Fearless/Taylor Swift 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Fearless』(2009)Taylor Swift
(フィアレス/テイラー・スウィフト)

 

キラキラしている。アルバム制作時、彼女は19才。まさに今この時にしか表現できない魔法の言葉で埋め尽くされている。グラミー4冠。彼女が大ブレイクを果たした出世作だ。

ほぼ全編、女の子のラブ・ソングであるのにもかかわらず、それだけ支持されたということは、結局ただのラブ・ソングではないから。ここで歌われているのは勿論、十代の当事者達が同感する恋愛を主とした成長の記録ではある。しかしそこには誰もが通り抜けた若葉の頃の迷いや葛藤を喚起させるノスタルジーもが同居しているように僕は思う。それがこのアルバムが多くの人に支持された所以ではないだろうか。そこにはただの十代の女の子のお喋りにはとどまらない何がしかの普遍性があるのかもしれない。

とはいえ、やはり最大の魅力は爽やかで清涼感溢れるテイラー自身であろう。耳馴染みのよいメロディに乗せて素直に歌われる彼女の歌声は、真っ直ぐで小気味よく、尚且つ知的。そして何よりもそのポジティブさが心地よい。

リードトラックとなった『You Blong To Me』や、ロマンチックな『Love Story』など全20曲(ボーナス・トラック4曲含む)、粒揃いの佳曲が揃っているが、とにかく勢いを感じさせる。特に僕が好きなのは『Fifteen』。僕には15才の女の子の気持ちなど全く分からないが、この曲を聞くと胸が締め付けられるから不思議だ。

音楽は性別も時代も国境も越える。それを証明するとても素晴らしい作品である。欲を言えば、アレンジが中途半端。どうせなら、もう少しカントリー色が欲しかったな。

 

1. フィアレス
2. フィフティーン
3. ラヴ・ストーリー
4. ヘイ・スティーブン
5. ホワイト・ホース
6. ユー・ビロング・ウィズ・ミー
7. ブリーズFEAT.コルビー・キャレイ
8. テル・ミー・ホワイ
9. ユー・アー・ノット・ソーリー
10.ザ・ウェイ・アイ・ラヴド・ユー
11.フォーエヴァー&オールウェイズ
12.ザ・ベスト・デイ
13.チェンジ

(ボーナス・トラック)
14.アワ・ソング
15.ティアドロップス・オン・マイ・ギター
16.シュドゥヴ・セッド・ノー
(日本盤ボーナス・トラック)
17.ビューティフル・アイズ
18.ピクチャー・トゥ・バーン
19.アイム・オンリー・ミー・ホエン・アイム・ウィズ・ユー
20.アイ・ハート?

なんと20曲。アルバムもコンスタントに出してるし、やっぱ才能ある人は多作なんです。ちなみに私の持ってる唯一のテイラーさんです。

Which Bitch?/The View 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Which Bitch?』(2009)The View
(フィッチ・ビッチ/ザ・ビュー)

 

ザ・ビューの2nd。キャリアを重ねる毎に音楽性が広がるのはよくあることで、このバンドも例に漏れず引出しが増えていくんだけど、そうはいっても彼らの場合は相変わらずのロックンロールというか、身も蓋もなくジャカジャカすんのが好きだからしょうがないってところに落ち着いてしまうのがいい。しかし結局そういう馬鹿みたいなロックをいつまでも続けてって、飽きもせずちゃんと聴いてもらえるってのが一番難しかったりするわけで、多くのバンドがだんだん音楽性を変えていくのも実はただの初期衝動ではやってられなくなってくるってのが本心だったりもする。そんな中、いつまで経ってもジャジャ~ンってこうすんのが最高だろ?ってギターを鳴らしているのがザ・ビューだ。

この2ndは前作の最後の曲のパート2みたいな小品で始まって、#2『5 レベッカズ』で一気にスピードを上げる。もう滅茶苦茶カッコよくてブレーキかけてもつんのめって止まれない感満載のロック・チューンだ。中盤のブリッジからラス・サビへ向かうギター・ソロといったら、なんのこたあないリフだが、ハンパないカッコよさ。

ただ彼らの場合はやっぱり勢いだけってことではなく、音楽的基礎体力とでも言うような確かなソングライティングがあるわけで、それはストリングスを用いた#6『アンエクスペクテッド』とか、ホーン・セクションが賑やかな#9『ジミーズ・クレイジー・コンスピラシー』を聴いてりゃよく分かる。#10『カヴァーズ』なんて大人しいけど複雑な曲だ。ということで当然のことながら優れたソングライティングとそれをしっかりと支える音楽的なバックボーンがちゃんとあるってのがミソなんだろう。

