今、ライブを観に行きたい人シリーズその② 中村佳穂

その他雑感:

「今、ライブを観に行きたい人シリーズその② 中村佳穂」

中村佳穂さんを知ったのは昨年のフジロックでのYoutube中継で、中継と言ってもずっとは見てられませんから空いた時間にちょいちょい見る程度だったのですが、たまたま覗いて見た時に演奏されていたのが中村佳穂さんでした。

スマホの小さな画面だったのですが、一気に中村さんの世界に引き込まれまして、フジロックと言っても大体はながら見になるのですけど、もうこの時ばかりは食い入るように見て、勿論演奏も素晴らしかったんですけど、この方のパーソナリティーですね、ホントに開放的でフジロックの森の中のステージとの組み合わせとも相まってドンと心に響いたんです。

じゃあ中村さんのステージはどんなのかっていうと下にリンク貼っときます。この映像では太鼓を叩いていますが、本来はピアノを弾く人です。最近見た映像でこれが凄くよかったので先ずはこちらを。ちょっと長いですけど凄い展開になってますんで、最後まで見ていただけたらと。

偶然聴いたラジオでこの時のステージの話をされていて、今年はなんだ色んな楽器に挑戦する年にしたいんだとか。それでこういうことになったらしいです。途中、「最後やだな」とか「助けて」とかアドリブが入るのがいいでしょ?

ピアノの方は凄いスキルをお持ちです。もう体の一部って感じでして、イメージとしては自由奔放ですからジャズってことですかね。ただそこに至るまでに物凄く準備を整えていそうで、これは完全に僕の想像なのですが、完璧に近い準備をしてステージに立てばあとはもうその場次第。準備したものに囚われない。そんなイメージですね。

ですので例えて言うと矢野顕子さんということになるのでしょうが、そこは最近の方ですから、エレクトリカルとかヒップホップとかさっきの太鼓とか、もう色々な要素がごちゃ混ぜでフリー、ボーダレスです歌い方も含めて自由なんです。

てことでこの方のライブもやはり一度は観てみたいなと。むしろ観たいというより体験したいという言い方の方が近いような気はしますが、とはいえこの方もですね、もうすぐ来阪されるのですが、チケットはとっくにございません(笑)。やっぱり、大々的にブレイクしていなくても凄い人は人気があるのです。

今、ライブを観に行きたい人シリーズその① 折坂悠太

その他雑感:

「今、ライブを観に行きたい人シリーズその① 折坂悠太」

折坂さんのことはこのブログでも何回か取り上げたことがあるのですが、きっかけは某音楽誌の2018年邦楽部門の年間ベスト1に選ばれたことですね。気になってYoutubeを見たらもうたまげたのなんのって、早速そのアルバム『平成』を購入。世の中にはまだまだスゴイ才能をお持ちの方がいらっしゃいます

やっぱりこの方はですね、生で観ないと本当の素晴らしさは分からないのではないかなと。Youtubeでしか見たことがないので偉そうなことは言えませんが、ライブが圧倒的に素晴らしいんです。ちょうど僕が『平成』アルバムを買った頃にライブがありましたので、チケットを買おうとしたのですが、まぁほぼ即売に近い感じでして見事に撃沈しました(笑)。

昨年はテレビドラマの主題歌を歌っていましたから、現状、更にチケット入手が難しくなっているとは思うのですが、この春、3月23日大阪にお立ち寄りのこと。懲りずにチケットゲットにチャレンジしたところ見事にゲットできましてもう思いっ切り満喫しようかなと、今から楽しみでどうしようもございません。

 
折坂さんは弾き語りでも抜群に素晴らしいのですが、バンドも魅力ですね。ドラムというか太鼓の響きが結構独特で、パーカッションも入ってるんですかね。キーボード関係も特徴的で、なんていうか大正昭和期の日本歌謡とでもいうような感じですかね
 
極端にいうとチンドン屋さんみたいな、ま、実際そういう楽器編成ではないんですけど、イメージとしてね、日本のポップ音楽をJ-POPなんて言いますがそっちじゃなくて、どっちかって言うと戦前戦後の大衆歌謡の系譜のような、日本人の琴線に触れる音楽とは実はこういう感じじゃないかとでも言うようなイメージと言いますか、そういう和洋折衷なごちゃ混ぜ感がごちゃごちゃしたまんま提示される面白さがあるような気はします。
 
てことで今、僕がライブで観てみたい人と言えば先ずこの方折坂悠太さんですね

Eテレ 日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物」感想

アート・シーン:

Eテレ 日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物」感想

今、一部の若い人たちの間でソール・ライター風の写真をSNSに上げることが流行っているとのこと。確かに、お洒落で且つ誰にも撮れそうな写真だ。誰にでも手が届きそうな距離感。つまりそれがポップ・アートということ。

ソール・ライターは有名ファッション誌の一流カメラマンとして名を馳せるが、ある撮影現場での外野の、すなわちスポンサーの「あー撮れ」「こー撮れ」という声にうんざりして、カメラを置きその場を立ち去った。

その後は一転、安定した収入もなく、友人に助けられながらの生計。セレブなステータスを得ながらも自分のやりたいことを貫いたソール・ライターの生き方。若い人たちはそこにも大きな魅力を感じているらしい。

ゲストの俳優、須藤蓮さんはその若い人々の気持ちを代弁するようにソール・ライターの魅力を論じていた。その気持ちは分かる。けれど一方でそれが先に来てはいけないよ、という軽い気持ちがないでもない。

須藤さんの興奮をクール・ダウンするように写真評論家の飯沢耕太郎さんは、「それもあるけど、先ず作品として素晴らしい」といったような趣旨の発言をされていた。

作家の個性、その人となりを愛することも良し。けれど作品そのものの評価は別個として考えたい。それが作家への、或いは作品への敬意だと思います。場合によってはこれはちょっと好きじゃないなって言える視点は持っておきたい。

そんなつまらない理屈をこねているから中年は駄目なのかもしれないですけど(笑)。

ソール・ライター展は東京で開催された後、春には京都へやって来ます。分かったようなことをぬかしておりますが、実物を見て素直に撃たれたいと思います(笑)。

Eテレ100de名著『力なき者たちの力~ヴァーツラフ・ハヴェル』第1回目 感想

TV program :

Eテレ100de名著『力なき者たちの力~ヴァーツラフ・ハヴェル』第1回目 感想

第1回目はイデオロギーの話。何気ないスローガンを何気ないものとして掲げているうちに、それがさも大事な事のようになっていく。そして人々はスローガンを受け入れることを互いに牽制し合うようになる。

ハヴェルはポスト全体主義には消費社会の特性があるとも指摘。我々は良心とか責任といった倫理的なものと引き換えに物質的な安定を優先してしまう。同調圧力。本当のことがあったとしても言えなくなってしまい、それは連鎖していくとのこと。

これ、僕としても一企業に勤める会社員として身につまされる言葉だ。

第1回目の放送を見ていてふと思ったのが東京オリンピック。そうしたら司会の伊集院光が言いずらそうに「東京オリンピックってホントにいるのかなってまだ思ってる」と発言した。

ハヴェルが本の中で訴えていることが今の日本にも、もちろん日本だけではないけれど、今現在も進行中だということを忘れてはいけない。

「アキノイサム展」御殿山生涯学習センター 感想

アート・シーン:

「アキノイサム展」御殿山生涯学習センター 感想

大阪は枚方市にある御殿山生涯学習センターで「アキノイサム展(2020年2月2日~2月16日)」が開催されています。京阪電車は枚方市駅を東へ5分程。急な坂道を登った先に御殿山生涯学習センターはあります。

先ず最初に展示されているのは絵本「プンクマインチャ」の原画です。傍らに絵本が置いてあるのでそれも読んだのですが、やはり原画は違いますね。生き生きとしていて絵に生命力を感じます。

「プンクマインチャ」には秋野亥左牟の特徴である独特の線が特に目を引く作品です。一筆描きのような線が立体感を出しています。髪の毛だけではなく、表情や体のラインが毛糸を這わせたような幾つかの線で表現されています。これはやっぱり魅力的ですね。

「プンクマインチャ」は絵本ですからストーリーがあって当たり前ですが絵のタッチも同じです。秋野亥左牟の特徴も凄く出ていますから、こういう絵を描く人なんだなと思ってしまいますが、彼の絵はひとつのスタイルにはとどまりません。

それがよく分かるのは絵巻物。秋野亥左牟は旅をする絵描きです。いやむしろ絵を描く旅人と言った方が正しいのかもしれません。旅をする際に携行しやすいということで障子紙を巻物にして世界のあちこちで絵を描きました。

その絵巻物。展示されていたのは二巻だけだったのですが、さっきの「プンクマインチャ」とは全く雰囲気が異なります。一枚目はロシア・ヨーロッパの旅の時のものだそうで、なるほど言われるとそんな雰囲気があります。二枚目はインドということでそれっぽい建物が沢山描かれています。そして実物がどうかは別にしてとても綺麗な色使いですね。それぞれの雰囲気は全く異なります。

