The Circle/佐野元春 感想レビュー

 

『The Circle』 (1994) 佐野元春

 

冒頭の『欲望』は長田進の低く唸るディストーションギターで幕が上がる。「物憂げな顔したこの街の夜/天使達が夢を見てる/コスモスの花束を抱えて/君に話しかける」という詩で始まるこの曲を、佐野は放り投げるようにして歌う。網膜に映る鮮烈なイメージをただひたすら追い続けるかのようなこの曲はまるで白中夢。言葉にならない感情がそれでも言葉になろうと蠢いている。

冒頭の『欲望』が夜明けなら、「朝 目が覚めて」で始まる2曲目の『トゥモロウ』は休日の朝の風景。「It’s getting better now」と歌うこの曲には,混迷の時代を陽気に切り抜けようとする楽観性が見えてくる。この曲の見せ場はその「It’s getting better now」で始まるブリッジの部分。ここで佐野は「作り話はいらない/ただ素早く叩け/速やかに動け」と激しくシャウトする。本アルバムのハイライトのひとつだ。

続く『レイン・ガール』は佐野のキャリアの中でも屈指のポップ・チューン。くぐもったトーンのアルバムにあって、タイトルとは裏腹に太陽のように明るい曲だ。この曲の見せ場もブリッジ。「楽しい時にはいつも君がそばにいてくれる/悲しい時にはいつも君の口付けに舞い上がる」。このロマンティックなセリフを佐野は高らかに歌い上げる。

続く『ウィークリー・ニュース』はプロテスト・ソング。過去の楽曲で言うと『Shame』に連なる曲だ。とはいえ、特定の誰かを糾弾するものではない。矛先は「好きなだけ悲しげなふりして/うまく立ち回るのはどんな気がする」僕たち自身に向けられる。無論、佐野自身にも。

本アルバムにはその名も『ザ・サークル』という表題曲があるが、実質このアルバムの中核をなすのは5曲目の『君を連れて行く』だろう。そしてまた、この曲はこの時の佐野のソングライティングの一つの到達点と言える。

「無垢の円環」という概念に着目した佐野が示した「再生」の歌。幾つかの終わりを経験した年を重ねた男女の物語。曲も素晴らしいが、このアルバムで最後となるザ・ハートランドの演奏が本当に素晴らしい。ゲストのハモンド・オルガン・プレイヤーであるジョージィ・フェイムと共に、ザ・ハートランドの数ある楽曲の中でも屈指の名演に挙げられるのではないだろうか。

続く5曲目は少し感傷的になった気持ちを目覚めさせるようなホーン・セクションで始まる『新しいシャツ』。それまでの価値観が崩壊しつつあった90年代前半、「ウェヘヘイ」と笑い飛ばし、「新しいシャツを見つけに行く」と歌う姿は、まさにノー・ダメージ。重いテーマを陽気に歌う佐野の真骨頂である。

次曲の『彼女の隣人』ではどちらかと言うと歌詞にそぐわない「ありったけ」というフレーズが繰り返される。「ありったけのrain/ありったけのpain/ありったけのlove/君と抱きしめてゆく」。ロックンロール音楽は英語圏で生まれたものではあるが、日本語ならではの語感もまたいい。

8曲目は表題曲の『ザ・サークル』。「今までの自由はもうないのさ/本当の真実ももうないのさ」という、ショッキングな歌詞で始まるこの曲は、延々「今までのようには~しない」という否定の言葉が続く。ひたすら自己否定を繰り返した挙句、「少しだけやり方を変えてみるのさ」、「今までのように」と続く。まるで禅問答のように。そして特筆すべきは間奏での佐野のシャウト。本人も当時のインタビューで語っていたが、『アンジェリーナ』の頃とはひと味もふた味も違う、実に滋味深いシャウトである。

本作はハモンド・オルガン・プレーヤーのジョージィ・フェイムを招いている。9曲目の『エンジェル』はそのジョージィ・フェイムのために書いたようなバラード。シンプルな歌詞をレゲエのリズムに乗せ、「今夜は君の天使になるよ」とだけ囁くように歌う。中盤のジョージィ・フェイムのソロ・パートは至福の時間である。ラストの佐野とジョージィ・フェイムの掛け合いも実に楽しそう。

このアルバムの最後を締めるのは『君がいなければ』。佐野には珍しいオーソドックスなラブ・ソング。他の曲の個性が際立っているせいか地味な印象を受けるが、後にカバー・アルバムにも収められた重要な曲。ある男の告白といったところか。言葉に出しては言えないが、歌にしてなら言える。けれど本当に伝えるべきことはあるのだろうか。

本アルバムの根底にあるのは、この時期の佐野が発見した「サークル・オブ・イノセンス~無垢の円環~」という概念である。イノセンスというのは消えたり無くなったりするのではなく、それを失いかけた時、新たなイノセンスが立ち現れるというもの。

