Eテレ100de名著『力なき者たちの力~ヴァーツラフ・ハヴェル』第1回目 感想

TV program :

Eテレ100de名著『力なき者たちの力~ヴァーツラフ・ハヴェル』第1回目 感想

第1回目はイデオロギーの話。何気ないスローガンを何気ないものとして掲げているうちに、それがさも大事な事のようになっていく。そして人々はスローガンを受け入れることを互いに牽制し合うようになる。

ハヴェルはポスト全体主義には消費社会の特性があるとも指摘。我々は良心とか責任といった倫理的なものと引き換えに物質的な安定を優先してしまう。同調圧力。本当のことがあったとしても言えなくなってしまい、それは連鎖していくとのこと。

これ、僕としても一企業に勤める会社員として身につまされる言葉だ。

第1回目の放送を見ていてふと思ったのが東京オリンピック。そうしたら司会の伊集院光が言いずらそうに「東京オリンピックってホントにいるのかなってまだ思ってる」と発言した。

ハヴェルが本の中で訴えていることが今の日本にも、もちろん日本だけではないけれど、今現在も進行中だということを忘れてはいけない。

「アキノイサム展」御殿山生涯学習センター 感想

アート・シーン:

「アキノイサム展」御殿山生涯学習センター 感想

大阪は枚方市にある御殿山生涯学習センターで「アキノイサム展(2020年2月2日~2月16日)」が開催されています。京阪電車は枚方市駅を東へ5分程。急な坂道を登った先に御殿山生涯学習センターはあります。

先ず最初に展示されているのは絵本「プンクマインチャ」の原画です。傍らに絵本が置いてあるのでそれも読んだのですが、やはり原画は違いますね。生き生きとしていて絵に生命力を感じます。

「プンクマインチャ」には秋野亥左牟の特徴である独特の線が特に目を引く作品です。一筆描きのような線が立体感を出しています。髪の毛だけではなく、表情や体のラインが毛糸を這わせたような幾つかの線で表現されています。これはやっぱり魅力的ですね。

「プンクマインチャ」は絵本ですからストーリーがあって当たり前ですが絵のタッチも同じです。秋野亥左牟の特徴も凄く出ていますから、こういう絵を描く人なんだなと思ってしまいますが、彼の絵はひとつのスタイルにはとどまりません。

それがよく分かるのは絵巻物。秋野亥左牟は旅をする絵描きです。いやむしろ絵を描く旅人と言った方が正しいのかもしれません。旅をする際に携行しやすいということで障子紙を巻物にして世界のあちこちで絵を描きました。

その絵巻物。展示されていたのは二巻だけだったのですが、さっきの「プンクマインチャ」とは全く雰囲気が異なります。一枚目はロシア・ヨーロッパの旅の時のものだそうで、なるほど言われるとそんな雰囲気があります。二枚目はインドということでそれっぽい建物が沢山描かれています。そして実物がどうかは別にしてとても綺麗な色使いですね。それぞれの雰囲気は全く異なります。

旅には障子紙の巻物と12色の水彩絵具のみの携行だったとのことですが、色数が限られていることがかえってよい効果をもたらしているような気はします。とっても明るくて綺麗ですね。二巻のみの展示なのではっきりとは言えませんが、秋野亥左牟が旅をどのように捉えていたのかが分かるようなそんな絵巻物だと思います。

三つ目のフロアにはろうけつ染めや版画などが展示されていました。一つところにとどまらすあらゆる手法を試していたんですね。秋野亥左牟の自由な手さばきを感じることが出来ます。ここでは頭が眼だけの目人間というようなキャラクターがそこかしこに登場します。この人物は秋野自身ということでしょうか。よく見るということ。若い頃から旅に生きてきた秋野亥左牟の思想をそこに見るような気がします。