旅には障子紙の巻物と12色の水彩絵具のみの携行だったとのことですが、色数が限られていることがかえってよい効果をもたらしているような気はします。とっても明るくて綺麗ですね。二巻のみの展示なのではっきりとは言えませんが、秋野亥左牟が旅をどのように捉えていたのかが分かるようなそんな絵巻物だと思います。

三つ目のフロアにはろうけつ染めや版画などが展示されていました。一つところにとどまらすあらゆる手法を試していたんですね。秋野亥左牟の自由な手さばきを感じることが出来ます。ここでは頭が眼だけの目人間というようなキャラクターがそこかしこに登場します。この人物は秋野自身ということでしょうか。よく見るということ。若い頃から旅に生きてきた秋野亥左牟の思想をそこに見るような気がします。

僕はやっぱり秋野亥左牟の絵が好きですね。もう手が勝手に動いてしょうがないというような、描いてる先からもう次のイメージが沸いてくるようなイメージの連続性と言いますか、そしてそこに恐らく他意はないんですね。もちろん彼にも主義主張はあったんだと思いますが、描いてるのが楽しいから描いてるんだという、誰もが最初期には持つけどなかなか持続して持ち得ない初期衝動を稀有にも最後まで持つ続けられた、そんな幸福な絵描きだったのではないかなと、僕は勝手にそんなことを思いました。

見慣れない絵だし沢山のイメージがごった返して忙しい絵のはずなのに観ていて全く疲れない。それは多分彼の世界に対する肯定的なものの見方、その精神性から来るものなのかもしれません。

上京

ポエトリー:

「上京」

 

上等の卵のような満月を
飲み込んだから君よ

ついて行くよ
見知らぬ街でも
上等の月を飲み込んだ今
消化不良を起こして
かえって心は落ち着かぬ
見知らぬ街でも乱されず歩く方法を
訪ねて歩く咆哮を

背伸びをするための
角張った厚底のスニーカー
ダッシュを決めて
ニヤリとしたまではいいが
足跡を見返して
戦慄するわたくし

媚びることすら
太陽の欠片と知った
罪悪感の渦の
上京物語

ペンライトでかざす足下の
光は濡れて
上等の卵のような満月を飲み込んだ君よ
今夜の雨
どうしてくれよう

 

2020年1月

WAKKUN(涌島克己)さんとの会話

アート・シーン:

WAKKUN(涌島克己)さんとの会話

※ 前記事(スズキコージ『チンチラカと大男』絵本原画展&作品展)からの続き、、、

その方は涌島克己さんといいます。もしかしたら愛称のWAKKUNの方が有名なのかもしれません。スズキコージさんとはほぼ同世代の方でして、スズキさんはもちろんのこと他にも多くの芸術家との交流をお話してくださいました。

ギャラリー・ヴィーにはWAKKUNさんの作品も置いてあったのでその説明を聞いたり、普段の活動なんかも面白おかしく話してくださいました。
失礼ながらとても愛嬌があって、僕なんかは割と人見知りする方なので見知らぬ人と話すのは苦手なんですけど、そういう僕でも気軽に話せるというか、色々お話を聞いていると人と人との繋がりがWAKKUNさんの中で大きな部分を占めているようだったんですけど、ひと時だけでもそのひとつに紛れこめたような気がして楽しかったですね。

本物の絵描きさんと話す機会なんてそうそうあるものではないので、不躾にも色々と、普段の自分の創作の中で思っていることとかも含めて、色々と質問させていただきました。

僕は詩を書いているんですね。僕の詩が詩と呼べるかどうかは別にして、詩は読むのも書くのも好きなんです。でいっぱい書いてきました。今も書きかけのものが沢山あります。読んだり書いたりしてきましたから自分で言うのもなんですがそれっぽい詩は書けます。でもそれっぽい詩はそれっぽいままで、いっぱい書いてきたからこそ自分に何が足りないかも分かってるんです。だからそういうことをですね、僕は詩を書いてますなんて言えなかったですけど一般論として、色々と質問をしました。

嬉しいことにその全てにWAKKUNさんは丁寧に、ご自身の経験談や友達の芸術家のことなどを交えてゆっくりと話してくださいました。そして僕が一番聞きたかったことの答えは僕が自分の中で持っているものと同じだったんですけど、やっぱりそれはね、理屈っぽい僕の中での話ではなく、その世界で何十年もサバイバルしてきた方の話として、やっぱりずっしりとくるものがあったんです。