ロックンロール音楽というのは子供のための音楽である。「生きるってどういうこと?」、「人を好きになるってどういうこと?」という十代の心の迷いや葛藤こそがロックンロール音楽の根幹をなすものと考えられてきたし、もっと極端に言えば、ロックンロールは十代の多感な男の子の為の音楽であった。

かつて「つまらない大人にはなりたくない」と歌った佐野も大人になり、そして僕たちもいつまでも「つまらない大人にはなりたくない」では済まされない年齢になった。「本当の真実が見つかるまで」と歌った佐野はついには「家へ帰ろう」とさえ歌うようになる。誰しも年を取る。老いや成熟といったロックンロール音楽とは相反する立場にありながら、しかし音楽家は或いは僕たちは未だにロックンロール音楽を欲して止まない。

ロックンロール音楽は未開の領域へ踏み出した。例えば、スプリングスティーンは70歳を迎えてもなお、希望や成長についての歌を歌い続けている。幾つかの絶望や喜びを経験した先の希望の歌を。それは無垢の円環とは言えないだろうか。

「家へ帰ろう」と歌った佐野も成熟と成長という相反するテーマに向かい始める。前作の『スィート16』(1992年)アルバムで瑞々しさを取り戻した佐野は陽気に軽やかに再び無垢について歌い始めた。そして無垢の円環についてより深くアプローチしていく。少しも零れ落ちることのないような丁寧さで。それがこの『ザ・サークル』アルバムだ。そしてザ・ハートランドとの最後の作品となったこのアルバムで、佐野はデビュー以来ずっと続いてきたひとつの道程に終止符を打つ。

 

Tracklist:
1. 欲望
2. トゥモロウ
3. レイン・ガール
4. ウィークリー・ニュース
5. 君を連れてゆく
6. 新しいシャツ
7. 彼女の隣人
8. ザ・サークル
9. エンジェル
10.君がいなければ

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第34回「226」 感想

TVprogram:

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第34回「226」 感想

 

ま、タイトルからして「226」ですから、不穏な空気で物語は進行します。時代が時代なので、この辺りの世情は描かずにはいられないですよね。ここをさらっと流さず国民にとってもどれだけ大きなインパクトを与えたか、人々の生活目線も交えながらの展開は観る方にも重たい空気を与えました。しかもそこへIOC会長のラトゥールが来日してくる。さぁ、どうする?田畑政治!!

一次は弱気になったまーちゃんですが嘉納治五郎の「やるんだよ!」の一声で吹っ切れます。図らずもラトゥールの東京案内を仰せつかったまーちゃんですが、道案内はなんと清さん!戒厳令が布かれた東京にはあちこちで道が封鎖され軍人が立っている。こりゃ抜け道に精通した者が必要だなと。そこで白羽の矢が立ったのが清さんでした。てことで小梅も登場!

いや~、やっぱこの二人は素敵ですな。画面が一気に華やぎます。孝ちゃんこと、この時は金原亭馬生って名になってますが、久しぶりの清さんと孝ちゃんの邂逅もあったりで、この回は不穏な空気で始まりましたが、第一部の登場人物たちがその空気感を見事にポジティブなものに変えていく。そーですよね、第一部の登場人物はみんな明るかった。久しぶりの大活躍の嘉納治五郎もしかり、第34話はそうした前向きな第一部の登場人物に支えられて切り開いていった回でもありました。

その極めつけは金栗四三の義母、池部幾江です。熊本に帰ったものの無気力な日々を過ごすいだてんこと金栗四三。そんな四三の元に治五郎先生から東京オリンピック招致に力を貸してほしいとの手紙が届きます。居ても立ってもいられなくなった四三は家族団らんの中、幾江に東京行きを嘆願します。

四三の変化に気付いていた幾江は意外にもあっさりと了承。ここで緊張の糸がほぐれたか四三は「俺なんかおらんくても寂しくなかでしょ」みたいなセリフを何気に呟く。しかしここで幾江はその言葉を逃さず堰を切ったように感情を爆発させる。
「寂しくないことなんかあるか!走ってばかりの息子でも4年もおらんだら寂しいわ!それが親じゃ!アホか!実の息子に先立たれたんじゃ!実の親を亡くしたお前も覚悟を決めて親子にならんか!!」

この回は226事件に始まり、ラトゥールの来日、そして清さん登場、治五郎大活躍、復興オリンピックの時のような子供たちの運動する姿。つらい世情になんとか堪える形で第一部の登場人物達のポジティブさが光を放ちました。このところ何だかなぁといった感じの四三も幾江の言葉に我を忘れて泣きじゃくる、幾江にしがみつく、その必死さのおかしみ。そうそう四三はこういう人であったと。

それにしても圧巻は幾江を演じる大竹しのぶさんでしたね。今回も行ったり来たり浮き沈みの激しい回でしたが、最後にすべてを持っていきました。四三のように観てるこっちも呆気にとられ、その後ぐわっと感極まる。演技してるとかそんなんじゃなく生々しく伝わってきました。それをユーモアで返す四三こと中村勘九郎さんも凄い。

ラトゥールにありったけの誠意を見せ、後は若者に任せたと言って去っていく嘉納治五郎。治五郎の雄姿もこれで見納めか。ってこの人に限ってそれはないですね(笑)。予告編ではあのシマちゃんの声も!
来週も楽しみだ!

