Willoughby Tucker, I’ll Always Love You / Ethel Cain 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Willoughby Tucker, I’ll Always Love You』(2025年)Ethel Cain
(ウィロビー・タッカー、アイル・オールウェイズ・ラブ・ユー/エセル・ケイン)
 
 
初めて聴く類の音楽の場合、よいのはよいのだけど、自分でもどこがどう気に入っているのか分からず戸惑ってしまうことがある。遠くはレディオ・ヘッド、ここ数年で言えばビッグ・シーフがそれにあたるが、エセル・ケインのこの作品もまったくその類。
 
ということで、じゃあどういう場合にこの音楽が流れていると合うのかを想像してみる。要するに勝手に自分の脳内でミュージック・ビデオを再生してみるのだが、どうやっても明るく朗らかな風景はマッチしない。真昼間であってもくすんだ感じ、もやがかかった感じ。影のあるイメージしか浮かばない。
 
登場人物は何をしているか。活発な活動をしているように思えない。気だるい寝起きのベッドとか食事をしているシーンとか。食事のシーンは一人ではないな。恋人と二人、口の周りがベタベタと汚れたまま、つまり戯れて食事をしている感じ。とここまで書いて、これは性愛のイメージだなと思った。
 
食事や性や睡眠。ひとの根源的な欲求。そうしたものにまつわる音楽なんだろうかと思った時、しっくりと来るものがあった。このアルバムは恋愛についてのリリックが綴られている。進行形なのか、始まってもいないのか、終わった後なのか。いずれにせよ作者は求めている。愛する人への根源的な欲求を。世間体とか常識とかモラルではない。私は直接タッチしたい。愛し合いたいのだと。
 
ただ不思議と重くのしかかるような音楽ではない。僕が英語を解さないだけかもしれないが、普通に聴いていて気持ちがいい。つまりメロディーがポップなんだな。ゆったりした曲ばかりだけど、脳内でテンポアップしたらこれ、キャッチーなポップ・ソングになるんじゃないか。そういうメロディーのようだ。
 
インストが多く、しかも長いので、アンビエント・ミュージックの側面もある。でも環境音楽ではないな。ひとの中でくぐもる感じ。不思議な音楽だ。どこに仕舞えばよいのか分からない。ただ、只者ではない感は満載である。