『Ethereal Essence』(2024年)コーネリアス 感想レビュー

邦楽レビュー:
 
『Ethereal Essence』(2024年)Cornelius
 
 
ここで言うアンビエント・ミュージックとはいわゆる環境音楽、ヒーリングミュージックとは少し違うようだ。違うようだと言っても僕自身はアンビエント・ミュージックのことがよく分かっていなくて、昨年に京都で行われた’Ambient Kyoto’なるイベントを見に行ったぐらい。ちなみにそこにもコーネリアスは参加していた。
 
これまでのアルバムの中にも度々インストルメンタル的な、要するにボーカルの無い曲を幾つも収録しているし、アルバム以外でも色々な媒体でアンビエント・ミュージックを披露している(コーネリアスが自身のそうした一群の作品をアンビエント・ミュージックと捉えているのかどうかは不明)。今回のアルバムはそうした過去に発表したものアンビエント・ミュージック的なものを集めた作品だ。
 
と言っても、そこはコーネリアス。頭からお尻まで統一されたイメージの音楽が続き、キチンと一枚のアルバムとして成立しているので、いわゆる編集ものと言うよりはオリジナル・アルバムに近いと言った方がいい。この手のアルバムでも退屈せずに最後まで聴けてしまうのは流石というか、根っこに持つ陽性、ポップさのなせるワザ。
 
コーネリアスの取り組みとして、どうしても意味を持ってしまう人の声とそれ以外の音とを如何に並列に並べるかというのがここ数年のトライアルだったかと思うが、今回のアルバムでも例えば『サウナだいすき』とか谷川俊太郎を迎えた『ここ』においてその取り組みの一旦が伺え、とか言いながらやっぱり声が入ると言葉に気持ちが入ってしまうことも含めて、とても楽しい音楽体験がここにある。
 
特に『ここ』は先ず谷川俊太郎の朗読があって、そこに音を当て嵌めていくというスタイルを採っていて、普通はメロディやサウンドに声を乗せるのだろうけど、その全く逆を行く手法がとても面白い。いっそのこといろいろな詩人に朗読してもらうシリーズを続けてもらったらとても面白いなと思うが、そんなことはまずしないだろうな(笑)。

今頃はもう

ポエトリー:

「今頃はもう」

 

あの頃のボクは
風雲たけし城のジブラルタル海峡を渡り切る自信があった
横断歩道の白だけを歩くことだってできた
それでも見境なく飛んでくるロケットをよけることはできなかっただろう

そこにいればボクはもう死んでいる

 

2024年8月

つい今しがた

ポエトリー:

「つい今しがた」

 

つい今しがた
かつてない魂が
家の両端に並び立ち
息をする惑星の静かな囁きが
その家の両端に小さく呼応した

旗は静かに立っていた
殺戮と凶作が待っていた
藁をもすがる人人の足を踏んでいた
数奇な運命のわたしたちには
まるでそぐわない新しい歌が
旗と共に流れていた
コントラストは甚だしく無謬だった

わたしたちの知る権利はイエス
耐えうるだけのネガや文机はノー
文字通り、八方ふさがりの街で
わたしたちは鴨居に頭をぶつけるほどに育ちすぎた

足元には草の根の結び目
幾度目かの最適解

 

2024年6月

些細な夜明け

ポエトリー:

「些細な夜明け」

 

多くのことばが微弱な電波を発し
思い思いに暇を弄ぶ
わけでもなかろうに

ぼくたちのあいだに広がる些細な夜明け
見た目にも鮮やかな
わけでもなかろうに

脆弱な電波に乗ってきみが来る
それ自体がフェイクニュース
意外とよく喋るきみの広がり
だったとしても

よそ行きの声が次第に遠ざかる
水面のようにささやかな方便
群がるひとびとの声だけがして
教えられてきたことが失念する

ご名答
実にいじわるなことだけど
泣きたいわけじゃない
失念することが輝き

チャンスをくれたきみに
ぼくの抽斗の序列を教えてあげる
めったにないことが
きみに起きますようにと
ねぎらうことができますようにと

 

2024年5月