漂泊者/W.H.オーデン

詩について:

漂泊者/W.H.オーデン

 

W.H.オーデン(1907年2月21日 – 1973年9月29日)。20世紀最大の詩人の一人と言われている巨人です。イギリス出身ですが、後にアメリカへ移住。時代が時代ですから戦争の影響が色濃く出ている詩が数多くあります。愛にまつわる詩も沢山ありますが、オーデンさんは同性愛者でありましたから、ヘテロセクシャルとはまた違う表現になっているところがとても魅力的です。

僕は海外の詩を読むのも好きです。が、はっきり言ってほとんど理解できていないです。海外の詩は宗教が絡んだりもしますし、それになんと言ってももともと詩は詩人が雲を掴むようにして編んだ言葉ですから、それが翻訳されるとなると尚の事理解し難い表現になる。ただそういう理解し難さが詩の魅力でもありますから、僕みたいなお調子者はその魅力に誘われてついつい海外詩へ手を伸ばしてしまうんですね。で結局ほとんど理解できない。僕の場合はそんなことの繰り返しです(笑)。

その点、オーデンさんは21世紀の日本人が読んでも割と馴染めるというか、こちらに引き寄せて読めるというか。無人島に本を持っていくなら間違いなく候補に上がるような、鞄の中にいつも忍ばせたい。僕にとってはそんな詩人です。

 

W.H.オーデンの詩「漂泊者」The Wanderer(壺齋散人訳)

運命は暗く どんな海の底よりも深い
運命に見舞われた人間は
春のさなかに 花々が咲き乱れ
なだれが崩れ 岩肌の雪がはがれるとき
自分の故郷を後にせねばならぬ

どんな手もあいつを抱きかかえることはできず 
またどんな女たちの制止もあいつをとめることはできぬ
あいつは番人たちの間をすり抜け 森を横切り
異邦人となって 乾くことのない海を渡り
息詰まる海底の漁礁を通り過ぎていく
かと思えば 湧き水のほとりに横になって
ぶつぶつと言葉を吐いたりもする
岩の上にとまった おしゃべりな小鳥のように

疲労した夕方 頭を前方に垂れたまま
夢見るのは故郷のこと
妻が窓から手を振って 喜び迎えてくれるや
一枚のシーツに包まって抱き合う夢だ
だが目覚めながら見るものといえば
名も知らぬ鳥の群れか
浮気をする男たちがドア越しにたてる音だ

あいつを敵の虜にするな
虎の一撃から救ってやれ
あいつの家を護ってやれ
日々が過ぎていく不安な家を
雷から護ってやれ
しみのようにじりじり広がる崩壊から護ってやれ
あいまいな数を確かな数に変え
喜びをもたらしてやれ
帰る日が近づくその喜びをもたらしてやれ

 

この詩はその名のとおり漂泊者を詠んだ詩です。が実際の漂泊とは限りません。心の漂流という見方も出来るんじゃないでしょうか。

人はある年齢になると旅に出ます。実際に家を出る人もいるでしょうが、そうじゃなくても心の旅を始める。旅というのは行き先が決まってますから、この場合はやはり漂泊と言った方が適切でしょうか。親の保護下から離れ、自分なりの価値観の揺らぎに目覚める。その問いへの旅は誰にも止めることは出来ない。思春期はその一つの例かもしれません。

ある人はいつしか大人になり、特別な出会いを経て家庭を持つ。自分なりのホームを見つけるんですね。そこで一区切り付けばいいのですが、やがて恐らく、また新しい問いが心に芽生え、心の漂流が始まるなんてことも。

ここが嫌だという訳ではなく、ここではない何処かに本当の居場所があるのではないか。そんな風に思うのもまた人の心のありよう。ま、この詩は心の漂流ではなく、実際に家を飛び出しちゃった人の話ですが(笑)。

いつの日か帰る日はあるのだろうか。この詩は漂流を鼓舞する力強さ、或いは漂泊の所在なさだけでなく、そういう希望も含まれている。そんな詩だと思います。

頭痛

ポエトリー:

『頭痛』

 

どんどんと過ぎて行く風景を背に僕の頭は痛い

僕の中心は眼鏡掛けが乗っかる鼻梁

そこを中心に思考は広がる風景は伸びていく

新幹線の鼻先のように風景は左右に広がり

その少し上 額の辺りから中に向かって

伸びていかないものが少しずつ入り込むから

どんどんと過ぎて行く風景を背に僕の頭は少しずつ痛い

 