僕はやっぱり秋野亥左牟の絵が好きですね。もう手が勝手に動いてしょうがないというような、描いてる先からもう次のイメージが沸いてくるようなイメージの連続性と言いますか、そしてそこに恐らく他意はないんですね。もちろん彼にも主義主張はあったんだと思いますが、描いてるのが楽しいから描いてるんだという、誰もが最初期には持つけどなかなか持続して持ち得ない初期衝動を稀有にも最後まで持つ続けられた、そんな幸福な絵描きだったのではないかなと、僕は勝手にそんなことを思いました。

見慣れない絵だし沢山のイメージがごった返して忙しい絵のはずなのに観ていて全く疲れない。それは多分彼の世界に対する肯定的なものの見方、その精神性から来るものなのかもしれません。

上京

ポエトリー:

「上京」

 

上等の卵のような満月を
飲み込んだから君よ

ついて行くよ
見知らぬ街でも
上等の月を飲み込んだ今
消化不良を起こして
かえって心は落ち着かぬ
見知らぬ街でも乱されず歩く方法を
訪ねて歩く咆哮を

背伸びをするための
角張った厚底のスニーカー
ダッシュを決めて
ニヤリとしたまではいいが
足跡を見返して
戦慄するわたくし

媚びることすら
太陽の欠片と知った
罪悪感の渦の
上京物語

ペンライトでかざす足下の
光は濡れて
上等の卵のような満月を飲み込んだ君よ
今夜の雨
どうしてくれよう

 

2020年1月

WAKKUN(涌島克己)さんとの会話

アート・シーン:

WAKKUN(涌島克己)さんとの会話

※ 前記事(スズキコージ『チンチラカと大男』絵本原画展&作品展)からの続き、、、

その方は涌島克己さんといいます。もしかしたら愛称のWAKKUNの方が有名なのかもしれません。スズキコージさんとはほぼ同世代の方でして、スズキさんはもちろんのこと他にも多くの芸術家との交流をお話してくださいました。

ギャラリー・ヴィーにはWAKKUNさんの作品も置いてあったのでその説明を聞いたり、普段の活動なんかも面白おかしく話してくださいました。
失礼ながらとても愛嬌があって、僕なんかは割と人見知りする方なので見知らぬ人と話すのは苦手なんですけど、そういう僕でも気軽に話せるというか、色々お話を聞いていると人と人との繋がりがWAKKUNさんの中で大きな部分を占めているようだったんですけど、ひと時だけでもそのひとつに紛れこめたような気がして楽しかったですね。

本物の絵描きさんと話す機会なんてそうそうあるものではないので、不躾にも色々と、普段の自分の創作の中で思っていることとかも含めて、色々と質問させていただきました。

僕は詩を書いているんですね。僕の詩が詩と呼べるかどうかは別にして、詩は読むのも書くのも好きなんです。でいっぱい書いてきました。今も書きかけのものが沢山あります。読んだり書いたりしてきましたから自分で言うのもなんですがそれっぽい詩は書けます。でもそれっぽい詩はそれっぽいままで、いっぱい書いてきたからこそ自分に何が足りないかも分かってるんです。だからそういうことをですね、僕は詩を書いてますなんて言えなかったですけど一般論として、色々と質問をしました。

嬉しいことにその全てにWAKKUNさんは丁寧に、ご自身の経験談や友達の芸術家のことなどを交えてゆっくりと話してくださいました。そして僕が一番聞きたかったことの答えは僕が自分の中で持っているものと同じだったんですけど、やっぱりそれはね、理屈っぽい僕の中での話ではなく、その世界で何十年もサバイバルしてきた方の話として、やっぱりずっしりとくるものがあったんです。

僕は時々思うんです。詩を書いてて、あ、こういうことかもしれないって。ですぐそれは勘違いだと気付く、またしばらくすると、あ、こうかもしれないって。多分これからもそういうことの繰り返しかもしれないけど、何十年も絵描きとして生きてきた人の言葉として、それは何かはここでは言いません、ていうか言葉にできるものでもないので心の中にしまっておきますが、やっぱり変化はあったわけです。

