The Man Without Qualities/The Royal Concept 感想レビュー

洋楽レビュー:

『The Man Without Qualities』(2019)The Royal Concept
(ザ・マン・ウィザウト・クウォリティーズ/ザ・ロイヤル・コンセプト)

 

5年ぶりだそうで。あの鮮烈なデビュー作からもうそんなに経ったのかと。当時はラジオでかかりまくるわ、USJのCMソングとしてテレビでかかりまくるわでエライ勢いでしたが、その後は音沙汰なし。途中、EP盤が出ましたがそれもパッとせず、やっぱあれは初期衝動、もうエンジン尽きちゃったのかなと。まぁでもそれも良し、それぐらいあのアルバムは鮮烈でしたから、中にはそういうバンドもいるのですと、もうそういうもんとして認識していたのですが、出ましたよ遂に2ndアルバムが。アルバムっつっても8曲入りでフィジカル盤は無しというなんとも微妙な感じですがそれでもいーんです。The Royal Concept の新譜が出たってことで取りあえず喜んでおきましょう(笑)。

肝心の中身の方ですがいいですよこれは。あぁ、1stと比べて云々かんぬんと言う人がいるかもしれませんが、野暮な話はやめましょう(笑)。あれはあれ、青春の為せるわざですから、そういう幻影に惑わされなければこのアルバムもかなりいい!

ゆったりとした「Wake Up」で始まるのもいいですね。新しいThe Royal Concept で行くんだという決意表明のようなおおらかなサウンド。でそれを受けて始まる表題曲「The Man Without Qualities」が効いてます。曲の後半で別の展開を見せる表情もよし。なんじゃこれ、というぐらいもっともっと思いっ切りやってもらってもいいぐらいです。

そして表題曲で新たな側面を見せた後の「Wild Thing」。皆が期待する踊れるThe Royal Concept です。こーいうのやるとやっぱハマりますな。サビの後に来る「わ~ぃ、しんぐ」のコーラスがしびれます。最後のコーラスではゲストでしょうか、R&Bなボーカル・ソロも入って、ピアノも畳み掛けてくる、ギター・ソロも絡んでくる、ここでグッと気持ちがアガルこと請け合いです。

続く「Need To Know」はメロウなラブ・ソングです。大人ですな。こういう雰囲気は1stでは出せなかったであろうと。次の「Why Why Not」もそうですね。ちゃんと陰がある。この辺り、確実に成長の跡が窺えます。

6曲目の「Kick It」で再びスピード・ナンバー。完全に初期アークティック・モンキーズやね(笑)。でもこの手のスピード・ナンバーってなかなか出来ないもんです。単純にカッコイイ。そういう曲が一番難しい。彼らにはそれをサラッとやってのける地力があるってことです。

次の曲「Silver Lining」。これは完全にPhoenixです。Phoenixの新曲と言っても差し支えありません(笑)。もうね、なんなんでしょ、声そっくりです。メロディ・ラインも優雅でロマンティック。サウンドをちょこちょとっといじれば完全にPhoenixです。でもね、この曲がいいんですよ。ちゃんと憂いがあるっていうか、起承転結があってホントよくできた曲ですよ。このアルバムでは一番好きですね。

最後の曲は「Up All Night」。EDMみたいなタイトルですがこれも落ち着いた曲です。踊ってる側ではなくその余韻、若しくは外側にいる人間の歌。1stとは立ち位置が明らかに違うっていうのがこの曲ではっきりと分かりますね。

全8曲。久々の割に曲数は少ないですが、彼ららしさと新しい側面が混ぜ合わさっていいアルバムだと思います。確かにサウンド的にはまだまだ物足りないし、バンドとしての力量も抜群だとは言えないですが、そこは経験を積むなり何なりしてこれから幾らでも補えるところ。それよりも大事なのはソングライティング。やっぱこの人達は曲ですよ。圧倒的にクリアで分かり易いメロディ、それにあの甘い声。人がうらやむこの二つがある訳ですからこれからも安心なんじゃないでしょうか。

でまぁ久しぶりなんで来日すんのかな~って調べたら、既にこの9月に来日しとるやないかい!しまった、全然知らなんだ…。

 