 

2018年1月

Western Stars/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Western Stars』(2019)Bruce Springsteen
(ウェスタン・スターズ/ブルース・スプリングスティーン)

 

13のちょっとした、けれども大切な物語の中で僕が最も心を奪われたのは最後に収められた「Moonlight Motel」だ。主人公はかつて恋人と過ごした古びたモーテルを一人で訪れる。その愛すべき人はもういない。すれ違いによるものなのか、或いは永遠の別れがあったのか。いずれにせよもう若くない男は昔よく停めた駐車場の同じ場所に車を停め、自分自身に、愛した人に、そしてこの場所そのものに祝杯を上げる。

こう書くとなんかチープなストーリーだが、これがブルースの情景描写とスティール・ギターに奏でられた優しいメロディにより何とも言えない風景が目の前に立ち上がる。まるで自分がかつて経験したかのように切ない気持ちが蜃気楼のような立ち現われるのだ。

この曲は時系列が複雑で訳すのが難しかったとの訳者の弁がライナーノーツには記されている。前半の昔の出来事は現在形で、後半の今現在は過去形で書かれているそうだ。こういう書き方をすることによってかえってリアリティは立ち上がるのかもしれない。あまり語られないがブルースの音楽表現の確かさを見て取ることが出来る。

音楽表現と言えばライミングも見事で、内容もさることながらライムやアクセントの強弱でリリック自体にリズムを持たせているところは流石。個人的には「The Wayfarer」での言葉の転がり方が好きだ。

「The Wayfarer」は曲構成も素晴らしく、ブルースの真骨頂であるウォール・オブ・サウンドな曲で、時折聴こえてくるビブラフォンも効果的だ。最後のコーラス部分でいかにもダニー・フェデリーシなEストリート・バンド的オルガンの音色が聞こえてくるのが嬉しい。このアルバムはEストリート・バンドによるものではないが、ライナーノーツによると初代Eストリート・バンドのキーボーディスト、デイヴィッド・サンシャスが参加しているらしいので、そういうことなのかもしれない。ついでに言うと「The Wayfarer」の次に収められた「Tucson Train」にはいかにもロイ・ビタンなピアノのフレーズも出てくる。

ブルースの言によるとこのアルバムは「宝石箱のようなサウンド」だそうで、60年代~70年代の良質なポップ・ミュージックにオマージュを捧げたものになっているらしい。僕にはどのあたりがそうなのかよく分からないが、大掛かりなストリングスとホーン・セクションを配したサウンドは、ブルースの横に広がるソングライティングに奥行きを与え、情景をより立体的なものにしているが、何より手を添える感じのさりげなさがよい。陰影の濃いリリックと対照的なポップなサウンド。これもブルースが意図してのことだろう。

ブルース・スプリングスティーンは世間的には世界へ向けて力強いメッセージを歌うマッチョな人というイメージかもしれないが、実際はその真逆で名も無い人々の暮らしを綴るストーリー・テラーというのが本当のところ。僕にとっても初期のころからずっと変わらないブルースの大きな魅力のひとつだ。

ブルース自身もどれだけ巨大になろうと自分は1949年生まれの労働者階級の端くれで、自分もいつどうなるか分からないという漠とした不安を抱えたどこにでもいる一人の男という認識を持ち続けているようにも思う。

その年配の白人労働者階級というとトランプ大統領の支持層ということになるのだが、当然ブルースはトランプの支持者ではない。ブルースはただ自分とよく似た人々の生活を描いただけで、自分がたまたま白人労働者階級の出だったというだけだ。つまりブルースはそこを分け隔てていないのだ。

今トランプを糾弾するのは容易いかもしれない。ブルースにそれを期待する人も大勢いるかと思う。しかしブルースは一人のアメリカ人としての視点で言葉を紡いでいるだけだ。そこに他意はないと思う。

我々は何処から来て何処へ向かうのか。多くの人と同じく一人の孤独な男として、トランプ支持者であろうがなかろうが、白人であろうが黒人であろうが、若者であろうが年寄りであろうが、移民であろうがなかろうが、お前はそうだお前は違うではなく、一人一人にゆっくりと語りかけている。

このアルバムは僕の心を打ってやまない。それは他ならぬ僕たち自身も漠とした不安を抱える孤独な人間だから。いくら巨大になろうと、ブルースが僕たちから離れていかないのはブルースも同じだからなのかもしれない。

 

Tracklist:
1. Hitch Hikin’
2. The Wayfarer
3. Tucson Train
4. Western Stars
5. Sleepy Joe’s Café
6. Drive Fast (The Stuntman)
7. Chasin’ Wild Horses
8. Sundown
9. Somewhere North of Nashville
10. Stones
11. There Goes My Miracle
12. Hello Sunshine
13. Moonlight Motel

語りだす

ポエトリー:

『語りだす』

 

