『SWITCHインタビュー達人たち~みうらじゅん×樋口真嗣』を見て思ったこと

TV program:
 
『SWITCHインタビュー達人たち~みうらじゅん×樋口真嗣』を見て思ったこと
 
 
先日放送の『SWITCHインタビュー達人たち~みうらじゅん×樋口真嗣』を見まして、後半の舞台となった目黒の五百羅漢寺行きてぇ~、でも東京かぁ~などと思いながら、怪獣談義を楽しく聞いていました。みうらさんの過去にNHKで制作にかかわった怪獣ドラマでのエピソード、よかったですね~。髪の毛の長い怪獣に禿があってそこが弱点になるっていうのを断固反対したという話。そりゃそうですよね、長髪だからその怪獣はみうらさんですよ。みうらさんは怪獣になりたかったわけですから、視点が全く違うということですね。今風に言えば怪獣ファーストじゃねぇ、てことでしょうか。
 
樋口監督は現在進行中の映画『シン・ウルトラマン』の監督を務めているそうで、映像も一部流れてましたね。『シン・ゴジラ』の時もそうでしたけど、今回も実際に怪獣が現れたらどうなるんだ、ウルトラマンが現れたらどうなるんだっていう話だと思うんですけど、そこでふと疑問が湧きました。やられちゃった怪獣の亡骸はどうなるんだ?
 
例えばウルトラマンには「八つ裂き光輪」って技がある。それで怪獣を真っ二つにする。でも今までの怪獣だと断面は赤くても血は流れないです。今回も怪獣はそういうもんだとすると、周りが血の海になる心配はまずない。でもあの図体ですから、あんなのがいつもでも転がってちゃ迷惑です。じゃ燃やそうと。でも燃やしていいのか、変な物質が大気に流れるんじゃないか。そこは検証が必要です。でも怪獣それぞれ体質は違いますから、それいちいち調べるの大変ですよね。それにいつまでも置いとけない。だいたい怪獣とウルトラマンが戦うのは山の中ですから、山で燃やすにしても大変だと。ということでここはウルトラマンに再度「八つ裂き光輪」で持ち帰り用のサイズにカットしてもらわないといけない。
 
その上で怪獣専用の焼き場というのを作らないといけないですね。当然、焼ききれるのかという問題もありますから、それなりの高温で処理できる施設でないといけない。で、焼く時には坊さんにも来てもらってお経を読んでもらう、もちろん科学特捜隊のメンバーも来ますね。服装はオレンジの隊服じゃまずいでしょうか。「おい、黒っぽいのないのか」という話になるかもしれないですね。怪獣は悪ではないですから、それぐらいはしかるべきだと恐らくみうらさんも思うはずです。骨壺、お墓、この辺も必要ですね。
 
ただウルトラマンがスペシウム光線で怪獣を爆発させちゃった場合、これ困りますねぇ。こうなるとアラシ隊員あたりが専用の回収器なんか拵えるんでしょうか。なんにしてもバラバラになったのを回収するのは大変です。てことで科学特捜隊からウルトラマンに要望書が提出されるかもしれない。「なるべくスペシウム光線はやめてください」と。

無数の冷たい雨

ポエトリー:

「無数の冷たい雨」

 

無数の冷たい雨が頬にへぱりつく
無数の光を乱反射させるために

わたしはそれを祝福とみた
近い将来、あなたが報われるための
つまりわたしが報われるための

とはいえ、
無数の冷たい雨は祝福されない

 オレだってやなんだよ
 うるさいんだよ
 降らせよ降らせよって

 今、
 一刻も早く立ち去るのを待っている
 無数の冷たい雨。
 なんてちょっとヒドイ言い方

時間で言うと午後の6時ぐらい、
喉元を過ぎたあたり
一方は口を開け
一方は蓋をして
驟雨
生き死にを漂わせる匂い

無数の冷たい雨が頬にへぱりつく
無数の光を乱反射させるために
近い将来、あなたが報われるための
つまりわたしが残されるための

 