で今回は個人的なことばかり書いてますが、ブログを始めた時に個人的なことを書くのはやめようと思っていたのですが、やっぱりこれは書き残しておきたいと。WAKKUNさんとお話ししてちょっと変化はあったかなと自分でも思うので。

ホントに人懐っこい方で最後はガッシリ握手してくださって、結局1時間以上は話し込んだと思います。WAKKUNさんは話すのも活動のひとつなんだよみたいなこと仰ってましたけど、人見知りする僕でもリラックスして話せる方なので、あぁホントにそうかもしれないって別れ際に思いました。

貴重な話を沢山聞けて楽しかったです。この場を借りてもう一度、WAKKUNさん、ありがとうございました。またお会い出来る日を楽しみにしています。

スズキコージ『チンチラカと大男』絵本原画展&作品展 感想

アート・シーン:

スズキコージ『チンチラカと大男』絵本原画展&作品展

神戸はJR元町駅の近く、ギャラリー・ヴィーで開催中(2020/1/25~2020/2/16)のスズキコージさんの原画展へ行って参りました。

スズキコージさんのことはEテレ『日曜美術館』で知りまして、自由な絵なんですね、ホント、子供が描いたみたいな。もちろん子供が描けるような絵ではないのですが、例えば就学前の子供に象の絵を描いてってお願いしたら我々が望む象を描かないと思うんです。我々は絵本やテレビやなんかで絵で描く象というのはこういう感じというイメージを持っているんですが、小さい子はそうじゃないでしょ。頭の中にお手本とかなくて自由に描いてしまう。

スズキさんの絵にはそういう意味でのオリジナリティというか、言ってみれば原始に立ちかえったような感覚を覚えるんです。そういう意味での子供っぽさがあるのでスズキさんの絵はこれちょっとオレにも描けそうだなって勘違いしてしまうのですが実際には描けません、当たり前か(笑)。

ギャラリー・ヴィーはとても小さい所ですから原画が間近で見れます。そうすると今言ったようなスズキさんの凄みっていうんですか、そういう細かい手仕事が見えてこれは途方もない絵だなと。ちょっと買い求めたいな、でも金額を見て無理!って感じです(笑)。

でもとか言いながらやっぱオレも描いてみよう、って気にさせるのスズキさんの絵の素敵なところだと思います。絵に力がある。伝播力があるってことでしょうか。

でひとしきり見て椅子に腰掛けているとその小さなギャラリー・ヴィーに雰囲気のある方が入ってきまして、店主さんと話しをされているんですね。 思わず「絵描きさんですか?」と声を掛けたら、まさに絵描きさん。しかもスズキさんとお友達だという。気さくな方で貴重なお話を沢山聞かせてくださいました。

※ 以下、次記事「WAKKUN(涌島克己)さんとの会話」へ続く、、、

映画『ジョジョ・ラビット』 感想

フイルムレビュー:

『ジョジョ・ラビット』(2020年)感想

舞台は第二次世界大戦末期のドイツ。主人公はヒトラーに心酔し、ヒトラーを空想上の友とする10才の少年ジョジョ。ヒトラー・ユーゲント養成キャンプでの訓練でウサギを殺すことが出来なかったジョジョは臆病者の烙印を押され、ジョジョ・ラビットとあだ名される。この時ジョジョは大ケガをする。ここもこの映画のポイントだ。

監督はニュージーランド出身のタイカ・ワイティティ。ジョジョの空想上の友達であるヒトラーはワイティティ自身が演じている。

主要登場人物は5人だ。主人公のジョジョ。ジョジョのママ。ユダヤ人の少女エルサ。ヒトラー・ユーゲントの教官キャプテンK。ジョジョの親友ヨーキー。あ、あとイマジナリー・フレンドのヒトラーも。基本コメディ映画だからか、ワイティティ監督のヒトラーに象徴されるように登場人物達のキャラが立っていて面白い。また、時折挟まれるジョジョとヨーキーの会話がかわいらしくてほっこりする。