僕は時々思うんです。詩を書いてて、あ、こういうことかもしれないって。ですぐそれは勘違いだと気付く、またしばらくすると、あ、こうかもしれないって。多分これからもそういうことの繰り返しかもしれないけど、何十年も絵描きとして生きてきた人の言葉として、それは何かはここでは言いません、ていうか言葉にできるものでもないので心の中にしまっておきますが、やっぱり変化はあったわけです。

で今回は個人的なことばかり書いてますが、ブログを始めた時に個人的なことを書くのはやめようと思っていたのですが、やっぱりこれは書き残しておきたいと。WAKKUNさんとお話ししてちょっと変化はあったかなと自分でも思うので。

ホントに人懐っこい方で最後はガッシリ握手してくださって、結局1時間以上は話し込んだと思います。WAKKUNさんは話すのも活動のひとつなんだよみたいなこと仰ってましたけど、人見知りする僕でもリラックスして話せる方なので、あぁホントにそうかもしれないって別れ際に思いました。

貴重な話を沢山聞けて楽しかったです。この場を借りてもう一度、WAKKUNさん、ありがとうございました。またお会い出来る日を楽しみにしています。

スズキコージ『チンチラカと大男』絵本原画展&作品展 感想

アート・シーン:

スズキコージ『チンチラカと大男』絵本原画展&作品展

神戸はJR元町駅の近く、ギャラリー・ヴィーで開催中(2020/1/25~2020/2/16)のスズキコージさんの原画展へ行って参りました。

スズキコージさんのことはEテレ『日曜美術館』で知りまして、自由な絵なんですね、ホント、子供が描いたみたいな。もちろん子供が描けるような絵ではないのですが、例えば就学前の子供に象の絵を描いてってお願いしたら我々が望む象を描かないと思うんです。我々は絵本やテレビやなんかで絵で描く象というのはこういう感じというイメージを持っているんですが、小さい子はそうじゃないでしょ。頭の中にお手本とかなくて自由に描いてしまう。

スズキさんの絵にはそういう意味でのオリジナリティというか、言ってみれば原始に立ちかえったような感覚を覚えるんです。そういう意味での子供っぽさがあるのでスズキさんの絵はこれちょっとオレにも描けそうだなって勘違いしてしまうのですが実際には描けません、当たり前か(笑)。

ギャラリー・ヴィーはとても小さい所ですから原画が間近で見れます。そうすると今言ったようなスズキさんの凄みっていうんですか、そういう細かい手仕事が見えてこれは途方もない絵だなと。ちょっと買い求めたいな、でも金額を見て無理!って感じです(笑)。

でもとか言いながらやっぱオレも描いてみよう、って気にさせるのスズキさんの絵の素敵なところだと思います。絵に力がある。伝播力があるってことでしょうか。

でひとしきり見て椅子に腰掛けているとその小さなギャラリー・ヴィーに雰囲気のある方が入ってきまして、店主さんと話しをされているんですね。 思わず「絵描きさんですか?」と声を掛けたら、まさに絵描きさん。しかもスズキさんとお友達だという。気さくな方で貴重なお話を沢山聞かせてくださいました。

※ 以下、次記事「WAKKUN(涌島克己)さんとの会話」へ続く、、、

映画『ジョジョ・ラビット』 感想

フイルムレビュー:

『ジョジョ・ラビット』(2020年)感想

舞台は第二次世界大戦末期のドイツ。主人公はヒトラーに心酔し、ヒトラーを空想上の友とする10才の少年ジョジョ。ヒトラー・ユーゲント養成キャンプでの訓練でウサギを殺すことが出来なかったジョジョは臆病者の烙印を押され、ジョジョ・ラビットとあだ名される。この時ジョジョは大ケガをする。ここもこの映画のポイントだ。

監督はニュージーランド出身のタイカ・ワイティティ。ジョジョの空想上の友達であるヒトラーはワイティティ自身が演じている。

主要登場人物は5人だ。主人公のジョジョ。ジョジョのママ。ユダヤ人の少女エルサ。ヒトラー・ユーゲントの教官キャプテンK。ジョジョの親友ヨーキー。あ、あとイマジナリー・フレンドのヒトラーも。基本コメディ映画だからか、ワイティティ監督のヒトラーに象徴されるように登場人物達のキャラが立っていて面白い。また、時折挟まれるジョジョとヨーキーの会話がかわいらしくてほっこりする。

映画の内容を書きたくてウズウズしているが、ネタバレになるのでここに多くを書くつもりはない。ひとつふたつ差しさわりのない程度で言うと劇中いろいろとキーになる言葉や物、しぐさが出てきて、それらが最終的には見事に連結していく。だからよーく見ておくように、とは言わない。何故なら誰にでも分かるような形で提示されているから。そういう監督の姿勢が素敵だ。そうこなくちゃ。

