『RBG 最強の85才』(2018年) 感想

フィルム・レビュー:
 
『RBG 最強の85才』(2018年)
 
 
ルース・ベイダー・ギンズバーグさんのことは恥ずかしながら、この映画が公開されるまで知りませんで、最高齢の女性最高裁判事であり、米国の国民的アイコンであるというのを何かの記事で知り、是非見に行きたいなと思っていたのですが、気付いたら公開が終わってました。
 
で去年にそろそろTSUTAYAに出てるかなと覗きに行ったのですが残念ながら置いてなくて。ギンズバーグさんの映画はもう一本、『ビリーブ 未来への大逆転』というのもあるよと、友達に教えてもらったんですけど、これもTSUTAYAに置いてない!あぁ、AmazonプライムとかNetflixとかしな見られへんのかぁ、と思っていたら、なんとEテレの『ドキュランド』でやっとるやないか!始まる10分前に気づいたオレ偉い!ということで流石Eテレ、ええのんやりますなぁ。
 
  女性最高裁判事ということで勝手にヒラリー・クリントンとか小池都知事のようなガラスの天井ぶち破るみたいなイメージを持っていたのですが、いやいや全く正反対でしたね、ギンズバーグさんは。そこがまず新しいというか、新しいなんて言うと怒られるかもしれんが、女性であっても相当の地位に上り詰める人は男同様マッチョな人なんだというイメージを勝手に持ってたんですけど、今の時代そればっかりじゃないんですね。僕が知らないだけで、物静かで大人しい人でもリーダーを務めている人は沢山いるんです。女性であっても男性であっても。
 
だからまぁ特別感というのが薄いんですね、自分とは関係のない秀でた人、遠い存在ではないんです。世の中特別な才能を持った人より、僕もそうですけど自分をなんの取柄もない普通の奴だと思っている人が大半ですから、やっぱりギンズバーグさんの生き方というのはやっぱ励みになる。もちろん簡単にはいかないですよ、ギンズバーグさんの努力はすんごいですから(笑)。でも明らかにこいつ凄いなっていう才能ではなく、ギンズバーグさんの自分がすべきことに全力で取り組む姿勢というのは、僕たち自身の仕事で頑張ったり、夢を叶えたいなっていう道筋を照らしてくれますよね。これはやっぱり大きな勇気に繋がります。彼女が若い子に特に人気があるっていうのは凄く分かります。
 
あと彼女はいつも冷静で声を荒げたりしないですよね。映画でも「赤ちゃんに喋りかけるように話すことは何度でもあった」って話してた(笑)、そういう落ち着いた態度も凄く憧れます。凄みとか圧力とかでじゃなくて論理的に話す。それでも分からない人にはもっと分かりやすく赤ちゃんにも分かるように話す(笑)。そのためにしっかりと勉強をしてこれでもかというぐらい準備をする。結局、近道はないんですね。でもそこを徹底的にやりぬいた。
 
僕なんか誰かを出し抜きたいとか、いい恰好をしたいとか、いい風に思われたいとかいうのがやっぱり抜け切らないんですけど、そういうところじゃなくて為すべきことをするっていう。ホントかっこいい人です。
 
この映画は怠惰な自分を戒めるためにも定期的に見るべし、ですな。もう永久保存版です。

Shiver / Jónsi 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Shiver』(2020年)Jónsi
(シヴァー/ヨンシー)
 
 
シガー・ロスのフロント・マン、ヨンシーさんのソロ第2作。本体のシガー・ロスはほとんど聴いたことがないんですけど、2010年のソロ第1作『GO』は気に入ってよく聴いた覚えがあるので、今回はどんな感じだろうとすごく興味を惹かれました。
 
シガー・ロスのこともヨンシーさんのこともよく存じ上げないので、最近の活動状況を今一つ分かっていませんが、このアルバムを聴くと乗りに乗ってるというより、今現在は過渡期なんじゃないかなと思いました。
 
もちろん、ソングライティングに長けた方なので、曲は悪くないし、何しろあの声を持ってらっしゃいますから、それっぽさはあるんですけど、なんかガシッとしたイメージが固まってこないなというのはあります。あくまで僕の印象ですが。
 
