佐野元春&THE COYOTE BAND「45周年アニバーサリーツアー」in 堺 感想

佐野元春&THE COYOTE BAND
「45周年アニバーサリーツアー」
2025年7月13日 フェニーチェ堺
 
 
45周年ツアーが始まった。切りのいい数字なのかどうかよくわからないけど、コヨーテ・バンド結成が20周年だそうなので、それもアリかと妙な納得をしながら会場へ向かった。周年ライブはちょっと苦手。必然的に昔の曲が多くなるからだ。佐野は刺激的な新しい曲を今も生み出しているのに昔の曲でやたら盛り上がるのは勘弁してほしいなとつい思ってしまう。初期からのファンの気持ちは理解するし、今はもうずいぶんと慣れたけど。
 
大阪の会場はフェニーチェ堺という新しいホールだ。割と近いので車で行こうとも思ったが、何が起きるか分からないので電車で行くことにした。思わず開演まで1時間近く早く来てしまったが、既に沢山の人だかりだった。最近の佐野のライブでは若い人の姿もけっこう見かけるようになった。しかしこの日はそうした姿はほとんど見かけなかった。ほぼ初期からのファンと思しき年配者で占められていた。周年ツアーと銘打つとこうなるのだろうか。
 
ライブが始まると、デビューから現在までの映像がステージのスクリーンに映し出された。とても良い演出だった。『再び路上で』、『Sleep』、『フルーツ-夏が来るまでには』がバックに流れたけど、これらはある特定の時期のものなので、全体の流れをそらんじる映像には僕としては合っていないような気はした。佐野のラジオ音声とか、もっと細切れでいろんな音のコラージュにして、映像の時代に合うような音にしてくれたらなとちょっと思った。
 
ライブはツアーに先立ちリリースされたアルバム『HAYABUSA JET I』からの曲がほぼ順序通りに演奏された。当然盛り上がる。僕は2階席の後方だったが、2階席でもざっと10~20%の人が立っていた。近年の佐野のライブでは年齢層もあって、1階席でも座っている人が結構多かったりするが、この日の1階席はほぼ立ち上がっていた。僕の横の人も立ったので僕も流れに乗って立つことはできたのだがそうはしなかった。しなかったというより、正確には後ろの人に気兼ねしてできなかった。
 
映像による演出は本編でも続いた。たとえば『Young Bloods』ではオリジナルのミュージック・ビデオと再録版のビデオがミックスされてカッコよく編集されていた。続く『つまらない大人にはなりたくない』でも同様に凝った映像が流され、僕はそちらをじっと見ていた。けど、ふと気づいた。おれ、ちゃんとステージを見てないやん。。。こういうひと、結構多かったんじゃないか。
 
ライブ全般の映像表現で言うと、それAIで作ったんちゃう、というようなチープな映像もあってイマイチ感はそこそこあり。そうなってくると目にも留めないのだが、1部の『HAYABUSA JET I』パートでは過去曲があるので、当時の映像を交えながらという趣旨が明確で、ファンとしてはついそちらに集中してしまう。せっかくコンサートに来ているのに耳がおろそかになっていた。映像に凝るのはいいけど、こういう落とし穴もあるんだなと思った。あと前回のツアーからだと思うけど歌詞の一部が映し出されるのも僕はあんまし好きではないな。かっこよくない。
 
『HAYABUSA JET I』パートでは『大丈夫と彼女は言った』を楽しみにしていた。再録版ではインディー・ロックなフレーズがあって気に入っていたから。ただライブではバンドらしくダイナミックになり、せっかくのベッドルーム的なニュアンスがこぼれてしまっているように感じた。せっかくだからもうちょっとそっちのベクトルに走ってほしかったかな。その点『欲望』は振り切っていて最高だ。90年代の曲も交え、1時間と少しで1部は終了した。後半までの休憩の間、スクリーンでは45周年を迎えての佐野へのインタビューが流された。肩肘張らない他愛のない映像がとても良かった。
 
後半は『今、何処』アルバムをメインに演奏された。直近のオリジナル・アルバムだから当然と言えば当然だが、アルバムがリリースされた2023年よりも更に困難さが増す世界にあって、このアルバムの曲が披露されるのは自然なことだった。特にギターが前面に現れる『植民地の夜』や『大人のくせに』のラウドなサウンドがより心に響いた。そして最も印象的だったのは『明日への誓い』だった。アルバムをフォローするツアーでも聴いたけど、この日はそこに描かれる情景がより近く感じられた。バーズ・マナーのフォークロックが強調され、ラストにコーラスが入った変化もこの曲の目指すところにとてもよく合っていた。後半では過去曲も含め、割と勢いのある曲が続いた。そして『Someday』が鳴った時、全員が総立ちになった。
 
