『MANIJU』 覚え書き②
二度目に聴いて思ったこと。佐野さん自由(笑)。とにかく言葉が前面にあって、あとはどっちだっていいって感じ。勿論どっちだっていいってことはないだろうけど、コヨーテ・バンド、好きにやっちゃって、て感じ。もうこだわりが無いというか、メロディの決まり事もどうでもいいというか、別に何かに似ててもいいというか。
聴いてると、あ、これビートルズだなとか、あ、ディランだなあとか、マービン・ゲイだなあとか、はたまたこれは大瀧詠一だなあってのまであって、そういうのにもう無頓着でいられるっていう。そういう自由(笑)。それに今まではバンドに対して細かく指示を出していたと思うけど、そういうのも止めちゃったっていう自由(笑)。ま、想像だけどね。
先ず言葉があって、そっから音楽化していくには勿論佐野さんのビジョンがあるんだろうけど、割と成すがままに流れ着いたんじゃないかって印象を受けた。で恐ろしいことにそれも織り込み済みというか、要するに今回の隠しテーマはもしかして「自由」なんじゃないかと。こんな世の中、でも前回の『Blood Moon』アルバムみたいに硬質なメッセージを携えるんじゃなくて、佐野さん自身が自由に振る舞う中で見えてくるものに意味があるという。
僕はちょっと前にこのブログで、フランスのバンド、フェニックスの新しいアルバムに触れて、ヨーロッパの人たちのアティチュードについて書いたけど、そこと割と繋がってるような気がして。つまりはアーティストの態度というか、何が根本にあるのかということをもう一度確認してみた、披露してみた、佐野さんの視点は今そんなところにあるんじゃないかと。まだ二度しか聴いていないけど、そんなような印象を受けた。そういう意味でも今回のアルバムはなんか特異。こういう感じは今までになかったな。
今回はアルバム・リリースの知らせがあってからも僕の中であんまり盛り上がってこなくて、リード・トラックを聴いてもあまりピンと来ずに、まあとりあえずって感じ聴き始めたんだけど、さっき書いた理由とか諸々あって、今はじんわりと吸い寄せられている。こういうパターンは初めて。ちょっと面白い。
あとコヨーテ・バンドの印象も随分変わってきた。ホントもう自由に演奏しちゃってる。前回のアルバムがコヨーテ・バンドここに極まれりって感じで、一種の到達感みたいなのがあったんだけど、ここに来てもう完全にやらかしちゃってる。一旦組み上げたものを崩しにかかってる。形が無くて水のよう。そこに言葉を乗っけて漂っている感じ。
このバンドの最大の特徴は目的地に向かって最短距離で突き進むってところにあったんだけど、そこから離れていくとすれば、もうどうなってくんだ?この自由さはホーボー・キング・バンド的だぞ。それとも聴き込んでいくともっと印象は変わっていくのか。