想像ラジオ/いとうせいこう 感想

ブック・レビュー:

『想像ラジオ』 いとうせいこう

 

夢ばかり見ている子供でした。野球選手になって大活躍する夢や悪い奴をやっつける夢や好きな女の子に告白される夢。いや、これは夢と言うより妄想かな。ていうか今もやってます(笑)。告白しますが、僕はいい年をして未だに妄想しています(笑)。

僕には大切な家族がいます。もし何かの理由があって会えなくなったら。僕は妄想すると思います。街角で急に会って、「あぁ、こんなとこで」、みたいな妄想を。それからまた一緒に居れる妄想を。もしくは本当にこの世から居なくなったら。僕は妄想すると思います。楽しかった時、険悪な雰囲気だった時(笑)、それから今の今、一緒にいる姿を。

僕が急にこの世から居なくなる場合もあるかもしれない。そうそう、実はそういうことを妄想してしまうことがあるのです。ここで自転車で転んで頭打って死んだらどうしようとか、電車に乗ってる時に後続の電車が突っ込んで来たらどうしようとか。

でもそうなったら僕は真っ先に妻の元へ駆けつけるかもしれない。いや、きっと駆けつける。きっと空へ召されるまでに幾ばくかの猶予があるはずだ。だから一刻も早く、空へ召されるまでに何とか妻の元へ駆けつけ、先ずはこうこうこういう理由でこうなったとことを、或いは詫びや言い残したいこと、或いはあそこの引き出しは開けないでくれとかをあれこれ告げるだろう。だから妻の元へ駆けつけるまでの少しの時間を利用して、必死に考えをまとめて必死に急ぐんだ。ていうかもうこれ、妄想入ってます(笑)。

『想像ラジオ』は‘魂魄この世にとどまりて’しまったDJアークの物語。かもしれないし、もしかしたら登場人物である作家Sの作中小説かもしれない。一方でこれホントのことかもしれない、ドキュメンタリーかもしれない。時々耳鳴りがしたり、気分が悪くなったり、変な声が聞こえたりっていうのは精神疾患的なものじゃなく、事実、何かの声が聞こえているのかもしれない。でもやっぱり作者いとうせいこうの想像かもしれない。まあ何だっていいや。

僕は小さい頃、大きくなったら妄想はしないだろうって思っていたけど、40を過ぎてもまだやっている。多分、もっと年をとっても死にそうになってベッドに寝たきりになっても妄想しているだろう。好きな人のこととか、それは妻だったり、妻じゃなかったり(笑)。あと僕がカッコいいスーパーお爺さんになってたり。

今は3月だから震災関連の番組があります。気になるから観るけど、「この後津波の映像が流れます」ってテロップが入ると僕は目を閉じて耳をふさぎます。僕は大阪にいて全く被災していないけど、僕にもムリです。

想像することは止めることができない。いいことだけじゃなく嫌な事も想像してしまう。しょうがない。気付けば勝手に想像してしまうのだから。きっと僕は死んでも想像しているだろう。もしあの世があればあの世に行っても想像しているだろう。会いたい人のこととか、会えない人のこととかを。

今はなき世界の終り

ポエトリー: 

『今はなき世界の終り』

 

味気ない 語るでもない

浮わついている 心の不思議

たまさかに 咳き込むように

昼過ぎのこと 表に出る

 

華やいだ街 ひどい言葉の先

広々とした道の ほろ苦い味

何から始めようか 何を約束しようか

ちらついた風 押されながら

 

果たすべきか 自ら問いかける

バチが当たるのも 覚悟の上

鼻につく 新鮮な檜の薫り

横ざまに 駆け捨てて

 

尚且つ 通りいっぺんの話題にも

ほとほと愛想を尽かし

もう嫌だ あの人の小さな声を

思い出すのも

 

意地悪な 物の見方をするのなら

腫れ物に触るような 先達の鎧に

くびき入れ 苛立ち紛れ

書きまとめを 火の中へ放り込めば

 

若干の後ろめたさも 今はなき世界の終わり

抜群の功績をもって 俄に称えられ

もういいです こんな時どうするかは誰にも教わっていませんからと

ひとり呟く

 

2017年12月

2018年 サマソニ出演者第4弾、及び日割り発表!

