洋楽レビュー:
『Schmilco』(2016) Wilco
~『シュミルコ』、ウィルコのいいとこ~
サリンジャーとかカポーティーといった海外文学が割と好きで、思い出しては時折読んでいる。勿論全てを理解している訳ではないが、この辺りの作家の言い回し、特に比喩表現が大好きで、その世界観や言わんとしていることも僕にはとてもしっくりくる。日本人だから日本の作家の方がしっくりくる思いきや、そうとはならないところがなかなか面白い。音楽で言えば、このウィルコなんかはその最たるもの。お世辞にもキャッチーとは言えない彼らの音楽が何故か僕にはしっくりくるのだ。
前作から僅か1年でリリースされたこの新作はいつもどおり、いやいつも以上に派手さはなく、ちょっとすりゃあ盛り上がりそうな原曲なんだけど、そういう風には一切ならず、クセのあるメロディが淡々と(淡々と呼ぶにはヘンテコ過ぎるけど)奏でられ、歌われている。このバンドのどこがいいって人に分かってもらうのはとても難しくて、音楽なんて一期一会。人に薦めてもらったからどうこうなるというものでもなく、ふだん着ている洋服の様に自分にそぐうかどうかは本人にしか分からないのだ。
例えば、『Normal American Kids』なんて1曲目からなんでこんな朴訥としてるのって歌だけど、「僕は普通のアメリカの子供がいつも嫌だった」って歌ってる。僕は日本人だけど、そう言われても不思議と違和感がない。逆にそうだよ、そうだよなあ、ってなる。別にアメリカの子供そのものってことじゃなく、何かのメタファーみたいなもんで、それが何かって言われても困るけど、まあなんだっていい。とにかく微妙にヘンテコなサウンドでぼそぼそっとジェフ・トゥイーディーが歌うと、それでしっくりきちゃうんだからしょうがない。
2曲目の『If I Ever Was A Child』だってそう。「ひとりぼっちの時間があまりなかったから分からない/僕に子供時代があったのか」って歌ってて、ウィルコはありがちに「僕は孤独だった」なんて言い方はしない。そりゃそうさ。そういう子もいるかもしれないけど、そんな映画みたいなキャラの子って滅多に居るもんじゃない。でもふとした時にひとりを感じることは誰しもあって、それは何も特別な事じゃない。普通に生活しててもそういう事は感じるし、それは大人だって子供だってそう。別に現代病なんて大層なもんでもなく、もしかしたら電気の無い時代、もっと古い時代だってそうだったかもしれない。こういう感覚をそのまま言葉に変換したら、「ひとりぼっちの時間があまりなかったから・・・」みたいな言い回しになっただけで、でその言い回しがそれ以上でもそれ以下でもなくそうとしか言えないってのが僕にはちゃんと合点がいくからそれでいいのだ。それに3曲目の「cry all day」とか最後の「Just say goodbye」みたいな常套句だってウィルコが歌えば、違った響きを帯びてきて、どこか通り一遍の言葉ではなくちゃんと僕の傍に寄ってきてくれる。多分それはジェフにしてもジョンにしてもネルスにしてもグレンにしてもパットにしてもマイケルにしてもホントのことを言っているからなんだろう。
今、歌詞について言及しているからついでに言うと、ウィルコの歌詞って使っている言葉は平易なんだけど、分かるんだか分からないんだかよく分からないところが何故か心地よい。ライナーノーツによるとジェフは、僕は長い詩が書けない、なんてこぼしたらしいけど、この短さもまた丁度よくて、僕は1ページか2ページぐらいの現代詩が好きで、なんでかって言うと集中力が途切れることなく全体としてと捉えることが出来るからで(それ以上になると僕の脳みそがパンクしてしまう)、要するに身の丈にぴったり収まる長さということだ。
話は変わるけど、先頃ノーベル賞を獲ったボブ・ディラン。あの声と風貌がたまらなくかっこいいから、時折アルバムを買ってチャレンジしてみるんだけど、手を出すと途端に跳ね返されてしまう。好きになりたいんだけどなかなか気に入らせてもらえない。まあそういうジレンマが心地よかったりもするんだけど、ウィルコってディランぽいところもあって、ジェフも時々放り投げるような歌い方をするし、歌詞だってディランばりに訳の分からないことがあったりする。サウンドだって好き勝手やってそうだし、何かどっかで繋がっているような気がしないでもない。僕はこれからも思い出したようにディランを聴いては跳ね返されたり、分かったような気になったりするんだろうけど、そういう意味ではウィルコの場合は手に負えるというか、手に負えるって言うと変な言い方だけど、なんだか分からないにしてもやっぱり自分の肩幅にすっぽり収まるんだな。