変な人と思われたかもしれないけど、僕はひとり、『Someday』を座ったまま聴いていた。幾つもの季節を越え年齢を重ねてきた初期からのファンが総立ちになって歌っている。その一斉に立ち上がる姿に感動したのだ。僕自身も勿論一緒に歌ったけど、それよりもむしろ多くの人たちが佐野と一緒に 『Someday』 を歌っている歌声にちゃんと耳を傾けたい、そう思った。そこに肯定すべきものが沢山あったような気がした。
 
本編やアンコールでは80年代の曲もいくつか演奏された。『悲しきレディオ』、『彼女はデリケート』、『So Young』。どれも昔のライブでは定番だったものだ。観客は昔を思い出し楽しんでいたのだろうか。『Sweet16』の頃からファンになった僕も90年代のライブでそれらを聴くのはとても興奮したけど、これらの曲が今の僕の生活にアタックするかと言えばそうではない
 
初期の曲であっても『HAYABUSA JET I』で取り上げられた曲のように今の時代に聴いてもグッとくるものはある。ただ懐かしいだけのような曲はもういいんじゃないか。あの若さに任せたロックンロールが聴きたいなら、若い佐野が躍動するDVDなりYouTubを見ればいいと思う。ライブでは今の佐野が歌う、今の僕たちに響く歌を僕は聴きたい。
 
ライブは20分の休憩を挟みつつも3時間近く行われた。周年ツアーにふさわしく、たくさんの曲が披露され会場は最後まで熱気に包まれた。かくいう僕もなんだかんだ言いながら、目頭が熱くなった瞬間は一度ではないし、楽しんだのは事実だ。『HAYABUSA JET I』は再プレスもされ好評と聞く。このアルバムは旧来のファン向けではなく新しい世代へ向けたものだという佐野の明確な意図がある。けれど、この日の会場を埋め尽くした僕よりも一世代上のファンたちを見て結局この再録アルバムは旧来のファンが懐かしくなって聴いているにすぎないのではないか、新しい世代には届いていないのではないか、そんな危惧が頭から離れなくなってしまった。周年ツアーということで旧来のファンの勢いに負けて、新しい世代はチケットを取れなかっただけならいいのだけど。。。
 
とはいえ、僕は始まりの大阪公演を観たに過ぎない。全国ツアーは27公演(プラス、スペシャル2公演)が始まったばかりだし、フジロックや他のフェスにも出演が決まっている。少しでも多くの新しい聴き手を、今を生きる僕たちの心を揺り動かすものであったら嬉しい。

常備薬を買いに

ポエトリー:

「常備薬を買いに」

 

常備薬を買いに橋の向こうへ
そこはひらがなの多い街

長い橋を渡ると
もう何度も通っているはずなのに、いつも新鮮な恐怖に襲われる

結局、向こうへ渡ってしまえばなんのことはないのたが、長い橋を渡っている間はなにか直近の記憶をすべてさらけ出したような気分になる
つまり最初に訪れたときにはそれまでの人生の経験をすべて開陳したということになるのだが、それももう随分と前のことになるので、まるで覚えていない

覚えていないということは、開陳したことを契機に、それまでの人生の幾つかを橋の向こうへ譲り渡したということにもなるのかもしれないと、そんな疑問がよぎりつつ、わたしは今、何度目かの橋を渡る直前にいる
いつものように不安をのぞかせながら

常備薬が必要なことはわかっている
処方箋を持ってきていることは確信している
しかしすでに幾つかを忘れてしまっている気もしている

悪い気はしなかった
このままわたしの心と体はどこへ行くのだろう
ひらがなの多い街は居心地がよかった

 

2025年5月

Lotus / Little Simz 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Lotus』(2025年)Little Simz
(ロータス/リトル・シムズ)
 
二つ前のアルバム『Sometimes I Might Be Introvert』(2021年)に度肝を抜かれまして、元々ラップは聴かないクチなのですが、ラップだなんだと言う前にスゴイ音楽はあるわけで、ケンドリック・ラマーなんかもそうですが、この辺になるともうジャンルどうこうではなく聴かんといかんとなという、僕にとってはリトル・シムズもその一人ですね。
 