サマーソニック:

2018年 サマソニ出演者第4弾、及び日割り発表!

サマソニ第4弾の出演者と日割りの発表があった。今後細かな変更があるにせよ、大方はこれで決まりと考えていいだろう。それにしても今年はどうしたかことかえらい気合の入りよう。このラインナップは世界中のフェスと比べても見劣りしないなかなかのものなんじゃないでしょうか。てか決まるの例年こんな早かったっけ?

てことで東京、大阪で2日間に渡って行われるサマー・ソニック。今年のヘッドライナーは既報のとおりノエル・ギャラガーとベック。ベックの日にはチャンス・ザ・ラッパーもラインナップされていて正にダブル・ヘッドライナー状態。更にその日はパラモアも出演するとあってこりゃ大変。この日はチャンスさんのアルバムで共演したノックス・フォーチュンっていう若いもんも出演するみたいで、こりゃもうチャンスさんのステージで共演するがなっ、ていうお楽しみまで付いている。

その上でパラモアっていう、去年のアルバムで思いっきりイメージチェンジをした強力なエモ・ポップ・バンドもいたりして、しかもおまけでこりゃ盛り上がること間違いなしのウォーク・ザ・ムーン(おまけって言ってスミマセンッ)までいるという私にとってはテンコ盛り状態。あとはベックとチャンス・ザ・ラッパーとパラモアのタイム・テーブルが被らないことを祈るばかりです。なんかそれぞれ別のステージでトリやってそうなので(笑)。

それとあともう1日、大阪で言うと2日目はノエルの日。これが打って変わってあんまりそそらないです…。まぁそれは私にとってという意味で、実際はシャーラタンズとかフライング・ロータスとかチーム・インパラとか結構名のある連中がいたりするのでこっちの方がいい!って人ももちろん沢山いるのでしょうが、この辺は私よく知らないのです…。あ、フレンドリー・ファイヤーズが復活するってのはちょっと気になるかな。

とまぁ、ノエルは絶対的な存在なので行かなアカンやろうし、こりゃどーしよーって感じです。初の両日参加となりそうな予感もちらほら漂っているところでございますが、両日参加って色んな意味でしんどいよな~(笑)。

Heathen Chemistry/Oasis 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Heathen Chemistry』(2002年)Oasis
(ヒーザン・ケミストリー/オアシス)

 

今年のサマソニにノエルが来るってことで、最近のノエルのセット・リストを眺めてたら『Little by Little』が載っていて、なんかちょっと聴きたいなぁと思って久しぶりにアルバム『ヒーザン・ケミストリー』を聴いてみたら今さら気に入っちゃって、最近は結構な頻度で聴いている。とまあ、聴いてると色々思うところがあったので、今さらながらのレビューです(笑)。

オープニングは1stシングルにもなった『The Hindu Times』。シングルらしい明朗な曲だ。タイトルどおりノエルのインド趣味が出ています。ま、このぐらいならかわいいもの。前作の『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』で見せたサイケデリアも継承しています。

1曲目の流れを引き継いでたゆたうドラム・マシーンから入るは、『Force of Nature』。ノエルのボーカル曲だ。大体ノエルは一番いい歌を歌いたがるんだけど、この曲はそうでもないような…。でもこの高音はこん時のリアムにゃムリだな。続く3曲目はゲム・アーチャー作。ってことで今作はドラマーのアラン・ホワイト以外のメンバー4人が作詞曲を行っているのも特徴。で3曲目の『Hung in a Bad Place』。これがなかなかいいんです。結論から言って何ですが、このアルバム、結構いい曲があって良盤だと思うのですが、カッコイイかとなるとちょっと答えに詰まります。そんな中『Hung in a Bad Place』はいい線言ってます。アルバム中随一のカッコイイ曲がゲム作っていうのも何ですが…。