Tracklist:
1. Wake Up
2. The Man Without Qualities
3. Wild Things
4. Need To Know
5. Why Why Not
6. Kick It
7. Silver Lining
8. Up All Night

U.F.O.F./Big Thief 感想レビュー

洋楽レビュー:

『U.F.O.F.』(2019)Big Thief
(U.F.O.F/ビッグ・シーフ)

 

海外詩を読むのが好きなので、時々思い出したように手に取るのだが、思い出したように手に取ったところで、分からないものが分かるようになるわけでもない。相変わらずあの独特な表現は理解し難いのだが、その理解し難さこそが海外詩の魅力でもあるので、性懲りも無く忘れた頃にまた手を伸ばすということを繰り返している。ということで、文学的に言えば私はMかもしれない。

なんでそういう話をしたかというと、Big Thief のアルバムを今回初めて聴いたのだが、印象としては全く海外の詩集を読んだ時の感覚に非常に近しいもので、何だかよく分からないけど分からない故の魅力というか、加えてタイトルのU.F.Oの如く地に足の着かなさ、ふわふわとした所在なさ、そうしたものが何度聴いても拭えない。が、それがいい。これは怖いもの見たさだろうか。

U.F.O.Fというのはソングライターでありフロントウーマンのエイドリアン・レンカーがこさえた造語らしい。U.F.O.Friends という意味だそうだ。要するに未知なる友達。見知らぬ誰かとの出会い、またそれは自分の中にあるもう一人の自分でもあるとの意味も込められているらしいが、果たしてそうか。私にはこのアルバムは強烈な性愛への希求、心の中に激しく燃え盛る情愛の叫びにしか聴こえない。

その前に。このところほぼ毎日このアルバムを聴いているが、聴き方としてはどうやら4曲ごとに3つのパートに分けて聴くのがよいことに気が付いた。4曲でちゃんと起承転結がついているからだ。

先ず冒頭から4曲目までは自己紹介の意味もある。1曲目「Contact」の金切声で既にヤバい感じはあるが、まだ平静を保っていて、客観的な視点が保ている気はする。その結となる4曲目、「From」では「誰も私の男になれない」「誰も私の女になれない」と歌うが実のところは「私は誰の男にも誰の女にもなれない」という自己拒絶。ここでこの人物像が揺るぎなく明確に立ち上がってくる。

次のパート、5曲目から8曲目はそうした自分がなんとか実人生を歩む様が捉えられている。「From」で一瞬我を失いかけた自我が「Open Desert」では落ち着きを取り戻している(ちなみにこの曲のメロディはとても美しい)。このパートの4曲は弾き語りがあったりジャズっぽかったりウィルコばりのユーモアを忍ばせたりと曲想も豊か。しかし詩の内容を追っていくと、「Orange」では「lies,lies,lies / lies in her eyes」と言う癖に次の「Century」では「we have same power」と歌っており、他者との距離感、接近しては離れる揺れ動き、曲想がそうであるように心が大きく揺れ動く様が描かれている。

そして最後、情念が渦巻くのは9曲目から。「Betsy」では心が完全に特定の人に持って行かれる様を追い、「Terminal Paradise」は愛の告白だ。圧巻は「Jenni」。「Jenni in my bedroom」と繰り返すサウンドはシューゲイズ故に尚の事その情念が立ち上がる。「Jenni in my bedroom」と心の中で繰り返し続ける主人公。これは怖い話か何かか。とか言いつつ、これは誰にもある普遍的な情念でもある。そして最終曲、「Magic Dealer」で何事も無かったように終わる。

なんでもなく見える人でも心の中は色々と渦巻いているもの。私だって心の中なんて人に言えたものじゃない。そういうアルバムではないだろうか。それにしても、1曲目の「Contact」の最後に繰り返される金切声は怖い。

 

Tracklist:
1. Contact
2. UFOF
3. Cattails
4. From
5. Open Desert
6. Orange
7. Century
8. Strange
9. Betsy
10. Terminal Paradise
11. Jenni
12. Magic Dealer

和泉の国 ジャズストリート 2019年 感想

アート・シーン:

和泉の国 ジャズストリート 2019年 感想

 

今年も大阪府和泉市で「和泉の国ジャズストリート」が開催されました。毎年9月の秋分の日付近の土日を利用しての2日間ですね、泉北高速鉄道の始発駅である和泉中央駅周辺の広場、なかにはトヨタさんやホンダさんの敷地を利用して街を上げての一大イベントが行われます。

