Paradise State of Mind / Foster The People 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Paradise State of Mind』(2024年)Foster The People
(パラダイス・ステイト・オブ・マインド/フォスター・ザ・ピープル)
 
 
アルバムを気に入るパターンが2種類あって、ひとつは1、2回聴いてすぐに気に入るパターン。もうひとつは最初はあんまりなんだけど、繰り返し聴いているうちに好きになるパターン。フォスター・ザ・ピープルはもうずっと後者です。前回の『Sacred Hearts Club』(2017年)はその典型で聴く度にどんどんはまって最終的には2017年の個人的ベストに選びました。ということで今回のアルバムも最初はあんまりでしたけど(笑)、きっとよくなると繰り返し聴き続けました。そうするといろいろ見えてくるんですね。
 
これはなんでか。これも昔っからフォスター・ザ・ピープルはそうなんですけど、曲としては非常にポップではあるもののそれは初期衝動とか、あるいは気質的に作ってるとそうなってしまうっていう自然とポップになるっていうタイプじゃないんですね多分。聴いてるともう歌詞は暗いし、特徴的なマーク・フォスターの声なんか聴いてるとそれはホントにそう感じます。ただ、反するようですけど、マーク・フォスターは常にポップな作品を作ろうと心掛けている。つまり彼は職人なんですね。出来たらこんなんになっちゃったというのではなく、作ろうとして作っているわけです、多分。
 
でも軽く聴いてる分にはそんなこと分からない。ただ繰り返し何度も聴いてるとそういう細かさ、心配りが見えてくる。ま、ざっくりとはそういう人はいますけど、ここまで作り込むタイプの音楽家ってあんまりいないかもしれないです。非常に集中力の高い音楽家ですね。
 
ついでにもうひとつアルバムの聴き方があって、それはイヤホンで聴くかスピーカーで聴くかの違いです。なんか不思議とイヤホンで聴くよりスピーカーで聴いた方が断然いい場合があるんです。もちろん逆もありますけど、このアルバムは圧倒的にスピーカーから聴いた方がいいですね。繰り返し聴いてるうちに好きになってきて、最後、スピーカーから聴いて、あ、これええわ、で決定的になりました(笑)。
 
あとはこの微に入り細を穿つこの音楽がどうライブで再現されるかですね。前作の来日は気付いたら終わっていまして、残念ながら僕はまだ彼らのライブに行ったことがないのです。このスタジオ・アルバムがどう表現されるのか、一度聴いてみたいものです。
 
 

『Charm』(2024年)Clairo 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Charm』(2024年)Clairo
(チャーム/クレイロ)
 
 
米国のソングライターということですが、雰囲気としては気だるい欧州という感じ。アルバムジャケットの印象のせいかな。世代的にはボーイジーニアスと同じようなものかもしれないが、あちらはやはり米国という事でギター・サウンドがメインであるが、こっちのサウンドを特徴づけているのはピアノやフルート(かな?)だったりするので、やっぱ欧州的な印象は受ける。
 
ジャック・アントノフだとか元ヴァンパイア・ウィークエンドのロスタムといった有名どころと組んだという1stや2ndを僕は聴いたことがないが、今回のアルバムは一転してバンドによる生音にこだわったそうだ。元々、ベッドルーム・ミュージックという私的なところから始まった音楽活動のようなので、1stや2ndは大物プロデューサーの手を借りながら、ということだったのだろう。いずれにしてもこれだけメジャーな人と組んでいたわけだから、表現者としてそれだけ魅力があったということ。
 
それを表明するように本作のソングライティングもとにかく素晴らしい。アルバムは11曲あるが、それぞれにちょうど良いクセ、個性があり、しかもそれがオープンな表現となっている。それらが抜群の演奏で奏でられるわけだからそりゃいいに決まっているだろう。特に4曲目の『Slow Dance』あたりからの演奏が本当に素晴らしくて、曲もいいけど音に集中することでまた違った楽しみ方もできる。
 
先ずもって曲がいいからそれを壊さない形で演奏が進んでいき、曲ごとにアクセントになるような印象的なフレーズが必ずと言っていいほど挟まれてくる。クレイロ自身の手腕がどの程度まで及んでいるのかは分からないがバックの演奏と素晴らしいソングライティングが見事に溶け合った本当に豊かなアルバムだと思います。
 