アルバム屈指のポップ・チューンがRobinて方との共作?というのもなんかねぇ。しかもまんまパッション・ピットやん!ていう(笑)。やっぱあの『GO』が大地と鳴動するようなオーガニックなサウンドで独自の世界観を築いていましたから、どうしても比較しちゃうというか。今作はあの景色が動き出すようなサウンドが見いだせないというのはあります。って繰り返しますが、あくまで僕の感想です。
 
てことでサウンドは『GO』とは対照的に機械的です。て書くと誤解されそうですが、メタリックな質感ということですね。この独特なサウンドを手掛けたのはA.G.Cookという方のようです。ヨンシーさんの神秘的な声とメタリックなサウンドの融合というのは一見相反するように見えますが、逆に相性いいです。うん、ナイス・アイデア。
 
ただやっぱりなんかガツンというのがね、じゃあそっからどう飛躍していくんだ、というのが僕の感性では掴みそこねてます(笑)。メタリックな感じなんだけど、賛美歌のような、祈りのようなヨンシーさんの教会音楽ではあると思うんです。だから聴き方をそっちに据えればよいのかもしれませんが、なんか僕の中でどっちかに偏れないという宙ぶらりんな感じが続いちゃってる感があります。
 
ていうか今回Spotifyでしか聴いてないので、あんまり偉そうなこと言えないか(笑)。やっぱリリックをちゃんと読まんとな。

『永遠のソール・ライター』in 美術館「えき」KYOTO 感想

アート・シーン:

『永遠のソール・ライター』in 美術館「えき」KYOTO 感想

 

僕は詩が好きで常に何かを読んでいるものだから、自分の中にも時々言葉が落ちてくる。そうするとやっぱり書きとめたくなる。ただ、そうやって自分の楽しみで書いていたものが、やがてこれは何か意味があるのかなって思わなくもない。例えば他の人の詩には切実な思いがある、書かずにはいられない理由がある、気がする。けれど僕はどうだ。そんな切実な思いないやん。

ソール・ライターの写真展に行ってきた。一言で言うとオシャレな写真です。見てるとあれもこれもと沢山の気付きがあって語りたくなる、喚起力がスゴいんです。で見ながらふと思う。ソール・ライターは何を言いたかったのかなって。

写真を取ることは見つけること。絵を描くことは創造すること。これはソール・ライターの言葉です。ソール・ライターは一瞬の美を切り取っていたんです。世に美しいと言われるもの、ではなく単純なこと、あるいはつまらなく見えるものの中にある美を。

世に美しいと言われるものにしても世間一般が規定したものですよね。だったら、わたしが規定した美、あなたが規定した美でもいい。ソール・ライターは美しい風景を切り取っているだけなんです。これはオレが美しいと思うもの。あなたはどう?って。

ではソール・ライターにとっての美とは何か?それはもう自然美ですよね。意図されたもの、準備されたものではない、偶然がもたらす一瞬の調和、例えば道ゆく人の足が交差する一瞬訪れる完璧な世界。山や木々ではなく彼が暮らす街、ニューヨークの自然美。

ソール・ライターは言います。私の写真によって世界を進歩させることはできないけど、誰かをいい気分にさせることはできるって。ソール・ライターは一瞬訪れる完璧な美を見つけると写真を撮らずにはいられない。ポートレートもたくさんあったんですけど、多分あれはほら、ショーウィンドウに映った自分のシルエットが中の商品や回りの景色と調和してなんかいいなって思うことあるでしょ。あんなノリじゃないかな。

街の自然美、ソール・ライターにとっての偶然訪れた一瞬の均整、彼はそれが目について仕方がなかった。街に生きているとたくさん目につく、いや、もっと見つけたい、そこにシャッターを押したいって。

ソール・ライターに主張したいことはなんですか、何を表現したいのですか、あなたが写真を撮る理由はなんですかって聞くのはなんか違うような気がしてきたな。目につくのはしょうがない、シャッターを押したいのはしょうがない。その瞬間を捉えたいんだもん。多分、他に理由はなくてもいいんです。