映画の内容を書きたくてウズウズしているが、ネタバレになるのでここに多くを書くつもりはない。ひとつふたつ差しさわりのない程度で言うと劇中いろいろとキーになる言葉や物、しぐさが出てきて、それらが最終的には見事に連結していく。だからよーく見ておくように、とは言わない。何故なら誰にでも分かるような形で提示されているから。そういう監督の姿勢が素敵だ。そうこなくちゃ。

調度品や衣装も素敵だ。子供も大人も皆オシャレ。映像も鮮やかだ。特に陽気で茶目っ気たっぷり、けれど影のあるジョジョのママに目が行く。フェアで勇敢なママ。ジョジョにはこんな素敵なママがいる。最後まで観た僕たちはそんなママのセンスがジョジョに受け継がれているのを確信する。

戦争は大人が始めたものだけど、最後に格好いい大人が登場するのも嬉しい。彼は戦争で片目が見えなくなったけど、そのことで別のものが見えるようになったということ。彼の衣装も最高だ。

ジョジョの家に匿われているユダヤ人、エルサ。守られるべき人という描写だけではなく、年頃の女性としての強さも持っている。彼女の衣装も素敵だ。たらかしたサスペンダーが格好いい。

冒頭のビートルズなど音楽もバッチリ決まっているが何より最高なのはデヴィド・ボウイの『ヒーローズ』。トレーラー映像でも使用されているのでここは隠さなくてもいいだろう。デヴィッド・ボウイはベルリンとも縁が深い。何処でかかるかは言わないが兎に角最高だ。あの場面、今どきのヒップホップではなくてギター・フレーズでウズウズするのが嬉しい。ここもやはりそうこなくちゃだ。

ところで、海外では思い出したようにヒトラー関連の映画が公開される。或いは人種差別の映画もそうだ。そうした映画が欧米では多くの地域で上映され、評価の対象となる。昨年は日本でも『朴烈と金子文子』という素晴らしい韓国映画が上映されたが、残念ながらミニ・シアターでひっそりと。アートの受容度で言えば、日本はかなり立ち遅れていると言わざるを得ない。愛知ではあんなこともあったしな。

それにしても。アレとかコレとか映画の内容を言いたくてウズウズする。ぽっちゃりとしたメガネのヨーキーも聡い子だ。いかんいかん、これもネタバレになる。『ヒーローズ』のギターが僕の今の気持ちとマッチする。あぁ、ウズウズして踊りだしたい気分だ。でもその前に…。僕も「できることを」しなくちゃだ。

映画『グリーンブック』 感想

フイルムレビュー

『グリーンブック』(2018年) 感想

 

主人公の一人、トニー・ヴァレロンガはこの時代(1963年)の多くの白人たちがそうであるように、黒人に対し差別的に扱うことを当たり前のこととして享受している恐らく本人たちはそれが殊更人種差別であるという認識を持っていない。何しろこの時代はそれが当たり前だったから。

証拠にトニーは仕事であれば黒人であるドク・シャーリーの運転手兼マネージャーを勤めることを厭わないし、ボスである彼の指示に一応は従う。けれど基本的には黒人に対しての差別心を持っている。

ここが微妙なところで、所謂今で言うレイシズムとはニュアンスが​異なる​のかもしれない。トニーに代表される当時の白人たちは何も知らないだけで、ただ黒人は卑下されるべきであるという昔ながらの慣習に従っているだけなのかもしれないのだから勿論それも紛れもない人種差別であるが)。

つまりは彼らは学べは肌の色の相違による差別はおかしなことだということに気付ける​人間だ​いうこと。根っからのレイシストは別にして、トニーのようなごく常識的間は(にしてはトニーは超個性的だが)それぐらいの感性を持っているし、それは何もトニーが特別​​だということではない。

