ポエトリー:
「荒地」
今日の音楽は
生身でグラグラしているから
リズムがとれない
脳内で型にはめ
補正する
フェイク
弦が切れた
裸足の感度が
ひとびとから剥がれ
今焼け野原
いいや
ガレキを足場にして
また歌を唄いはじめれば
2025年10月
ポエトリー:
「荒地」
今日の音楽は
生身でグラグラしているから
リズムがとれない
脳内で型にはめ
補正する
フェイク
弦が切れた
裸足の感度が
ひとびとから剥がれ
今焼け野原
いいや
ガレキを足場にして
また歌を唄いはじめれば
2025年10月
ポエトリー:
「新年によせて」
新しい夢を見て
新しい街へ出た
わたしたちは毎日
新しいに手をかける
ただの、あるいは特別な
生命あるものとしての営み
新しい労働をし
新しい食事をし
新しく学び
新しい嘘をついて
新しい諍いをし
新しい和解をする
わたしたちは今日も新しいに手をかける
それは人類史上初めての経験
間違いもクソもない
2026年1月
ポエトリー:
「秋風」
秋風
あなたの目はもう死んでるね
疑いようがなく晴れわたる空
間違っても
人のそばに寄ることはないだろう
この先
それぐらい
傷ついたことを知って
あなたは許してくれるだろうか
それとも
ひとりぼっちでいることに慣れたのか
秋風よ
2025年10月
ポエトリー:
「三日遅れてやってくる」
熱波熱波と言うがここは孤島なので
潮風がすべてを防いでしまう
潮風は他にもいろんなものを遮るようで
ここではすべてが三日遅れてやってくる
そんな具合なので天気予報も当てにならない
うわさ話も三日遅れでやってくる
それでも島民はスマホを手放せない
どうやらそういうことではないらしい
ということで災害なども三日遅れでやってくる
このところ小さな地震が続く
三日後のことは本島ではとうに分かっているのだが
誰も本島に行って確かめようとはしない
ひとびとの暮らしはいつもと変わらない
みんな変わらずのんきに暮らしている
本島では米が足りないらしいが、ここでは梅雨には梅雨の雨が降る
夏は夏でほどほどに暑く、冬は冬でほどほどに寒い
そんな気候もあってわたしはここに越してきた
今朝も田んぼに出かけた
本島を尻目に朝は卵ご飯、昼はどんぶり、夜は締めの雑炊
今日もたらふく米を食う
とはいえ三日後にはどうなっているのか分からぬ身
今の感じでは三日後のこの島も危ういかもしれない
が、かと言って本島まで見に行かないのはわたしも同じで
今もぐらり、ぐらりと来た
とにかく腹ごしらえでもして三日前(つまり本島で言うと六日前)に録画したテレビを見る
この腹減りも三日前のもの
厄介なのは腹いっぱい食っても腹いっぱいになるのは三日後だということ
初めの頃は調子にのってえらい目にあったがもう大丈夫
ここの暮らしもすっかり身についた
言い換えれば今のわたしも三日遅れの録画みたいなもの
どうにかすればどうにかすることができるものでもなく
とにかく三日後にえらい目にあわないよう努める
でもそれだって大したものだ
わたしたちは相変わらず確かめることなくどうにかしようと暮らしている
わたしたちは三日前のことを受け入れ、三日後のことに先回りする
たかが三日前、三日後
それで米をたらふく(といっても加減が必要だが)食えるなら言うことはない
今もぐらり、ぐらりと来た
住民は三日後に備える
なぜならここではすべてが三日遅れてやってくるから
2025年9月
聴き始めた時から良い印象があって、
ポエトリー:
「わたしの家」
ひとつひとつは小さいけれど
積み上がったことばかりが
重くのしかかる
そのひとつひとつが家をなしていて
ローンを払い続けている
払う気はないのだけど
朝歯を磨いていると
首筋に歯型を見つけた
いつ付いたのか定かでない
街へ出るとひとそれぞれに
等しく歯型があることに気づいた
