ポエトリー:
「なんだかさ」
なんだかさ
自分がつまらなくなる時は
缶ビールでも買ってうちに帰ろう
酔っ払っていい音楽を聴いたら
いい気分になって布団に入ろう
2017年5月
ポエトリー:
「なんだかさ」
なんだかさ
自分がつまらなくなる時は
缶ビールでも買ってうちに帰ろう
酔っ払っていい音楽を聴いたら
いい気分になって布団に入ろう
2017年5月
ポエトリー:
「漆黒」
もう少し簡単に言えないものか
この見慣れた景色は
本当はどこまで続いている?
丹念に記された命の乞い
漆黒なら何をしてもいいと
願いが静かに歪められる
一時間後の夜に矛先を向ける
2019年4月
洋楽レビュー:
『Petals For Armers』( 2020年) Hayley Williams
(ペタルス・フォー・アーマーズ/へイリー・ウィリアムス )
へイリー・ウィリアムス、初のソロ・アルバムだそうで。とはいえ共同プロデューサーがパラモアのテイラー・ヨークで今回最も多くの曲でへイリーと共作しているのがパラモアのサポート・メンバーであるジョーイ・ハワードで、パラモアのドラマー、ザック・ファロもいくつかの曲でドラムを叩き、ある曲ではPVの監督までしちゃってる。てことで、もうこれパラモアやん!!
だいたいパラモアってメンバーが結構変わってるでしょ。出たり入ったりもあるけど、全く同じメンバーで続いたの何枚ある?っていう感じで。だからこのへイリーのソロ作もですね、現行パラモアメンバーが何人か加わっているってことで、それはもうパラモアの新作ってことでいいんじゃないすか。
だいたいソロでやろうかって時に、自分のバント・メンバーに声かけますかね普通(笑)。ホントこの人たちの人間関係はよくわからん。ま、そういうよくわからん人間関係がパラモア的ってことでしょうか。
肝心の曲の方ですけど、これだいぶイイですね。特にへイリーのボーカル。このアルバムはここが聴きどころじゃないですか。結構いろんなタイプの曲がありましてですね、「Leave It Alone」とか「Roses/Lotus/Violet/Iris」なんかはレディオヘッドみたいな雰囲気ですし、「Creepin’」や続「Sudden Desire」はダークでビリー・アイリッシュみたいな低音ですよ。
と思いきや「Sudden Desire」のコーラスでは「サドゥン、デザァイヤー!!」って待ってましたのいかにもへイリーなシャウトも聴けるしですね、パラモアの前作で見せたカラフルでサビではリリック跳ねてる「Dead Horse」もあるし、マドンナみたいな80’s感たっぷりの曲「Over Yet」もあって、メロウでオルガンな「Why We Ever」もいいですよ、後半の転調もぐっと来ますし。
ただ今までのパラモアと比べると瞬発力というか一気に持っていく感は低いです。僕も最初はピンときませんでした。でもその分じっくりと染み込んでいくというか、やっぱそこはへイリーのボーカルですよ。実に多彩に歌い分けてる。それもわざとらしくなくごく自然にね。
こういう歌い方聴いてるとこの人は伊達にここまで生き残ってきた人じゃないんだなと、なんだかんだ言いながらへイリーは本物だなぁ、流石だなぁと改めて思い知らされます。このアルバムでの彼女の表現力はホント素晴らしいです。
あと曲調というかサウンド・デザイン含めてですね、詞は100%へイリーなんでしょうけど、メロディはどこまで関与しているのか、多分今回で言うとテイラー・ヨークやジョーイ・ハワードがメインなんでしょうけど、全体の雰囲気とか曲全体の響かせ方ですよね、多分方向性についてはへイリーがタクトを握ってると思うんですよ。パラモアの前作『アフター・ラフター』の変わり様もそうでしたけど、じゃあこっちへ行こうっていう判断、その辺は本当に抜群の感を持ってるなと思います。
ここにきてこういうしっかりとしたアルバムを出せたのは大きいと思います。へイリーさん、個人的にはカウンセリングを受けたり結構大変な時期を過ごしたようですけど、パラモアの前作『アフター・ラフター』でああいう方向転換をして、で今回は更に違う雰囲気のこれ。サウンド的にどうこうではなく、へイリー・ウィリアムスとしての、或いはパラモアとしての骨格がよりがっしりと積み上がってきたなという感覚はありますね。
Track list:
1. Simmer
2. Leave It Alone
3. Cinnamon
4. Creepin’
5. Sudden Desire
6. Dead Horse
7. My Friend
8. Over Yet
9. Roses/Lotus/Violet/Iris
10. Why We Ever
11. Pure Love
12. Taken
13. Sugar On The Rim
14. Watch Me While I Bloom
15. Crystal Clear
ポエトリー:
「夜が朝に切り替わる」
実際、あなたの中にある
一途な声
太陽をめがけて
だらしなく弧を描き
ひどく緩慢な朝を迎えに
全体は
夜に裏打ちされし
絶望の壁
催涙ガスを吹いて
夜と通電す
夜面はおもむろに
唸り声を上げ
カスタアド色したあの人の面影
キャンパス一面に塗りたくるようにして
見知らぬ梢から梢
とばりからとばり
無責任に後を託す
夜に動きだす
動きだす列車が
そこかしこにせめぎ合い
蹂躙された新鮮な空気
