片目でものが見えるのは

ポエトリー:

「片目でものが見えるのは」

 

片目でものが見えるのは
海が見える丘にいるからで
眼下に広がる白波の
向こうに富士が見えていた

わたしたちの住む街にゃ
俄に人が増え始め
通りを隔てたお向かいの
ひとに会うのもひと苦労

伝えに聞いたところでは
俄に増えた人たちの
口の端のぼる事柄は
向こうに富士など見えはせぬ

おかしなことを言うものだ
わたしたちの住む街にゃ
そんなひとなどひとりもおらぬ
向こうに富士がきちんと覗く

どれどれ様子をうかがうと
俄に増えた人たちは
両眼をしっかり見る癖を
長い旅路で付けたらしい

ほれほれ皆さん聞きなされ
向こうに富士を見たいなら
ここは海の見える丘
片目でものを見ることです

心配せずともこの街に
ひと月ばかりおりゃあええ
そしたら眼下に広がる白波の
向こうに富士が見えてくる

ここは海が見える丘
片目ぐらいがちょうどええ
片目が世界を映してくれる

 

2024年10月

Imaginal Disk / Magdalena Bay 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Imaginal Disk』(2024年)Magdalena Bay
(イマジナル・ディスク/マグダレーナ・ベイ)
 
毎年1組は何だこれはというアーティストに出会うが2024年はこれだった。米国のシンセポップ・デュオ、このアルバムが2枚目になるそうだ。もともとエレクトリカルなサウンドは嫌いじゃないけど、それはある程度といったレベルで基本は人肌が感じられるものであってほしい。そういう意味でもこのデュオはちょうどよいところを突いてくる。どこまでが生音かは分からんけどね。
 
並びで言えばパッション・ピットに近いかな。でもあっちの方がドラム感がドタドタしていたので生音感は強い。特徴的なのは女性ボーカリストの声。舌っ足らずなキュートな声がCHARAを思わせる。けどあそこまでシャウトはしない。楽しいのはコーラスだ。普段聴くロック音楽では聴けないような面白いコーラス・ワークをこんな特徴的な声でやられるとそりゃあ楽しいに決まっている。そういえばパッション・ピットのコーラスも印象的だった。最近名前を聞かなくなったけどパッション・ピットの方はどうしているのだろう。
 
こういう手の込んだ音楽ってどっちかっていうと日本から生まれてきそうなので、もう少し知名度が上がれば日本でも人気が出るかもしれない。エモとはちょっと違うけど、曲調は縦横無尽に展開するし、一時期流行ったEDMみたいにドーンと盛り上げるところもある。なにしろこの声なので感情に直接響いてくる。みんなこういうキュートだけどドーンと来るの好きなんじゃないか。
 
シンセポップということで侮るなかれ、結構スケールがデカいぞ。見た目もインパクトあって、今のトレンドとも合致する。楽しい曲がいっぱいあるし、サマソニかなんかで来日すりゃ一気に人気者になりそう。

Don’t Forget Me / Maggie Rogers 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Don’t Forget Me』(2024年)Maggie Rogers
(ドント・フォゲット・ミー/マギー・ロジャース)
 
 
なんだこの説得力のある声は。まだ3枚目、このアルバム時点で30才ということらしいけど、貫禄があるなぁ。米国のシンガーソングライターであり、プロデュースも自身で手掛けている。曲といいサウンドといい派手なところはないが、実は相当な才人かもしれない。何気なさが逆にスゴイ。
 
とはいえメロディーラインは少し上の世代の影響も感じられ、1曲目「It Was Coming All Along」はテイラー・スウィフトぽいし、2曲目「Drunk」や3曲目「So Sick Of Dreaming」なんかはもろハイムのダニエル・ハイムが作ったんじゃないかと思うほど。つまり基本的には伝統的なスタイルの曲作りということのようだ。テイラーにもハイムにも米国ソングライターの系譜が感じられるが、マギー・ロジャースのその連なりだ。
 
ただそれだけで特別なアルバムを作れるということではなくて、今の時代に沿ったサウンド・デザインも必要。今回で言うとオーソドックスなバンド・サウンドによりオーガニックな米国ロックらしさを前面に出している。このアルバムがとても良かったので、前作『Surrender』(2022年)も聴いてみたらビックリ、そっちは一転シンセポップ風。それはそれで聴きごたえのある仕上がりになっているので、単純に何をするにしても目端の利く器用なタイプなのだろう。コーラス・ワークも見事だし、総じてレベルは高い。
 
