海へ

ポエトリー:

「海へ」

 

あからさまに物言うことがなくなってきた
ひどいことばに打ちのめされることも
夕焼けは夕闇に吸い込まれ帰るべくして帰る
それが自然なことだと知ったのは
物言わぬ生に気づいたからかもしれない

変わり果てた銘柄の
名のある様式がプラスチックゴミとともに
プカプカと浮かんでいる
その様子を描くことをわたしのパレットはゆるさない

その絵具は誰ひとり不平は言わないけど
ゆるさないこととゆるすことの間に漂う棒切れのような営みを
駆け寄って奪い合うほどの熱意が
今の私にはもうない

ただだからといって素知らぬふりなどできぬ意気地のない身体は
漂うプラスチックゴミと時を同じくして
戯れに点描の彼方を見やることで
己の均衡を保っている

背広の襟がたわむようにして沖へ
もう無理だと先を急ぐ群れにわたしはたったひとりでジャンプする
水飛沫あげる海

 

2025年6月

ポエトリー:

「海」

 

魚の骨が刺さっていた
どこにというわけではないが
おそらく胸元に

魂が代わりたがっていた
少しぐらいいいかと思った

まずは形をどうするかで悩んだ
ここはやはり魚の形だろうか

海を見すえると胸が高鳴った
そんなものだろうか
あげく、山育ちだけど
泳いでみるのもいいと思った

海へ入ると胸の形が感じられた
息をめいっぱい吸って怒られることがないこと
魂は思っていたより軽い

しかし魂には期するものがあった
戻る気配を与えなかった

眺めると何か刺さっているものがあった
これを引っこ抜けばいいのだ

決意させたかったのだきっと
余分な力を抜いて
フレッシュな気持ちになって
決意させたかった

そう知ると涙が溢れてきた
涙は海だった

そうか
そうだったのか

わたしはゆっくりと歩いていった
ひたひたと音がして
足跡が残った

 

2025年6月

節目

ポエトリー:

「節目」

 

行分けされた身体が
包装紙に包まれていた
柄にもなく
ことばを発することは
ためらわれた

生まれて初めての体験に
打ち震えていた
早くひとに伝えたかったが
適切なことばを探すことは
ためらわれた

いつからか
身体は行分けされることを望んだ
言いたいことはなかったが
共感と協調されることを欲した

節目に
身の丈を合わせたい
つまり
ただそれだけだった

腑分けされてもなお褒められたかった
この腸はきれいですね
この肺はすてきですねと

身体が
楽になりたがっていた

 

2025年5月

ポエトリー:

「春」

 

あんなにうちとけたのに
花びらは真っ白なまま行ってしまった
魂は何も起こらないまま
また会えたならと意気地のない

そうこうしている間に
春は過ぎてゆき
夏を迎えるころ
星雲はことばを携える

ときに狼狽し
ときにうる覚えのわたしたちは
実はなにもわかっていない

そこにいたのは春のこと
実をつけ熟すのは
まだ先の話

 

2025年4月

常備薬を買いに

ポエトリー:

「常備薬を買いに」

 

常備薬を買いに橋の向こうへ
そこはひらがなの多い街

長い橋を渡ると
もう何度も通っているはずなのに、いつも新鮮な恐怖に襲われる

結局、向こうへ渡ってしまえばなんのことはないのたが、長い橋を渡っている間はなにか直近の記憶をすべてさらけ出したような気分になる
つまり最初に訪れたときにはそれまでの人生の経験をすべて開陳したということになるのだが、それももう随分と前のことになるので、まるで覚えていない

覚えていないということは、開陳したことを契機に、それまでの人生の幾つかを橋の向こうへ譲り渡したということにもなるのかもしれないと、そんな疑問がよぎりつつ、わたしは今、何度目かの橋を渡る直前にいる
いつものように不安をのぞかせながら