知るということをトニードク旅で学んでいく。トニーは黒人がどのような扱いを受けているかということを​知り、エリートであるドクは南部の黒人がどのような暮らしをしているかということを知る。今はインターネットがあるから色々なことを知ることは容易だが(単に知ることは知ったことにはならないが)、当時は直に体験することでしか知ることは出来ない。その中でも最も手っ取り早いのは単純に人と人とのふれあいだ。

少しこじつけになるけれど、日本にもこれから多くの外国人がやってくる。島国である性格上、爆発的な移民という形は取らないかもしれないが、我々の教室に職場に隣近所に外国人はやってくるだろう。その時最も単純に知る方法はやっぱり人と人とのふれあいではないか。

外国人に限ったことではない。身体が不自由な人もそうかもしれないし、性的マイノリティ​ー​もそうかもしれない。知らないことを知ることは互いに良きものをもたらす。その事を僕たちはもう少し積極的に考えてもよいのではないか

勿論ことはそんな単純な話ではないけ​れ​ど、僕たちだってそれぐらいの感性はあるはずだ。事実、実在するトニーとドクはそうやって事態を乗り越えてきたのだから。

 

Hyperspace / Beck 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Hyperspace』(2019) Beck
(ハイパースペース/ベック)

ベックに元気がない。あれだけ訳の分からないリリックがお得意のベックがなんともストレートな歌詞を書いている。「僕は待っている」というセリフが何度も出てくるぞ。ベックさん、あなたは一体何を待っているんだ?

全方位方の前作『カラーズ』から一転、ベックは『ハイパースペース』という超空間へ逃げ込んだ。どうも逃げ込んだという表現が似つかわしい。華々しく何かをぶちあげるというより、こういう時は無理せず大人しくしておこうということか。てことで選んだ相棒があの『ハッピー』なファレル・ウィリアムズ。

やね。せめてサウンドだけでもポップにということでしょうか、けどね。私はあんまりファレル・サウンドが得意ではありません。ミーハーにも当時かの『ハッピー』収録のアルバムを購入したのはいいのですがあんまし私には馴染まなかったのです。

てことで今回のアルバム。曲はいいです。ファレルと組んだということでソングライティングも共同かもしれませんが、曲はスムーズです。ただベックならではのぎこちなさがなんとなく希薄かなと。

それとサウンドは好みが分かれるかもしれません、ちょっとシンセ強めですし。やっぱ所在なげですね。フワフワ浮いてる感じはあります。『Saw Lightning』なんてアルバム随一のアッパーな曲調ですけど、何故かそこまで気分がアガル感じはしないんです。

で思い出すのは、ていうか自分で書いたレビューですけど先日ウィルコの『オード・トゥ・ジョイ』の感想をこのブログに書いたのですが、確かそこにも今回のウィルコは所在なげだなぁみたいなことを書きまして。やっぱ今世界はネガティブな感じじゃないですか。どっちかっていうと上手くいかねぇやっていう。そこでこのベテラン二組はけど何とかなるよってポジティブなメッセージを発するのではなく、若干しょんぼり気味に揃って抗うんじゃなく素直に上手くいかねぇやって歌ってる。これ、どういうことでしょうか?

どっちもアメリカ人ですけど、やっぱ思ってる以上にアメリカのリベラルな人々は落ち込んでるんだなぁって。素直にそういう表現をしていまう。特にいろんな事を見てきたベテランたちがそういう表現をしていまうってのは敢えてなのか諦めなのか分からないですけど、そういう側面もあるのかなって思います。

勿論ベックさんですから、よいアルバムです。ボーナス・トラック入れてトータル42分強ですがすいすいっと心地よく最後まで聴けちゃいます。さっきも言いましたけど曲は綺麗だしこのまとめ方は流石だと思います。でもやっぱり所在なげなんですね。それは歌詞のせいもあるけど、フワフワとしたサウンドの影響も大きいのかな。