2021年7月

Teatro D’Ira Vol. I / Maneskin 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Teatro D’Ira Vol. I』(2021)Maneskin
 
 
音楽ライターの沢田太陽さんが、2020年は映画『パラサイト』やBTSの活躍で韓国の年となったが、2021年は一躍スターダムにのし上がったマネスキンの登場やサッカーのユーロ2021での優勝もあり、イタリアの年になるかもと言っていた。と思ったら、先の東京オリンピックにおいて花形の100m走でまさかのイタリア選手が金メダル。僕も2021年はイタリアの年かもしれないと思い始めている。
 
思い始めているというか、イタリアの年になって欲しい、というかマネスキンの年になってほしい。やっぱBTSはポップ・グループだし、僕としてはバリバリのロック・バンドが頂点に立つのを見てみたい。
 
多くの人が腰を抜かしたという2021年ユーロビジョン・ソング・コンテストにおけるマネスキンのパフォーマンスは、これが二十歳そこそこの若者とは思えないほどの堂々たるもの。2000年代の衝撃デビューと言えばアークティック・モンキーズだが、今は貫禄たっぷりのアレックス・ターナーだって、デビュー当時は田舎の高校生丸出しだったから、マネスキンの、というかフロントマンのダミアーノのショーマンぶりはどう見ても破格。もう天下を獲ったかのような心意気は、ちっぽけなライブ・ハウスであろうが「俺はロックンロールスター」と大声で叫んでいた駆け出しのギャラガー兄弟みたいなもんかもしれない。
 
僕はマネスキンのようなハード・ロックをあんまり聞いたことないけど、そんな僕でも持っていかれるのだから、彼らはやっぱ特別なのだろう。ハード・ロックと言ってもそれは最新形で、こんな巻き舌でよく続くなぁと思わせる高速イタリア語ラップが彼らの曲の多くを占めていて、それが新鮮で面白くってシンプルにかっこいい。
 
しかもシャウトしまくる、今どき(笑)。ユーロビジョンでやった#1『ZITTI E BUONI』とか英語詞の#4『I WANNA BE YOUR SLAVE』とかサビの最後でシャウトするんですけど、こういうベタなシャウトって久しぶりに聞きました。彼らにはこういうちょっと笑うような過剰さ、あのきらびやかな衣装もそうだし、そういう面白さがあるんですけど、それが不思議とちっとも笑えないというか、むしろ滅茶苦茶かっこいいんですね。かっこよくて美しくて呆気に取られる。こういうのって今まではダサかっこいいっていう括りに入れられてしまっていたと思うんですけど、彼らはそこを余裕でぶち抜けた感じはありますね。本気でかっこいい。ここはデカいと思います。
 
でも昔はこういうアーティストが沢山いたんですね。デヴィッド・ボウイもそうだしプリンスもそうだし、彼らが引き合いに出されるクイーンだってそうですよね。でマネスキンの場合はそうした古き良きロック・スターへの回顧じゃなくて新しい部分、そこはやっぱり更新されていて、例えば大坂なおみが全米オープンでしたマスクのような新しい世代のこれまでとは全く違う感覚、価値観。
 
それをインディー・ロックでありがちな優し気にチル・アウトして表現するというのではなく、バリバリにハード・ロッキンして派手派手の衣装着て大股ひろげてシャウトするっていう新しさ。そこにさっき言った高速ラップだったりサウンド的なアップデート感、中学時代に組んだメンバー全員が奇跡の美男美女というなんじゃそれ感も含め、よくよく聴いているとこれ滅茶苦茶新しいじゃん、全く別ステージじゃん、ていうところへ持っていってしまえる規模のデカさがマネスキンにはあるような気がします。
 
ロックと言ってもいろいろあるから、こういう言い方すると語弊があるかもしれないけど、基本的にロック音楽は過剰さと性急さだと僕は思っている。その過剰さと性急さをこれでもかと体現するマネスキン。世のロック・ファンが色めき立つのも当然だ。