私は和泉市に数年前に越してきまして、しかも和泉中央駅なら自転車でスイスイーっと行ける距離なので、毎年生活の合間を縫ってフラフラッと覗いております。

てことでチラ見ですから感想という程のものでもないのですが、今年はスゴイ人たちを発見したもので、もう黙っていられないというか、その感動を忘れないうちにここへ記しておこうと思います。

このイベントはJAZZ STREET っていうぐらいですから、基本はジャズ。それも本格的なビッグ・バンドから少人数のシンプルな編成まで多種多様のバンドが登場するのてすが、今回私が驚いたのは3人編成によるバンド、その名も jamです。

中心人物はすーじー(鈴木潤)さんという年配の男性。メインは口笛なんです。それもちょっとこの方、世界口笛選手権のチャンピオンじゃないのっていうぐらいの口笛スキルをお持ちの方で、でスゴイのは口笛だけじゃなくスキャットというか、それもダミ声スキャットでリズムを転がしたりもするのです。

更にスゴイのは楽器。私は音楽は聴く一方なので詳しい楽器の名前は分からないのですが、すーじーさんは木箱みたいなのに座りまして、股関の木箱をジャズのドラムスティックであるブラシでザクザク叩く訳です。で足元にはなにやらペダルが幾つかありましてそれを使いこなす、更にはトライアングルやウィンドチャイム(バラバラの鉄琴が縦にぶら下がったやつです)、最高に面白いのはヒヨコの鳴き声が出るオモチャの空気笛とか、ポッポーッていう機関車の汽笛笛、あとパフッパフッっていう豆腐屋の警笛ですかね、そういうのを手の届くところにセットし自在に操りながら口笛吹いたりスキャット決めたりするんです。

あと両サイドにいらっしゃるお二人も素晴らしくって、すーじーさんのサポートに徹してるんですけど、向かって右側に立ってらっしゃる まんさん さんはブルースハープとかマンドリンとかコミカルな曲ではカズーですかね、色んな楽器を取っ替え引っ替え、控え目に、コミカルであるけれどもそこにちゃんとある情緒を奏でるんです。

左側にはキーボード奏者のmaruchanさん。この方がまたプロフェッショナルな演奏でバンドを落ち着かせるというか的確なんですね。女性らしい滑らかな音で、誰しも心の内にある一方の静けさを保つのです。だからこの3人の組み合わせはホントに素晴らしかったです。

こういうフェスではプロの方もいらっしゃるのですが所謂週末ミュージシャンもいて、中には妙に場馴れした方もいらっしゃるんですね。そうすると、ま、ここは関西ですから妙に笑わそうとする人たちもいる、ま、素人バンドあるあるなんですが(笑)、その点jamさんは面白くコミカルな表現も沢山あるのですが、真剣に取り組んでいる、故意に笑わそうとしていないんですね。コミカルな表現はあくまでも演奏の中の話。面白いことを真面目に取り組んでいる。こういうスタイルが私、やっぱり好きなんです。

演奏終わりにフライヤーを頂きまして、そこにはjamさんの今後の演奏予定やブログのアドレスなどが載っていました。また機会を設けて是非観に行きたいなと思っています。

jamさんブログ… http://jamkuchibue.blog.fc2.com/

当日も直接気持ちを伝えたのですが、ここで改めて。Jamの皆さん、楽しく心に響く演奏をありがとうございました!!

The Circle/佐野元春 感想レビュー

 

『The Circle』 (1994) 佐野元春

 

冒頭の『欲望』は長田進の低く唸るディストーションギターで幕が上がる。「物憂げな顔したこの街の夜/天使達が夢を見てる/コスモスの花束を抱えて/君に話しかける」という詩で始まるこの曲を、佐野は放り投げるようにして歌う。網膜に映る鮮烈なイメージをただひたすら追い続けるかのようなこの曲はまるで白中夢。言葉にならない感情がそれでも言葉になろうと蠢いている。