で4曲目は渾身のバラード、『Stop Crying Your Heart Out』。やっぱリアムの声はいいね。だいぶ盛り上がってますが、ストリングスなんか無くっても多分ええ曲です。続く『Song Bird』はリアム作の小品。ってかリアムはいい小品書くねぇ。昨年のソロ・アルバムを含めても、僕はこの曲がリアムのベストではないかなと。

続いては『Littele by Littele』。ノエルが血管浮き出して歌っている姿が目に浮かぶ(笑)。普通にいい曲。安定感抜群。これぞノエル。やっぱ盤石やね。

次の『A Quick Peep』はアンディ作の短いインスト。その次の『(Probably) All in the Mind』と『She Is Love』の流れが僕は結構好きです。『(Probably) All in the Mind』の方は若干のサイケデリアを絡ませつつハッピーな雰囲気でいい感じ。どっかで聴いたことのあるようなっていうノエル作にはよくパターン(笑)。『She Is Love』もいい。リアムが『Song Bird』ならノエルはこれって感じかな。曲のこなれ具合が全然違うけどどっちもいい曲だ。

10曲目の『Born on a Different Cloud』はリアムの作詞曲。こんな大曲も書けるんやね。今のリアムがこういうのに取り組んでみても面白いかも。続く『Better Man』もリアム作。まあこれはこんなもんというか、だいぶバンドに助けられてるというか(笑)。そうそうこのアルバムはサウンドがいいのです。素直にバンド感が前面に出ててそういう部分もこのアルバムの風通しを良くしている一因じゃないかな。そういや今のノエルのバンドにはゲムも参加しているみたいなので、今年のライブではゲムのギター・プレイも楽しみだ。で最後はノエルがボーカルの『You’ve Got the Heart of a Star』で締め。ゆったりとした穏やかな曲で終了です。

ガツンと来るのが『Hung in a Bad Place』だけなのがちょっと寂しいけど、ここに来てバンド感が高まってきているし、何より全体を通していい曲が揃ってる。初期のアルバムが強烈過ぎるから目立たないけど、僕は地味に穏やかでいいアルバムだと思います。ただまあ、オアシスが地味に穏やかってのがやっぱアレなんやろね(笑)。

 

1. The Hindu Times
2. Force of Nature
3. Hung in a Bad Place
4. Stop Crying Your Heart Out
5. Song Bird
6. Little by Little
7. A Quick Peep
8. (Probably) All in the Mind
9. She Is Love
10.Born on a Different Cloud
11.Better Man
12.You’ve Got the Heart of a Star

山岳地帯の物語

ポエトリー:

『山岳地帯の物語』

 

物語を語る老婆の好きな花はバラ
語り口は滔々と夢の中の偽り
あったことでもなかったことにしてしまう
口を大きく開いた財布をバッグに忍ばせ
権力にしがみつく輩に噛みつく

油断ならない山岳地帯の王は今年で満八十才
牛の生き血を吸うというもっぱらの噂だが虫も殺せない臆病者
腹が一斗樽のように突き出ているがいつも足元にいる猫の尻尾も踏んだことはない
山岳地帯の王たるゆえん

街へと続く坂道をくどくどと歩いてゆく五十がらみの配達夫はそろそろ後のことを考えている
かといって息子もいず頼るべき親類もいず
あるものといえば三十年以上肩に担いだなめし皮のバッグのみ
しかしそれは魔法のバッグ
薄汚れた空気の攻撃を三十年以上に渡り受け付けずにきた動物性皮脂由来の頑丈さを備えている
配達夫の意味は頑丈である事
五十がらみの配達夫がさんざんぱら言われてきたことを体現するそのバッグこそがかの男の教養だ

物語を語る老婆は小さな菜園を持っている
積み木を重ねた仕切りで覆われた菜園で育つものは何?
言いがかりは山ほどあるが老婆は何も発しない
一言も発しない!