一日の最後に
気になる部位が
今日は何も無かったですかと
語りだす

世話のやける女の子の
父親になりたかったという声が
先発した大人の
傷んだ手帳から見つかった

それが叶わぬのなら
盛り場で台所仕事をする
手の荒れた女の人になりたいと
その手帳は続いていた

十代最後の夏
焼けただれた青春が
仁王さまの格好で
門の所に立っていた

私ではないですよと言っても
いっかな怒りは収まらず
怖い目つきは
今日は何もなかったですかと語りだす

だから終いにゃ
酷い言葉のほとんどは嘘だと言った
母との一番の思い出が語りだす
冷蔵庫に麦茶が冷えてるよと言った
母の言葉が語りだす

 

2019年5月

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第32回「独裁者」 感想

TV program:

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第32回「独裁者」 感想

 

とその前に前回の第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」についてひと言。ロサンジェルス・オリンピック編ではサイドストーリーとして日系人や人種差別のエピソードも盛り込まれていました。前回の最後に虐げられてきた日系人が歓喜の声を挙げる場面があるのですが、彼らは口々に「アイ アム ジャパニーズアメリカン!」と叫びます。

このジャパニーズアメリカンというのが良かったですね。日本人ではなくジャパニーズアメリカン。よく聞き取れませんでしたが日系人でない人も「~アメリカン!」と叫んでました。彼彼女らのアイデンティティーはそこなんです。

今移民の話題が時折出てきますし、日本にもこれから多くの移民がやってくる訳ですが、そうした問題を日系人として、我々と繋がる世界史へと引き寄せて物語る手法は粋だなと思いましたし、ロサンジェルス・オリンピック編のクライマックスを大活躍をした日本選手団ではなく、それまでのサイドストーリーであった移民の人々で終わらせるところもお見事でした。

さて、第32回「独裁者」です。大活躍をしたロサンジェルス・オリンピックから帰国した日本代表の面々。賛辞の声を浴びる中、東京オリンピックを日本に招致しようとした発起人の東京、永田市長が200メートル女子平泳ぎで銀メダルを獲得した前畑秀子に対し、「なぜ金メダルではなかったか」と心無い言葉を吐いてしまいます。その場に偶然通りがかった我らがカッパのまーちゃんはそんな永田市長に対し怒りの言葉を発するも、まーちゃん以上にブチ切れたのが2代目体協会長の岸清一。

岸は当初、大言壮語な嘉納治五郎を冷ややかに見るどちらかというとスポーツに多くを期待しない事務方として登場しますが、回を及ぶ毎にスポーツの力に魅せられ今や嘉納のよき理解者として日本スポーツ界を牽引しています。今回は岸清一にスポットが当たった回でもありました。

そんな岸を演じるのが岩松了さん。実物とそっくりです(笑)。『いだてん』の魅力の一つは個性豊かな俳優陣。テレビドラマというのはどうしても出演者が限られてくるというか、既に見知った方に占められてしまうケースが多いんですね。最近は俳優もバラエティー番組によく出ますから、どうしても登場人物の誰それ、ではなくその俳優としか見えなくなってしまう。なので僕としてはあまりテレビドラマには入り込めないのですが、『いだてん』の場合は先ず第一部の主役からしてよく知りませんでしたからね(笑)。

そりゃ中村勘九郎って名前ぐらいは知ってますけど、実際はどんな役者かはよく知らない。出演者の多くも脚本がクドカンですからそっち方面の方が沢山いて、僕はあまり演劇界に詳しくないから見ているだけで新鮮で登場人物を先入観なしに見れるんです。これはやっぱり大きいです。最近はもう『いだてん』の世界に入り込んで、あの役所広司でさえ嘉納治五郎にしか見えなくなってきました(笑)。

ところで我らがカッパのまーちゃんもここに来て大分変ってきました。当初は「勝たなきゃどうする?」、「参加することに意味がある?ないない、そんなもん」という立場でしたが、ロサンジェルス・オリンピックを経由して随分と考えが変わったようです。ていうか、もともと本音はそこにあったんでしょうか。

面白いのはそうしてまーちゃんがスポーツは楽しむもんだよと、いつの間にか嘉納治五郎化していくのに対し、最初はスポーツに冷ややかだった世間が少しづつ勝利至上主義になっていくところですね。つまりまーちゃんは一歩も二歩も先を走ってるんです。夢中になればなるほど先に行く。まさしく「いだてん」。当然、嘉納治五郎しかりです。

今回のクライマックスは東京オリンピック招致が困難な中、これからどうすべきかを体協で話し合っている場面。「お前の意見はないのか」と振られたまーちゃんがまくしたてる場面です。一部を書き起こします。

「誰の為のオリンピックかって話じゃんねー。ムッソリーニもヒトラーもいないんだから日本には。嘉納治五郎はいるけどね」

「何期待してんの?オリンピックに。ただのお祭りですよ。走って泳いで騒いでそれでおしまい。平和だよねー。政治がどうの軍がどうの国がどうの。違う違う違うっ、簡単に考えましょうよ。ローマには勝てない。じゃあどうします?戦わず勝つ嘉納さん」