彼らはこの後もジャカジャカしたロックンロールをやっていくんだけど、年月を重ねるとどうしても洗練されてくるというか余計な凸凹が無くなってくる。それはそれでいいんだけど、このアルバムはそうしたウェル・プロデュースされていない無駄な凸凹がまだまだあって、好きなことをひたすらやってるってところも魅力だ。

他愛のないロックンロールだけど、ガッとした手ごたえがあるから他愛なくなってしまわない、流れてってしまわない力強さがこのバンドにはあって、#10『ダブル・イエロー・ラインズ』なんて特に目新しいところが何もないよくあるポップ・ソングだけど、いちいちちゃんと決まってるんだからしょうがねぇなって感じ。#13『ギヴ・バック・ザ・サン』も長尺だけどホントに良く出来た曲で最後のシャウトなんて最高だ。ついでに言うと、ボーカルのカイル・ファルコナーのスコットランド訛りだかなんだが知らないけど、巻き舌で飛び跳ねちゃってる感も最高だ。

 

1. ティピカル・タイム2
2. 5レベッカズ
3. テンプテーション・ダイス
4. ワン・オフ・プリテンダー
5. ショック・ホラー
6. アンエクスペクテッド
7. グラス・スマッシュ
8. ディスタント・ダブロン
9. ジミーズ・クレイジー・コンスピラシー
10. カヴァーズ
11. ダブル・イエロー・ラインズ
12. リアライゼーション
13. ギヴ・バック・ザ・サン
14. ジェム・オブ・ア・バード

(日本盤ボーナストラック)
15. ダンディール
16. ミスター・メン・ブック
17. フォア・ユー

Zooey/佐野元春 全曲レビュー

『ZOOEY』(2013)佐野元春 全曲レビュー
(ゾーイ/佐野元春)

1. 世界は慈悲を待っている
「穏やかで未経験な君 やりきれなくなって自滅するなんて」。冒頭の数行を聴くだけで、これまでのスタイルとは全く違うことに気付く。モータウン調のリズムに乗り、意図的に一音に一語をフックさせることでビートが強調されている。「若くて 未熟な アナキスト」に捧げられてはいるが、無論、年齢や世代を制限するものではない。開かれた曲だ。
この曲にはサビでとっておきのラインが待っている。「Grace 今すぐ 君の窓を開け放たってくれ」。曲の後半、饒舌になる訳でもなく、大げさなアレンジを加えることもなく、静かに盛り上がりをみせる手腕は過去の曲でいうと『月夜を往け』(2003年『The Sun』収録曲)で見せたもの。

2. 虹をつかむひと
出だしのオルガンといい、ピアノといい、ダダンと踏み込むドラムといい、これはもうスプリングスティーンである。ロックの一つの定型であり、いわゆるウォール・オブ・サウンド。
宮沢賢治のようなイノセントな言葉に面食らってしまう。僕はそんな正直な人間ではないよ、と。思わず琴線に触れてしまうのだけど、めんどくさい僕はどうしたらいいのか持て余してしまう。この曲をライブで聞いたときには素直にグッときた。結局、ライブでなんの躊躇もなく聴くべき曲なんだろう。

3. La Vita e Bella
リード・トラックに相応しい快活な曲。しかし言葉は先の震災を思わせる。タイトルは「素晴らしき人生」。色んなことを経験し、知ってしまった。しかし「君が愛しい 理由はない 言えることはたったひとつ この先へもっと」と歌う。もうそれしかないというように。ここでのメッセージは切実だ。
ライナー・ノーツにはこんなふうに書いてあった。「人生は素晴らしい。しかしそれを知るころには身も心も傷だらけ」。この曲はただの人生賛歌ではない。その両面が歌われている。それに応えるバンドの演奏もまた素晴らしい。サッと始まり、サッと終わる。その疾走感もこの曲の意味を明確にしている。

4. 愛のためにできたこと
ゆったりとしたバラード。多分深刻な別れの歌なんだろうけど、さらりとした別れともとれるし、現在進行形にも聞こえる。2番になると詩は更に広がりを見せ、様々なイメージを喚起させる。言葉少ななシンプルな曲だが、深刻でもあり、ユーモラスでもある。また、過去と現在、未来とも繋がっており、佐野のソングライティングが新たな領域へ入ったことを確信させる作品となっている。加えて、佐野のボーカルが素晴らしい。このアルバムでも1,2を争う出来ではないか。
「愛していると君は言う でも信じてるとは決して言わない」というフレーズは秀逸。ちなみに最初このタイトルを聞いたときは『僕にできること』(1996年『フルーツ』収録曲)を連想したが、全く別物だった。