その傍を虚ろな目をした少女が過ぎる
何処の街にもよくある風景
思春期特有の鼻持ちならなさを醸し出しながら正義の器を小脇に抱えている
共に歩く弟の擦り傷とは対照的に彼女の傷口からは鮮血が孵化する
奇妙な思いやりのイメージだが後にそれがこの国を丸くする

街に古くからある肉屋は古くからあるだけあって住人の信頼を得ている
主人はめったに顔を出さないが奥で目を光らせている
その主人に目を光らせているのがその妻女だ
妻女は工場の生産管理よろしく先を打って働く
ということもあってそこの従業員は皆よく足が動く
先月新しく入ったアルバイトの青年もまた同様に

街から少し離れたところにある大きな石の塊は神聖なものだが冒すべからずという程のものでもない
健全なストーンヘンジ
母親たちは生まれたばかりの赤ん坊の名を書き込む
最近生まれた風習だがこれもとやかく言う程のものではない
勿論虚ろな目をした女の子の名前もその弟の名前も肉屋の青年の名前も書いてある
近くに川があるから丁度良い憩いの場でもある
例えば新しい料理屋の味付けがどうとか何組の担任がどうとかこうとか…

この国の気候は目まぐるしい
虚ろな目をした少女より目まぐるしい
母親連中の昼の話題より目まぐるしい
肉屋のアルバイトより目まぐるしい
ぐるぐるとかき混ぜマーマレードみたいに皮は残して満遍なく行き渡る
ゴールドの羽音がする瓶詰めの気候

やがてこの国にグラニュー糖の雨が降り注ぐ
老婆の菜園に滋養を与える雨になるのか
配達夫のバッグの頑丈さを試す雨になるのか
山岳地帯の王の太鼓腹を冷やすことになるのか
当時は誰も知らなかったが、
最も恩恵を受けたのは意外にも老婆の大きく口を開いたバッグだった!

 

2017年1月

Scream Above The Sounds/Stereophonics 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Scream Above The Sounds』(2017)Stereophonics
(スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ/ステレオフォニックス)

 

いや~鉄板やね~。551の豚まんやね~。りくろーおじさんやね~(※1)。間違いないねぇ~。いやいやステレオフォニックスのことですよ。デビュー21年目を迎え10作目のオリジナル・アルバムという多作ぶりもさることながら、今回もいい出来。もう間違いないんすよ。御大、ボブ・ディランもフェイバリットに挙げるぐらいですし(※2)、もうイギリス土産としてヒースロー空港に置いてもいいんじゃないですか(※3)!?

てことでステレオフォニックスの10枚目、『スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ』のレビューです。先ずは1曲目。サビで「コート・バイ・ザ・ウィン~♪」ってそよ風吹いてます。どうです、この軽やかさ。デビュー20年を経てのこの軽やかさはちょっとやそっとで出ませんぜ。リリックにある「屋根の上で日光浴(Sunbathing on the roof)」をしているかのようなギター・リフが心地よい。ここで早くも私は思いましたね。今回も間違いない!

続く2曲目『Taken A Tumble』も軽快なロック・チューン。こりゃ懐かしのストリート・ロック、ジョン・メレンキャンプやん。軽やかに進むと思いきや、後半はリリックが膨らんでドラムもろとも畳み掛けてくる。流石フォニックス、カッコいいぜ!

