SABLE,fABLE / Bon Iver 感想レビュー

『SABLE,fABLE』(2025年)Bon Iver
(セイブル、フェイブル/ボン・イヴェール)
 
 
2021年にビッグ・レッド・マシンとしての新作はあったが、ボン・イヴェールとしては2019年の『i,i』以来となる5枚目。随分と久しぶりだが、その間にロック・シーンは再び明るさを取り戻してきた。2010年代のロック低迷期に新しいロックのあり方を示し続けたボン・イヴェールが今のロック活況期にどうアプローチしていくのか。先ずそこのところに興味があった。
 
アルバムに先立ち4曲入りEPとして『SABLE』をリリース。本アルバムはの『SABLE』を冒頭に据え、『fABLE』と題した8曲を加えたもので構成される。『SABLE』はデビュー当初のようなアコースティックな手触りで、なかには『AWARDS SEASON』のようなほぼアカペラ状態の曲もあったりする。とはいえ、それもよくよく聴いてみるとそうだなぁというレベルで、改めてアカペラでもびくともしないジャスティン・ヴァーノンの特殊な声に気付かされたりもする。
 
こういう感じで進むのかなと思いきや、本丸とも言えるfABLE』では一転してかつてないほどのポップ・ソングが並ぶ(ポップ・ソングと言っていいのかよく分からないけど)。ビッグ・レッド・マシン含め、ボン・イヴェール名義でも実験的な音楽という感じがずっと続いていたけど、ジャスティン・ヴァーノンと言えばのボーカル・エフェクトも目に付くのは『Walk Home』ぐらいで、あとは彼の生身の声(と言っても特殊だけど)。こうなってくると益々デビュー当初のようだけど、やっぱりこのポップさはかつてなかったものだ。
 
どういう経緯でこうなったのか分からないけど、オープンで多幸感満載の『Everything Is Peaceful Love』があって、次曲では一転個人的な『Walk Home』になって、その次はまたオープンなゴスペル『Day One』になる。続く『From』と『I’ll Be There』は80’sだし、『If Only I Could Wait』ではハイムのダニエル・ハイムとのデュエットでエモく盛り上げ​、実質最終曲の『There’s A Rhythmn​』ではほぼ電子ピアノのみで穏やかに締める。アルバムとしての統一感がないと言えばないが、いろんなタイプの曲があって人ぞれぞれ気に入る曲が異なるような仕組みになっている。こんなことって今まであったか。
 
あれだけコミュニティーについて歌ってきたジャスティン・ヴァーノンが分断の時代に何も思わないわけはない。Sable(漆黒)と題された冒頭が彼自身の内を巡る個的な物語とすれば、Fable(寓話)と題された主要部はみんなの歌だ。お馴染みのボーカル・エフェクトどころかファルセットすらないアコースティックな初めの4曲(正確には3曲?)の後は派手なトラックにファルセット全開で突き進む。まるで最初だけ静かに歌わせてほしい、あとはみんなで分かち合ってくれたら、とでも言うように。けれどそこにFable(寓話)と題してしまう。それはそれでどう捉えればよいのか戸惑うが、今はもうそう表現するしか他に方法はないのかもしれない。

ポエトリー:

「尺」

 

ある日、
わたしの中でひとが飛び出し
あることない事
わめいている

人間の仕様には大小様々あって
わたしもそのうちのひとつだが
時には嘆き、時には喜び
人には言えぬ物差しで成り立っている

時折、
勢いあまって飛び出すことがあるにはあるけど
ひとにはひとの尺があるのだと
夕べ知り合ったひとが
やはり飛び出しくだを巻く

正直なところ
わたしはそれを信じていない
信じていないが
そういうものがあるということを念頭に
どうやらものを考え、ひとと話をし、くしゃみをしているようだ

抑えきれぬ感情よりむしろ
平穏無事に行かせようとするもの
その限りにおいて
多分、未来は明るい

 

2025年4月

大きな心

ポエトリー:

「大きな心」

 

どんなひとにもふさぎ込んでしまう夜が
あるに違いない
そのころぼくは大好きな彼女と
キレイな花を
花を摘んでいる
悲しい顔は
繰り返さなくたっていい
ぼくには大きな
心があるのだ

どんなひとにも天に登る
そんな夜があるに違いない
そのころぼくはイヤなことだらけを
何度も何度も思い出している
悲しい顔は
繰り返さなくたっていい
人には言えない
ことがらがあるのだ