5. ポーラスタア
早口で字余り気味に歌われる、珍しい曲。スポークン・ワーズ形式とも異なり、吉田拓郎の『イメージの詩』を思わせる。詩の中身の方は完全に現代詩。しかし言葉の意味にとらわれず、自由に聴くべきであろう。そのためのサウンドがここには用意されている。確か新生コヨーテ・バンドによる最初の録音がこの曲だったはず。バンドの勢いが感じられ、この曲の意図するところと重なって見える。すなわちひたすら前を向いて歩いてゆくということだ。そしてその上には瞬く何かが存在するということ。そういう意味で、この曲と次の『君と往く道』、その次の『ビートニクス』はつながっている。

6. 君と往く道
人生を航海ととらえた『ポーラスタア』とは対照的に、この曲では散歩に例えて歌っている。色々な事があったけど、「全ては何も変わらない 全てはずっと今までのようさ」とうそぶく楽天性がいい。年月を重ねた、あるいは何事かを経験したひと組のカップルを思い浮かべるが、サビの「愛されてるって~」てところは世代を問わない初々しさがある。ブリッジの「打ち明けることもできずにいたのが懐かしい」というラインににやにやしているひとも多いはず。
他愛のない曲。しかしその他愛のなさこそが僕たちには大切なのだ。

7. ビートニクス
佐野ファンにはおなじみのビートニクス。物質的に豊かになった1950年代米国におけるカウンター・カルチャーのことだが、ここで歌われるのは彼ら先人に向けたものではない。現代の荒地を往く我々に向けられたもの。メッセージは簡潔だ。「信念のままに迷わずに歩け」。なんか猪木みたいだが、それはもうそうとしかいいようがない。金持ちだろうが、貧乏だろうが、行動家だろうが、引きこもりだろうが、関係ない。「行き先は自分で決めてゆくしかない」のだ。
珍しくギター・リフを基調とした曲。ヘビーなサウンドが心地よい。歌詞も少なく単純。つまり「Don’tthink. Feel!」ということだ。

8. 君と一緒でなけりゃ
マービン・ゲイ風ソウルナンバーといったところか。「人間なんてみんなバカさ」。言葉だけを見ると強烈だが、そこまでの重さはない。これこそ音楽の魅力だろう。むしろこの曲のテーマは「君と一緒でなけりゃ」というライン。その意味をじっくり考えたい。ロックンロール一辺倒と思っていたコヨーテ・バンドだが、この手の曲も見事。もともとは1993年のアルバム、『ザ・サークル』のアウト・テイクだそうで確かにそれも頷ける。となると、ハートランド・バージョンも聴いてみたくなるのが心情。前曲『ビートニクス』からの流れがこの曲の良さを一層高めている。

9. 詩人の恋
タイトルそのままに愛の歌。別れの歌。しかも死別を思わせる深刻なもののようだ。言葉があまりにリアル。このアルバムの制作前、個人的に衝撃的なことがあったとのこと。もしかしたらそうなのかもしれない。何人かのレビューを見ているとこの曲はかなり評価が高いようだ。が、僕はまだよく掴めていない。この曲ではストリングスを模したシンセが使われてるが、それも僕がいまいち入り込めない要因だ。はっきり言ってこの曲に漂うリアルな生にはそぐわない。変に盛り上げる必要はないと思う。アコースティック・ギターのみで淡々と歌われるデモ・バージョンの方が僕は絶対いいと思う。

10. スーパーナチュラルウーマン
この歌はライナー・ノーツで述べているとおり。主人公はもうやけくそ。だってどうあがいても女性にはかないっこないんだから。女性賛歌。どう思うかはひとそれぞれ。この曲に深い意味を詮索するのは無意味だろう。過激な歌詞に目が行くが、ノリで口をついて出てきただけ。ほんとに理由なんてないと思うな。作家の本心はアウトロの「スーパーナチュラルウーマン♫」。このコーラスの柔らかな歌声が全てだと思う。

11. 食事とベッド
アルバム終盤に相応しいパワー・ポップ。プラス、スカということで陽気な曲。この曲もストレートに捉えるべきであろう。「二人はピーナッツ」というのも楽しいが、『食事とベッド』というのが色々想像できていい。佐野元春という人は知的で真面目なメッセージを歌う、というイメージがあるかもしれないが、基本的にはこの曲みたいな風来坊。盛り上がっちゃってラストでベースが唸るのはその表れ。「あとどれくらい愛してゆけば君に会えるだろう」という厳しい言葉が頬が緩みそうなメロディで歌われているところがミソ。