鳴り続けん

ポエトリー:

「鳴り続けん」

自戒や
自壊を含め
通りすぎたこと
ほぼ慰め

目障りな
あの人の面影
かつて流した
雨の日の体温

どこをどう打って
いたのやら
今や手のひらに
帰りぬと

その日と
その人の
粘り気は
雨の日の湿度

間近に迫った
夏の日のお囃子
いくどもいくども
時計は回りぬ

形は崩れつ
はらわたで
鳴り続けん
はばたいて
鳴り続けん

 

2021年7月

流れり

ポエトリー:

「流れり」

 

薄いピンクの君の頬を柔くかき混ぜてみた
浅い眠りについた朝ならほら
まだそこにあるさ

まごついた手
でシーツを鷲掴みす
みたいに形なす花弁は
次第に痩せ細り
指先に流れり

太陽からの眺めもまた
まごついたまま
己が手でひと掴みする隙間などなく
時はよしなに流れり

listening…
淀みなく
listening…
時間が来たよ

薄いピンクの君の頬を
コップ一杯の水に汲んで
静かな朝の
時計は流れり

 

2021年6月

日曜美術館『ホリ・ヒロシ 人形風姿火伝』感想

TV Program:
 
Eテレ 日曜美術館『ホリ・ヒロシ 人形風姿火伝』感想
 
 
録画したままになっていたんですけど、昨日ようやく観まして。日美は時々、一人の作家の創作ドキュメンタリー的なこともやっているんですが、こういうのはやっぱり興味深いですよね。
 
作家が何をきっかけにしてどういう経緯でものを作っていくのかというのは、極端な言い方をすれば、芸術家は誰かに頼まれてものを作ってるわけでもないわけですから、何が彼彼女らにそうさせるのか、そこは恐らく最も大事な部分、本質かもしれないわけですし、僕のような凡人は単純にそこに興味があります。
 
失礼ながら、個人的にはあまり興味のあるテーマではなかったんですけど、見ているうちにどんどんと引き込まれていきました。人形師であり舞踊家でもあるホリ・ヒロシさん。20才以上年の離れた共作者でもある妻の堀舞位子さんの存在が非常に大きかったそうで、その彼女に先立たれたことで道に迷うというか、創作に気持ちが向かわない時期があったようです。
 
番組はホリさんが再び創作へ向かう様を映じるのですが、いなくなっても常に舞位子さんの存在がそこにある、彼女なしでは考えられないホリさんというものが浮かび上がります。ですので、ホリさん自身は揺れに揺れているというか、それでも舞位子さんに導かれるようにして創作を進めていく、そんな姿が映し出されています。
 
番組の最後、釈迦の生母である摩耶をモデルにした人形「MAYA」を完成させたホリさんは仲間と共にステージで人形舞を披露します。そしてその後、ホリさんは完成したその人形を、そこには舞位子さんが所有していたストールなんかも衣装として巻かれていたんですけど、事もなげに燃やしてしまう。舞位子さんは死んだら空中に撒いて欲しいという希望があったので、それに沿うような形で燃やしてしまいます。通常であれば、番組はここで終わり。けれど、最後に予想外の展開が待っていました。
 
ホリさんは燃えて煤けた人形の頭部に再び彩色を始めるのです。それも左半分は焦げたまま、右半分にだけ彩色をする。その彩色も一度焦げた上からですし、そこには作家の狂気がある!この人形の凄まじさといったら僕は思わず声を上げておののいてしまいました。
 
それまで舞位子さんに導かれていたホリさんの本質がここで一気にあらわになる。舞位子さんとは別個のホリさん個人としての、芸術家としてのエゴがここで一気に湧出してくる。これはもう狂気ですよね。番組の最後の1~2分のことでしたけど、それまでが全て前フリであったかのような強烈な瞬間がそこにありました。ホリさんの本質がそこに垣間見えたような気がしました。