だからまぁ、もうちょっと違うサウンドだと印象も違うのかれしれないけど、それじゃあファレルと組んだ意味はないし、これはいろんなプロジェクトを常に同時進行しているベックが前々からやりたかったことだったみたいだしそれじゃそれでいいんだけど、余りにもスムーズ過ぎてなんか私の好みで言うとちょっと違うかなって(笑)。

だからなんだかんだ言ってボーナス・トラックの『Saw Lightning(free style)』が気持ちいいというか、ドンドンっていうあれはバスドラでしょうか。それとブルースハープとベックのボーカルだけでグイグイ押していく感じがやっぱずば抜けてかっこいいと思ってしまいます。

映画『きっと、うまくいく』感想

フィルム・レビュー:

『きっと、うまくいく』(2009年公開)

 

映画好きの友人に薦められて観たのですが、滅茶苦茶面白かったです。ホント、こんな素敵な映画を紹介してくれてありがとうって感じ。観たばっかりなので少し大げさな言い方になってしまいますけど、僕がこれまで観た映画の中でも3本の指に入るじゃないかっていうぐらい本当に心に響く素晴らしい映画でした。

内容を簡単に言うと、インドのエンジニア専門のエリート大学生3人が引き起こすあれやこれやの騒動と彼らの10年後の再会が同時進行で進んでいくというお話。

とにかくインド映画ですからエピソードてんこ盛りで途中歌ありダンスありの壮大なエンターテイメント絵巻。トータル3時間もありますから、それこそ大河ドラマのような中味の濃さなのですが、それでいて全く破綻することなく見事にまとめられていて監督、というか脚本も含めて本当によく出来た映画だと思います。

インド映画と思って侮ることなかれ。要所要所で登場する小ネタやあちこち飛びまくるエピソードがほったらかしどころか見事に気持ちよく回収されていきます。ホント、とんでもない映画です!

この映画はハッキリ言って滅茶苦茶です。そんなアホなという展開だらけです。きっと、うまくいく?そんなうまいこといくかいなっていうエピソードだらけです。ところがそんな映画にどんどん引き込まれていく。それは何故でしょうか。

少々大げさでもいいんですね。少々やり過ぎでもいいんです。要はその時の心の動きがどうなっているかで、言って見ればそれは現実とは少しばかり離れた心象風景。そこに僕たちの持ちうる想像力が重なればそれがリアリティーになるのです。

目の前の景色を真面目にキチンとそのまま描いたとして、それが聞き手にとってのリアリティーになるかどうか。多分、人に伝えるというのはそういうことではないのかもしれません。

この映画は色々な要素がてんこ盛りです。歌ありダンスありで社会的な問題も絡んできますし、謎解きの要素もある。下らない冗談ばっかと思いきや急にシリアスになる。でもそれらが違和感なく溶け合ってより大きな渦となる。

僕は音楽が好きなのでつい音楽で例えてしまいますが、音楽もメロディがあり言葉があり、バントの演奏があり声があり、それらが有機的に絡み合って一つ曲になる。そう考えると色々な要素を含んだこの映画の節操の無さも意味があることなのです。

さっきも言いましたが現実はそんなうまくいきません。でもこの映画の主人公たちは「アールイズウェール(きっと、うまくいく)」と唱えることで何とか乗り越えてゆこうとする。それは一見リアリティーのないことかもしれないけど、結局は理屈ではないんですね。大きな視座で見れば同時にそれも真実なのだと思います。

つまりとにかく「きっと、うまくいく」ことに向けて努力を続ける。良い意味での楽観性は人に良きものをもたらす。そういうことではないでしょうか。

映画は170分ありますけど、本当にあっという間です。170分も観ておきながら、最後はまだ主人公たちとサヨナラしたくない!終わってほしくない!という気持ちになりました。僕にとってはそれぐらい特別な映画でした。しばらくは「アールイズウェ~ル♪」が頭から離れそうにないですね(笑)。