12. ゾーイ
佐野の「Well」で始まるシンプルなロックンロール。前作『コヨーテ』から6年もの歳月を要した理由がここにある。恐らく、できたてホヤホヤのバンドでもこの手の曲はできただろう。しかし、幾たびかのライブ・ツアーを通してまで佐野がこだわったのは、バンドとしての気を込めるためではなかったか。この曲にはロック音楽に最も重要な気が込められている。佐野流に言うならば、血の通った音楽ということだ。このあまりに身も蓋もないシンプルな言葉とメロディ。それこそが佐野から僕たちへの強烈なメッセージだ。シンプルゆえに簡単に消費されてしまいかねない。しかしその風雪に抗うための強固な気がここにはある。僕は‘zoe(ゾエ):永遠の命’と冠したアルバム・タイトルに相応しい曲だと思う。

Eテレ 日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」 2017.10.15放送分 感想

 

いや~、昨日の日美、面白かった。今回は関西人には東大寺南大門の仁王さんでおなじみ、運慶の特集です。現在、東京国立博物館で運慶展を行っているとのこと。そこからの放送となります。ゲストは見仏記でおなじみのみうらじゅん氏と美術史家の佐々木あすかさん。みうらじゅんのぐちゃっとした話も、佐々木あすかさんのガシッとした話も面白かったです。

で仁王像、私のような80年代ジャンプ世代にとってはやっぱ北斗の拳です。どう見ても昔の造形物とは思えない漫画チックなビジュアルは子供心にも訴えるものがありました。ちなみに向かって左側の口を開いた方が阿形(あぎょう)像で右側の口を閉じた方が吽形(うんぎょう)像。阿は宇宙の始まりを表し、吽は宇宙の終わりを表すのだそうです。う~ん、小学校の遠足以来何度も見ているがそういうことだったのか。なるほど。

続いて大日如来坐像。運慶のデビュー作だそうです。この坐像はそれまでの仏像とは全く違うそうで仏像らしからぬ造形をしているとのこと。例えば足の裏。仏様というのは偏平足と相場が決まっているのに、ちゃんと土踏まずの凹みまで表している。仏様は人ではないという概念があったから偏平足だったのか、単に昔からそうだったからそうなっていただけなのかは知らないけど、とにかく運慶は自分の審美眼というか自分の思い描く仏像というものがはっきりと目に見えていたのだ。

正直言って、仏様というのは正面から見ると、あぁ仏様だって感じは受けるけど、角度を変えて見ると、造形的におかしかったりして、それはやっぱり仏様というのは人ではないのだから当たり前で、異様なバランスがそれはそれでそういうもんだという納得をしてしまえるのだけど、運慶はそうはならなかった、ということではないでしょうか。

この大日如来坐像の台座の裏に運慶は自分の名前を書いている。仏像に製作者の名を入れるというのは運慶が初めてだったらしい。ということは、もう完全に作品として捉えているからで、もちろん仏様という存在は私たちとは比較にならないぐらい大きなものだったと思うんだけど、それでもなお仏像を作るというよりは芸術作品を作ってるっていう意識があったから名前を入れるってところに繋がってったんじゃないだろうか。

次は八大童子立像。これがもう大日如来坐像とも阿形像・吽形像とも違う世界。顔つきがめっちゃリアルです。こうして同じ手法を繰り返すのではなく、次々に新しいことに取り組んでいくっていう面もやっぱり芸術家です。この八大童子立像ですが仏像というより人。リアリティの追求、仏像という名を借りた想像物とでも言おうか、当時の人はどう思ったかは知らないけど、これはもう我々の時代の作品としてもいいんじゃないかっていう。瞳の輪郭を赤にするというのも完全に現代アートの世界で、リアリティとそこにフィクションを加えることで更にグッとリアリティをもたらす運慶の真骨頂。未だに先鋭的な部分が失われない所以ではないでしょうか。
体は確かに仏像の形を残しているが、顔はもう完全に人。証拠にどの角度から見てもリアリティがあって、仏像っていうある意味非合理的な描写ではなく理にかなった造形ということになる。その辺り、みうらじゅんが運慶はビートルズって言ってたけど、それがすっごく分かり易かった。ビートルズとかiPhoneみたいなそれまでの常識とは違うルートからポーンと新しいものが出てきて、まずは分かりやすくてポップでっていう。でその後にこれって凄いんじゃないかっていうような感想がやって来て、だから何百年経った今でも新しさがあるんだと思う。

最後は興福寺の無著・世親菩薩立像(むじゃく・せしんぼさつりつぞう)。これが後ろに立ってたら気配感じてめっちゃ怖いでっていうぐらい、人みたい。そっくりそのままに造形すればリアルというわけではなくて、本当はそうじゃないかもしれないけど、本当よりも内面を生々しく描いたリアリティっていうのかな。確かに生きているかのようなリアルな造形だけど、やはりどこかをデフォルメしたり抑えたりしているからこそのリアリティ。この人の最大のものを抽出したらこうなるだろうというような描写ということなのかもしれない。そうした見えないものを彫刻しているんだけど、運慶にはやっぱり見えているのであって、それは運慶自身の生き来し方というものがあればこそだろうし、そこの部分と年月を経て極めた技術というものが合致して生み出されたのだと。そしてそうした目に見えないものを我々に見せてくれる、何百年経った我々にも紐解いてくれる。それは何かと言われれば、やっぱり芸術としか言えない物だと思う。