3曲目『What’s All The Fuss About?』はちょっと趣が変わってフラメンコ(←あくまでもイメージです)。哀愁漂うトランペットといい、気分は『私だけの十字架(※4)』(←これも勝手なイメージです)。この曲も後半にかけて畳み掛けてきます。なんか今回のアルバムはこういうの多いな。アウトロのフラメンコ・ギターが沁みるぜ。

『Geronimo』は多分ライミングとかアクセント先行で出来た曲やね。全編韻を踏んでます。中でもサビの「~like a domino」と「~like Jeronimo」の韻がイカす。そーです。カッコよけりゃ意味なんて雰囲気でどーとでもなるのです。こういう遊びで作ったような曲がえてしてカッコイイから不思議。演ってる方も実はこういうのが一番楽しかったりするのではないでしょうか。曲の中盤では珍しくサックスだ。ちなみにジェロニモといえばつい「アパッチの雄叫び(※5)」を思い出してしまいますが、全く関係ありませんのであしからず。

フォニックスの魅力の一つはリリック、とりわけそのストーリー・テリングにある。今回で言えば5曲目の『All In One Night』だ。余計な感情は一切排し、時間軸に沿ってただ物語だけが進行していく。リリックにもサウンドにも大げさな仕掛けは一切なし。にもかかわらず、徐々に立ち上がる情感。見事である。

6曲目の『Chances Are』は同じフレーズを繰り返しながらサウンドが徐々に盛り上がっていくハード・ロック・ナンバー。最後は盛り上がっちゃってどうしようもなくなる感じがいい。7曲目は今は亡き元メンバーへ捧げる『Before Anyone Knew Our Name』。ピアノの伴奏のみで静かに歌われる。ピアノはケリー自身によるものだろうか。

8曲目は珍しくサビがファルセットの『Would You Believe?』。これもストーリー・テリング。でもこっちは主人公の独白で進行していくタイプ。ブルースやね。間奏から入ってくるギター・ソロがたまらんね。ウイスキーでもグッとあおりましょうか。そんな感じです。ま、したことないけどっ。

続く『Cryin’ In Your Beer』は古き良きロックン・ロール。ヴィンテージ・ロックだ。オルガンもグイングインしちゃってるし、ここでもサックスがブロウ・アップだ。アメリカっぽいな~。元々フォニックスは大陸的な大らかさがあるバンドだけど、今回は特にその傾向が強い。

そしてケリーの回想録のような『Boy On A Bike』をはさみ本編ラストの『Elevators』へ。これなんかもすごくアメリカっぽい。ジョン・メレンキャンプ感満載で、ピアノのフレーズなんてブルース・スプリングスティーン&ザ・ E・ストリート・バンドみたい。でもサビにかかるとやっぱ英国的な情緒があって、そういうとこがまたいいんだよな。

ってことで本編全11曲。細かくコンピューター・サウンドを取り入れてみたり、ハード・ロッキンしたり、ケリー・ジョーンズの声を満喫できる弾き語りもあったりで、バラエティ豊かな曲調。肩肘張らずに、でも攻めの姿勢は忘れない、そんなフォニックスらしいアルバムではないでしょうか。ここからまた新しい旅が始まるんだという軽やかさがいい!

確固たるスタイルがありつつも決して守りに入らない。不思議と今作る音が今の音になる現役感がフォニックスの最大の強みだ。てことで、やっぱ今回も間違いないぜ!
伝統がありつつも最前線。こりゃやっぱヒースロー空港に置くしかないね!どうです?メイ首相。

 

1. Caught By The Wind
2. Taken A Tumble
3. What’s All The Fuss About?
4. Geronimo
5. All In One Night
6. Chances Are
7. Before Anyone Knew Our Name
8. Would You Believe?
9. Cryin’ In Your Beer
10.Boy On A Bike
11.Elevators

(ボーナス・トラック)
12.Never Going Down(Live at RAK Studios)
13.Drive A Thousand Miles(Graffiti Sessions)
14.Breaking Dawn(Written for Twilight)
15.All In One Night(Unplugged)
16.Caught By The Wind(Unplugged)

 