常備薬が必要なことはわかっている
処方箋を持ってきていることは確信している
しかしすでに幾つかを忘れてしまっている気もしている

悪い気はしなかった
このままわたしの心と体はどこへ行くのだろう
ひらがなの多い街は居心地がよかった

 

2025年5月

忘れたら ごめんなさい

ポエトリー:

「忘れたら ごめんなさい」

 

朝早く、ほうぼうからトングを手にした人々が集まる。品定めして、名物の大きめのクロワッサンから売れていく。今朝思いついたことは噛りかけ。できることは今ないです。

ここまで来ることができたのは、スピードに乗って空を仰いだことがあるからで、たとえこんな日でも何にしようかと迷うのことの方が、大切だと思ったから。

けれどそのスピードとは裏腹に、トングは大きめのクロワッサンすら掴めずに、手首から先はほどなく、恋しくなるほどふがいなく、記録も何も残らない。

帰り道の商店街を過ぎた辺りから、不意にロケットにでも乗って何処かへ行きたい気分がして、でもそれが望めないから、せめて通りの向こうの高台へジャンプする、気持ち。雲の水分をひと煮立ちして蒸発させれば、水素ロケットぐらい作れるんじゃないか、そんな気持ちで。

パン屋で焼かれる大きめのクロワッサンと普通のクロワッサン。手間はどちらがどうで数はどちらが多いのだろう。などと思いながら、注文した食パン一斤分ならトングは要らないから、たぶん夕方には取りに行ける。

ベーコンやトマトをはさんだらきっとおいしい。でも夕方にはまだ時間があり、今日は午後からひとが来るから、うっかり忘れたらごめんなさい

 

2025年4月

ポエトリー:

「時」

 

よどみなく消える、時間は
良いときも悪いときも
見さかいなく

わたしたちの舟はゆれる
岸が離れていても近くても
水草に手が届くなら
それが安心

いつからかわたしたちは
困り果てた顔をする
自由だからか
不自由だからか

しかし確かに
訪れるものがある

その日が来るとしたら
きっと今朝のように寒い日かもしれない
それは鉢に薄い氷が張るようなとても寒い日
それは水草の間に花が咲くようなきらびやかな日

一番小さなしあわせがわたしたちを満たすとき
時間はわたしたちだけのものになる
それが行って過ぎるまで

 

2025年2月

そのひとりとして

ポエトリー:

「そのひとりとして」

 

外から溢れて
中に入るものがあるなら
わたしはそれを無為にできない
そのひとりとして

訪れるというより
迎えるもの
今日の日、明日の日しか
出口はないのだから

器用に折りたたんでしまえたものが胸元にあって
いつしか取り出す
そんな未来

想像することはタダだから
その受け皿として
わたしは在る

 

2025年4月

適温

ポエトリー:

「適温」

 

心の糸がもつれている
すべてをスタンダードに戻したい
鍵穴は壊れてしまった
雨音は数え切れない

地道にいきたい
仮にスペースがあっても
もう小躍りしないで
ゆき過ぎる

その事自体に罪はない
しかしそれを無条件で受け入れるなんて
今のぼくには若さが足りない

夕暮れはもたつきながら春の様相
セーターの毛玉をほつきながら
ぼくは適温を探している

 

2025年3月

ポエトリー:

「尺」

 

ある日、
わたしの中でひとが飛び出し
あることない事
わめいている

人間の仕様には大小様々あって
わたしもそのうちのひとつだが
時には嘆き、時には喜び
人には言えぬ物差しで成り立っている

時折、
勢いあまって飛び出すことがあるにはあるけど
ひとにはひとの尺があるのだと
夕べ知り合ったひとが
やはり飛び出しくだを巻く

正直なところ
わたしはそれを信じていない
信じていないが
そういうものがあるということを念頭に
どうやらものを考え、ひとと話をし、くしゃみをしているようだ

抑えきれぬ感情よりむしろ
平穏無事に行かせようとするもの
その限りにおいて
多分、未来は明るい

 

2025年4月