逆に言うと得意技がなく、なかなか一点突破はしにくいのかもしれないけど、これからも安定的に素晴らしい音楽が聴けそう。個人的には彼女の力強い声は、全体的にキーが高めになるシンセポップより今回のようなバンド・サウンドが合うと思うけど、まだまだ若いからいろいろなことにチャレンジしていくのだろう。またひとり、気になるアーティストが増えた。

アプローチ

ポエトリー:

「アプローチ」

 

ここには居たくないからと
おてんばな娘のように
紙のようなシュークリームの皮が破けて
クリームがどっと溢れ出す
順番を待てないのはわがままじゃない
そそっかしいだけだ
ありとあらゆる崩落から身を避けるため
ノートにことばを書き並べては
いちいち頷く
繰り返すがわがままじゃない
目指しているのは
姉弟のような優しさで
つまりそれは等間隔で
お土産のシュークリーム
でも幾種類も買って好きなのを選ぶ
あとは紙のようなシュークリームの皮が破けて
クリームがどっと溢れ出す
それが新しいやり方
わたしの世界を取りに行くわたしの正解

 

2024年11月

ゆがんだ言葉でも

ポエトリー:

「ゆがんだ言葉でも」

 

ゆがんだ言葉でも
お願いがあると
正しく聞こえる

みじん切りにした薬味が
空から
パラパラと降ってくる

上手にできたのか
わたしたちは
今ここにいるということは

無駄な言葉を削ぎ落とし
地面を通過し
空から降ってくる

それを祝祭と呼べるか
あるいは悪意
皮肉としてなら
呼んでもいいか

しかしそれを浴びるべきは
わたしたちであるべきか
気に入らないなら
自分自身で払うべきか

正しく聞こえる
お願いがあると
ゆがんだ言葉でも

 

2024年10月

「大きな家」感想

フィルム・レビュー:

「大きな家」 2024年

 

児童養護施設ということだけでなんとなく定型のイメージを持ってしまうけど、世の中にどれ一つとして同じ事柄はないように、施設もそこに暮らす子どもたちも個々に異なる。その当たり前のことを当たり前に観ることで、知るという中身がまた少し違ったものになってくる。もちろん、映画を見たからといって何かがわかったということではないけど、知るの中身は少しずつ深まる。最初からそういうつもりで観始めたわけではないけど、気付けば2時間、映画に表れていることを集中して観る。僕の態度はそんなふうだった。

映画では子どもたちがどういう経緯でここに暮らすことになったのか、あるいは両親の事情についても一切語られない。映るのは今の子どもたちの姿だ。今現在、彼彼女らは何を考え、どんな話をして、仲間や施設職員とどのように接しているか。ナレーションはないし、結論めいたものもない。あるのは今を動き続ける子どもたちの姿だけだ。誰にも止めることができない時間が誰にも等しく進んでいく中でその瞬間の彼彼女たちの今が映し出されていく。それは言葉では言い表せない大切な記録。

小さな頃から、両親への期待と失望を繰り返す内なる戦いを僕には想像することは出来ないけれど、時間は待ってくれないから、時間に引きずられながらも納得したり納得しなかったり自分なりの思いを積み上げ、行ったり来たりしながら年齢を重ねていく。それは最年少の園児も最年長の19才も変わらない。いつ答えが出るともわからない問いに向きあい続ける。そのうえで人生を肯定してほしいなどとは他人の勝手な言い分だけど、この映画を撮ろうとした人たちがいて、この映画を観たいと思う人たちがいる。私たちが知ることが、彼彼女らの未来を肯定する力の後押しに少しでもつながればと思う。

2024年 ベスト・アルバム

2024年 ベスト・アルバム

 

2024年は明らかにロックが息を吹き返した年だった。ロックバンドらしい過剰で活きのよいバンドが次々と生まれた。ザ・ラスト・ディナー・パーティーやフリコのライブ動画は何度見たことか。荒々しいシャウト、じっとしていられない体、ロックバンドの格好良さを体現するバンドに久しぶりに出会った気がする。なんだかんだで生身の人間が演奏して歌うという体感は理屈抜きに訴える力がある。ロックだけでなくそういう人たちが増えてきたことが素直に嬉しい。

ということで2024年の僕のお気に入り。先ずは柴田聡子『Your Favorite Things』。歌詞が見事に音楽化していてホントに参ってしまった。岡田拓郎を迎えたアレンジもあくまでも曲も寄り添っていてイイ感じ。同じシンガーソングライターで言えばクレイロ『Charm』も最高でした。もちろん彼女の作る曲がいいのは前提なのだけど、ボーカルやアレンジといった曲としての完成度がもの凄く高くて本当に聴いてて気持ちよかったです。