てことでこの日本肖像彫刻の最高傑作と言われている興福寺の無著・世親菩薩立像は現在、東京国立博物館で展示中ということで奈良におわしません。来月、奈良に行こう思てたのにおれへんや~ん。ま、近いしそのうち行けるからえーか。

秋の庭

ポエトリー:

『秋の庭』

 

お手玉をして変わり果てたあの人の肢体に

虫眼鏡を当てた

晩御飯の残り物みたいに昨日の湯気がうっすらと浮かび上がり

その向かいにあるグラスの淵

唇の形が凝視する

朝晩は冷えるから上着を持って行きなさい

おせっかいだほんとにもう

蛍光灯ひとつ

白が気に入らないからオレンジ

オレンジが気に入らないからLED

何のために何を変える?

黙って従うべき言葉も無いまま代わりに

集合写真のような柔らかさで

主人の居ない一戸建ての奥の部屋

慰めてが木霊する

笑っているのは置き忘れた夏の簾で

元気よく泣く赤ちゃんのようにそこだけ立体的

冷たいご飯を温めたりしないで

鉛筆は尖らせないで

辛抱に辛抱を重ね

秋の庭

虫が泣く代わりに猫が泣く

耳障りな音、道路を横切る銅線のようにぶら下がり

それも黒い服を着た今の私なら

簡単に引き摺り下ろせる

 

2017年9月

いい加減な旅行

ポエトリー:

『いい加減な旅行』

 

君の形

嘘の形

唇の形

三分の友達

もう視界の外

逸らしてしまう

 

ルーブルへ行きたいと言う

稜線に触りたいと言う

でも君は何度も何度も

LINEを見返して

僕は何度も何度も

LINEを確かめて

何度も何度もひとりじゃやりきれない

 

鋳型に詰められた忘れ物

今月のノルマもほどほどに

はい、いい加減な性格です

はい、いい加減な生活です

 

先日行った風呂やの窓越し

太平洋や西アフリカや中央アジア

中南米などなど

いい湯加減

ジャンプ読みます

コーヒー牛乳飲みます

 

世界の果てに飛び立つ

今月末が締め切り

準備もそこそこ旅立とう

新しい場所に着いたら

またLINEして落ち合おう

イエーイなんつって

 

列車から覗く景色は夏草が揺れるそれ

トウモロコシ畑のトンガリは宇宙へ駆け出すロケット

いい加減な旅でも構わない

さらりと夏草追い抜いて

大きな顔のあの人を出し抜いてしまおう

 

2017年8月

Keep The Village Alive/Stereophonics 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Keep The Village Alive』(2015) Stereophonics
(キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ/ステレオフォニックス)

 

新作が出ると聞くと嬉しくなるバンドが幾つかあって、このステレオフォニックスもそう。真っ先に公開された『セ・ラ・ヴィ』がまた待ってました感満載のアッパー・チューンだったので、すごく楽しみに待っていた。

その『セ・ラ・ヴィ』から始まって、2曲目、3曲目と聴いてゆくとやっぱいいんだなあ、この安定感。どっからどう切ってもステフォなんだけど、前作で取り組んだ陰影の部分がちゃんと出てるし、基本的なスタンスとしちゃ何も変わらないんだけどしっかりバージョン・アップされてて、昔ながらのバンドではなく今まさに旬のバンドとしての音が聴こえてくる。キャリア20年目でまたUKチャート1位に返り咲いたというのがその証しだろう。

僕は音楽的なことはよく分からないけどコード進行も単純な感じがするし、曲そのものもいたってシンプル。それでいてこうもドラマティックで奥行きのあるサウンドに仕上がってくるということは、曲作りにおいてもサウンド・デザインにおいても何がしか秘密がある訳で、ミュージシャンを目指す人にとってはよいお手本になるんじゃないだろうか。

今回もケリーのソングライティングは冴えわたっていて、ストーリーテリングが相変わらず素晴らしい。日本人の僕にだってちゃんと映像が浮かんでくるし、ほんと間口の広いストーリーテリングだ。やっぱそこは語り過ぎないということだろう。ちょっとどうなのか分かりにくいところが所々あって、そこはどっちでもいいよ、って聴き手に委ねられている感じ。不足があるというのではなく、そこのさじ加減が丁度いいのだろう。そしてちょっとグッとくる話には何げにストリングスが絡んできたりして、この扱いがまた絶妙なんだな。