が、向こうは気づいていないようで
なぜ今朝のわたしには見えるのか
わからないがローンが満期を迎えるものだけの特権
のような気もしてきた
そうだ
そろそろそれは
わたしのものになる
2025年10月
『HAYABUSA JET』の「再定義」について
『HAYABUSA JET Ⅱ』が12月にリリースされるとのこと。どうやら今年の佐野は「再定義」に夢中のようだ。思惑通り新しい聴き手のもとに届けばよいのだが、離れていたかつてのファン(要は年配者)を引き戻すだけだったとしたらちょっと残念。というか「Ⅰ」の時はそっちの意味合いの方が大きかったのではないかという不安はある。あくまでも印象だが。
僕がファンになった1992年は『Sweet16』アルバムやシングル『約束の端』がヒットした年ではあるけど、10代の僕がのめり込んでいったのは初期の『No Damage』や『Someday』を聴いたからであり、1992年にリアルタイムで流れていた『Sweet16』などはそのきっかけに過ぎない。
1992年当時でも1980年代初期のアルバムはバンドの演奏やサウンドがとても古く感じられたけど、そんなことお構いなしに僕は佐野の細く若い声とそこにしかない当事者としての歌詞、意思表明に惹かれた。つまり当然のことながら、いくら「再定義」しようが69才の佐野が歌う「再定義」には若葉の頃特有の’何か’は存在しない。
「再定義」はあくまでもきっかけに過ぎないし、それでも格好いいサウンドだなぁと単に音楽として興味を持ってもらえばそれでOKかもしれないが、いくらスピードを上げ『DOWNTOWN BOY』を「再定義」しようが、そこに僕がこの曲に想う最も大切なものは含まれていないわけで、つまり『HAYABUSA JET』に出来ることは限られているんじゃないかということ。それでも新しい世代に佐野元春という人の音楽を知ってもらえれば、それで十分だとは思うけど、それじゃ物足りないなと思うのは結局僕の独りよがりなのだろう。
「再定義」と言っても大きな枠で言えばセルフカバー。今年は45周年でもあるし、なんだかんだ言いつつそれはそれで僕も楽しんでいる。そう思えるのも2023年に『ENTERTAINMENT!』、『今、何処』という2枚の新作があったから。とはいえ本音としちゃそろそろ新しい歌を聴きたいところではある。ま、飽きっぽい佐野のことだし『Ⅲ』はないんちゃうかな。
ポエトリー:
「忘れたらごめんなさい」
朝早く、ほうぼうからトングを手にした人々が集まる。品定めして、名物の大きめのクロワッサンから売れていく。今朝思いついたことは噛りかけ。できることは今ないです。
ここまで来ることができたのは、スピードに乗って空を仰いだことがあるからで、たとえこんな日でも、何にしようかと迷うのことの方が、大事だと思ったから
けれどそのスピードとは裏腹に、トングは大きめのクロワッサンすら掴めずに、手首から先はほどなく、恋しくなるほどふがいなく、記録も何も残らない。
帰り道の商店街を過ぎた辺りから、不意にロケットにでも乗って何処かへ行きたい気分がして、でもそれが望めないから、せめて通りの向こうの高台へジャンプする、気持ち。雲の水分をひと煮立ちして蒸発させれば、水素ロケットぐらい作れるのじゃないか、そんな気持ちで。
パン屋で焼かれる大きめのクロワッサンと普通のクロワッサン。手間はどちらがどうでどちらを多く焼くのだろう。などと思いながら、注文した食パン一斤分ならトングは使わなくていいから大丈夫、たぶん夕方には取りに行ける。
そのままでも美味しいし、ベーコンやトマトをはさんだらもっと美味しいことを想像して、でも夕方にはまだだいぶ時間があるし、午後からはお客さんが来るから、パン屋の皆さん、うっかり忘れたらごめんなさい
2025年4月