ひとりごと

ポエトリー:
 
「ひとりごと」
 
 
男性が歌う女性目線の歌ってありますよね。やしきたかじんとか。例えが古いなオレも(笑)。
 
あれって女性が聴くとどうなんでしょう。はいはい、女にはそうあって欲しいのね、みたいな感じでしょうか。なんか昔の演歌に多そうですけど、最近はどうなんでしょ。検索してみましたが、引っ掛からなかったですね。今はそういうのないのかなぁ。
 
一方、女性が歌う男目線の歌。これはすぐに検索できました。あいみょんの「マリーゴールド」です。今回初めてちゃんと聴いてみたんですけど、そういう歌だったんですね、知りませんでした(笑)。あいみょんさんは見た目もかっこいいし、こういう歌うたうとハマるのかもしれませんね。
 
てことで僕もひとつ書いてみました。ぜ~んぜん分かってないなと言われるかもですが、それも御一興。いろいろ想像して書くのは結構楽しかったです(笑)。
 
 
 
 
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「ひとりごと」
 
 

さびしいな あなたはいつも話が短い
かなしいな あなたはいつも言葉が足りない

わたしの心はいつも ひとりでに話し出す
わたしの心は 隠れることも相成らぬまま 

あなたはどれだけ盗んだのか
戻らないわたしの心の内を
あなたがキライ だーいキライ
悲しみはいつもひとりごと

短ーい夏の 嵐だ落ちたよカミナリ
うるさーい泣くなよ わたしの心はどこを向いて走る

思い出したくない 思い出したくなくもない
わたしの心は ひとつじゃ足りないメモリー不足

あなたはどれだけ盗んだのか
戻らないわたしの心の内を
あなたがキライ だーいキライ
悲しみはいつもひとりごと

わたしはどれだけ盗めたのか
戻らないあなたの心の内を
あなたがいない どーこにもいない
悲しみはいつもひとりごと

 
 
 
2020年2月
 
 
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詩というのは結局自分の内から出てくるものですけど、それをそのまま出しても面白くもなんともない。だから自分ではありながらも自分ではない誰かに見立てて書くんですね。そうすると面白い表現に出くわすことがある。
 
もし詩を書くんだけどどうもうまくいかないという人がいたら、一度自分から離してみるのも方法のひとつではないかなと思います。そうすると思わぬ角度から言葉が出てくる、なんてこともあるかもしれません。

機会

ポエトリー:

「機会」

 

くるひもくるひも
こんどこそこんどこそと
ことわりつづけたおとこ
おまえをむかえてやることはできない
おまえからくるしかないのだ

くるひもくるひも
こんどこそこんどこそと
こだわりつづけたおとこ
おまえにかえるすべはない
あたらしくはじめるしかないのだ

だからって
おそろしいことはいわないでおくれ
だからって
きかいをうしなわないでおくれ
それはおまえをくるしめるからだではないのだから

やがておまえのうちに
わすれられぬものがふる!!
それをまちわびて
わたしはいきている

 

2020年1月

Songs / Adrianne Lenker 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Songs』(2020年)Adrianne Lenker
(ソングス/エイドリアン・レンカー)
 
 
『U.F.O.F.』(2019年)と『Two Hands』(2019年)の2作連続リリースで大成功を収めたビッグ・シーフは、さぁこれからワールド・ツアーだという時期に世界はパンデミックに覆われ(来日予定もあったのに!)、全ての予定はキャンセルされてしまう。この思いもかけぬ空白にエイドリアン・レンカーは、休養を兼ねマサチューセッツの山中にあるワンルーム・キャビンで暮らすことにした。
 
そこで生まれたのが本作『Songs』だ。創作目的ではなかったとはいえ、図らずもそれまでの生活とは一変した環境に身を置くことで新しい音楽が生まれた。根っからの創作者なのだと言わざるを得ない。それはまるで画家が自らの画風を仕切りなおすために住み慣れた場所から遠くへ越してしまうようでもある。
 
