Fruits/佐野元春 感想レビュー

 

『Fruits』(1996)佐野元春

 

ハートランド解散後、第一弾のアルバム。一人になった佐野が、国内の気になる音楽家をとっかえひっかえ呼び集め、長いセッションを繰り返した末に出来たのがこの『フルーツ』アルバム。今思えば、ハートランド時代からよく海外へ出かけ、現地のミュージシャンとアルバムを作ってくることが何度かあったので、その国内版みたいなものかもしれない。ただ当時としてはやはりハートランドがいないということはかなりのインパクトで、この先どうなるのかは全く想像がつかなかった。

参加ミュージシャンの多さに伴い、サウンド的にも色々なジャンルが施され雑多な多国籍料理のような佇まい。詩の世界観もあちこち飛び回るのだけど不思議と統一感のあるアルバムで、佐野が「僕の庭で始まり、僕の庭で終わる」と言ったのも納得。佐野の案内のもと、初期の『No Damage』を思わせるテンポの良さで、タイムマシーンのように人生の切り絵をあっちこっちドライブしてゆく。そんな脳内ロード・ムービーのようなアルバム。各曲が意図的に3分程度にまとめられている点も効果的だ。

良くも悪くもザ・ハートランドという制約を取っ払ったことで、佐野の才能がスパークしており、堰を切ったようにアイデアが溢れ出している。自由にソングライティング出来る喜びに満ち溢れているといった感じである。

またアルバム・リリース後にバンドを組むことになる The Hobo King Band のメンツがあらかた揃っているのも特筆すべきで、当然このアルバムを機に佐野のサウンドは大きく舵を切る。このアルバムで言えば佐橋佳幸のギターが大きくフィーチャーされており、これまでのキャリアを見てもこれだけギターが目を引くのは初めてではないか。また、ドカドカした古田たかしのドラムとは異なり、小刻みに弾けるように叩く小田原豊のドラムが新鮮。彼のドラムはこのアルバムのムードによく合ってる。

佐野はこのアルバムを、誕生、成長、結婚、そして生と死といった人生のサウンド・トラックと称している。非常にポップなアルバムで生を色鮮やかに彩る一方、その背後に死を感じさせており、特に大きな震災を経た今となっては余計にその思いを強くする。

そういえばこのアルバムは阪神淡路大震災後にリリースされている。当時はあまりに気に掛けなかったが、そこかしこに死や明日はもう来ないかもしれないといったイメージが見え隠れする。一見、シングル集的側面が強いポップなアルバムではあるが、頭から通して聴くべきアルバムではないだろうか。そういう意味では作家性の強い作品とも言える。

詩は非常にシンプルにまとめられており、視覚的にも平仮名が多くなっている。しかしながら映像を伴ったその喚起力は凄まじく、聴き手の想像力を大いにかき立てる。今思えば、近年ほぼ完成形を見せている平易な言葉での日常的な表現という手法の始まりだったのかもしれない。言葉が強く前面に出ていた前作『ザ・サークル』とはまた別の視点で日本語への接近が図られており、圧巻の♯14『霧の中のダライラマ』を始めとして、今までとは異なる言葉の冴えが随所に見られる。

このころの佐野の表情は柔和なもので、リリース前に行われたツアーでも笑顔が絶えなかった。やはり前作『ザ・サークル』で成し遂げた無垢の円環という気付きは大きなターニング・ポイントだったのだろう。文字通り、新しいシャツを着た佐野の次のタームがここにある。

様々な重荷から解き放たれたことで簡潔になった言葉。ジャンルを問わないサウンド。まさに新しい佐野元春が始まったということを印象付けるように前向きでまっさら、これまでの、またこれ以降の作品と比べても飛び抜けて色鮮やかな作品。『ザ・サークル』からハートランド解散を経て、佐野の新たなステージが始まった。そんな印象を強く受ける、その名のとおり新鮮な果物のようなアルバムだ。

 

 

Tracklist:
1. International Hobo King
2. 恋人達の曳航
3. 僕にできること
4. 天国に続く丘の上
5. 夏のピースハウスにて
6. Yeah!Soul Boy
7. すべてうまくはいかなくても
8. 水上バスに乗って
9. 言葉にならない
10. 十代の潜水生活
11. メリーゴーランド
12. 経験の唄
13. 太陽だけが見えてる
14. 霧の中のダライラマ
15. そこにいてくれてありがとう
16. Fruits

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