冒頭の『欲望』が夜明けなら、「朝 目が覚めて」で始まる2曲目の『トゥモロウ』は休日の朝の風景。「It’s getting better now」と歌うこの曲には,混迷の時代を陽気に切り抜けようとする楽観性が見えてくる。この曲の見せ場はその「It’s getting better now」で始まるブリッジの部分。ここで佐野は「作り話はいらない/ただ素早く叩け/速やかに動け」と激しくシャウトする。本アルバムのハイライトのひとつだ。

続く『レイン・ガール』は佐野のキャリアの中でも屈指のポップ・チューン。くぐもったトーンのアルバムにあって、タイトルとは裏腹に太陽のように明るい曲だ。この曲の見せ場もブリッジ。「楽しい時にはいつも君がそばにいてくれる/悲しい時にはいつも君の口付けに舞い上がる」。このロマンティックなセリフを佐野は高らかに歌い上げる。

続く『ウィークリー・ニュース』はプロテスト・ソング。過去の楽曲で言うと『Shame』に連なる曲だ。とはいえ、特定の誰かを糾弾するものではない。矛先は「好きなだけ悲しげなふりして/うまく立ち回るのはどんな気がする」僕たち自身に向けられる。無論、佐野自身にも。

本アルバムにはその名も『ザ・サークル』という表題曲があるが、実質このアルバムの中核をなすのは5曲目の『君を連れて行く』だろう。そしてまた、この曲はこの時の佐野のソングライティングの一つの到達点と言える。

「無垢の円環」という概念に着目した佐野が示した「再生」の歌。幾つかの終わりを経験した年を重ねた男女の物語。曲も素晴らしいが、このアルバムで最後となるザ・ハートランドの演奏が本当に素晴らしい。ゲストのハモンド・オルガン・プレイヤーであるジョージィ・フェイムと共に、ザ・ハートランドの数ある楽曲の中でも屈指の名演に挙げられるのではないだろうか。

続く5曲目は少し感傷的になった気持ちを目覚めさせるようなホーン・セクションで始まる『新しいシャツ』。それまでの価値観が崩壊しつつあった90年代前半、「ウェヘヘイ」と笑い飛ばし、「新しいシャツを見つけに行く」と歌う姿は、まさにノー・ダメージ。重いテーマを陽気に歌う佐野の真骨頂である。

次曲の『彼女の隣人』ではどちらかと言うと歌詞にそぐわない「ありったけ」というフレーズが繰り返される。「ありったけのrain/ありったけのpain/ありったけのlove/君と抱きしめてゆく」。ロックンロール音楽は英語圏で生まれたものではあるが、日本語ならではの語感もまたいい。

8曲目は表題曲の『ザ・サークル』。「今までの自由はもうないのさ/本当の真実ももうないのさ」という、ショッキングな歌詞で始まるこの曲は、延々「今までのようには~しない」という否定の言葉が続く。ひたすら自己否定を繰り返した挙句、「少しだけやり方を変えてみるのさ」、「今までのように」と続く。まるで禅問答のように。そして特筆すべきは間奏での佐野のシャウト。本人も当時のインタビューで語っていたが、『アンジェリーナ』の頃とはひと味もふた味も違う、実に滋味深いシャウトである。

本作はハモンド・オルガン・プレーヤーのジョージィ・フェイムを招いている。9曲目の『エンジェル』はそのジョージィ・フェイムのために書いたようなバラード。シンプルな歌詞をレゲエのリズムに乗せ、「今夜は君の天使になるよ」とだけ囁くように歌う。中盤のジョージィ・フェイムのソロ・パートは至福の時間である。ラストの佐野とジョージィ・フェイムの掛け合いも実に楽しそう。

このアルバムの最後を締めるのは『君がいなければ』。佐野には珍しいオーソドックスなラブ・ソング。他の曲の個性が際立っているせいか地味な印象を受けるが、後にカバー・アルバムにも収められた重要な曲。ある男の告白といったところか。言葉に出しては言えないが、歌にしてなら言える。けれど本当に伝えるべきことはあるのだろうか。

本アルバムの根底にあるのは、この時期の佐野が発見した「サークル・オブ・イノセンス~無垢の円環~」という概念である。イノセンスというのは消えたり無くなったりするのではなく、それを失いかけた時、新たなイノセンスが立ち現れるというもの。