このバンドはケリー・ジョーンズの声とソングライティングなんだけど、それも盤石なバンド演奏があってこそ。やっぱバンド力なんだと思う。キャリア20年目にしての9枚目のオリジナル・アルバム。タワレコ・オンラインで初回限定盤を注文しようとしたらすぐに無くなってて、日本でも根強い人気。勿論僕も大好きだ。

 

1. セ・ラ・ヴィ
2. ホワイト・ライズ
3. シング・リトル・シスター
4. アイ・ウォナ・ゲット・ロスト・ウィズ・ユー
5. ソング・フォー・ザ・サマー
6. ファイト・オア・フライト
7. マイ・ヒーロー
8. サニー
9. イントゥ・ザ・ワールド
10. ミスター・アンド・ミセス・スミス

(日本盤限定ボーナス・トラック)
11. セ・ラ・ヴィ (ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール)
12. マイ・オウン・ワースト・エネミー (ストリップト 2015)

Working On A Dream/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Working On A Dream』(2009) Bruce Springsteen
(ウォーキング・オン・ア・ドリーム/ブルース・スプリングスティーン)

 

詳しくは知らないけれど1950年代に生まれたロックンロールは、チャック・ベリーが‘sweet 16’と歌ったように若者のための音楽であった。大人に「なんだあのジャカジャカやかましい音楽は」と思われたかもしれないが、そんなことはお構いなしにウィルスのようにどんどん伝播していった。ヒップ・ホップがあっという間に世を席巻していったことを思えば、僕らにも何となく想像がつく。

以来、様々なミュージシャンの登場で現在に至るわけだが、何も変わらないことがあるとすればそれは‘若者の音楽’である、という一点ではないだろうか。いや、ロック音楽の誕生から数十年経った今では、大人が聞くロック音楽もたくさんあるじゃないか、と言われるかもしれない。この辺は議論が尽きないところだけれども、例えば誰かをを好きになる、友達とうまくいかない、或いは理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しむ、でもどうしたらいいか分からない。そんな多感な頃に初めて経験するナイーブな問題に直面したとき、そっと肩を叩いてくれる、時にはケツを引っぱたいてくれる。それがロックン・ロール音楽ではないだろうか。

なんか話が随分それたが、僕が言いたいのはロック音楽というのは‘成長’というテーマを抜きには語れないということ。かつては年老いたロック・ミュージシャンなんて考えられなかった。なんせジョン・レノンは40才でいなくなったんだから。でも現実はロック・ミュージシャンも年をとる。‘成熟’というロックンロールとは相反する事態に直面するのである。

このアルバムはラブ・ソング集とも言える。スプリングスティーンがここで歌うのは他愛もない愛の歌。稀代のストーリー・テラーがなんのてらいもなく真っ直ぐなラブ・ソングを紡いでいる。そんな中、このアルバムの冒頭に据えられたのは9分の大作、『Outlaw Pete』。80年代のアルバム『ネブラスカ』を思い起こさせる、生まれながらの無法者、通称‘アウトロー・ピート’の物語である。

勿論、CDをトレーに乗せて真っ先に聞くのがこの曲なので、この後の展開は知る由もないのだが、2曲目3曲目と続くうちにこのオープニング・ナンバーが本作において、異色な存在であることに気付く。何故、人肌を感じさせるミニマムな‘愛の歌集’とも言える本作のオープニングに、このような深い影のある曲を持ってきたのだろうか?このアルバムを幾度が聞き、僕はふと思った。我々もこのアルバムの登場人物も、アウトロー・ピートとなんら変わらないのではないか、と。

この曲では何度も‘Can you hear me ?’と繰り返される。しかし‘Can you hear me ?’と叫ぶのはアウトロー・ピートだけではない。ときには彼を狙う賞金稼ぎであり、ときには彼の妻でもある。すなわち、こう言い換えることは出来ないだろうか。聞こえてくるのは、アウトロー・ピート自身の声であり、決して消すことの出来ない過去からの呼び声であり、そして新しい自分を呼ぶ声であると。そしてその何れもが紛れもないアウトロー・ピート自身であるのだ。

本作の登場人物は意識的にせよ無意識的にせよ、このことを理解している。ここに出てくる人生の折り返し地点を過ぎた人々は、何も知らなかった自分も、知ってしまった自分も、何かを乗り越えた自分も、何かを乗り越えられなかった自分も全てが自分自身であり、過去も現在も、そしてやがて来る未来も、全てが自分自身なのだという認識に立っている。それは経験であり、成熟ではないだろうか。にもかかわらず彼らは今も尚、一途に希望を歌う。ここに及んでは年齢など関係ない。ここにあるのは成長のしるしであり、現在進行形の成長の歌である。だからこそ僕はたまらなく心が揺さぶられるのだ。