今作の大きな変更点はプロデューサー。幼馴染でずっと一緒にやってきたInfloとはなんかお金で揉めてるようです。でもそれがかえって良かったというか、昨年末にInfloはいつものSault名義でアルバム出しましたけど、なんか手癖でやってんな的な停滞感があってちょっとイマイチ、やっぱ新しさが出てこないとシンドイなと。なので、リトル・シムズは理由はあったにせよ、Infloと組まなくて正解だったかもしれないですね。
 
新しい人と組みつつもジャンルを横断しつつ聴いて楽しいポップな部分は手放さない。というより今まで以上にR&B、ソウル音楽にだいぶ寄ってるような気はしますが、つまりこの辺はプロデューサーどうこうというより、もともとのリトル・シムズ自身の資質だったということですね。その上でInfloとのコラボで鍛えた部分、ストリングスなんかがそうだと思うのですが、もうしっかり自分のものにしている感じはします。
 
オープニングはそのストリングスを配したハードな『Thief』で、2曲目はアフリカンビートの『Flood』。3曲目はセサミストリートでコミカルな『Young』。続く『Only』はピアノが主体のソウル・ナンバー。という風に最後まで曲ごとに表情が変わり飽きさせない。そしてそのどれもがキャッチーでポップ。リリックは深刻かもしれないけど、音としては凄く気持ちよくて、この辺のバランス、かじ取りは素晴らしいですね。表題曲のマイケル・キワヌーカとコラボしたロックなラップの『Lotus』もめちゃくちゃかっこええ!
 
あと今回はバンド仕様です。今時はバンドか機械か聴いてて区別つかなかったりするのですが、やっぱこうやって聴くとダイナミズムとかグルーヴですね、特に今回はソウル寄りですから、やっぱ人がやってんなというのが音から伝わるとより近さを感じます。ラップ、ヒップホップをバンドでするっていうのがやっぱ新鮮でいいですね。ライブで聴くと最高だろうな。それにこの人の声はいかにもラップ的な芝居がかった感じはないし流れるようなそれでいてしっかりと粘っていく言葉の吐き出し方が単純にカッコいいので、ホントにようできたポップ・アルバムとして聴けると思います。
 
ジャンルが山ほどあろうが要は大衆音楽。間口が広くラップを普段聴かないひとにも気持ちよくさせてしまうってのは凄い事。『Sometimes I Might Be Introvert』(2021年)とは毛色が違うのがまたいいし、新しいアプローチでも傑作を作っちゃう。なかなか凄い人だと思います。

忘れたら ごめんなさい

ポエトリー:

「忘れたら ごめんなさい」

 

朝早く、ほうぼうからトングを手にした人々が集まる。品定めして、名物の大きめのクロワッサンから売れていく。今朝思いついたことは噛りかけ。できることは今ないです。

ここまで来ることができたのは、スピードに乗って空を仰いだことがあるからで、たとえこんな日でも何にしようかと迷うのことの方が、大切だと思ったから。

けれどそのスピードとは裏腹に、トングは大きめのクロワッサンすら掴めずに、手首から先はほどなく、恋しくなるほどふがいなく、記録も何も残らない。

帰り道の商店街を過ぎた辺りから、不意にロケットにでも乗って何処かへ行きたい気分がして、でもそれが望めないから、せめて通りの向こうの高台へジャンプする、気持ち。雲の水分をひと煮立ちして蒸発させれば、水素ロケットぐらい作れるんじゃないか、そんな気持ちで。

パン屋で焼かれる大きめのクロワッサンと普通のクロワッサン。手間はどちらがどうで数はどちらが多いのだろう。などと思いながら、注文した食パン一斤分ならトングは要らないから、たぶん夕方には取りに行ける。

ベーコンやトマトをはさんだらきっとおいしい。でも夕方にはまだ時間があり、今日は午後からひとが来るから、うっかり忘れたらごめんなさい

 

2025年4月

ポエトリー:

「時」

 

よどみなく消える、時間は
良いときも悪いときも
見さかいなく

わたしたちの舟はゆれる
岸が離れていても近くても
水草に手が届くなら
それが安心

いつからかわたしたちは
困り果てた顔をする
自由だからか
不自由だからか

しかし確かに
訪れるものがある

その日が来るとしたら
きっと今朝のように寒い日かもしれない
それは鉢に薄い氷が張るようなとても寒い日
それは水草の間に花が咲くようなきらびやかな日

一番小さなしあわせがわたしたちを満たすとき
時間はわたしたちだけのものになる
それが行って過ぎるまで

 

2025年2月

そのひとりとして

ポエトリー:

「そのひとりとして」

 