#2『Sexy to Someone』や#5『Thank You』や『Add Up My love』といったポップチューンも満遍なく配されていて、その辺も抜け目ない。ひとつ希望を言わせてもらうと、全編ウィスパーボイスは物足りないかなと。どこか一瞬でも感情を爆発させてほしいなというのは野暮な話でしょうか(笑)。

Flying On Abraham / Diane Birch 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Flying On Abraham』(2024年)Diane Birch
(フライング・オン・エイブラハム/ダイアン・バーチ)
 
 
ダイアン・バーチ、3枚目のアルバム。前回が2013年だから実に11年ぶりの新作アルバムとなる。その間まったく何もなかったわけではなく、単発的にシングルやミニ・アルバム的なものはあった。が、こうしてまとまったアルバムという形で出るとやはり気持ちが高鳴る。よい音で聴きたいと、久しぶりにCDを購入した。
 
前作、といっても11年前だから比べるべくもないのだが、80年代に回帰したようなポップ・アルバムを目指してやたら熱量の高かった前作に対して、今回はあのデビュー作のようによりシンガーソングライター的なアルバムに戻っている。戻っていると言っても今回の方がより現代的になっているというか、ビンテージさは後退し、より今の時代のシンガーソングライターとしての歌が流れていることが嬉しい。
 
確かにダイアン・バーチは今では他に類の見ないその音楽性で語られがちだけど、根本は歌の人。それはポップさを前面に出した前作でもあのデビュー作でもそう。この度届けられた新しいアルバムを聴いて改めてその思いを強くした。美しいメロディが独特のアルトボイスから境目のないファルセットで伸びやかに歌われる。音楽を聴いてこれほどうっとりする瞬間はそうあるものではない。
 
曲調も一辺倒ではなく、オープニングの#1『Wind Machine』ではサザンロックのようないなたさ。続く既発の#2『Jukebox Johnny』ではそれこそローラ・ニーロのように転調を繰り返し、折り返しの中盤ではスケールの大きな#5『Critics Lullaby』でエモーショナルに。#9『Used To Lovin’ You』はポップなダンス・ビートで上げといて、最後の#10『Trampoline』はこれぞキャロル・キングな歌でしっとり終わる。13年ぶりだからもっと曲数を欲したいところだけど、シンガーソングライター的といえば10曲というコンパクトさがいいのかもしれない。
 
あとはこれをライブで聴きたいところだけど、来日公演は東京のみだとさ。ビルボードだから近くで聴けるんだろうなぁ。うらやましすぎる‼ 約10年前の来日公演も逃したし、まだ一度も行けてない。いつか生で聴いてみたいけど、次の来日も10年後なのかなぁ(笑)。
 

Hit Me Hard And Soft / Billie Eilish 感想レビュー

Can We Please Have Fun / Kings of Leon 感想レビュー

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『Can We Please Have Fun』(2024年)Kings of Leon
(キャン・ウィ・プリーズ・ハヴ・ファン/キングス・オブ・レオン)
 
 
2021年以来の9枚目のアルバム。約20年のキャリアだから2年に1枚、なかなかのペースでアルバムを出している。米国のバンドだが、英国では出せばチャート1位という人気ぶり。日本ではあまり知られていないが、今や数少ないヘッドライナークラスのロック・バンドである。
 
とはいえなんか垢ぬけない印象があるのも確かで、グラミー受賞歴もあるがなんでそこまで人気があるのか僕もよく分からない。一番はみんなが想像するロック・バンドというイメージに割と近いからかなぁなどと思いつつ、確かにライブ映えしそうなバンドで、キラー・チューンはいっぱいある。かなり盛り上がるんやろうな。僕も一度は見てみたい。
 
ということで本作にもここぞのキラー・チューンがあると思いきや、今回は目玉になるような曲は見当たらない。前作『When You See Yourself』(2021年)はよいメロディがありつつエモい感じもあって、ここ数年のキングス・オブ・レオン作品の中では結構上位に来る好きなアルバムだったんだけど、今回はメロディに関してはちょっと弱いかな。
 
ただ、らしいというか、彼らはギター・バンドなんだけど、単にジャカジャカ鳴らすとか、リフで誤魔化すとかそういう大雑把なことはしないバンドで、凄く工夫をしたギター・アンサンブルを聴かせてくれる。ギター・バンドなんだから音でっかくして隙間を埋めちゃえなんてのはありがちだけど、彼らはいつもしっかりと考え、隙間を活かした凝ったギター・フレーズを重ねる。もしかしたら、そういうところがロックの本場、英国で好かれる要因なのかもしれない。音楽好きはそういう細かいところをちゃんと聴いているからね。