そーいうことです。「誰の為のオリンピックか」。見事な発言だと思いました。

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~ラストの感想~

サマーソニック:

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~ラストの感想~

 

THE1975を観た後はそのままOCEAN STAGE に残り、折角なんでB’zを観ることにしました。SONIC STAGE のTWO DOOR CINEMA CLUB も気になるので、すぐにそっちへ行けるように出入口近くで待機です。

なのでステージからはかなり離れていたのですが、B’zの音は凄かったですね。ユニバにまで届くんじゃないかと思うぐらいの大音量。これには正直参りました…。すみませんが、この音量に太刀打ちできるだけの体力が残っておりませぬ。てことで、とりあえず稲葉さんの高音シャウトも聴けたことだし、3、4曲ほど聴いて SONIC STAGE へ向かうことにしました。それにしてもB’zの音の嵐は凄かったな。知ってる曲やってくれたら、もうちょっとおってんけどな。

SONIC STAGE も負けず劣らずの熱気でした。ここがホントの最後ですから、残っている人はホントにTWO DOOR CINEMA CLUB が好きな人。なのでかなり盛り上がってました。僕は彼らの1枚目しか持ってないんですが、やっぱいい曲を書くというか、知らなくても自然と体が動くいいメロディは流石。とはいえやっぱギター・ロックな1枚目からの曲が俄然盛り上がりますね。体力的にキツかったですけど(笑)。

観る度に雰囲気が変わる彼らですが、今回は先日出たアルバムのトーンで統一されてて、いい感じでした。2016年に観た時のかなり無理めな長髪スタイルより、断然こっちの方がいい(笑)。何度も感謝の気持ちを述べていて、気のええ兄ちゃんたちやね。

結局最後に感じたのはやっぱ曲の力。TWO DOOR にしても Sam Fender にしても PALE WAVES にしてもメロディの力が半端ない。我々は英語圏ではないですから、初見で言葉でグッと来るということはほとんど無いわけで、そうなるとメロディがモノを言うわけです。それに当然の如くみんな歌上手いから尚のこと歌が前面に出てくる。ま、この辺は好みもありますが、メロディの力は大きいなと思いました。

で TWO DOOR を最後まで観て、いざ家路につかん。と思いきや、帰りのシャトルバスは長蛇の列!!結局1時間近く並んだかも。ヤバイ、もしかして…、とちょっと嫌な予感がしましたが、終電までには至らずなんとか無事帰宅。

THE1975で目一杯楽しんだからでしょうか。TWO DOOR の頃はほとんど余力も無く、終わってみれば今年が一番疲れたような気がします(笑)。ま、年齢のこともありますので、次は昼間はもっと大人しくしておきましょう(笑)。とはいえ来年はオリンピックでサマソニはお休み。再来年になりゃそんなこと忘れて年甲斐も無くはしゃいでしまうんだろうな。

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 感想~THE1975編~

サマーソニック:

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 感想~THE1975編~

 

定刻より数分早く「The1975」のSEが流れだした。白のスクリーンにそのリリックが映し出される。それだけで辺りの空気は一変した。ただのSEである。フロント・マンはおろかメンバーの誰一人としてステージに現れていない。これが2019年のロック・シーンで最前線に立つバンドの存在感だ。

「The1975」のSEの余韻の中、メンバーがステージに現れるとオープニングの「Give Yourself a Try」のイントロがなだれ込んできた。もう僕たちは冷静ではいられない。あのマシュー・ヒーリーがそこにいる。体をくねらせながらダンスし、前のめりで歌うマシュー・ヒーリーがそこにいた。

僕は過去に2回、同じサマソニで歌うTHE1975を観た。1度目はデビュー間もない2014年の一番暑い時間帯。風が強く、メイン・ステージの後方でぼんやりと見ていた僕に、彼らの演奏は風に流され不安定な状態で届いてきた。前方では泣き出す女の子もいて、当時の彼らはまるでアイドルのような佇まいだった。

2度目は2016年。あの時僕はレディオヘッドのアンコールを後ろ髪惹かれる思いで諦め、ソニック・ステージを駆け込み、ラスト数曲ではあったが当代一のオシャレ・バンドになった彼らを観た。「The Sound」で景気よくジャンプしたのを覚えている。

バンドが成長する時というのは、ホップ、ステップ、ジャンプのステップとジャンプの間に大きな隔たりがある。かつてのレディオヘッドがそうであったように、THE1975も全く同じく2018年にリリースした3枚目のアルバム『ネット上の人間関係についての簡単な調査』でとんでもない跳躍をした。この日観たTHE1975はこれまでとは次元の違う完全にオリジナルで全く新しいバンドだった。