外から溢れて
中に入るものがあるなら
わたしはそれを無為にできない
そのひとりとして

訪れるというより
迎えるもの
今日の日、明日の日しか
出口はないのだから

器用に折りたたんでしまえたものが胸元にあって
いつしか取り出す
そんな未来

想像することはタダだから
その受け皿として
わたしは在る

 

2025年4月

Make ’em Laugh, Make ’em Cry, Make ’em Wait / Stereophonics 感想レビュー

『洋楽レビュー:
 
『Make ’em Laugh, Make ’em Cry, Make ’em Wait』(2025年)Stereophonics
(メイクエム・ラフ、メイクエム・クライ・メイクエム・ウェイト/ステレオフォニックス)
 
英国の国民的バンド、2年ぶり13枚目のオリジナル・アルバム。今作の収録時間は30分にも満たないフォニックス史上最も短いアルバムだそうです。短かろうが何だろうがデビュー以来ほぼ2年おきの新作を出し続けているわけですから、たまにはこういうのもあるでしょう。で、当然のように英国チャート1位!これで9作目の1位!
 
彼らの場合、これぞフォニックスなロック・アルバムと割と大人しいアルバムを交互に出すイメージがありますが、今作はみんなの期待するフォニックスですね。前作も最高だったのですが、その後に静かなケリー・ジョーンズのソロ作を挟みましたから、今回は定番のということでしょうか。ていうかその方が彼ら自身も楽なんじゃないか。
 
毎回思うんです、流石にフォニックスもそろそろアカンのん出すんちゃうかと。で、ちょっと心配しながら聴くわけですけど、いつもあらゆる面で期待の少し上を行く。ていうか大人気バンドですから、普通は期待しまくるんですけど、彼らの場合は何故かハードルを低く設定しちゃうんですね、そろそろアカンやろと。でも聴くとやっぱフォニックスええわ~と言わせてしまう。
 
先行シングル「There’s Always Gonna Be Something」がいなたいミドルテンポの曲で、なかなかいいんじゃないかと思わせつつ、それでもアルバムはどうかねぇ~などど思いながら、1曲目の「Make It On Your Own」を聴けば、わぁ最高!となっちゃう。我ながらいい加減なもんです。1曲目のストリングスの使い方なんて職人技ですな。渋い声でのスロー・ソングも挟みつつ、5曲目の「Eyes Too Big For My Belly」では趣向を凝らしたワイルドな曲でワクワクさせる。なにがどうというわけじゃないんですが、非常に手堅い、外さない。不思議なバンドです。
 
流石に30分弱ということで物足りなさはある。渾身の1曲!というのもなさそうだし、肩の力を抜いてリラックスしてやりゃあこんなの出来ちゃったという感じ。実際はそんな簡単な話でもないだろうけど、今回も期待のちょっと上を行く作品。結局あの声がすべてかなのだろう。来日公演してくんないかなぁ~

Never Know / The Kooks 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Never Know」(2025年)The Kooks
(ネバー・ノウ/ザ・クークス)
 
 
3年ぶりの7作目。2006年のデビューだからもう20年近くなる。当初はリリースが遅い印象があったが、このところは定期的に新作を出している。ベテランの域に入り、新しいことをしなくてはならないというプレッシャーからいい意味で解放され、自然体で取り組めているのかもしれない。ウィキで調べると若く溌溂としたルーク・プリチャードももう40才。でも鼻にかかった独特の声は変わらないのが嬉しい。
 
前作はアルバムという意識から離れていたせいか、シングル集的な色合いが強かったが、今回はアルバムとしてのまとまりが出ている。もともとガチャガチャとしたロックでスタートした彼らだけど、そのしゃくりあげるボーカル・スタイルと相まって、ソウルやファンクといった黒っぽい要素が個性になりつつもあり、その最たるものが4th『Listen』(2014年)であったわけだけど、そこでの思い切ったトライアルがその後の作品にしっかりと根付いていて、気がつけば他に替えのきかない個性的なバンドに。ファンも根強く本作もしっかりと全英4位。
 
クークスと言えばルークのボーカルだけどギターも聴きどころ。派手にギャンギャン鳴らすタイプではないが、このバンドの記名性に大きな役割を果たしており、今回もことあるごとによいフレーズが聴こえてくる。しっかりと背後でよい仕事をしている中、#6「Compass Will Fracture」の最後のように不意に爆発する感じがたまらない。ところでこの曲のサビはルークの声ではないようだけど、ギタリストが歌っているのか?
 
