The Heart Speaks in Whispers/Corinne Bailey Lae 感想レビュー

洋楽レビュー:

『The Heart Speaks in Whispers』(2016) Corinne Bailey Lae
(ザ・ハーツ・スピークス・イン・ウィスパーズ/コリーヌ・ベイリー・レイ)

2009年の『The Sea』以来7年ぶりのオリジナル・アルバム。7年といやあ結構なもん。なんせ年中さんが中1。中1が成人式ですよ。とにかくコリーヌさんも相当試行錯誤があったのではないでしょうか。新しいアルバム、かなり新機軸です。

早速1曲目からクールなサウンドにちょっとびっくり。昔から知ってる姪っ子がいきなりモード・ファッションみたいな感じっつうか、久しぶりに実家に帰ったら表札がローマ字になっちゃってるっつうか。でもいいんです、いいんです、そのくらいは。私くらいになるとその辺は大人の対応です、はい。ところがですよ、いざ喋ったら中身は変わってないいい子なんすよ。今風にリフォームしちゃってても親はそのまんまなんすよ。

ということで話がだいぶ逸れましたが、新鋭のソングライター、アレンジャーを起用し、非常に凝った最先端のサウンドになってはいても、そこにあの魅力的な声の持ち主、低血圧コリーヌさん(←私の想像です)がにっこり笑って端座しております。今までのコリーヌさんと違ってて残念なんておっしゃるそこのあなた!今回の売りはそこなんです!穏やかな心を持ったコリーヌさんが更なる進化を遂げたスーパー・コリーヌ・ベイリー・レイだっ!

今回のテーマはズバリ、オーガニック・コリーヌさんVSメイン・ストリーム先鋭トラック。はい、アルバム写真そのままです。オーガニック・コリーヌさんと先鋭トラックのまぐあいに、いや失礼、融合がコリーヌさんの新しい魅力をグイッと引き出してくれてます。

まずご挨拶の1曲目(『ザ・スカイズ・ウィル・ブレイク』)はアヴィーチーのような生音プラスの四つ打ちEDM。静かに始まり、サビはアーウ、アーウ、オーウオー♫で一気に行くかと思いきや、ここでアルバム・タイトルをウィスパーしちゃうんですねえ。いいですねえ、この落とし方。結局最後の最後でスパークするんですが、ここもグッと行ってスッと引きます。コリーヌさんお得意のソフト・ランディング唱法、今回はジュラシックパーク・ザ・ライド並みの落差です。3曲目(『ビーン・トゥ・ザ・ムーン』)なんてほれ聴いてみなはれ。このオシャレ&クール・サウンドは何ですか。クァドロンのようなしゃれたサウンドに粘りつくボーカル。終わったらと思ったら、夕暮れのようなよトランペットとアルトサックスでアウトロを決めるという非の打ち所のないクールさ。今回のサウンド・チーム、ただもんじゃあねえなこりゃ。ちなみにこの曲のPVではシルバーの宇宙服みたいなのを着て歩いとります。

6曲目(『グリーン・アフロディジアック』)の始まりなんていかがです。いきなりローズですよローズ。ローズと言ってもいてまえ打線の主砲じゃござーませんよ。いきなりポロロ~ンとされた日にゃ、ローズ好きの私なんざ卒倒もんです。静かな展開の中でサビになると感情の高まりと歩調を合わせるシンセのフレーズもまたグッド。続く7曲目は不思議なタイトルの『ホース・プリント・ドレス』。コリーヌさんのセクシーかわいいボイスが全開です。ウーウーと来てアッハ~ンですよ、あ~た。サビのカレードスクープ♫のクのところで声が裏返るとこなんざたまりませんなあ。男性諸氏、ここはニヤニヤしないように要注意ですぞ!全体的にプリンスっぽい雰囲気もあって、コーラスもトラックも完璧。ここは中盤のハイライト。ですよね、殿下。

それでもまだ以前のオーガニック・コリーヌさんが恋しいあなた。ご安心めされい。まずは2曲目(『ヘイ、アイ・ウォント・ブレイク・ユア・ハート』)。バンド・サウンドでゆったり始まり、クライマックスで大きく盛り上がるお馴染みの展開。8曲目(『ドゥ・ユー・エヴァー・シンク・オブ・ミー?』)は少し趣向を変えてジャズっぽいフリーなバラード。5曲目(『ストップ・ホエア・ユー・アー』)のようなワイド・アングルで、郊外で、土埃舞って、UKな(なんのこっちゃ)ロック・バラードなんてのもあります。こういうのもできるんですねえ。9曲目(『キャラメル』)なんてどうです。アウトロが美しいですねえ~。夕陽にラクダのシルエットが目に浮かびます。キャラメルというよりキャメルやねえ~。