(※1)「りくろーおじさん」とは、全国的には知られていないが、大阪人にはお馴染みのチーズケーキ店のこと。味もさることながら1ホール700円弱というコスパが嬉しい。父親が昔よく仕事帰りに買ってきたのはそういうことだったのね。今では私が買って帰ります。

(※2)2017年のインタビューで、ボブ・ディランはステレオフォニックスとエイミー・ワインハウスがお気に入りのアーティストであることを明かしている。

(※3)実際、6度の全英№1を誇る国民的バンドでございます。

(※4)テレビ朝日系列で1970年代から80年代にかけて放送された刑事ドラマ『特捜最前線』。当時人気を博した石原軍団の派手な刑事ものとは対極にあるような渋い刑事ドラマ。
当時の小学生は何故かこれを昼の再放送とかで観ていて、誰もがエンディング・テーマ、チリアーノの『私だけの十字架』を歌えた。最後のとこだけやけどね。

(※5)80年代ジャンプ世代にとってジェロニモといえば「キン肉マン」に登場する正義超人、ジェロニモが先ず思い浮かぶ。人間から超人になったレア超人だ。得意技は「ウ~ララ~」という‘アパッチの雄叫び’。地味やな~。

~TRTRに捧ぐ~

ウルフルズの凄いテクニック

その他雑感:

『ウルフルズの凄いテクニック』

 

カーラジオからウルフルズの歌が流れてきた。普通にいい歌だなあなんてと聴いてると、いつものようにサビで大阪弁になった。ちょっと具体的な歌詞は忘れたけど、語尾が「~へん」とか「やねん」みたいな単純なものだったような気がする。大阪弁なんて言っても今や日本中に溶け込んでいるので別にどうってことないんだけど、これが曲に紛れ込むとなると話は別。いつもウルフルズの曲をスーッと流してしまっているけど、ちょっと待って。実はこれって大したことなんじゃないか。

僕が子供の頃の関西弁の歌といえば、やしきたかじんとかボロとか上田正樹とか。もうローカル色まる出し(笑)。しかも大阪の夜の町というか場末の酒場しか思い浮かばねえみたいな。歌ってる方もハナからそっちしか向いてねえみたいな。いい悪いは別にして、聴く方も歌う方も、開かれた歌というよりは閉じた世界、聴き手を選ぶ限定された歌だったように思う。

ところがウルフルズ。彼らの歌は非常にオープンで聴き手を選ばない。僕も詩を書いたりするので時折喋り口調が欲しい時は地言葉を用いる場合があるが、それ以外は何故かいつも標準語で書いている。創作の過程で口に出すときがあっても何故かいつも標準語(←なんか変な人みたいやな(笑))で、イントネーションすら大阪弁にはならないというかなれないというか。そうしちゃうとなんか意図したものと違ってしまって、詩を書く時には感じたこととか浮かんだことをなるべく原形を損なわずに言葉に変換したいのだけど、心に浮かんだこと自体が方言を纏う以前の状態だからなのか、それが表に出てくるときには何故か自分が普段用いている大阪弁として言葉は現れてこない。不思議だけどそれはそういうものなのだ。

要するにぼんやりとした心に浮かんだものを言葉に変換する行為は、普通に喋ることとは全く別物だということなのかもしれないけど、それをするりとやってのけるウルフルズは、というかトータス松本はちょっと他に見当たらない稀有な存在なんじゃないかと。これだけ方言丸出しのウルフルズがMステで普通に座っている事の違和感の無さ。北海道から沖縄まで何の制約も無し普通に親しまれている事実は特筆すべきことではないかと。

詩人が書きたいと思うことを仮にポエジーと呼ぶなら、詩人はそのポエジーを出来るだけそっくりそのまま言葉に変換したいはず。ならば当然普段自分が使っている言葉で表現する方が近いに決まっている。なのにそうとはならない。ならないということは遠いことを意味するのではないのか。いやそれとこれとは全くの別物なのか。