2019年 洋楽ベスト・アルバム

洋楽レビュー:

『2019年 洋楽ベスト・アルバム』

 

2019年も色々な音楽を聴きました。大した数ではないけれど、その年のベスト・アルバムを考えるのも楽しみの一つなので、今回も選んでみました。

買い物リストを眺めていると2019年はずっと聴き続けている人たちが多くだいぶ落ち着いた印象。とはいえ、ビリー・アイリッシュやビッグ・シーフや折坂悠太といった新しい音楽も聴いていて、それがまた理解できないというのではなく、ちゃんと心にに響いてきているし、僕の感受性もまだまだ捨てたもんじゃないなと我ながら思ったりもしています。

さて僕の2019年ベストアルバムですが、もうこれは何回か聴いた時点で今年はこれだろうと半ば決めておりました。世間のベスト・アルバム選にはほぼ載ってこないのですが、久しぶりにグッときたというか、ボスらしい直接的なメッセージは無いのですが、ていうかボスの場合むしろこちらだろうというような名も無い人たちのストーリー。僕もこういうのが分かる大人になりました(笑)。てことで2019年の私的ベスト・アルバムはブルース・スプリングスティーンの『ウェスタン・スターズ』です。

ホントに映画を観ているようでしたね、このアルバムは。登場人物はアメリカ人だし年食った人たちだし、全く自分とはかけ離れた世界ではあるんだけど、それでも目の前に景色が立ちあがって、深い皺を刻んだ人たちの人生が胸に迫ってくる。それこそ名も無いひとつひとつの小さな星たちの一瞬の輝きのようなアルバムでしたね。米国ではスプリングスティーンがこのアルバムを全編フルオーケストラで歌う映画が公開されたそうですが、是非日本でも公開してほしいです。

次点はヴァンパイア・ウィークエンドの『ファーザーズ・オブ・ザ・ブライド』。このアルバムもよく聴きました。彼らから全てを引き受けるようなこれほど開けっぴろげなアルバムが出てくるとは思いませんでした。どうも頭のいいインテリみたいなイメージがあったのですが、もうそんなところにはいないんですね彼らは。持ち味である明るさは損なわれずに、けれど苦味もちゃんとある。且つ大通りを胸張って歩く。そんなアルバムだと思います。

あと、なんじゃかんじゃ言って僕はやっぱりウィルコが好きですね。今回の『オード・トゥ・ジョイ』も素晴らしかったです。絶望を歌うビリー・アイリッシュにティーンネイジャーが希望を見出すように、僕たち大人は分かり合えなさを歌うウィルコに歓喜の歌を見出す。ちょっと気取った言い方ですけど、そんなアルバムではないでしょうか。

おまけのベスト・トラックはビリー・アイリッシュの『アイ・ラブ・ユー』にしようかなと。別に流行に流されている訳ではありません(笑)。世間的には他の曲かもしれませんが、僕はこの歌で聴こえる「う~うう~うう~」が大好きです。人工的でありながら人間的で、ひんやりとしているけど温かい。こんな「う~うう~うう~」を聴いたのはトム・ヨーク以来かもしれない。

てことでビリー・アイリッシュにしかけましたが、大事な人を忘れていました。ザ・ジャパニーズ・ハウスです。あまり馴染みのない名前だと思いますけど、英国のインディー・バンドです。あのThe1975所属のレーベル、ダーティ・ヒットのニューカマーと言えば何となく雰囲気分かってもらえるでしょうか?毎年ベスト・トラックは単純にその年に一番聴いた曲にしているのですが、そういや聴いた回数は彼女らの『サムシング・ハズ・トゥ・チェンジ』が断トツだったなと(笑)。なので2019年の僕のベスト・トラックはザ・ジャパニーズ・ハウスの『サムシング・ハズ・トゥ・チェンジ』となりました。