The Ascension / Sufjan Stevens 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Ascension』(2020)Sufjan Stevens
(ジ・アセンション/スフィアン・スティーヴンス)
 
 
前作の評判が良かったので名前は知っていたのですが、ちゃんと聴いたのは映画『君の名前で僕を呼んで』が初めてでした。あの映画はとても美しかったんですけど、とても印象的なシーンで流れていたのがスフィアン・スティーヴンスの曲でした。その後の最新アルバムということで期待をして聴いたんですけど、違いましたね、サウンドが(笑)。このアルバムはかなりエレクトロニカです。
 
調べてみるとスフィアンさんは元々そういう人らしく、アコースティックとエレクトロニカを交互にリリースされているようで、今回はエレクトロニカの番だったようです。ただクレジットを見ているとほぼ全曲で生楽器が使用されているんですね。確かドラムとギターは全ての曲にクレジットされてたんじゃないかな。
 
でも聴いているとそんな感じは受けないです。やっぱ冷えた感じというか硬質感は否めない。恐らくそれはアルバム全体を覆うムードですよね。全体としてのディストピア感がそうさせるんだと思います。最近の映画は詳しくないんですけど昔で言うとリュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』みたいな近未来の監視社会。そこに暮らす青年がそれこそ『フィフス・エレメント』でブルース・ウィリスが住んでいたような小さなアパートで密かに制作をしてできたレコード(記録)。そんなイメージです。
 
だからそれはレジスタンスのレコードですよね。それも社会的な強いメッセージを出しているということではなく、かつての人類は緩やかな連帯の中で人々はそれぞれに必要で必要とされていたんじゃなかったっけ、そんな人類の記憶を掘り起こしている、この閉塞感ってなんなんだって、そんな人間らしさを求めるレコードなんじゃないか、そんな気もしてきます。
 
だからこれ15曲、80分以上もあるんですけど、そんな疲れないですね。ある意味リアリティが希薄だから。夢うつつというか白昼夢みたいな。まぁ実際80分も集中力は持たないですから、半分に分けて聴いたりはしているんですけど、それでもやっぱ聴いてても興奮したり逆に悲しくなったりしない、体温は保たれたまま、という感じですかね。
 
アルバムの最後は『America』という曲で、これ12分30秒ありますからタイトルといい大作感めっちゃありますけど、実際、レビューでよく取り上げられていますね。ただこのアルバムの核はその前のアルバム・タイトル曲『 The Ascension』なんじゃないかなと思います。
 
コーラスの対訳をそのまま載せますと「なのに今、手遅れながらもこの心に突き刺さる/僕はあまりに多くを周りの人たち皆に頼みすぎていたということが/そして今、手遅れながらもこの心に突き刺さる/僕は自分自身の責任を取るべきだということが/昇天の日が訪れたら」。
 
これが非常に抑えたサウンドで独白のように歌われるんですね。まるで教会のなかでひっそりと聴こえてくるかのように。だから贖罪の歌に聴こえます。社会に違和感や閉塞感を感じながらも最後は自分自身でごめんなさいと言わざるを得ない。なんか切ない話になってきましたけど(笑)、これってやっぱりリアルな話ですよ。
 
まぁそんなアルバムではありますけど、基本、スフィアンさんのメロディは美しいですから、そんな暗いアルバムではないですよ(笑)。こういうテーマでもメロディの美しさは消せない、そんなアルバムです。

女性アーティストを応援するゾ!!

その他雑感:
 
女性アーティストを応援するゾ!!
 
 
 
久しぶりに赤い公園を聴いています。やっぱいいですね。曲も演奏も最高なのになんで売れないのか不思議です。『猛烈リトミック』(2016年)は結構行くと思ったんですけどね。そういや赤い公園とほぼ同時期のきのこ帝国も2014年の『フェイクワールドワンダーランド』がそれまでの重い感じから一気にはじけてすごく格好いいアルバム、これでどうだ!って感じだったんですけど、本格的なブレイクには至らなかった。同じく女性陣メインのバンドで言うと、最近は羊文学もいいなぁなんて思ったりしていますけど、どーなるんでしょうねぇ?
 