Inevitable Incredible / Kelly Jones 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Inevitable Incredible』(2024年)Kelly Jones
(イネヴィタブル・インクレディブル/ケリー・ジョーンズ)
 
 
ステレオフォニックスのフロントマンでありソングライターのケリー・ジョーンズによるソロ・アルバム。バンド以外ではこれが3作目だそうな。2022年にフォニックスとしてのアルバムが出ているから2年ぶりの作品にはなる。相変わらず、デビュー以来2年ごとに新作というペースを守り続けている律義者である。こういうところが英国で抜群の人気を誇る理由のひとつなのだろう。
 
とはいえ、同じことはずっとし続けられない。なので、その時々の時勢に寄ったサウンドになってもおかしくないところだが、ケリー・ジョーンズはつまみ食いみたいなことはしない。インディーロックが流行ればそれ風のを作ってみたり、カントリーが流行ればそっちに行ってみたりもしたくなるだろうが、頑固一徹、ケリー・ジョーンズはもっぱら自らの手の届く地に足の着いたサウンドしかやらない。
 
フォニックスはバリバリのギター・バンドですが、このソロ作はいたって静か。ピアノとオーケストラが主体の厳かなアルバムです。バンドの時もストリングスの使い方が非常に上手い人ですけど、その技量は健在。冗長にならずに必要な箇所に必要なだけ取り入れる。あくまでもソングライティングありきだということ。
 
しかしまぁ不思議なのは、この一見なんの特徴もなさそうな曲が淡々と8曲続くわけですけど、ちゃんと聴いていられるんですね。普通は退屈ですよ、こういう動きの少ない曲がずっと続くのは。1曲の中で派手にメロディが動きまくるJ-POPとは対極になるような単調なメロディ。でも似たような曲にはならないし、なぜか心に響く不思議。
 
あの独特のシブい声というアドバンテージはあるけれど、それだけでは説明できない何かがある、ということを改めて知る。そんなアルバムです。

Only God Was Above Us / Vampire Weekend 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Only God Was Above Us』(2024年)Vampire Weekend
(オンリー・ゴッド・ワズ・アバブ・アス/ヴァンパイア・ウィークエンド)
 
 
2010年代はロック不遇の時代と言われながらも、幾つかいいバンドはいた。中でもUSインディーなどと呼ばれた一群の評価は高くそれなりのポジションを得ていたのだけど、現在も引き続き活躍しているバンドと言えば、今やヴァンパイア・ウィークエンドぐらいしか思い浮かばなくなってしまった。やはり2010年代はロック不遇の時代だったのだ。
 
ロックのくせに地味なこれらの中にあって、エズラ・クーニグが甲高い声で歌うヴァンパイア・ウィークエンドはひたすら陽気だった。陽気と言ってもひと際知的な集団でもある彼らは、そこにアフリカ文化や米国文化の歴史を挟み込みながら、他のバンドではやり得ない角度で社会を写し取ろうとしていた。教養のある彼ららしい幾分皮肉めいたやり方で。
 
そんな印象が少し変わってきたのは2019年のアルバム『Father of the Bride』だった。斜に構えた印象は遠のき、分かる人にだけ分かればいいという態度も消え、開けっぴろげに大衆へ向けてよき歌を歌おうと心がける彼らがいた。
 
5年ぶりにリリースされたアルバムも相変わらずのヴァンパイア・ウィークエンド節が炸裂している。今までよりピアノとオーケストラがグッと前に出ている印象だ。前作から主要ソングライターのロスタム・バトマングリが抜けたけど、なんのことはない、彼ららしいユーモアと本気の混ざり具合はそのままに、このバンドでしか聴けないメロディとサウンド、そして今も変わらないエズラの大学生みたいな声が響き渡る。
 
いきなり’Fack the world’という歌詞で始まり、ロシアだのアメリカ軍だの戦争だのといったフレーズが散見されるが、アルバム制作は2020年以前だそうだ。にもかかわらず、9曲目『Pravda』で’Pravda’はロシア語で’真実’と歌ってしまっている不思議。当時の嗅覚がそう言わせたのだろうか。彼らはやはり単に目の前の憂鬱を歌う音楽家ではない。一言で言えばヒューマニズム。そこに力点が置かれているバンドだと思う。
 