調度品や衣装も素敵だ。子供も大人も皆オシャレ。映像も鮮やかだ。特に陽気で茶目っ気たっぷり、けれど影のあるジョジョのママに目が行く。フェアで勇敢なママ。ジョジョにはこんな素敵なママがいる。最後まで観た僕たちはそんなママのセンスがジョジョに受け継がれているのを確信する。

戦争は大人が始めたものだけど、最後に格好いい大人が登場するのも嬉しい。彼は戦争で片目が見えなくなったけど、そのことで別のものが見えるようになったということ。彼の衣装も最高だ。

ジョジョの家に匿われているユダヤ人、エルサ。守られるべき人という描写だけではなく、年頃の女性としての強さも持っている。彼女の衣装も素敵だ。たらかしたサスペンダーが格好いい。

冒頭のビートルズなど音楽もバッチリ決まっているが何より最高なのはデヴィド・ボウイの『ヒーローズ』。トレーラー映像でも使用されているのでここは隠さなくてもいいだろう。デヴィッド・ボウイはベルリンとも縁が深い。何処でかかるかは言わないが兎に角最高だ。あの場面、今どきのヒップホップではなくてギター・フレーズでウズウズするのが嬉しい。ここもやはりそうこなくちゃだ。

ところで、海外では思い出したようにヒトラー関連の映画が公開される。或いは人種差別の映画もそうだ。そうした映画が欧米では多くの地域で上映され、評価の対象となる。昨年は日本でも『朴烈と金子文子』という素晴らしい韓国映画が上映されたが、残念ながらミニ・シアターでひっそりと。アートの受容度で言えば、日本はかなり立ち遅れていると言わざるを得ない。愛知ではあんなこともあったしな。

それにしても。アレとかコレとか映画の内容を言いたくてウズウズする。ぽっちゃりとしたメガネのヨーキーも聡い子だ。いかんいかん、これもネタバレになる。『ヒーローズ』のギターが僕の今の気持ちとマッチする。あぁ、ウズウズして踊りだしたい気分だ。でもその前に…。僕も「できることを」しなくちゃだ。

映画『グリーンブック』 感想

フイルムレビュー

『グリーンブック』(2018年) 感想

 

主人公の一人、トニー・ヴァレロンガはこの時代(1963年)の多くの白人たちがそうであるように、黒人に対し差別的に扱うことを当たり前のこととして享受している恐らく本人たちはそれが殊更人種差別であるという認識を持っていない。何しろこの時代はそれが当たり前だったから。

証拠にトニーは仕事であれば黒人であるドク・シャーリーの運転手兼マネージャーを勤めることを厭わないし、ボスである彼の指示に一応は従う。けれど基本的には黒人に対しての差別心を持っている。

ここが微妙なところで、所謂今で言うレイシズムとはニュアンスが​異なる​のかもしれない。トニーに代表される当時の白人たちは何も知らないだけで、ただ黒人は卑下されるべきであるという昔ながらの慣習に従っているだけなのかもしれないのだから勿論それも紛れもない人種差別であるが)。

つまりは彼らは学べは肌の色の相違による差別はおかしなことだということに気付ける​人間だ​いうこと。根っからのレイシストは別にして、トニーのようなごく常識的間は(にしてはトニーは超個性的だが)それぐらいの感性を持っているし、それは何もトニーが特別​​だということではない。

知るということをトニードク旅で学んでいく。トニーは黒人がどのような扱いを受けているかということを​知り、エリートであるドクは南部の黒人がどのような暮らしをしているかということを知る。今はインターネットがあるから色々なことを知ることは容易だが(単に知ることは知ったことにはならないが)、当時は直に体験することでしか知ることは出来ない。その中でも最も手っ取り早いのは単純に人と人とのふれあいだ。

少しこじつけになるけれど、日本にもこれから多くの外国人がやってくる。島国である性格上、爆発的な移民という形は取らないかもしれないが、我々の教室に職場に隣近所に外国人はやってくるだろう。その時最も単純に知る方法はやっぱり人と人とのふれあいではないか。

外国人に限ったことではない。身体が不自由な人もそうかもしれないし、性的マイノリティ​ー​もそうかもしれない。知らないことを知ることは互いに良きものをもたらす。その事を僕たちはもう少し積極的に考えてもよいのではないか

勿論ことはそんな単純な話ではないけ​れ​ど、僕たちだってそれぐらいの感性はあるはずだ。事実、実在するトニーとドクはそうやって事態を乗り越えてきたのだから。