あと、ビリー・アイリッシュの『Hit Me Hard And Soft』もよく聴きました。今まではどうしても世代を代表する人、という感じでしたが、このアルバムで世代関係なく広く聴かれるアーティストになった気がします。レディオヘッドならぬザ・スマイルの新作2枚もよく聴いた。レディオヘッドじゃないというところが不満ではあるけど、トム・ヨークのあの感じにはやられる。どっちがいいということもなく、どっちも個性があってどっちもよかった。

そして僕の2024年ベスト・アルバムはなんだったか。柴田聡子『Your Favorite Things』かクレイロ『Charm』か非常に迷うところではあるけど、キラー・チューンの多さでクレイロ『Charm』に決めます。特にここ、っていう個性があるわけでもないのにこれだけ耳に残るのはやはりこのアルバムの持つ普遍性だと思います。あとは2024年の個人的ベスト・トラック。いい年してなんですが、ビリー・アイリッシュ『Birds Of A Feather』にしようと思います。あのビリーが声を張り上げるとこが最高でした。この曲はYouTubeで観た「Amazon Songline」での歌唱が特に好きでしたね。

せっかくなので、ここまで書いた以外で好きだったアルバムを挙げていくと、ヴァンパイア・ウィークエンド『『Only God Was Above Us』。フォスター・ザ・ピープル『Paradise State of Mind』。マグダレナ・ベイ『Imaginal Disk』。マギー・ロジャース『Don’t Forget Me』。イングリッシュ・ティーチャーの『This Cloud Be Texas』はかなり聴いた。あとフォンテインズD.C.『Romance』はとてもよい評判でしたけど僕はそこまでではなかったかな。全体としては今年も女性アーティストを聴く機会が多かった。僕の年間ベストもこれで5年連続して女性アーティスト。僕の耳に入ってくるのがたまたまそうなのかもしれないが、女性アーティストの方に新しい人が次々と出てくるという印象はやっぱりある。

ちなみにSpotifyによる2024年に僕が最も聴いた曲の上位のほとんどがザ・ラスト・ディナー・パーティー『Prelude to Ecstasy』からの曲。じゃあこれをベスト・アルバムにしろよという話ですがそれとこれは別です(笑)。そんで最も聴いたアーティストはザ・スマイル。2枚出たからやね。

CDをほとんど買わなくなってメインは完全にSpotifyに移行している。おかげで視聴がてらいろいろと聴けるようになり、聴くアルバム数は格段に増えた。ただそれがいいことなのかどうか。以前のようにブックレットを見ながらじっくりと聴く機会は確実に減っている。僕も例に漏れず情報過多かもしれない。

2025年はオアシス再結成ツアーというビッグ・ニュースがあるので、ロックが更に大盛り上がりしそうだ。ちなみに来日公演、僕は抽選も一般発売もすべて完敗でした。。。

普通の糸と赤い衣

ポエトリー:

「普通の糸と赤い衣」

 

朝起きて
夢の中でこさえた赤い糸が
じゅんぐりじゅんぐりに糸を吐く
赤い衣を脱ぎながら

まるで普通の糸になって
やがて束になって
やがて皮膚になり
ひとの身体を覆う

矛盾しているが
赤い衣が身体に残り
普通の糸が
身体を守る

わたしの赤い衣はいつもこうして
守られている
ふとそのやさしさに気づき
わたしは皮膚を撫でた

 

2024年10月

星よりもたかく

ポエトリー:

「星よりもたかく」

 

星よりもたかく
月よりもしずかに
今日も無色透明なものが
投下される

土は絶え間なく
海は揺らぎて
塩分を摂りすぎたから
今夜は軽いものにしませんか

変わらないものなど
ありはしない
そうやって大河がひとを飲み込んでしまった

祈ること。
明るい明日が待ちきれなくなるような
ひとが暮らす街となれ

 

2024年1月

 

 

佐野元春& THE COYOTE BAND ロッキン・クリスマス 2024 感想

  • 佐野元春& THE COYOTE BAND

ロッキン・クリスマス 2024

2024年12月19日 in Zepp beyside Osaka

 

 

佐野のロッキン・クリスマスを見に行くのは初めてだ。僕は周年記念ライブとかクリスマスライブにあまり関心がない。僕が見たいのは攻めてる佐野元春で、予定調和なライブ、特に古参ファンが昔の曲で盛り上がるあの感じがどうも苦手。それはそれでいいと思うけど、そればっかりじゃあね、ということで必然的に昔の曲が多くなる記念ライブにはあまり足を運んでこなかった。