今回の特徴の一つはコーラス・ワーク。#2「Sunny Baby」では顕著だけど、それ以外にも何気ない形でコーラスが多用されている。レトロなソウル#8「Arrow Through Me」なんて雰囲気がとてもよく出ていて最高。それにしても巧みなソングライティングだ。色んなタイプの曲があって、よく聴くと複雑な構成でテンポも変わる。しかしそうとは感じさせないスムーズさ。一部でキーボードを使用しているけど、基本はギターとドラムとベースのみ。しかも手数で誤魔化すのではなく、必要最小限の表現で表情豊かにとらえていく。今まで気づかなかったけど、このメンバーすごいかも。
 
やってることは凄いのに大したことしてないぜという軽やかさ。オープニングの表題曲「Never Know」における落ち着きといい、ガチャガチャとしたロック小僧がいつのまにやらポップ職人である
 

適温

ポエトリー:

「適温」

 

心の糸がもつれている
すべてをスタンダードに戻したい
鍵穴は壊れてしまった
雨音は数え切れない

地道にいきたい
仮にスペースがあっても
もう小躍りしないで
ゆき過ぎる

その事自体に罪はない
しかしそれを無条件で受け入れるなんて
今のぼくには若さが足りない

夕暮れはもたつきながら春の様相
セーターの毛玉をほつきながら
ぼくは適温を探している

 

2025年3月

SABLE,fABLE / Bon Iver 感想レビュー

『SABLE,fABLE』(2025年)Bon Iver
(セイブル、フェイブル/ボン・イヴェール)
 
 
2021年にビッグ・レッド・マシンとしての新作はあったが、ボン・イヴェールとしては2019年の『i,i』以来となる5枚目。随分と久しぶりだが、その間にロック・シーンは再び明るさを取り戻してきた。2010年代のロック低迷期に新しいロックのあり方を示し続けたボン・イヴェールが今のロック活況期にどうアプローチしていくのか。先ずそこのところに興味があった。
 
アルバムに先立ち4曲入りEPとして『SABLE』をリリース。本アルバムはの『SABLE』を冒頭に据え、『fABLE』と題した8曲を加えたもので構成される。『SABLE』はデビュー当初のようなアコースティックな手触りで、なかには『AWARDS SEASON』のようなほぼアカペラ状態の曲もあったりする。とはいえ、それもよくよく聴いてみるとそうだなぁというレベルで、改めてアカペラでもびくともしないジャスティン・ヴァーノンの特殊な声に気付かされたりもする。
 
こういう感じで進むのかなと思いきや、本丸とも言えるfABLE』では一転してかつてないほどのポップ・ソングが並ぶ(ポップ・ソングと言っていいのかよく分からないけど)。ビッグ・レッド・マシン含め、ボン・イヴェール名義でも実験的な音楽という感じがずっと続いていたけど、ジャスティン・ヴァーノンと言えばのボーカル・エフェクトも目に付くのは『Walk Home』ぐらいで、あとは彼の生身の声(と言っても特殊だけど)。こうなってくると益々デビュー当初のようだけど、やっぱりこのポップさはかつてなかったものだ。
 
どういう経緯でこうなったのか分からないけど、オープンで多幸感満載の『Everything Is Peaceful Love』があって、次曲では一転個人的な『Walk Home』になって、その次はまたオープンなゴスペル『Day One』になる。続く『From』と『I’ll Be There』は80’sだし、『If Only I Could Wait』ではハイムのダニエル・ハイムとのデュエットでエモく盛り上げ​、実質最終曲の『There’s A Rhythmn​』ではほぼ電子ピアノのみで穏やかに締める。アルバムとしての統一感がないと言えばないが、いろんなタイプの曲があって人ぞれぞれ気に入る曲が異なるような仕組みになっている。こんなことって今まであったか。
 
あれだけコミュニティーについて歌ってきたジャスティン・ヴァーノンが分断の時代に何も思わないわけはない。Sable(漆黒)と題された冒頭が彼自身の内を巡る個的な物語とすれば、Fable(寓話)と題された主要部はみんなの歌だ。お馴染みのボーカル・エフェクトどころかファルセットすらないアコースティックな初めの4曲(正確には3曲?)の後は派手なトラックにファルセット全開で突き進む。まるで最初だけ静かに歌わせてほしい、あとはみんなで分かち合ってくれたら、とでも言うように。けれどそこにFable(寓話)と題してしまう。それはそれでどう捉えればよいのか戸惑うが、今はもうそう表現するしか他に方法はないのかもしれない。