 
 
 
なんかバンドに限らず邦楽の女性ってなかなか売れてこないです。男性陣は時代に応じて続々と新しい名前が出てきますけど、最近の女性陣だとどうでしょう、あいみょんぐらいじゃないですか。僕が知っているだけで中村佳穂とかカネコアヤノとか他にもすごい人いっぱいいるのにこれはやっぱ残念な状況です。
 
ここ数年、海外では女性アーティストの活躍が目覚ましいですよね。元々そうでしたけど#MeTooで更に火が付いたところがあって、政治的な発言も増えているしそれが作品にも反映している。しかもそれは女性だけじゃないです。サム・スミスとかフランク・オーシャン、彼らは同性愛を公言していますが、評価も高くセールス面でも実績を上げている。
 
BLMもそうですよね。映画『ブラックパンサー』を例に出すまでもなく、いわゆるマイノリティーと言われた人たちがメインストリームで重要な役割を果たしている。翻って日本は女性アーティストの活躍さえままならない。ダイバーシティなんて言葉を最近耳にしますが、こと日本では道遠し。これは僕たちカルチャーを享受する側にとっても大きな損失です。
 
これはメディアの責任も大きかったと思うんです。本来紹介者の役目を果たすべきメディアがインスタントなものしか紹介できなかった。でも逆を言えばこちらがそれを望んでいたからとも言えますよね。残念だけど僕たち日本人は文化に対する要求が異常に低いのかもしれない。個別にみれば日本人でも世界的な芸術家はたくさんいますが、一般的な受け手側の文化に対する優先度はかなり低いのかも、そんな風にも思ってしまいます。
 
でも時代は変わりました。テレビや雑誌といったメディアにかつてほどの影響力はありません。インターネットですよね、みんながそれぞれ個別で情報を収集し分け合う。もしかしたら1体1でコミュケートするラジオも見直されているかもしれません。大資本のメディアが質の高い文化を紹介しきれないのなら、僕たちで発信していけばいい。そういうことなんだと思います。事はそう簡単なことじゃないかもですけど。
 
あとやっぱり一番大きいのは日本は世界有数の男性社会であるということですね。確かに表向きは露骨な女性蔑視はないですけど、逆に言えば深く深く浸透しているということです。
 
例えば結婚している男女って大概は男性の方が収入が多いと思います。これ、当たり前のようになっていますけどなんかおかしいです。これは何も女性の方が劣っているから、ではないですよね。さっき邦楽では男性陣が次々とブレイクしていくけど、女性ではほとんどないって言いましたが、これも女性アーティストが劣っているからではないですよね。
 
やっぱり日本は根深く男が特をする世の中になっているということです。振り返ってみれば子供の頃、生徒会長は当たり前のように男でしたし、出席番号も男からでした。そういう積み重ねが少しずつ蓄積されてきた。知らず知らずのうちに男も女もそういう体にさせられていったんだと思います。多分僕たちは気付いてないけど男の方が圧倒的に楽な人生を歩んできた。無自覚であったとはいえ、それを甘受してきたということは僕たちもそちら側に加担していたということなんだと思います。
 
あれだけの才能が集まった赤い公園がブレイクしなかったというのは重い事実として受け止める必要があるのではないかと思っています。もっともっと日本の女性アーティストはブレイクすべきです。これだけミュージシャンがいるのに、売れてるの男性ばっかで、女性で売れてるのはアイドルだけってなんか変!フェスのヘッドライナーが男ばっかって考えてみりゃおかしいでしょ。
 
ってことで、これからはめちゃくちゃ小さなメディアですけど、このブログでもしっかり女性アーティストを応援していきたいと思います。
 
 
 

赤い公園『NOW ON AIR』

赤い公園『NOW ON AIR』

赤い公園を知ったのは『NOW ON AIR』です。もう6年前になるんですね。久しぶりに聴いたんですけど、相変わらず素晴らしい!ホント素敵な曲です。

下に貼り付けたライブ映像を見てもらえば分かるんですけど、ボーカルの佐藤千明さん、皆の耳目を集める天性のフロント・ウーマンです。残念なことに脱退してしまったんですけど、ホント素晴らしいボーカリストです。

サウンドも抜群にカッコいいです。勢いでバーッということではなく、ちゃんとテクニカルな部分が垣間見える。ベースやドラム、キーボード、それぞれに聴かせどころがあって、演奏を聴いているだけでも幸せな気分になれます。

なかでも印象的なのはギターですね。カッコいいフレーズがたくさん出てきます。ギター・リフって難しいですよね、変に個性出そうしてもダサくなるし、シンプル過ぎても耳に残らない。そこのさじ加減はもうセンスですね、この曲ではそういうシンプルでカッコいいフレーズがたくさん出てきます。2番が終わってラスサビへ向かうところのギター・ソロといったらもうカッコよすぎっ!