トータスのやってることってあまり語られたことがないようだけど、実は凄いことだと思う。僕はトータスにあって直にこの事を聞いてみたい。彼は恐らく、このことに自覚的だ。

自然治癒の法則

ポエトリー:

『自然治癒の法則』

 

容赦ないあなたの目には三センチの涙

頬を伝って国境を越えます

敵と味方を繋ぐのです

つまるところそれは自然治癒の法則

困り果てた老人の物知り顔など用は無いのです

 

はにかんだ微笑みの向こうにある傾げた襟元

襟元の汚れは簡単には落ちないというけれど

簡単に落ちる時もあるのです

例えばフリーマーケットのちょうど時計台の下

インド人みたいな恰好で子供たちの着られなくなった洋服を広げているAさん

Aさんの幸せは売れた服の代金で子供たちに新しい服を与えること

例えば温泉街の三叉路にある案内所

三代続く名物案内人のGさん

言葉の通じない相手でも難なく笑顔にしてしまうその手腕

先日は二駅先まで送っていったそうです

 

風車でも特急列車の如く

胸ポケットの便箋もツイッターの如く

あなたに沿って海へ向かいます

 

海の底の奥深く

人の体と同じ成分を湛えたまま生き物に変え草花に変え空気に変え私たちの元へ還元される

見たこともない景色が見たことがあると感じられるのはそういうことなのです

 

2017年1月

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ 感想

ブック・レビュー:

『わたしを離さないで』  カズオ・イシグロ

 

カズオ・イシグロの小説は解決されないことが解決されないままそこにあって、それでも時間は流れていくみたいなイメージが僕にはある。ただそれでも読んで良かったと思わせる魅力が彼の作品にはあって、それはやっぱり心に形のあるものが明確に残るからで、解決されない、いつまでもあぁそうかって腑に落ちないものではあり続けるんだけど、読んだ後では心のありようが違ってくるというか、具体的にどうとは言えないけど、お前はどうなんだと問いかけられているような、その問いがいつも心に引っ掛かりを残し続ける。彼の作品はそんなような作用を読み手にもたらすものなんだと思います。

誤解を恐れずに言うと、僕はやはり最後に反逆して欲しかったなって。素直に無垢にそうは言えない事は十分承知しているつもりだけど、そう思いたい、というか、でもそれって僕自身の偽善を突きつけられているような気分もあって、やはり一概には言えないんだけど、ページ数が残り少なくなって、もうそういうことは起きないんだなと分かっていてもやはり最後まで反逆して欲しかった、早く逃げて、なんで逃げないのっていう気持ちが強く残ったのは正直なところです。

キャシーとトミーは逃げちゃだめだったのかな。いや逃げられないのは分かっている。僕たちはもう世界中と見えるところ見えないところで繋がり合っていて、もう誰とも無関係ではいられない。グローバリズムなんて言ってるけど、要するに極論すれば誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立っている訳で、そんなこと俺はしてないと言ったって僕たちは美味しいものを食べたり、誰かにプレゼントをしたりっていう行為の中で、その裏にはもしかしたら僕たちの知らない誰かが犠牲になっているかもしれないし、僕らの新しいスニーカーは誰かの裏庭を荒らしているかもしれない。原発や沖縄の問題を思い浮かべればよく分かる。いくら綺麗ごとを言ったってもう僕たちはそういう世界にいるのだ。

そういう意味ではキャシーやトミーも逃げることはできないのかもしれないし、反逆して欲しかったななんて言ってるけど結局僕たちは今のところエミリー先生でもあり、彼らを腫物でも見るような目で見てしまう存在でもあり、反逆される側でもあるという事実からは目をそむけることは出来ない。一方でいつ僕たちもそちら側になるかもしれない、そしてそちら側へ行けばもう簡単には戻ってこれないという現実をも孕んでいる。