ロックンロール音楽というのは子供のための音楽である。「生きるってどういうこと?」、「人を好きになるってどういうこと?」という十代の心の迷いや葛藤こそがロックンロール音楽の根幹をなすものと考えられてきたし、もっと極端に言えば、ロックンロールは十代の多感な男の子の為の音楽であった。

かつて「つまらない大人にはなりたくない」と歌った佐野も大人になり、そして僕たちもいつまでも「つまらない大人にはなりたくない」では済まされない年齢になった。「本当の真実が見つかるまで」と歌った佐野はついには「家へ帰ろう」とさえ歌うようになる。誰しも年を取る。老いや成熟といったロックンロール音楽とは相反する立場にありながら、しかし音楽家は或いは僕たちは未だにロックンロール音楽を欲して止まない。

ロックンロール音楽は未開の領域へ踏み出した。例えば、スプリングスティーンは70歳を迎えてもなお、希望や成長についての歌を歌い続けている。幾つかの絶望や喜びを経験した先の希望の歌を。それは無垢の円環とは言えないだろうか。

「家へ帰ろう」と歌った佐野も成熟と成長という相反するテーマに向かい始める。前作の『スィート16』(1992年)アルバムで瑞々しさを取り戻した佐野は陽気に軽やかに再び無垢について歌い始めた。そして無垢の円環についてより深くアプローチしていく。少しも零れ落ちることのないような丁寧さで。それがこの『ザ・サークル』アルバムだ。そしてザ・ハートランドとの最後の作品となったこのアルバムで、佐野はデビュー以来ずっと続いてきたひとつの道程に終止符を打つ。

 

Tracklist:
1. 欲望
2. トゥモロウ
3. レイン・ガール
4. ウィークリー・ニュース
5. 君を連れてゆく
6. 新しいシャツ
7. 彼女の隣人
8. ザ・サークル
9. エンジェル
10.君がいなければ

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第34回「226」 感想

TVprogram:

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第34回「226」 感想

 

ま、タイトルからして「226」ですから、不穏な空気で物語は進行します。時代が時代なので、この辺りの世情は描かずにはいられないですよね。ここをさらっと流さず国民にとってもどれだけ大きなインパクトを与えたか、人々の生活目線も交えながらの展開は観る方にも重たい空気を与えました。しかもそこへIOC会長のラトゥールが来日してくる。さぁ、どうする?田畑政治!!

一次は弱気になったまーちゃんですが嘉納治五郎の「やるんだよ!」の一声で吹っ切れます。図らずもラトゥールの東京案内を仰せつかったまーちゃんですが、道案内はなんと清さん!戒厳令が布かれた東京にはあちこちで道が封鎖され軍人が立っている。こりゃ抜け道に精通した者が必要だなと。そこで白羽の矢が立ったのが清さんでした。てことで小梅も登場!

いや~、やっぱこの二人は素敵ですな。画面が一気に華やぎます。孝ちゃんこと、この時は金原亭馬生って名になってますが、久しぶりの清さんと孝ちゃんの邂逅もあったりで、この回は不穏な空気で始まりましたが、第一部の登場人物たちがその空気感を見事にポジティブなものに変えていく。そーですよね、第一部の登場人物はみんな明るかった。久しぶりの大活躍の嘉納治五郎もしかり、第34話はそうした前向きな第一部の登場人物に支えられて切り開いていった回でもありました。

その極めつけは金栗四三の義母、池部幾江です。熊本に帰ったものの無気力な日々を過ごすいだてんこと金栗四三。そんな四三の元に治五郎先生から東京オリンピック招致に力を貸してほしいとの手紙が届きます。居ても立ってもいられなくなった四三は家族団らんの中、幾江に東京行きを嘆願します。

四三の変化に気付いていた幾江は意外にもあっさりと了承。ここで緊張の糸がほぐれたか四三は「俺なんかおらんくても寂しくなかでしょ」みたいなセリフを何気に呟く。しかしここで幾江はその言葉を逃さず堰を切ったように感情を爆発させる。
「寂しくないことなんかあるか!走ってばかりの息子でも4年もおらんだら寂しいわ!それが親じゃ!アホか!実の息子に先立たれたんじゃ!実の親を亡くしたお前も覚悟を決めて親子にならんか!!」