こうしたバンド・スタイルも挿みながらラストに向かい、11曲目(『ウォーク・オン』)はけだるいファンク。歌詞がカッコいいです。そしておとぎ話のような12曲目(『ナイト』)で本編終了。ここから続くボートラは本編で見せたハイブリッド感はなく、シンプルなアレンジで曲の良さが際立ちます。コリーヌさんの並はずれたメロディ・センスがよく分かるいい曲揃いなんで、いつもボートラを雑に扱ってる皆さん(←私のことですっ)、今回は飛ばさずちゃんと聴きましょう。最後にやっぱ基本はソングライティングでんな~と思いつつ、ハイブリッドあり、オーガニックあり、多彩なスタイルでトータルで80分。いや~、流石に長いっす。一気に聴くのはオリジナルの12曲目までで勘弁してちょ。ボートラはボートラでゆっくり楽しみましょう。

とにかくっ、今までと違~う!とか、宇宙服イヤだ~!とか、コットン100%じゃな~い!とか、馬の絵ドレスって何~!とか言わずに、せめて5回はじっくりと聴いておくんなまし。あなたの好きなコリーヌさんはちゃあんとそこにいますよ。

 

1. The Skies Will Break
2. Hey, I Won’t Break Your Heart
3. Been To The Moon
4. Tell Me
5. Stop Where You Are
6. Green Aphrodisiac
7. Horse Print Dress
8. Do You Ever Think Of Me?
9. Caramel
10. Taken By Dreams
11. Walk On
12. Night
13. In The Dark
14. Ice Cream Colours
15. High
16. Push On For The Dawn

ハンモック

ポエトリー:

『ハンモック』

 

大きなハンモックの上で世界の悪意が揺れている。

買い物帰りのハンナはレモンを掴む前までの苛立ちは全て机の向こうに、鉛筆やらコピー用紙だかを押しやるように滑らせ、今夜の夕食の支度を始める。時を同じく、夕方のニュースが目の前を横切る。玉ねぎは細かく刻んだ方がいい。

日付が変わる前にアパートに辿り着いたジョーは帰りがけに買った週刊誌のページを繰る。声を立てて笑った約1秒後、ゴミ箱へ丸めた。思わずソファを蹴りあげたくもなるが電話が呼んでいる。お誕生日おめでとう。

南の島の小さな岬には樫の木があり、そこは子供たちの目印だ。今はお昼の真っ只中。大忙しの奥さん連中の頭の中は来週に迫った村の選挙にかかりっきりだ。彼女たちは海に放射能が流れていることを知らない。

8月の朝、前の日に南半球での病が終息したとのニュースがあった。今日は土曜日、シンイチは表に出て子供たちの靴を洗う。新鮮な空気に独り言を放り込み、向こうでは今は冬なんだと、当たり前の事を思う。何処にいても朝は朝の空気があればいい。まして高望みではないだろう。

 

2014月11月

手紙

ポエトリー:

『手紙』

 

昔からの友達がいた

話が合わなくなった

メールをしなくなった

 

何度か仕事を変えた

少しづつ遠くなった

新しい蝉の声がした

命の盛りだった

 

透明な虹

月の重力に抗いながら

 

人恋しくもある

君は真っ当に生きてきた

誰かはひとりを選んだ

 

記憶が遠くなった

濃密な時間がまるで他人事のよう

あの時の仲間は今、

どんな暮らしをしているだろう

 

透明な虹

月の重力に抗いながら

 

2015年8月

好きこそものの上手なれ

ポエトリー:

『好きこそものの上手なれ』

 

好きこそものの上手なれって言うけれど

好きでも上手くなれないもんさ

そりゃあんた

好きがまだまだ足りないんだよと

人に言われるわけでなく

どこかの自分が言うもんだから

どうすりゃいいかはお察しで

もっと好きになるより他はなし

だったらもっと好きになるよ

今よりもっと

 

2017年7月

朝が来るまで

ポエトリー:

『朝が来るまで』

 

あぁ、おやすみ

シーツにくるまり

 

世界は嘘で塗り固められてる

未来は雲に覆われてる

小鳥の歌が聞こえない

声が枯れるのは理屈じゃない

 

だから

おやすみ

今はただ

おやすみ

あぁ、おやすみ

シーツにうずくまり

 

こだまが帰るとは限らない

机の上じゃ測れない

癒えない傘が壊れてる

星が見えるのは理屈じゃない

 

だから

おやすみ

今はただ

おやすみ

 

朝が来るまで

側で見てるから

ずっと静かな

ベッドのある部屋へ行こう

 

ただ

おやすみ

今はただ

おやすみ

 

おやすみ

今はただ

おやすみ

 

2014年2月

シーモア 序章/J・D・サリンジャー 感想

ブックレビュー:

『シーモア 序章』  J・D・サリンジャー

グラース家について、重要人物である長兄シーモアについての物語。といっても次兄バディの一人語りによるもので、シーモア自身は登場しない。グラース家の兄弟に愛されたシーモアとは一体どのような人物だったのかがバディの目を通して描かれている。

しかし内容は難解。意味があるのか無いのかよく分からない文章が続き、筋立てはあってないようなもの。しかしこうした従来の文体とはかけ離れた手法でしか、作者は愛すべき人物を描写できなかったのだ。

当たり前のことだが人類が生まれてこの方、同じ人は一人もいない。しかし、そのただ一人の人について話そうとすれば、我々は‘我々の言葉’を使わざるを得ず、すなわちそれは‘みんなが知ってる言葉’でしかない。しかし‘みんなが知っている言葉’は、言い換えれば‘~のようなもの’でしかなく、人類史上初めての人を言い表すには適さない。だからバディは新たな言葉で言い表そうとする。それがここにある人類史上誰も聞いたことのない言葉、意味があるのか無いのかよく分からない言葉になるのである。

物事をありのまま伝えようとすれば、表現はますます抽象的になってゆく。今ある言葉だけでは言い切れない。彼のやさしさは彼だけのものであって、彼の首の傾げ方やつまづき方だって彼だけのものなのだから。

作者はそれを丁寧にすくいあげてゆく。愛するひとを語るのだから当然だ。そしてそれは作者自身の聖なる場所でもあるのだから。作者がそれを書く行為は、大切な何かが知らぬ間に消えてしまわぬよう、しっかりと握っておくためだったのかもしれない。

 

Alphabetical/Phoenix 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Alphabetical』(2004)
(アルファベティカル/フェニックス)

フェニックスの2ndアルバム。デビュー・アルバムが様々なタイプの曲を揃えた幕の内弁当的だったのに対し、本作は随分と落ち着いたミニマルな作品。一人一人に直接配るオーダー弁当のような細やかさで、佇まいも一気に優雅。ファーストからこれを聴いた人はびっくりしただろうけど、ここにはその違和感を覆すだけの洗練さが用意されており、オシャレなフェニックスの中でも最もオシャレなアルバムとなっている。

基本的にドラムは打ち込みで、そこにベースやアコースティック及びエレクトリック・ギター、鍵盤類がかぶさってくるのだが、そのアレンジが絶妙。必要最低限の音で構築されているものの、一つ一つの音の意味付けが明確で、空白をもメロディの一部にてしまう程の丁寧なアレンジ。控えめな打ち込み音やシンセが程よいスパイスとなって聞き手の印象に幅を持たせているし、なにより非常に温もりのあるサウンドに仕上がっているのが特徴だ。

美しいメロディは彼らの武器だが、普通ならそれを更に強調したくなるもの。たとえば派手なストリングスを導入したり、アウトロを長引かせたり。それらやぼったいアレンジは一切なく、逆にこちらの気を透かすかのようにあっさりと幕を引く。10曲目のタイトル・ナンバーなどは、「あー、もっと聴きたい」と思わせる、まさに寸止めアレンジ。5thアルバム『バンクラプト!』ではダサくなる一歩手前の派手なサウンドを披露しており、このさじ加減こそがフェニックス最大の魅力なんだなと。際どいところを涼しい顔をして回避する。そんな確信犯的なところに彼等独自の美学を感じてしまう。

そしてもうひとつ彼らの秀でている点は言語感覚だろう。単語の選択のセンスがずば抜けているように思う。そこにトーマの甘い声や独特な発音(フランス人が英語を喋るとこんな風になるものなのかどうかは知らないが)が加わって、転がるよう発声されるリリックは聴いていて本当に心地よい。しかもシンプルで気負いがないところがつくづくスマートなバンドである。

初めてこのアルバムを聴いた時はエレクトリカルな要素を感じたけど、直近2作の『バンクラプト』、『ティ・アーモ』を通過した今聴いてみるとかえってアナログな温かみを感じる。この幅広さも彼らの魅力だろう。

 

1. Eveything Is Everything
2. Run Run Run
3. I’m An Actor
4. Love For Granted
5. Victim of the Crime
6. (You Can’t Blame It On) Anybody
7. Congratulations
8. If It’s Not With You
9. Holdin’ On Together
10. Diary of Alphabetical

さよならは転じる

ポエトリー:

『さよならは転じる』

 

君がまだ若かった頃

虹が架かっていた

海は凪いでいた

耳を澄ましていた

 

外連味ない瞳のブルーと

背伸びをした君との不釣り合い

 

ある日不意に夕暮れが訪れた

その夜  君を色濃く浮かび上がらせた悲しみは

ビロードの襞となりまとわりついた

ずっと側にいてほしかったと離さなかった

 