残念ながら僕は彼らのライブを見たことがない。2019年のアルバム後はフジロックに来たけど、単独で来日したことはあるのだろうか。それぐらいライブをしているイメージはない。ということで、日本での人気はそんなでもないのかもしれない。実際に見る見ないは大きいから。
 
この素晴らしいアルバムをライブで聴きたい。どうやって再現するのか、いや再現できるのかこれ?僕の中のヴァンパイア・ウィークエンド像をもっと強固なものにしたい。
 

Bright Future / Adrianne Lenker 感想レビュー

Where We’ve Been, Where We Go From Here / Friko 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Where We’ve Been, Where We Go From Here』(2024年)Friko
(ウェア・ウィーブ・ビーン、ウェア・ウィ・ゴー・フロム・ヒア/フリコ)

 

長らくロック不遇の時代などと言われてきたが、なんの前触れもなくこういうのが突如やって来るのがロックである。去年から騒がれていたザ・ラスト・ディナー・パーティーと違い、フリコは特に取りざたされることなくデビューしたにも関わらず、なぜかここ日本で真っ先に大バズリ。洋楽離れが叫ばれているこの日本でこんなことが起きる嬉しさ。早速、フジロックに出演決定ということで、ザ・ラスト・ディナー・パーティーとフリコそろい踏みのフジロック、うらやましすぎるぞ!

ザ・ラスト・ディナー・パーティーと同じく、フリコもライブ表現が抜群に恰好いい。バンドはボーカル&ギターのニコ・カペタンとドラムのベイリー・ミンゼンバーガーの二人。ライブではそこにサポートとしてベースが加わるのみというのが基本スタイルか。しかしこの小ユニットで鳴らされるサウンドの隙の無さ。荒々しくも洗練されたサウンドからは彼らの基礎体力の高さが伺える。しかし何より脇目もふらぬ初期衝動。やっぱロックはこれに尽きる。

アルバムを聴くのもいいけど、ついついライブなYouTubeを見てしまう。これはやっぱり単に音楽がいいということではなく、その音楽の鳴りに立ち居振る舞いを含めたビジュアル的なカッコよさがあるから。また実際のビジュアルもボーカル&ギターのニコ・カペタンがジョニー・デップ似のイケメンでドラムのベイリー・ミンゼンバーガーが女子というのもポイントが高い。狙ってできるわけじゃないけど、こういうところは非常に大きいです。寡黙にドラムをばしばし叩くベイリーもカッコいいけど、情熱的に体をくねらせセクシーにシャウトするニコにキャーキャー言う女子はきっと多いぞ。

Pratts & Pain / Royel Otis 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Pratts & Pain』Royel Otis(2024年)
(プラッツ&ペイン/ロイル・オーティス)

 

オーストラリアの新人デュオ。ラスト・ディナー・パーティーやフリコがドカンと来た一方でその隙間を縫うように個性的なバンドが登場している。この二人もなかなか凄い。先の2組が将来のヘッドライナー候補だとすれば、こっちはもっと斜に構えたひと癖もふた癖もあるバンド。ドラムスみたいなへなちょこロックかと思えば、シェイムみたいな硬派な一面もあってどれが本当の姿か分からないが、きっとどれも本当の姿。

しかしそれが誰でもできる手垢のついた代物であれば何もわざわざ表現することは無い。ここには彼らなりのやり方で彼らなりに捕まえた真実を彼らなりの誠実さで表現せざるを得ない性急さがある。一見すると変態的な音楽が鳴ってはいるように見えるけれど、彼らはロックの系譜にただ忠実たろうとしているだけ。ここには後に取っておこうなどという成熟さは一切なく、ただ自分たちの思い出を救い、目いっぱい青空に投げつける焦燥感しかない。へなちょこでも剛速球でも気にしちゃいられない。これは青春のパンク。あらゆる音楽をとっかえひっかえ夢中になり、ありとあらゆる栄養を身に付けた彼らは迷いなくアウトプットする。

これはあれに似てる、これはあれっぽいというのはあるにせよ勿論それらも織り込み済みで、彼らにとってはそのいずれもが大切な音楽。そんな距離が離れているわけでもない音楽を行ったり来たりしながら、妙に耳に付く愛嬌のあるメロディー。それを支えるのはギター。やっぱり青春はギターだ。