ときどき小さな花を届けてくれるきみが
友だちでほんとうによかった

悲しい顔は
繰り返さなくたっていい
人には言えない
ことがらがあるのだ
悲しい顔は
繰り返さなくたっていい
ぼくは大きな
心を持つんだ

 

2025年3月

Forever Howlong / Black Country,New Road 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Forever Howlong』(2025年)Black Country,New Road
(フォーエバー・ハウロング/ブラック・カントリー・ニュー・ロード)
 
 
バンドのソングライターでありボーカリストであったアイザック・ウッドなる人物が脱退したそうだ。批評家筋からの評価が非常に高く、いわゆるテクニカルに聴かせるバンドではあったのだけど、過去2作はざっと聴いても僕自身はあまりピンとこなかった。一般的にウケるようなバンドではなかったのかもしれない。
 
主要人物が抜けたことで、残ったメンバー5人のうちの女性メンバー3人(あとの2人は男性)が新たに曲を作り、新たに歌うようになったとのこと。しかもそれを3人が代わるがわる行い、スタジオ・アルバムに先立ち、新しい曲のみのライブ・アルバムを出したと言う。普通はバンド瓦解の危機ではあるのだけど、とてもポジティブに新しく活動をしている。
 
印象としてはフォーキーな方へ流れていったように感じる。その中でバンドの特徴であるホーンも交えながら演劇的な曲展開を見せるが、テクニカルな部分はそのままであっても風通しはよくなっているような気はする。まるでインディ・ロック・バンドによるミュージカルようで、歌詞は読めていないけど印象としては朗らか。とても重要なことだと思う。
 
3枚目ではあるけど、再スタートということで実質的にはデビュー・アルバムのようなもの。まだやりたいことに振り切れていない気はするし、曲そのものというよりバンド・アンサンブルで引っ張っていくスタイル。これからソングライティングを学んでいくだろうし、三者三様のボーカル個性も際立つようになるだろう。伸びしろはまだまだある。

この冬、故郷にて

ポエトリー:

「この冬、故郷にて」

 

この冬、故郷で災害があった
海からほど近いその町には幾つかの川がある
そのうちの一つに海から一メートル四方ほどの大きな石が大量に運ばれてきた
市境の橋が壊され、一人が亡くなった
私が子供の頃に何度も渡った橋だった

久しぶりに故郷へ帰った私はそこへ行ってみることにした
石は廃棄されずに一か所に集められていた
そこは川沿いの食品工場の広い駐車場だった
一方の角へ目をやると白っぽい石がひとつだけ、
その上にちょっとした敷物と簡単な囲いが用意され、コップと菓子が供えられていた
供養しているということだろうか

ほどなく食品工場から昼休憩を告げる控えめなサイレンが鳴った
とすぐ工場から若い女性がこちらに向かって歩いてきた
女性は私の横を通り過ぎ、白い石の祭壇の前で手を合わせコップの水を入れ替えた
どうやら今日は彼女の当番らしい

工場からもパラパラと人が現れてきた
そこに見覚えのある顔がいた
驚いた、あいつじゃないか
久しく会っていなかった、いろいろあって次第に私たちの元から離れていった友人
こんなところで働いていたのか

向うも私に気が付いたようだ
彼はあきらめたのか私に方に向かってゆっくりと歩いてくる
こけていた頬も幾分ふっくらとして顔つきが穏やかになっている
安心と少しの緊張で私は彼を迎えた

災害で亡くなったのはここの従業員、彼らの仲間だった
工場の再開後、彼らは亡くなった仲間を悼んで駐車場の一角に白い石で簡単な慰霊碑を立てた
仕事がある日は毎日順番にコップの水を入れ替え、時には家から持参のお菓子などを供えるのだと言う

私たちは色々な話をした
昔と同じに私が尋ねて彼が答えるといった具合に
昼休憩も終わり近くなり彼は工場へ戻っていった
昔と同じに一度も振り返ることなく

待ち構えていたように、私はさっきの女性に声を掛けられた
彼女は彼の色々を知っている様子だった
彼はそういうことを他人に言わない人だったが、そこに時の流れを感じ、同時に彼女はもうそういう人なのだと理解した
彼女は私に彼のケツを叩いて欲しいようだ
その様子に、十分あなたがひっぱたいているだろうにと思ったが、彼女には物足りないらしい
彼女はもうそういう覚悟なのだ

次の私たち友人同士の集まりに彼は来るだろうか
分からない
けれどそれでも構わない
来てくれたら嬉しいし皆も喜ぶだろうが、来なくてもそれはそれでいい
人には人の人生があるのだから

 

2025年2月