けを朝へ向かってゆっくりと進む船になぞらえた曲。その後、何気ない日常を描いた#6『ラッキー』から宇宙規模の#10『OOPARTS』(この曲はイントロがThe1975を思わせるね)まで、様々な世界をめぐりつつ、けれど最後の#12『予感』では結局「おやすみ」としか言えないというのがたまらない。

OTODAMA’22~音泉魂~ 2022年5月5日 感想

ライブ・レビュー:
 
OTODAMA’22~音泉魂~ 2022年5月5日 感想
 
 
5月5日、7日、8日に大阪は泉大津フェニックスで開催される音楽フェス、音魂’22の初日に行ってきた。他の音楽フェス同様2年ぶりの開催だそうだが、僕が参加するのは今年が初めて。やってるのは知っていたし、なかなか素敵な出演者が揃っているなという印象もあったので、近場だし、なんなら自転車でもいけるのでそのうちにと思っていたが、今回はグレイプバインにくるり、そしてなにより羊文学が来るということで、これは行かねばと再開一発目の5/5(木)初日のチケットを購入した。
 
ステージは2か所で交互の演奏になる。演奏が終わると割とすぐにもう一つの場所で演奏が始まるので、続けて次のステージを前の方で観ようと思っても間に合わない。でもどこにいても演奏はしっかり聴こえるので特に問題はない。このどこにいてもすべての演奏を聴く事が出来るというのはこのフェスの利点やね。あと中央にシートエリアがあって、地べたに座るところとイスを置いて座るところが別々に区切られているのがよいです。もちろん飲食OKなので、皆ゴザを敷いてゆったりと鑑賞している。アルコールOKでしたけど、バカ騒ぎをしている人は皆無でとてもマナーのよい環境でした。
 
僕の一番のお目当ては羊文学。新しいアルバム『OOPARTS』も素晴らしかったもんね。久しぶりのフェスということで観る方もちょっと緊張していたと思うけど、華やかで茶目っ気たっぷりの羊文学がそれを吹き飛ばしてくれました。こういうキャラの人だったんだと(笑)。そんなことを知れるのもフェスのいいところです。
 
もちろん演奏も素晴らしかったです。とても3ピースとは思えない分厚いサウンドで、いわゆるシューゲイザーですけどギターの響きがとても心地よかったです。途中で気付いたんですけどベーシストはギターを弾いてましたね。ベースはコンピュータか袖で誰か弾いてたのかな。3ピースなのでその辺は臨機応変にということでしょうか。ボーカルも力強く安定していて、見た目は華奢ですけど、芯のある鍛えられた声ですね。新しいアルバムでも声が力強くなったなぁという印象を受けたのですが、生で聴いてそれを確認することが出来ました。険しい顔して結構ロックな歌い方が格好いいんですが、MCになるとほのぼのとしたキャラになるギャップ萌えも〇。
 
あと新しいアルバムが出たばっかりでそのことにも触れていたんですけど、そこからは1曲しかしないっていうのが計算なのか天然なのか(笑)。とにかく期待に違わぬ、というかそれ以上でますます好きになりました。
 
ただこの日、僕がガッツリ聴いた中で最高だったのはグレイプバインでした。もうめちゃくちゃかっこよかったです。特に昨年のアルバム『新しい果実』からの3曲が最高でしたけど、中でも『阿』は圧巻でしたね。田中和将の咆哮が辺りの空気を切り裂いていました。アルバムも良かったですけど、ライブだと尚のこと素晴らしかった。やっぱりこの人たちはライブの人なんですね。「今日みたいな天気に合わせて」と言って、随分と昔の『風待ち』も演奏してくれました。当時は僕もまだ20代でしたけど大好きな曲だったのでとても嬉しかったです。そうそう、ライブ中は喋らないという評判でしたけど、結構気さくに喋ってましたよ。関西人らしくもっちゃりと(笑)。
 
ところでライブ前のチューニング、本人たちがやってました。あまりに普通にごちょごちょやってたから、観客の方も歓声あげるタイミング逃したみたいな感じになっていました。え、あれ、本人ちゃうんって(笑)。
 
そしてグレイプバインの次がくるり。なんで立て続けやねん!前で観られへんやんか!と思っていたのは僕だけではなかったと思いますが、これは正解でしたね。あのグレイプバインのすぐあとは並みのバンドじゃキツイです(笑)。でゾロゾロとくるりのステージへ向かったのですが、こんなに人おったっけ?というぐらいの大観衆でした。流石くるり、すごい人気やね。
 
『上海蟹~』や『ばらの花』といった有名曲で始まり、田中和将より更にもっちゃりとした岸田繁の関西弁を挟みつつ、『すけべな女の子』で勢いつけてって感じでしたけど、最新アルバムの『天才の愛』からはひとつも演奏しなかったのが残念だったかな。くるりのハイライトは最後に演奏した『街』。僕は初めて聴きましたが調べてみると2000年の曲なんですね。『青すぎるそらを飛び交うミサイル』という歌詞があったり、最後に世界の都市名を連呼したりというところで、思うところがあってこの曲を選んだのだと思います。全身全霊を込めて歌う岸田繫の姿に心を打たれた人も多かったはず。僕もその一人でした。
 
5月初旬にしては暑かったですけど、夏に向けてよい肩慣らしとなりました。屋台はそんなに期待してなかったんですけど、結構充実してましたよ。すごい行列でしたけど(笑)。今度来るときは家から食べ物もって行ってもいいかもですね、真夏じゃないから痛まないし。あと会場全体が芝生ってのがいいですね。足にやさしい(笑)。暑さも軽減されるんじゃないでしょうか。こんな近場でこんなに素晴らしいフェスがあるなんて滅多にあることじゃないので、これからは毎年チェックしようかなと思っています。

朝の光

ポエトリー:

『朝の光』

 

緩やかな髪のウェーブに光がさして
それは朝の光だから見ることをやめない
ずぶ濡れの夕べの記憶は
バタートーストと共に
喉の奥に流れた
はず

今朝みたいにたっぷりと時間がある日は
コーンスープをしっかりと
飲み干すだけの余裕が私にはある
これも、はず

朝からつまらない冗談を言う父親の
気の抜けた声にはまるで覚悟がない
これが我が家のトップランナー
けれど贅沢は敵
私はある程度の相槌が打てる子だ

たかが一年ばかり早く生まれただけで先輩面するアイツにも教えてやらねば今朝のスローガン
贅沢は敵

小学校の時に覚えさせられた寿限無が頭を離れない
水行末ならぬ水餃子
コーンスープと合わないことは知っている
それはとても大事なこと

緩やかな髪のウェーブに光がさして
けれどまだ勝ち名乗りはするなよ
今日はまだ始まったばかりだということを忘れるなよ

 

2019年5月