それでも彼らに逃げて欲しかったのか、反逆して欲しかったのかと問われれば、そうした複雑な感情が絡むにせよ、そうだという気持ちが勝ってしまうのはどうしようもない事実として今の僕には残っている。逃げて、っていうのは自分自身のつい見て見ぬふりをしてしまう現実に対する負い目から解放されたいという自己防衛みたいな気持ちが働いたからかもしれないし、それは否定しきれないけど、偽善だと言われようが彼らに逃げて欲しいという気持ちは事実としてある。感情的に言ってしまえば、キャシーたちの犠牲の上に立つ幸福なんて要らない。

そんなこと考えようが考えまいが何も起こらないし世界は変わらない。けど、そういうことを心のどこかに残していく、目に見えない引っかき傷を残していくという行為は無駄な事ではない、意味のあることだと思います。

僕はフィクションにこそリアリティーは宿ると思っている。この物語はイギリス人が書いた遠い国の空想ではない。僕たちの物語でもあるのだ。

Bankrupt!/Phoenix 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Bankrupt!』(2013)Phoenix
(バンクラプト!/フェニックス)

 

フェニックスの5枚目。グラミーを受賞し世界的ブレイクを果たした『Wolfgang Amadeus Phoenix』(2010年)を受けてのアルバムだ。『Wolfgank~』ではついに鉱脈を発見したかのようなフェニックス独自のサウンドを展開。この路線でもう一発行くのかな、ていうかもう一発行って欲しいな、なんていうこちらの甘~い期待を覆すかのように全く違う角度で攻めてきました。てことでさっすがフェニックス、と思いきや、おフランスのマイペースなポップ職人が打ち出したのはなんとオリエンタル。オリエンタルといっても日本や中国ではございませんでぇ!舞台は香港HongKongだ!

オープニングを飾るのは『エンターテインメント』。春節祭でも始まったかのような派手なイントロで皆の頭の上に?が浮かんだところですかさず『Wolfgang~』的なドラムが一気になだれ込んでくるこの過剰さ。こちらの期待を見事に見透かすこのセンスは流石です。ちなみにライブでこの曲がかかる時のテンションは凄いっす。

2曲目『ザ・リアル・シング』、3曲目『S.O.S.イン・ベル・エアー』と続く辺りでこのアルバムの概要は見えてくる。ぎらぎらシンセ全開で騒がしいったらありゃしない。4曲目の『トライング・トゥ・ビー・クール』はそれに加えてオリエンタルな雰囲気満載で気分はもう80年代の香港。そやね、ジャッキー・チェンとかそーいうのではなく、ハリウッド映画の香港とでも言おうか。ほら、80年代の日本を舞台にしたハリウッド映画って唐突にニンジャが出てきたり、やたら派手なメイクのゲイシャが出てきたりってのがあるけどそういう西洋人がイメージするオリエンタルっていうのかな。香港じゃなくてHongKongってことです。

でそれをオシャレに切り取ってみせるのがフェニックスならではというか、でも普通香港はオシャレになんないでしょーよ?それがオシャレになっちゃうんだから参りました。この辺りのハンドル捌きはホントにお見事です。

世間の流行廃りに頓着なく好きな事をやって、しかもそいつがセンスいいんだから文句のつけようがない。しかしそう思えるのも元々の曲がいいから。今回も相変わらずいいメロディを書いている。きっとソングライティングがずば抜けているから何をやってもOKなんだろね。ご機嫌な曲もいいんだけど、#7『クロロフォルム』とか#9『ブルジョワ』といったスロー・ソングの組み立て方なんてホントに上手い。

でもっていつもと変わらないトーマの甘い声があるんだから、アレンジがどう変わろうと、やっぱりどこをどう切ってもフェニックスなアルバムである。

 

1. Entertainment
2. The Real Thing
3. S.O.S. in Bel Air
4. Trying to Be Cool
5. Bankrupt!
6. Drakkar Noir
7. Chloroform
8. Don’t
9. Bourgeois
10.Oblique City

フェニックス史上最も派手なアルバムだ!