この曲を書いてるのはそのギターを弾いている津野米咲さんです。赤い公園全般の曲を書いているソングライターですね。サウンド・デザインも津野さんでしょうか。僕はあまり詳しくないのでその辺りはよく知りませんが、これだけの曲を書く人ですから、大部分でタクトを振るっていたのではないかと想像します。

 

『NOW ON AIR』
(作詞作曲 津野米咲)

日々の泡につまづきやすい
あの頃 毎日のように
ハガキにメッセージ
書き溜めていた

新しいものに流されやすい
この頃 ついうっかり
あなたの事を
忘れかけていた

今も私には
才能も趣味もないから
せめて せめて
Please Don’t Stop The Music Baby!!

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
他愛もないヒットチャートを
めくるめくニュースを
この先もずっと
聴いていたいの

どんな人からも愛されやすい
あの子は 毎日のように
幸せそうな
写真上げている

当の私には
夢も希望も遠いから
どうか どうか
Please Don’t Stop The Music Baby!!

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
ぱっとしないヒットチャートも
重たいニュースも
瞳を閉じて
聞いていられるの

レディオ
居なくならないでね
今夜も東京の街のど真ん中
ひとりぼっちで
NOW ON AIR

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
窮屈なヒットチャートも
悪くないけど

レディオ
冴えない今日に飛ばせ
日本中の耳に
異論のないグッドチョイスな
いなたいビートを
いつもありがと
この先もずっと

二人の電波
たぐり寄せて

 

やっぱり僕たちには音楽が必要です。音楽には僕たちの傷んだ心をそっと押し上げる力がある。今、この曲を聴いて改めてそう思いました。

この素晴らしい歌詞を歌う最高の声と最高の演奏を多くの人に聴いてもらいたいです。なんてことない日々を過ごす私たちをそっと癒し、やさしく鼓舞する。ゴキゲンなビートで明日を肯定する素晴らしい曲です。

コロナ禍にあって大変な日々が続きます。もう誰もいなくなってしまわぬように、ひとりぼっちの部屋にこの歌が届けばいいなと切に願います。

SWEET 16 / 佐野元春 感想レビュー

『SWEET 16』(1992年) 佐野元春
 
 
 
前作『TIME OUT』(1990年)のモノトーンから一転して、快活なダンス・ナンバーで始まるこのアルバムに、佐野がメイン・ストリームへ帰還したのだと期待値を膨らませたファンも多かったろう。しかしそのオープニング#1『Mr.Outside』は「償いの季節」という幾分深刻めいた言葉で始まる。
 
佐野はデビュー以来、ずっとファンに寄り添ってきた。途中、ニューヨークに行ったりロンドンに行ったり、旧来のファンが戸惑う場面もあったけど、初期の十代の少年少女のためのロック音楽を経て、社会に出て大人になっていく彼彼女たちにずっと寄り添ってきたと言っていい。簡単に言うと「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズに代表される初期のファンとの約束に、その時々の音楽的な変遷はあるにせよ、基本的にはずっと向かい合ってきた。
 
しかし人は年を取る。厳しい現実をやり繰りしていかなくちゃならない。もちろんそんな時でも「つまらない大人になりたくない」という言葉は有効だ。けれどそれは青い一元的なものであってはならない。僕たちは次々とやってくる困難に直面し、乗り越えたり乗り越えられなかったりしながら、何とか日々をサバイブしてきたのだ。佐野の音楽をずっと応援してきた聴き手が「つまらない大人になりたくない」だけでは済まないことを知りつつある中、このアルバムはリリースされた。簡単に言ってしまうとこれは青い理想を抱えた少年期青年期と決別するアルバムだ。
 
鮮やかなジャケットも眩しい快活なポップ・アルバムではあるけれど、その実はサヨナラのアルバムと言っていい。あまり顧みられないが、佐野のキャリアにとって重要な分岐点となったアルバムではないだろうか
 
けれど佐野はいきなり表立ってそうした声明を振りかざしたりはしない。#2『Sweet16』はバイクにまたがる少年の颯爽としたストーリー。ここで佐野は景気よくバイクのセルを回す。それは長年のファンに向けた佐野のやさしさと言っていい。
 