タイトルはそっけなく『Songs』。サウンドはレンカーの声と自身のアコースティックギターのみである。にも関わらずこの厚みはなんだ。バンドとしての表現と変わらないじゃないか、と思わせるぐらいの奥行を感じさせてしまう。微細に揺れるレンカーの声はそれだけで深海深く沈思、小鳥のさえずりと共に上昇し、木洩れ日の中、空に輪を描く。
 
そう、このアルバムには小鳥のさえずりや弦がこすれる音もそのまま収録されている。しかしそれは’ただの効果音’ではない。それ自体が意味を成す生き物として捉えられている。レンカーの声、小鳥のさえずり、弦のこすれ、はたまた外の景色、空気、小川、木々。そうしたものが全て同列に扱われ、ひとつの生命として扱われている。自身の声すら自身から切り離し、周りの生命と同じにしてしまうなんて。
 
すなわちそれはレンカーの声は鳥のさえずりであり、木々であり、空気であるということ。それは単なるアンビエント、’環境音’を意味しない。切なる願い、沈思する心、エイドリアン・レンカーという個人の声なのだ。その二律背反する意味性。私たちは全てと同じであり、一方で個であるということ。その普遍をレンカーは歌ってみせた。
 
レンカーは『Songs』とは別に『Instrumentlas』という演奏のみのアルバムも同時にリリースしている。こちらはアコースティックギターによるものとチャイムのような音が印象的な計2曲、40分弱の作品だ。いずれのシンプル極まりないタイトルは独立した’そこにあるもの’、という意味に受け取ったが、それもあながち間違っていないように思う。
 
弾き語りということで、レンカーのソングライティングが際立つ作品でもある。とりわけ美しい#3『anything』と#6『Heavy Focus』が僕は好きだ。エイドリアン・レンカーは僕の中でも特別な存在になりつつある。ちなみにゴーギャンのような色使いのアルバム・ジャケットはレンカーの祖母による水彩画だそうです。

CATCH / Peter Cottontale 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『CATCH』(2020年)Peter Cottontale
(キャッチ/ピーター・コットンテイル)
 
 
久しぶりにピーター・コットンテイルの『Forever Always』が聴きたくなってSpotifyで検索したら、このアルバムが引っ掛かりました。出てたんですねアルバムが。こんなことも分かるんですから大したものですSpotifyは。
 
ピーター・コットンテイル、本名はピーター・ウィルキンスという人です。シカゴを拠点に活動するプロデューサー兼アーティストで、ザ・ソーシャル・エクスペリメントのメンバーです。ザ・ソーシャル・エクスペリメントというのはこれもシカゴを拠点に活躍するチャンス・ザ・ラッパーが中心となったバンドで、チャンスさんの曲を聴いたことある人なら分かると思いますけど、あのポジティブで寛容な空気がこのアルバムにも流れています。
 
このアルバムにはチャンスさんもラップで参加していますが、全体としてはラップだけじゃなくソウル、R&B、ゴスペル、そういったものが混ぜ合わさったアルバムで、特にゴスペル、こっちの要素が強めですね。ゴスペルといえばということで、あのカーク・フランクリンも登場するし、ま、ピースフルでグレイシーなアルバムですね。個人的にはこちらもシカゴ関連のジャミラ・ウッズのボーカルが2曲聴けるのが嬉しいです。
 
チャンスさんをはじめこの手のサウンドには随分聴きなれてきた感があるので、特に目新しいものがあるというわけではないんですけど、曲の良さ、トラックの良さ、幸福なムード、そうしたものはやっぱり何度聴いても心地よいです。もちろんポジティブ一辺倒ではなく、『Don’t Leave』という切ない曲もあるし、なによりこうしたプロジェクトによくあるようにゲストが多彩ですから、アルバム通していろいろな表情を楽しめます。しかしピーターさん、えぇ曲書きますなぁ。
 
残念なのはシカゴ一派特有のフィジカル盤は出さないというやつで、このアルバムもネットを介してしか聴けません。折角いいバンドが心地よいサウンドを鳴らしているのだから、ま、うちのミニコンポも大したことないですけど圧縮されたものよりずっといいし、スピーカーを通したなるべくいいサウンドで聴きたいなと思うんですけど、連中はフィジカル盤出す気にならんもんですかね(笑)。