 

1. Outlaw Pete
2. My Lucky Day
3. Working On a Dream
4. Queen of the Supermarket
5. What Love Can Do
6. This Life
7. Good Eye
8. Tomorrow Never Knows
9. Life Itself
10. Kingdom of Days
11. Surprise, Surprise
12. The Last Carnival
13. The Wrestler (Bonus Track)

Blood Moon/佐野元春 感想レビュー

『BLOOD MOON』(2015年)佐野元春

僕がこのアルバムを聴いて最初に思ったのは、バンド・サウンドだ。ついにコヨーテ・バンドのオリジナリティが開花したと思った。ハートランドとも違う、ホーボーキングとも違うコヨーテ・バンドならではのサウンド。今この時、2015年を生き抜くには強靭なグルーヴが必要だ。足元をすくわれぬよう、無意識のうちに導かれぬよう、自ら拠って立つ強靭なグルーヴが。

2007年の『コヨーテ』アルバムは‘荒地’がテーマだった。現代を荒地と捉え、その中でどうサバイブしてゆくか、ということが大きなテーマだった。佐野はこのアルバム・リリースにあたってのインタビューで「変容」という言葉を使っている。「変化=change」ではなく、「変容=transformation」。変化という生易しいものではなく、我々の住む世界そのものが形を変えてようとしていると。アルバム『コヨーテ』以来、バンドは原始的で重心の低いグルーヴを求めてきた。それは邪な風が吹いても優しい闇が訪れても、決して流されない為だったのか。そうして鍛え上げられてきたグルーヴに今回、いつもより硬質な言葉が乗せてられている。

それは政治的な言葉と言っていい。但し政治的と言っても特定の誰かを糾弾したり、批判したりというものではない。今ある世界にいる我々の生きてゆく様を大げさに言うでもなく、ありのまま物語ることだ。しかしそれはバンドと聴き手のイマジネーションへの揺るぎない信頼があって初めて可能になる。それさえあれば作家は思うままに言葉を乗せてゆくことができる。どう聞いても間違いようのない明確な言葉が躍動しているのはバンドに対する深い信頼と、当たり前のことではあるが良き聴き手がいて自分がいるという意識の表れだ。

今回のアルバムではいつになく、映像が鮮やかだ。全ての曲ではっきりと聴き手のイマジネーションに働きかけている。といっても実際の話という訳ではない。あくまでも架空の物語である。フィクションにどれだけリアリティを持ち込めるか。フィクションだからこそのリアリティ。これは優れたアートの大前提と言っていい。そしてフィクション故に様々な両義性が生まれる。

そう、このアルバムの特徴を一言で言うなら両義性だ。かつてないほどネガティブな言葉、硬質な言葉。そして象徴的なアルバム・ジャケット。しかしそのすべてが一方的に外に向けられたものではなく、こちらにも等しく返ってくるということ。ここにあるのはどちらかの立場で何かを述べたものではなく、どちらが正しいというものでもなく、今ある世界をあるがまま見ようとする態度である。#3『本当の彼女』での「彼女のこと 誰もわかっちゃいない」というのも、だからといってこちらが分かっているわけではないし、#4『バイ・ザ・シー』においても何もセレブな週末を描いているわけでもない。『優しい闇』での闇というのも外から迫りくるものという解釈がある一方で、自分の内に芽生えるものという解釈も見えてくる。#6『新世界の夜』や#9『誰かの神』などはもろに言葉がこちらに返ってくるし、#7『私の太陽』でも主人公は不公平な世界を「気にしない」と言うけれど、そことは無関係ではいられない自分を知っている。#10『キャビアとキャピタリズム』も市場原理主義の真っ只中にいる我々が「俺のキャビアとキャピタリズム」と叫ぶところに意味がある。

一見、外に向けたメッセージ色の濃いアルバムのように思える。しかしこのアルバムは自分以外の誰かや見えない何かを指さすものではない。「何も変わらない」、「気にしない」といった言葉の意味は?正義面して誰かを指弾することができるのか?今の自分の生活はどこに立脚しているのか?不公平な世の中の恩恵を受けているのは誰なのか?僕たちの生活は明日も保証されたものなのか?僕たちこそ糾弾されるかもしれない、坂を転げ落ちるかもしれない。そんないつどうなるとも限らない頼りない世の中で、僕たちはどう生きてゆけばいいのか、どう向き合ってゆけばいいのかということを投げかけてくる。だからこそこのアルバムは人々のイマジネーションに働きかけ、各々がはっきりと自分自身の物語として像を結ぶのである。

今はかつてないほど同時代性が重要だ。今この時代に何も言うことがない作家はどこにもいないだろう。これは今を生きるある作家からのメッセージだ。不特定多数へではなく、聴き手ひとりひとりへ。一方通行ではなく相互に作用しあうメッセージ。