次曲の『Rainbow In My Soul』は「あの頃」というフレーズが頻発するナイーブな曲だ。佐野のキャリアでも珍しい類の曲だろう。しかし僕は幾分湿っぽいこの曲の肝は「サヨナラ、ブルー・・・」と続くアウトロだと思っている。少しわかりにくいかもしれないけれど、佐野はここで若き日の憂いにサヨナラを告げている。それもはっきりと手を振り払うようにではなく、そっと指先から遠のいていくように。
 
アルバムの後半はそれが顕著になってくる。8曲目なんてタイトルが『Bohemian Graveyard』、墓場だ。しかしここで佐野はボヘミアンの墓場で陽気に歌う。「ボヘミアン」、そこに「まるで夢を見ていたような気持ちだぜ」とサヨナラを告げる。けれど今もちゃんと「あの子の声が今でも聴こえてくる」。何も変わっちゃいないけど今の俺は明らかに違うんだぜ。つまりそれが成長だ。
 
加えて9曲目が『Haapy End』、最後の曲が『また明日…』。これだけ終わりを示唆するタイトルが続くのも珍しいのではないか。しかし全体としては明るく開放的なアルバムなので、聴いてる方はそうとは気付かない。この辺りは幾重もの層で成り立つジャケットのチェリーパイそのものだ。
 
久しぶりこのアルバムを聴くと、言語傾向の強いアルバムだなとも思った。もともと佐野はそういう人ではあるけれど、例えば#4『Pop Children』や#5『廃墟の街』などは後のスポークンワーズでの活動でも採用されている。映画の一コマのような映像的なリリックはこちらの想像力が喚起されてとても楽しい。それにしても『廃墟の街』での「街には救世主たちに溢れて」とか、#6『誰かが君のドアを叩いてる』の「街角から街角に神がいる」というフレーズはSNS時代の今聴くとドキッとする。
 
あとこのアルバムにはオノ・ヨーコ、ショーン・レノン親子との共演、『Asian Flowers』が収められている。アルバムのテーマからは少し外れるので、ボーナス・トラックのような位置づけになるかもしれないが、ここでの佐野のボーカルは本作の聴き所の一つ。この頃の佐野のボーカルの強さが楽しめる。
 
個人的には僕が初めてリアルタイムで聴いたアルバム。特にこのアルバムをフォローするライブをまとめたビデオ『See Far Miles Tour Part II 』は文字通り擦り切れるほどに観た。1992年、僕が佐野の音楽に出会った年。僕にとっても思い出深いアルバムだ。
 
 
 
Track List:
1. ミスター・アウトサイド
2. スウィート 16
3. レインボー・イン・マイ・ソウル
4. ポップ・チルドレン(最新マシンを手にした子供にたち)
5. 廃墟の街
6. 誰かがドアを叩いている
7. 君のせいじゃない
8. ボヘミアン・グレイブヤード
9. ハッピー・エンド
10. エイジアン・フラワーズ
11. また明日…

エモい

その他雑感:

「エモい」

 

昨夜テレビでやっていた『鬼滅の刃~兄妹の絆~』を見まして、まぁ初めて鬼滅の刃を見たんですけど、すごく面白かったです。今朝、用事でドンキホーテに寄ったのですが、思わずグッズを買いそうになりました(笑)。来週は続きをするということなのでめっちゃ楽しみです。

見ていて一番に思ったのは、流行りの言葉で言うところの’エモい’というやつですね。感情の発露が生々しく描写されています。鬼にもその背後には悲しいドラマがあって、というのは見ていてシンドイです(笑)。家族の関係、敵との関係、仲間との関係、そのいちいちに激しいドラマがあって見ているこちらの感情を揺さぶる、そういうアニメだなと思いました。

テレビで有名人がこのアニメについて熱く語っている場面を見たことがありますが、見る人を熱くさせる要素がふんだんにあるように思います。僕は音楽が好きだからそっちの方面で考えてみると、音楽にも感情を波打たせるサウンドがあります。いわゆる’四つ打ち’というやつですね。

2、3年前だか邦楽には猫も杓子も四つ打ちという時期がありました。あれもやっぱり聴き手の感情を刺激するんですね。僕は音楽でも映像でも感情で煽られたくないというのがあって、それは僕個人の性格として割りとそっちへ引っ張られやすいというのを自覚しているからなんですね。音楽であろうとなんであろうと創造物に対してその本質以外のところで自分自身の評価を左右されたくない。そう思っています。僕がたまにこうやって文章を書くのはそういう部分も大きいです。