物乞いをするように
お願いだから止めておくれ
スクロールしている
半永久的に
マグネット的な血の匂いが
半永久的にスクロールして
誰も気にしないまま
夜が朝に切り替わる
2019年5月
ポエトリー:
「昨日を乾かす」
君に手紙を出した
昨日にお世辞を言う
僕は優しいから
喉が痒い
君の汗
真下に落ちてった
当てずっぽうな光を浴びて
見事に育つ針葉樹
12時台
ガラガラの電車に写る人影
着替えは持たぬ
行き先は知れず
砂粒が
眩しくなるからと
ボールペンは太陽と共に走り
よからぬことを語りだす
観音様にお辞儀をし
邪悪なものが通り過ぎていく
家に帰って米3合を
大事に洗う
神聖な行いは
夜への入口
明日が近づき
それでも昨日が追い付かない
姿形は同じでも
似ても似つかぬ声音を
甘ったるく適度に潤して
それでも今日はまだ今日になっていない
ベランダの奥で
針葉樹はすくすく伸びる
今日もまた昨日を乾かす
汚れは目立たぬようにエプロンをして
夜を明かす
2018年10月
ポエトリー:
「ゆで卵の殻が綺麗に剥けたあかつきには」
ゆで卵の殻が綺麗に剥けたあかつきには
君の小窓にコツンと小石を当てて
きめ細かい絹のカーテン
波紋のように広がる
電熱器が暖かくするキッチンの
簡易な丸椅子横に並べて
大切な君の横顔におはようをする、ダンス
している気分で
今日も笑顔をキープして
狭い路地の向こう
仕事場へループする螺旋の
重い荷物を運ぶ舟
舳先は粗末な水飛沫浴び
柄にもなく栄養は二の次
その日の最高気温を記録する昼過ぎには
太陽の熱に柔らかくやられて
願わくば二階の小窓に写る
君の横顔を想いながら
僕の気分はより一層
一足も二足も先にハネムーンから帰った日の朝食
ゆで卵の殻を剥いても薄皮みたいにめくれない夢が頭の中の
キッチンの電熱器の上でグシャっとなる
2019年4月
その他雑感:
エンターテイメントとは何なのか
僕はフィクションに如何にリアリティーをもたらすかがエンターテイメントだと思っています。事実だけを知りたければニュースを見ればいいし、専門的な学術書を読めばいい。でも僕たちがエンターテイメントに期待するものはそうじゃないですよね。言葉では説明できない心に響く何かを求めているはずです。
例えば。このブログでも度々記事を書いている佐野元春さん。僕は十代の最後に彼の音楽に出会って、音楽がただの音楽ではなくなったんですね。でも佐野さんの音楽は僕の日常とはリンクしていなかった。当時夢中になって聴いていた『No Damage』や『Someday』というアルバムで描かれる80年代の東京という都市生活者の風景というのは90年代の南大阪の田舎に住む僕の生活とはかけ離れたものでした。それでも僕にはまるでこれは僕の歌だと思うぐらいのリアリティーがあった。それは何故か。簡単に言うとそこには僕の想像力を喚起するフィクションがあったからだと思うんです。リアリティーはなにも実際に起きたこととは限らない。僕はそう思います。
でもフィクションにリアリティーをもたらすことは非常に難しいことです。エンターテイメントというのは作り物です。その作り物にどれだけリアリティーをぶち込めるか。言ってみればそこが作者の腕の見せ所。そこにはそれぞれの経験や築き上げた技術、もちろんセンス等々、一朝一夕にはいかない固有のアプローチがあるのだと思います。
けれど場合によってはその過程をすっ飛ばすことが可能かもしれない。工期を短縮することが可能かもしれない。コスト、労力を考えると省けるものなら省きたいという気持ちも分からなくもない。しかしそれはエンターテイメントという大いなる作り物という視点からは少し逸脱するものであるような気がします。
過程は作り手の魂でもあるわけです。従ってそこをすっ飛ばして得た即席のリアリティーが人の心を揺さぶることができたとしても、それは非常に脆い、いささか無理のあるリアリティーではないか。テラスハウスに限らず今はそうした即席のエンターテイメントが溢れているような気がします。
けれども即席のエンターテイメント=悪しきものではないですよね。例えばジャンクフード、ファストファッション、Youtube等々。もう僕たちの生活や価値観に組み込まれたものです。誤解のないように言いますが、僕は即席のエンターテイメントも好きだし、むしろそうしたもので育ってきたと思っています。
ただ大事なことはジャンクフードはドレスコードが求められるレストランとは違うという認識です。ジャンクフードには昨日入った初心者でも十年勤めたベテランでも同じ品質のものを提供できるという利点を持っていますが、料理の世界で何年も修行をした職人が作る料理とは異なりますよね。いちいち考えないけど僕たちはちゃんと分けて考えている。理解している。
そこのところを履き違えなければ何の問題もないということ。しかし中にはドレスコードを装う即席のエンターテイメントがある。逆に僕たちの側が即席のエンターテイメントにドレスコードを求めてしまう場合がある。そこの勘違いしないように僕たちはちゃんと見極めなければならない。そういうことだと思います。
今回のコロナ禍で分かったようにエンターテイメントは僕たちにとって無くてはならない大切なものです。だからこそエンターテイメントとは何なのか、創作におけるリアリティーとは何なのかということを作り手も受け取る側も今一度よく考える必要があるのかもしれません。