但しそのメッセージは非常に言葉が強い。それを可能にしたのは間違いなくバンドだ。こうしたはっきりとした言葉が表に出過ぎてしまうと、きっとそれは聴くに堪えない。だがここにある言葉は浮つくこともなければ、逆に重すぎて沈み込んでしまうこともない。また殊更ネガティブになることもなければ、ポジティブになることもない。えぐい言葉が出てくる。だが聴き手を突き刺してくることはない。むしろこちらの態度に委ねられていると言っていい。ここで歌われている風景を見ているのは我々なのか。あるいは見られているのはこちら側なのか。バンドはただフラットな感情を呼び起こし、我々に踊ろうと言う。音楽というのは楽しむものだ。その本能に従っていけばいい。硬質な言葉が眉間にしわを寄せることなくダンスする。我々はビートに従ってゆくだけだ。ビートとは反抗。佐野は言う。「ロックンロール音楽はカウンターである」と。

 

1. 境界線
2. 紅い月
3. 本当の彼女
4. バイ・ザ・シー
5. 優しい闇
6. 新世界の夜
7. 私の太陽
8. いつかの君
9. 誰かの神
10. キャビアとキャピタリズム
11. 空港待合室
12. 東京スカイライン

Hang/Foxygen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Hang』(2017) Foxygen
(ハング/フォクシジェン)

 

米国の2人組、フォクシジェンの4枚目のアルバム。アルバムを買うきっかけは、YouTubeで見た#1『Follow The Leader』のビデオ。60年代ポップスを思わせるストリングスを聴かせたゴージャスな作品だけど、ちょっとずれてる。ていうかわざとずらして真剣にふざけてる。道化のようにおどけ、「Follow The Leader」と歌う姿がとてもいかしていた。

ライナー・ノーツを読んでいると、ソングライティングと多くの楽器を手掛けるジョナサン・ラドがバンドの核のようにも思えるが、幾つかのライブ映像を見れば、このバンドはフロント・マン、サム・フランスの存在感があって初めて成立するのだということがよく分かる。何かが憑依したかのように振り切ったロック・パフォーマーとしての立ち居振る舞いが、バンドのメッセージを示すビジュアルとしての効果は非常に大きい。

このアルバムを語るに避けては通れないのが総勢40名からなるオーケストラだ。ジョナサン・ラドとサム・フランスが今回のアルバムで導入したのは演劇性とエンターテイメント。自分たちの意見を声高に歌うというのではなく、道化のように一芝居打つこと。だがまあ大したものじゃない。基本、彼らは楽しんでるだけだ。その悪ふざけとも取られるようなお芝居がしかし、フィクションが真実を語るようなシリアスさを醸し出す。#4『America』で「ア~メ~リカ~」と歌い上げる姿は可笑しいはずなんだけど、そこに裏を感じさせるのは恐らく聴き手が勝手に想像しているだけ。この辺は恐らく計算済みだろう。この曲ではオーケストラが何度も転調を繰り返す。ご機嫌なしらべはさながらミュージカルで、途中クレイジーキャッツみたいなコミカルな展開も。単純にご機嫌な曲として楽しんで、勝手に裏読みするってのが正しい聴き方かもしれない。

このアルバムは大ラスの『Rise Up』でクライマックスを迎える。この曲は米国では教科書にも採用されているという『赤いシダの木』というお話がモチーフとなっている。それまでの道化が嘘のように作者のまなざしは優しげだ。曲のラストでは大げさなオーケストラと叩きつけるドラミングがうねる中、エレクリック・ギターのディスト―ションが唸りを上げる。これは声なき者の声。この鳴り方は作者の本音がここに隠されているということか。もしかすると彼らのサーカスは最後の歪んだギターを聴かせるための序章だったのかもしれない。

ここにある音楽は60年代70年代のポップ音楽を切ったり貼ったりして、単純にこれカッコイイやんと遊んでいるだけかもしれないが、芸術が内面や暗部を浮かび上がらせるものだとしたら、彼らの態度はその無邪気さで内面や暗部を浮かび上がらせる。多くのポップ音楽はそうしたものを情緒的に処理してしまいがちだが、それでは真のポップ音楽足り得ない。ここで「ア~メ~リカ~」って歌い上げたら面白いやん、っていうエンターテイメント性はそのことを自覚しているからではないか。

蛇足ながら、この無邪気さゆえのメッセージ性(意図的であれ無自覚であれ)は僕にはフリッパーズ・ギターを思い浮かばせた。

 

1. Follow The Leader
2. Avalon
3. Mrs. Adams
4. America
5. On Lankershim
6. Upon A Hill
7. Trauma
8. Rise Up