前半のポップな3曲でオーディエンスを完全に手中に収めた彼らは、4曲目の「Sincerity Is Scary」でゆったりとした新しい顔を見せる。プロモーション・ビデオや各地のライブで見せるあの耳の着いたニット帽を被ってヒーリーはステージを闊歩する。映画のような一瞬だ。

そう言えば始まって間もなく、ヒーリーは「こんなとこに吸い殻が。誰のだ?あ、オレか」みたいなMCをしたが、そのぶっきらぼうな態度こそまるで演出された一幕。他にも「カンパイ!」と言ってお猪口で日本酒を一気飲みしたり、タバコにむせて咳き込んだりと、自由でありながら計算されたかのような佇まい。スターというのは彼のこと言うのだろう。

『ネット上の人間関係についての簡単な調査』には硬質なポリティカル・メッセージを含んだ曲がある。サビを皆で歌ったゴスペル・ソング「It’s Not Living (If It’s Not With You)」の後に歌われた「I Like America & America Likes Me」もその一つだ。この時、スクリーンではコラージュのような映像がキーワードとなる言葉と共に矢継ぎ早に映し出された。ヒーリーは体をくの字に曲げて泣き叫ぶように歌う。オートチューンに加工されたボーカルは爪を立てるように僕たちを引っ掻いていた。

個人的に楽しみにしていた曲がある。「I Always Wanna Die (Sometimes)」だ。The1975の新境地と言っていいだろう。壮大なバラードはヒーリーのボーカルの新しい魅力を湛えている。「死んでつらい思いをするのは君じゃなく、家族や友達だ」と歌われるこの曲のサビで、ヒーリーは美しく伸びのある声で「僕だってたまには死にたくなるんだ」と歌った。誤魔化すことなくしっかりと正面を見据えて目一杯。魂のこもった素晴らしい歌声だった。

「Love It If We Made It」はヒーリーがアンガー・ソングと言ったように、強烈な社会的メッセージを伴った曲だ。スクリーン上ではプロモーションビデオと同じ映像が流れる。怒りの曲をヒーリーは激しくシャウトする。この曲で僕を激しく揺さぶったのは間奏でのダンスだ。女性ダンサー2名と共に情熱的なダンスが披露される。怒りを踊りに変えて。そして再び「Love It If We Made It!!」とシャウトするのだ。この日一番の感動的な場面に僕は泣いてしまいそうになった。

そしてステージはクライマックスへ向かい、必殺の「Chocolate」へ続く。「Sex」が終わった後、スクリーンには大きく「ROCK AND ROLL IS DEAD」「GOD BLESS THE1975」という文字が映し出された。そして間髪入れず、「The Sound」のイントロが流れ始める。なんという完璧な演出だろう。

余りにも完璧で美しい1時間。バンド4名とサクソフォン・プレイヤーとダンサー2名。そしてシンボル・マークである縦長長方形のボックス型LEDが中央にぶら下がり、背後には巨大なスクリーン。ただそれだけのこと。しかし濃密で激しく、ユーモアがあり、温かみがあり、愉快さがあり、怒りがあり、優しく、しかも押しつけがましくなく、至ってクールに、けれど情熱的で生命の存在に満ち溢れた1時間。けれど何ひとつ重たい要素に支配されることなく、彼らは伝えたいことを存分に伝え、僕たちは存分にそれを受け取り、それでいてエンターテイメントに昇華された1時間。

僕たちはもしかしたら、とんでもないものを見てしまったのかもしれない。

 

追記:
途中、長いMCがあった。キスがどうのこうのと言っていた。英語力の乏しい僕はよく聞き取れなかったが、後から知ったところによると、日本へ来る前にドバイで行われたコンサートでの出来事を語っていたらしい。同性愛が厳罰に処される彼の地でヒーリーは「結婚して!」と叫ぶ同性愛の男性ファンの元へ向かい、彼の承諾を得て口にキスをした。そのいきさつを語ったようだ。ライブでの大事なひとこまだったと思うので、ここに記しておきたい。

 

セットリスト:
1. The 1975(SE)
2. Give Yourself a Try
3. TOOTIMETOOTIMETOOTIME
4. She’s American
5. Sincerity Is Scary
6. It’s Not Living (If It’s Not With You)
7. I Like America & America Likes Me
8. Somebody Else
9. I Always Wanna Die (Sometimes)
10. Love It If We Made It
11. Chocolate
12. Sex
13. The Sound

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~前半の感想~

サマーソニック:

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~前半の感想~

 

20周年のサマーソニック。今年は3日間行われました。私が行ったのは大阪3日目。ヘッドライナーはサマソニ初の邦楽、B’zです。が私のお目当ては何と言ってもTHE1975!!2019年のサマーソニックは如何にTHE1975へ向けて心と体の準備を整えていくか、これに尽きます!!