けれど考えるのは面倒臭いんですね。だから評価を感情に委ねた方がいい。その方が心地よいですしそれも分からなくはない。そしてそういう大げさな番組を見て感動して涙を流しても、その後は割りとあっけらかんとしている場合、これはいいんだと思います。言ってみればひとときの余暇、気の紛らわし、これはエンターテイメントが果たす大きな役割のひとつですから。

ただ気になるのはそこに、煽られた感情に引っ張られたまま日常が継続してしまうこと。例の半沢直樹もしかり、今の世の中、エモいが幅を効かせていますけど、ちょっとしたその積み重ねが少し心配になる気がしないでもない。

エモいと過剰さは隣り合わせです。物事の良し悪しをエモいに委ね過ぎないよう、少し引いてみることも必要かもしれません。エモいを余り体に詰め込みすぎないように、ですね。

Imploding The Mirage / The Killers 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Imploding The Mirage』 (2020年) The Killers
(インプローディング・ザ・ミラージュ/ザ・キラーズ)

 

キラーズももういいかなと思っていたんですけど、先行の2曲を聴いたらもう止まりませんでした。久しぶりに解放感があって、何かこうスパークしてる。もしかしたらこのアルバム、いいかもしれない、そんな期待感を感じましたね。

ここ最近のアルバムも悪くはなかったんですよ、これぞキラーズっていう曲もちゃんとあったし新しいことにも取り組んでいたし。でもちょっと窮屈な感じはあったんですね。ちゃんと新作を出し続けてくれてたんですけど、なんか頑張って無理してるのかな~と。

今回のアルバムもキラーズ全メンバー参加ではないです。だからというわけじゃないのでしょうけど、とにかく沢山の人とコラボしてて、さっき言った先行曲のひとつ「Dying Bread」なんてビックリしますよ、ブックレット見たらソングライティングになんと11人!!でもこれこそがブランドンの吹っ切れ具合を示してるんじゃないでしょうか。

プロデューサーは主にショーン・エバレットとジョナサン・ラド。目を引くのはジョナサン・ラドですよね。彼はフォクシジェンっていうバンドのメンバーで、他にもいろんなとこでプロデューサーとして活動してますけど、割りとマニアックというか芝居がかったサウンドを作る人で、でも最高にポップっていう。だから最初ジョナサン・ラドが来るキラーズの新作のプロデューサーと聞いた時は僕の中でうまく繋がらなかったんですけど、アルバム聴いてると徐々に明確になってきました。

要するにキラーズのいいとこをグイグイ突いてくるんですね。例えばブランドンが「ちょっとそれやり過ぎなんじゃないの?」って言ったら、「いやいや何言ってんすか、キラーズはこれでしょう」、「そ、そうか、そうだな」みたいな(笑)。良い意味でジョナサン・ラドの芝居っ気にブランドン、というかキラーズが再生していったというような印象を受けますね。

象徴的なのが表題曲の「Imploding The Mirage 」です。ブランドンの良さってあの伸びやかな声が真っ先に浮かびますけど、ドラマチックな歌い方も魅力ですよね、名曲「When We Were Young」とか。「Imploding The Mirage 」では「When ~」とは反対側にある押さえた芝居っ気というか、例えばサビの「~camouflage」、「~collage」と韻を踏むとこのイントネーションが下がるとこなんてバタ臭いんですけど不思議とカッコいい。いや~、ブランドン、吹っ切れてんなー。

ま、キラーズ史上最強のウキウキソングと言っていいこの曲でアルバムの最後を締めるっていうのが全てを象徴してるかな。ブランドン、「イェイェ~」ってコーラスするぐらいですから(笑)。それにしてもジョナサン・ラド、いい仕事してるなぁ~。

あとはこれをライブで聴きたいということですね。2、3年前に来日した時は台風で来日が遅れて大阪公演が中止になったんですよね。東京は武道館だったんですけど、聞くところによると結構空席が目立ったとか。世界最強クラスのヘッドライナーが日本ではあまり人気がないというのは信じがたいですけど、コロナが明けた日にゃ懲りずにもう一度来日して欲しいッス。次こそ大阪公演、待ってるぜ!

やらかした

ポエトリー:

「やらかした」

受話器を離した
手のひらから
3秒前の記録が
零れる

坂道を転がり
アスファルトに馴染み
長雨と混じり
曖昧なまま僕のもの

いつの日からか
かりそめに転がり
内ポケットの
固定化された思い出

それを大事に
本物であるかのように
抱きしめる
本物の傷の
痛み

2020年9月