映画『すばらしき世界』(2021年) 感想

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年)

 

映画は当初、原作どおり『身分帳』というタイトルのまま行く予定だったらしい。ところが撮影が進んでいくうちに、思うところがあって西川美和監督は『すばらしき世界』というタイトルに変えたそうだ。
 
何故だろうか。監督は今までオリジナルの脚本でしか映画を作ってこなかった。けれど今回は『身分帳』という原作に出会って映画化しようと考えた。それは当然のことながら、ストーリーのみならず主人公にも魅力を感じたからであろう。そして撮影が進むにつれ、紙面でしか存在しなかった主人公がリアルな魅力を放ち始める。しかも演じるのは役所広司。生身の三上がそこにいるのである。
 
映画の後半では三上の就職祝いパーティーが開かれる。彼を支援してきた心暖かい友人たちは口々に言う。「もっと自分を大切に」、「辛抱することも大事」、「我慢できないときはここにいる私たちを思い出して」と。三上は頭を垂れてもう二度と短気は起こさないと誓うが、最も近くで三上を見てきた津乃田は複雑な思いだ。映画を観ている側の我々も答えのない疑問に迷い込む。こうやって三上が ‘丸くなる’ ことを望んでそれでよいのだろうか。「善良な市民がリンチにおうとっても見過ごすのがご立派な人生ですか!」と激しく苛立った三上を消し去ってよいのだろうか。
 
当初は三上の生き方を相容れなかった津乃田はしかし、三上と長い時間を共有することで彼の人間的魅力に惹かれていく。そしてそれは自身を見直す契機にもなる。三上に最も近い観察者である津乃田はすなわち映画を観ている我々でもある。そして津乃田や僕たちをそう導いているのは西川美和監督に他ならない。けれど監督にそう思わせたのは三上であるという循環。
 
僕たちはそこにいなかったがそこにいた。そして三上という人物に触れた。原作『身分帳』は乾いた筆致が魅力であるけれど、三上を或いは彼を取り巻く世界を知った以上、もうそれを『身分帳』という ‘乾いた物’ で言い表すことはふさわしくない、監督がそう考えてもおかしくないのではないか。 生身の人間が行き交う世界、それを西川美和監督は『すばらしき世界』とした。そしてそれは′ご立派な人生’ を歩む僕たちの世界をも含んでいる。
 
監督はこれまでオリジナルの脚本でしか映画を撮らなかったが、今回初めて原作のある話の映画化に取り組んだ。そして原作とは異なる視点を持ち込んだ。意味を限定する固有名詞である『身分帳』から意味を規定しない『すばらしき世界』へ。今となってはこれ以上のタイトルは考えられない。

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