岡本太郎展 中之島美術館 感想

アート・シーン:
 
岡本太郎展 大阪中之島美術館
 
 
気付けば、大阪での岡本太郎展も10/2までと残り僅か、台風14号の影響もあり天候が不安定ではありましたが、かえって人出では少なかろうと、3連休の中日に行ってまいりました。
 
10時開館より少し早めの9時45分ぐらいに到着しましたが、既に行列ができていました。この天候にも関わらず流石ですね。会場に入ると最初に目に飛び込んでくるのは初期の作品群ですね。と言っても戦火で随分と消失してしまったようですが、学生時代の作品も含め幾つか展示されていました。岡本太郎といえば原色鮮やかなあの絵を思い浮かべますけど、始めからそうではなかった、ちゃんと写実に描いている絵もあって、当然と言えば当然なんですけど、こうやって観ると新鮮な驚きがあります。
 
展覧会は年代順に展示されており、絵だけでなく幅広く活動していた岡本太郎らしくいろいろな造形物もあって楽しく観ることが出来ます。僕はぐるっと回って2時間ちょいでしたが、そんなに経ったとは思えないぐらいあっという間でした。つまり岡本太郎の作品に対する評価はいろいろあるのでしょうけど、基本的にはエンタメなんだと、楽しませるだけではなく違和感を抱かせる部分も含めて見る側を飽きさせないエンタメなんだと思います。
 
あと面白かったのは、晩年にはテレビによく出ていて有名なフレーズ、「芸術は爆発だ」と共に目を見開く岡本太郎の姿が印象的でしたが、あれも芸術活動の一環だったようで、つまりにらめっこなんだと。動物でもなんでも相手とにらめっこしてそこから創作が生まれるというのがあるらしく、にらめっこというのは岡本太郎にとって重要な意味を持つ行為だったんです。あぁなるほどなと、あの岡本太郎の姿はあえてだったんだと(笑)、今になって腑に落ちるとは思わなかったです。
 
作品には一応タイトルがあるのですが、ま、その辺はよくわからないですよね(笑)、絵を観てももうなんのこっちゃ(笑)。でも圧倒的なパワーですよね、そこに何かあると思わせる、岡本太郎にはそうとしか見えない何かがあるのだと。つまり物を見る時に我々は形あるものとして、そこにある物を物質として認識するのですが、岡本太郎はそこを超えて何かエネルギーであるとか別のものに変換されて見えてくる。例えばリンゴは赤くて丸いですけど、じゃあ本当にそうなのだろうか、その本質は本来の姿はどこにあるのか、そこにあるじゃないか、それを描くんだというような、物を見る自分と物とが同じ意識下、同じレベルになって相互に見て見られる、そういう関係性があったんじゃないかと、何か意識レベルの交感があったんじゃないか、そんな気はしました。
 
あと芸術に対して、条件に挙げていることがいくつかあって、もう忘れてしまったんですけど(笑)、そのうちのひとつに「心地いいものであってはいけない」というのがありまして、やっぱり自己陶酔というか、自分で気持ちよくなってしまうことがあると思うんですけど、そうじゃないんだと、気持ちの良いものであってはいけないと。また、鑑賞する側に対しても何かをぶつけるというような、相手にとって心地よいものを提示する、ということとは真逆なものを提示する、というのは何か目から鱗というか、僕自身も居住まいを正されるような気持ちになりました。
 
あと見に来ている人ですけど女性が非常に多かった、特に若い女性が多かったのが印象的でした。岡本太郎の作品のどこにそういう要素があるのか、僕には見当がつかないですけど、今までもいろいろと展覧会へ行きましたけど、こんなに若い世代、特に若い女性が多かったのは初めてでした。
 
あとグッズ売り場が充実していましたね(笑)。とにかく岡本太郎の作品はキャラ付けしやすいというか、そこもさっき言ったエンタメ性と繋がると思うのですが、企画会議ででもあれしよう、これはどうか、っていくらでもアイデアが出たんじゃないかって想像できますよね(笑)。つまり岡本太郎の作品が他の誰かの創作を喚起している、作品が作品を生むっていう、そういう循環を促す力があるんだということなんです。それこ芸術ですよね、今もなお他人に伝播しつつ爆発しているんだと思います。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)