しかし夏のZeppツアー、何故か急に入手しずらくなった佐野のライブチケットを手に入れることができなかったこともあり、僕は佐野とコヨーテ・バンドはライブハウスが似合うと思っているし(にしてはZepp beyside Osaka は大きいけど)、ちょうどリリースされた「Young Bloods」再録ver.がとてもかっこよかったので、今回こそはとチケットを取り、ここ数年のこの時期の定番ライブ、ロッキン・クリスマスを見に行くことにした。

始まってすぐ、というかメンバーが登場する以前から凝ったライティングで会場が盛り上がる。佐野は「今、何処ツアー」から音楽以外の演出をするようになった。まだぎこちない感じはあるがとてもいいこと。どんどん洗練されてくるといいな。そしてメンバーと共に佐野元春が登場。スクリーンには「PEACE ON EARTH」の文字、会場は拍手に包まれた。

オープニングは「Young Bloods」だ。聴きたかった曲が一発目からでこちらの準備が、という感じであたふたと聴いてしまった(笑)。ようやく心の準備ができた頃に始まった2曲目、イントロでは何の曲かわからない。これはなんだと頭を巡らす。あ、こういう感じ、昔はよくあったなと思っていると佐野が歌いだした、「ガラスのジェネレーション」だ!

確かに昔の曲でも今のコヨーテ・バンドが鳴らせば、とりあえずは今になる。でも、、、やっぱり昔の曲は昔の曲だという感覚は何処かにある。しかしこの「ガラスのジェネレーション」はまったく違っていた。完全に今の意匠を纏っている。2024年の新曲として普通に鳴らされた「ガラスのジェネレーション」、とても素晴らしかった。40年以上前の佐野のデビュー2枚目のシングルという懐古趣味満タンのこの曲を余計な意味もなく清々しく聴けるとは思ってもみなかった。

しかしもっと大きな驚きはまだ先にあった。それはリイシューされたばかりの1994年『The Circle』アルバムの冒頭を飾る「欲望」が始まったときだった。この曲はThe Hobo King Bandをスタートしたばかりの頃にも新しいアレンジで表現されていた。僕はオリジナルも好きだし、The Hobo King Bandのアレンジも好きだ。でも人は変わるし時代も変わる。当時のベストと今のベストは違うはず。「Young Bloods」と同じく2024年のダンス・ナンバーに生まれ変わった野心的なアレンジは、情熱を湛えながらもたゆたうようなオリジナルとは異なり、より直接的に心を叩いた。曲の本質はそのままに、よりスリリングに、より今の時代への伝播力が高まった表現。僕は佐野の音楽的探求が今も変わっていないことがうれしかった。

休憩を挟んで後半のスタートは「雪―あぁ世界は美しい」。まさかの選曲にどよめきが上がる。前半とは打って変わってこの曲はオリジナルのままで演奏された。「世界は美しい」。確か長田弘の詩にも「世界は美しい」というものがあった。それを読んだのはいつだったか忘れたけど、その時も僕は思った。長田さん、世界は本当に美しいのですか?と。佐野は人々の心のうちにで行き来するそんな思いを否定も肯定もすることなく、「ごらん、世界は美しい」と歌った。

クリスマスライブということでもちろん「みんなの願い叶う日まで」と「クリスマス・タイム・イン・ブルー」も歌われた。それはそれでとてもよい空間ではあったけど、冒頭に「PEACE ON EARTH」と掲げられたようにやっぱり戦争という事実を踏まえての選曲はあったように思う。演者も観客ももう無邪気に「Tonight’s gonna be all right」と歌っている人はいないだろう。この日の夜、どうしようもなさを抱えたまま僕たちは「Tonight’s gonna be all right」と歌った。

コヨーテ・バンドと佐野は若干の違いはあるかもしれないがブラック・スーツに白いシャツというお揃いの衣装で登場した。最近はこういう機会が増えてきた印象だ。バンドは来年で20年。佐野のボーカルに少し元気がないときはギターが思いっきり会場を揺らす。佐野がノッてくるとバンドは自由な佐野についていく。とてもよいバンドになったと思う。

近年の佐野は後半になると声がハスキーになり高音も伸びてくる。若い頃から鍛えた立ち居振る舞いはすっかり自然なものになって本当に所作が素敵だ。この日、僕は改めて佐野に魅了された。

来年は45周年ライブがあるだろう。昔の曲が多くなるかもしれないが、またチケットを取ろう。この日の観客にも少しだけ若い子がいたが、野心的なアレンジには連中だって揺さぶられるだろう。僕はもう一度「欲望」を聴きたい。