話が逸れちゃったけど、ウィルコは音にせよ言葉にせよちょっとしたズレとか、矛盾するけど「当たり前のこと」に注目してるのかもしれなくて、でもこういう感覚って言葉では説明しずらいもの。でも実は世の多くの人たちが違和感というと大げさだけどそういう感覚を持っていて、ただそれもレディオヘッドやオアシスみたいだと割と分かり易く共感を得られるんだけど、こういうウィルコの感覚というのは明確にコブシを挙げてオレもそうだよ、ってなる類のものではない。勿論僕もレディオヘッドやオアシスは大好きだけど、僕みたいなセンシティブでもなく、心ん中に熱いもの持ってるって訳でもなく、宙ぶらりんな奴、でも少しだけ居心地の悪さを感じている奴って(要するに「当たり前のこと」でいたい)のは世界中にたくさんいる訳で。でももしかしたらそっちの方が多数派なのかもしれないななんて思うのは、明確なつかみが無いくせに、ウィルコの音楽がこれだけ支持されているという事実があるからだろう。
ただ考えてみればオアシスだってレディオヘッドだって「当たり前のこと」を歌ってきたわけで、僕たちは度々そのことに気付かされてきたんだけど、ウィルコの場合はオアシスみたいにやたらテンション上がっちゃってイェエーイってことではなく、うん、いいなあ、ってなるぐらい。要するになんか体温に近い、そんな感じかな。
今回の『シュミルコ』アルバムは先に述べたように地味に淡々と進んでいくアルバムだ。前作の『スター・ウォーズ』は2002年の『ヤンキ-・ホテル・フォックストロット』に割と近い感じで、歪んだギターやサイケデリアといったトリッキーなサウンドで、当時からのファンはニヤリとするようなアルバム。その前の『ホール・ラブ』(2011年)は色んな種類の曲が入った幕の内弁当みたいだったし、更にその前『ウィルコ(ジ・アルバム)』(2009年)は歌ものだったかな。でもどの作品も聴いた後には、ああウィルコらしいなあ、と妙に納得してしまっているから不思議だ。ということで何をやっても結局は、ああウィルコだなあ、といい気分になってしまうんだけど、この変わったことをやっても似たようなことをやってもやっぱりウィルコはウィルコだなあと思わせてしまうところも彼らの魅力のひとつ。『シュミルコ』にしても最初は地味だなあと思いつつもいつの間にやら馴染んじゃって、今ではやっぱウィルコらしいいいアルバムだなあなんて結局いい気分になっている。
今回のアルバムはどの曲もほぼ3、4分で終わるものばかり。全体としてサッと始まりサッと終わる印象だ。それでも色んな種類の曲があって、派手さはないけど意外とバラエティ豊か。#3『Cry All Day』のような疾走感があるのもあるし、#4『Common Sense』のようなヘンテコなのもある。うんうんと頷いてしまう#7『Happiness』もあるし、地べたを這うような#9『Locator』もある。#6『Someone To Lose』なんて結構キャッチーだ。そんな中、僕が今一番気に入っているのは最後の『Just Say Goodbye』。ジェフのぼそっとした声が穏やかなメロディと上手く溶け合ってて、サヨナラって歌なのにとても綺麗だ。そうそう、サヨナラって歌なのにサヨナラっていう感じがしなくて、でもサヨナラとしか言えない気もする。ウィルコにはいつもそういう反語的な響きがあって、でもシニカルな感じはしないし、受ける印象は親密さとかユーモアの感覚。やっぱり不思議なバンドだ。バンドの演奏が必要以上に言葉やメロディに寄せてこないところもまたよくて、こっちが情緒に依りかかりそうなところをひっぺがえしてくれるのもいい。
バンドの演奏とジェフの声がすっと体のそこかしこにある、でも自分では分からない隙間にスッと入り込んできて、それがかつて失くしたピースのように居心地良く馴染んでいく。でまたこれがクセになる。会ったこともないアメリカ人の歌がそう思えてしまうから不思議だけど、きっと世界中にそんな人、たくさんいるんだな。
1. Normal American Kids
2. If I Ever Was A Child
3. Cry All Day
4. Common Sense
5. Nope
6. Someone To Lose
7. Happiness
8. Quarters
9. Locator
10. Shrug And Destroy
11. We Aren’t The World (Safety Girl)
12. Just Say Goodbye
※上記の文章は、rockin’on presents 第3回 音楽文 ONGAKU-BUN大賞 にて入賞作に選ばれました。