ポエトリー:

『月』

 

今宵、
蒸発した細かな雨粒がおぼろげな雲となって爪の先
みたいな月、
薄おっと浮かぶ

風呂上がりに切ったオレの爪
は、ふくよかな歌声を聴いて一目散
に空に伸びてゆき
お前か、そこにいるのは

間違ってはいない
湯上がりの
雫、ポタリと垂れて
戻ってこいよ
戻らないのか平成みたいに

分け隔てなく自由に
ウサギとなって跳び跳ねよ
だからコップに掬ってドボドボと
注ぎたいです栄養を

おぼろげな記憶が
明確な影になってしまうまで
ひとつの本当のことが
なくなってしまうまで

片膝を立て
ゆっくりと息を吸い
私の命が暴れぬよう
ふやけた爪を今日も切ります

詩行が覚めて
爪の先
みたいな月
薄おっと浮かぶ

 

2020年2月

「~させていただく」が気になる

その他雑感:

「~させていただく」が気になる

 

先日、娘の付き添いでE-girlsのコンサートに行ったんですけど、彼女たちが「歌わさせていただく」やら「出演させていただく」やら事ある毎に「~させていただく」と発言するのは何に対してへりくだっているのかよく分かりませんでした。

これは観客に向けて話してかけているので、観客に対して「歌わさせていただく」と言っているでしょうか。いや、観客にそんな権限はないし観客の側も「歌わさせてあげている」という感覚は全くないと思われるので、彼女たちはいちいち主催者であるプロモーターや所属する事務所のお偉方に公の場を通じて「歌わさせていただく」とへりくだっているのか。ま、そういうことではないでしょう(笑)。

コンサートはですね、非常に良かったんですよ。うちの娘も若い十代の女の子を中心とするお客さんも非常に満足していたと思います。コンサートというのは距離が一気に縮まるんですね。距離がグッと縮まってまた好きになる。そういう効果があると思うんです。ところが事ある毎に「~させていただく」と表現するのは折角に縮まったそうした距離をわざわざ演者の方から遠ざけているような気がするんです。

いいんじゃないですか、そんなへりくだらなくても。もっと堂々とね、パフォーマーとして素晴らしい能力をお持ちなんですから自分の意志として「歌います」、「共演します」と宣言してほしいです。何かにおもんばかったような、ちょっとエクスキューズが働くような言い方はしないでよって。

娘に聞いたら、そんなこと娘に聞かないですけどね、もし聞いたらそんな風には感じないと答えると思うんですけど、でもこれは大人の視点としてね、彼女たちも十分な大人ですから、というより一流の歌い手でありダンサーであるわけですから、そういう意識は持ってほしいなぁと思いました。なんでそんなとこで変な気を使わなくちゃいけないんでしょうね?やな世の中です。