とはいえ今年もた~くさんの素晴らしいバンドが出ている訳ですから、事前準備は怠りなく!しっかりと予習をして私なりのタイムテーブルで存分に楽しんできました。事前に迷ったのは最後をB’zで締めるかTWO DOOR CINEMA CLUB で締めるか、そこだけでしたね。そこはもう現場の空気でしょう、ということで時系列順に簡単な感想を。

先ず私が向かったのはメインステージであるOCEAN STAGEのトップバッター、STRUTS。今回知ったバンドだったのですが、Youtubeであれこれ観ていたとおりの印象で、QUEENばりのギラギラ・サウンドが最高でした。初っ端にこういうハード・ロッキンな感じは気分も一気にアガッて、あ~、オレ、サマソニに来た~って感じ(笑)。

フレディ・マーキュリーばりのメイクをしたボーカリストは盛り上げ上手で、それこそフレディの「レ~ロッ!」みたいにコール&レスポンスしまくりで、逆に何回すんねんっ!ていうぐらい掛け合いがありました(笑)。印象としてはラブ&ピースな人だな~と。ホントにサービス精神旺盛な方でしたね。

ここで私は昼飯休憩。ってもう休憩かいっ!と言われそうですが、タイムテーブルとにらめっこして、如何に腹ごしらえをするか、そしてどのタイミングでお手洗いへ行くか(笑)、これもフェスでは大事な心構えです。

ゆっくり昼飯食って、さぁCHAIでも観るかとWHITE MASSIVE へ向かうと沢山の人だかり!なんじゃいこれは?!ということで音楽好きの間でCHAIは注目の的なんですねぇ。で、ステージではチューニングやら何やら準備が始まっています。ほとんどステージが見えない距離だったのでよく分かりませんが、ステージで準備してるのまさかのCHAI本人?!

しかしまぁなかなか個性的でしたCHAIの皆さん。チョッパー・ベースでファンキーかと思えば、やたらピコピコするのもあったり、途中そろいの衣装を着てダンスコーナーもあったりしますから、もうやりたい放題ですね(笑)。いいです。自由でいいです!私覚えました。NEOカワイイです!!

あと、私含め噂先行でCHAIを観に来た人が多かったみたいで、彼女たちの自由な佇まいにどう反応したらいいか手探りの観客、という絵面もオモシロかったです。

WHITE MASSIVEは日陰だったのですが、早くもバテ気味の私は涼みに行く目的でSONIC STAGEへ。次に観る予定のSam Fender まで結構時間はあったのですが、ここは体力温存を優先。そーなんです。欲張って、ちょっくらアレも気になるし観に行こかなんてフラフラしていると、後が大変!この日は時折風が吹いて心地よかったのですが、なんといっても猛暑真っ盛りですから。お目当てでぐったりならないように体力を温存することが肝要なのです。ま、歳も歳なんで(笑)。

そーいや、WHITE MASSIVE とか屋台の並ぶOASIS辺りで時折、ぷ~んと獣臭がしたアレはなんでっしゃろか?まさか普段は山羊でも放牧しているのか?そこに我々は地べたに座って飯食ってんのか?一体なんだったんだろうあの獣臭は…。

話が逸れましたが、次に観たのはSam Fender。カッコよかったです。観る前は冴えないJames Bayかと(失礼しました!)思っていたのですが、王道ロックでひたすら押しまくるのがカッコ良かったです。

なにしろ声がデカいですね。本人も自覚があるのか声でグイグイ押してきます。当然歌うまいし、曲も良く出来てて、全てが高水準にあります。声のデカさと曲の良さで場を支配しつつ、間奏になるとギターをギュインギュイン言わせてくるところなんか、若いのによう分かっとるわい。バンド全体から感じるブレなさ。なかなかやりおる。

確か英国出身だったと思うのですが、サウンドはアメリカっぽくて、でも英国の湿っぽさがあって、私の好みでした。アルバム出たってことらしいのでチェックしてみるか。

SONIC STAGE にそのまま居座り、続いてはPALE WAVESを観ました。出す曲出す曲キャッチーで、どうなってんだっていうくらい曲が抜群だった彼女たちでしたが、直に聴いてもその印象は変わりませんね。もう若さでキラキラしてます。語尾をしゃくりあげる歌声を生で聴けました(笑)。

そのボーカルのヘザーさん、ゴスメイクだしいい曲いっぱい書いちゃうし、どんな人かと思いきや、至って普通なんですね。勿論、才能ある方なんである意味普通じゃないんだろうけど、見た目とは裏腹に浮世離れしてないというか、いい意味で垢抜けてないんですね。彼女たちの魅力は、普通の子がここまで出来るっていう希望なんじゃないかと思いました。

ヘザーさん、最後はフロアに降りてくるんですね。これにはびっくりしました。一気に人がグワーッてなって、か弱そうなヘザーさん、大丈夫?!でもこん時の彼女の笑顔はスッゴイ素敵でした。今も私の脳裏からはなれません。イノセントそのものでした。