しかしそれは血となり肉となり君の内に根付く

君はまだ知らないだろうが

 

さよならは

さよならは

すべて転じる

まだ見ぬ君の美に

 

2014年4月

フラニーとゾーイー/J・D・サリンジャー 感想

ブックレビュー:

『フラニーとゾーイー』  J・D・サリンジャー

サリンジャーの短編の中には「グラース家」にまつわるストーリーが幾つかあって、本編もそのうちのひとつ。7人兄弟の末妹のフラニ―とその上の兄、ゾーイーの物語である。元々別個に書かれたもの(『フラニ―』の2年後に『ゾーイー』が書かれたとのこと)だが、2作まとめて単行本にまとめられたのはごく自然なこと。まず、恋人と最悪な1日を過ごしたフラニ―の物語があって(『フラニ―』)、彼女が家に帰ってきた数日後の物語が『ゾーイー』となる。ちなみに、この切り替えが素晴らしい。「バタンッ!」と扉を閉める音が聞こえてくるようで、ひと言で言えばすごく洗練されている。

『フラニー』:
多分に感受性豊かなグラース家の兄弟。その中でもとりわけナイーブな大学生フラニ―は、周りのひと達が嫌で仕方がない。エゴが過ぎるというのだ。しまいにはそうした誰かを責めずにはいられなくなり、その矛先は恋人レーンにも向けられる。彼の愛を知ってはいても彼女にはそれを止められない。また、そうした自分にも嫌気がさし強烈な自己嫌悪。折角の週末を台無しにしてしまった彼女は意識朦朧、最後には気絶してしまう。

ここでのレーンは責められない。確かに適度にオシャレで適度に自意識過剰な彼はいけ好かない奴だが、誰だって人並み以上に自意識過剰だった頃はあったはず。自分の書いた論文をひけらかすぐらいはかわいいものだ。
そうしたレーンについつい反論してしまうフラニ―もまた非難されるものではない。だって彼女は彼を傷つけまいと必死なのだ。そのことにレーンは気付けるくらいの聡明さは持ってるし、それを自分のせいだと責めてしまうフラニーのナイーブさだって誰にも思い当たる節はあるのではないか。
お互いを気遣いつつも、相容れない二人の会話における、聖なるものと現実との揺れ動きが、手に取るようなリアルさで描かれている。余計な装飾なしに、ありのままの二人が見える見事な描写だ。短いが、僕はとても好きな作品。

『ゾーイー』:
多分に感受性豊かなグラース家の兄弟だが、母ベシーは至って現実的。食事もしないでふさぎ込むフラニーを心配しつつもどこかマイペースなのがいい。そこでゾーイーが何とか彼女を元気づけようとするのがこの物語の骨子だ。しかし単に元気づけようというのとはちょっと違う。余人には理解しがたいシニカルで饒舌なゾーイーは彼のやり方でそれを実践してゆくのだ。

この物語のクライマックスは最後にゾーイーが物事の真実をフラニーに語るところ。「目の前に出されたチキン・スープも見えないようでは、何も見えていないのと同じ」と語るあたりからである。そして圧巻は「太っちょおばさん」のくだり。ここで物語は一気に加速度を増す。
ここにあるのは愛。誰もが傷つきながらも相手を想う愛だ。そしてそれを心情に依りかかった情緒的な表現ではなくて、まっすぐにそしてユーモア持って迫る。一周回ってまた戻ってきたかのようなシンプルさが胸に突き刺さる。

サリンジャーはきっと詩人だ。手元には何百編の詩が携えられているはずだ。しかし彼はそれを一編たりとも外部には漏らしていない。きっと、晩年それを処分したんだと僕は思う。でないと彼の文章から漂うポエジーは説明がつかない。どちらも愛に溢れた素晴らしい作品だ。

『MANIJU』 覚え書き③

『MANIJU』 覚え書き③

佐野は以前、TV番組『ソングライターズ』で言葉と音楽の関係を紐解いた。詩は紙面に書かれた言葉、朗読される言葉、音楽を伴う言葉、それぞれ響き方が違ってくる。ということはつまり、表現の仕方も変わってくるということ。『MANIJU』の言葉は間違いなく音楽が伴う言葉だ。音楽と共にあることが前提の言葉。言葉だけでは成立し得ない、言葉と韻律とメロディがあって初めて成立する言葉。

佐野は以前、「言葉とメロディの継ぎ目のない関係」ということをさかんに話していたが、『MANIJU』ではその域にかなり接近しつつあるのではないか。そんな気がしてきた。言葉とメロディがある、というのではなくて音楽がそこにあるという感覚。音楽が川を流れ、いかようにも形を変えていく。もうそんなイメージでしかない。