この回は226事件に始まり、ラトゥールの来日、そして清さん登場、治五郎大活躍、復興オリンピックの時のような子供たちの運動する姿。つらい世情になんとか堪える形で第一部の登場人物達のポジティブさが光を放ちました。このところ何だかなぁといった感じの四三も幾江の言葉に我を忘れて泣きじゃくる、幾江にしがみつく、その必死さのおかしみ。そうそう四三はこういう人であったと。

それにしても圧巻は幾江を演じる大竹しのぶさんでしたね。今回も行ったり来たり浮き沈みの激しい回でしたが、最後にすべてを持っていきました。四三のように観てるこっちも呆気にとられ、その後ぐわっと感極まる。演技してるとかそんなんじゃなく生々しく伝わってきました。それをユーモアで返す四三こと中村勘九郎さんも凄い。

ラトゥールにありったけの誠意を見せ、後は若者に任せたと言って去っていく嘉納治五郎。治五郎の雄姿もこれで見納めか。ってこの人に限ってそれはないですね(笑)。予告編ではあのシマちゃんの声も!
来週も楽しみだ!

漂泊者/W.H.オーデン

詩について:

漂泊者/W.H.オーデン

 

W.H.オーデン(1907年2月21日 – 1973年9月29日)。20世紀最大の詩人の一人と言われている巨人です。イギリス出身ですが、後にアメリカへ移住。時代が時代ですから戦争の影響が色濃く出ている詩が数多くあります。愛にまつわる詩も沢山ありますが、オーデンさんは同性愛者でありましたから、ヘテロセクシャルとはまた違う表現になっているところがとても魅力的です。

僕は海外の詩を読むのも好きです。が、はっきり言ってほとんど理解できていないです。海外の詩は宗教が絡んだりもしますし、それになんと言ってももともと詩は詩人が雲を掴むようにして編んだ言葉ですから、それが翻訳されるとなると尚の事理解し難い表現になる。ただそういう理解し難さが詩の魅力でもありますから、僕みたいなお調子者はその魅力に誘われてついつい海外詩へ手を伸ばしてしまうんですね。で結局ほとんど理解できない。僕の場合はそんなことの繰り返しです(笑)。

その点、オーデンさんは21世紀の日本人が読んでも割と馴染めるというか、こちらに引き寄せて読めるというか。無人島に本を持っていくなら間違いなく候補に上がるような、鞄の中にいつも忍ばせたい。僕にとってはそんな詩人です。

 

W.H.オーデンの詩「漂泊者」The Wanderer(壺齋散人訳)

運命は暗く どんな海の底よりも深い
運命に見舞われた人間は
春のさなかに 花々が咲き乱れ
なだれが崩れ 岩肌の雪がはがれるとき
自分の故郷を後にせねばならぬ

どんな手もあいつを抱きかかえることはできず 
またどんな女たちの制止もあいつをとめることはできぬ
あいつは番人たちの間をすり抜け 森を横切り
異邦人となって 乾くことのない海を渡り
息詰まる海底の漁礁を通り過ぎていく
かと思えば 湧き水のほとりに横になって
ぶつぶつと言葉を吐いたりもする
岩の上にとまった おしゃべりな小鳥のように

疲労した夕方 頭を前方に垂れたまま
夢見るのは故郷のこと
妻が窓から手を振って 喜び迎えてくれるや
一枚のシーツに包まって抱き合う夢だ
だが目覚めながら見るものといえば
名も知らぬ鳥の群れか
浮気をする男たちがドア越しにたてる音だ

あいつを敵の虜にするな
虎の一撃から救ってやれ
あいつの家を護ってやれ
日々が過ぎていく不安な家を
雷から護ってやれ
しみのようにじりじり広がる崩壊から護ってやれ
あいまいな数を確かな数に変え
喜びをもたらしてやれ
帰る日が近づくその喜びをもたらしてやれ

 

この詩はその名のとおり漂泊者を詠んだ詩です。が実際の漂泊とは限りません。心の漂流という見方も出来るんじゃないでしょうか。

人はある年齢になると旅に出ます。実際に家を出る人もいるでしょうが、そうじゃなくても心の旅を始める。旅というのは行き先が決まってますから、この場合はやはり漂泊と言った方が適切でしょうか。親の保護下から離れ、自分なりの価値観の揺らぎに目覚める。その問いへの旅は誰にも止めることは出来ない。思春期はその一つの例かもしれません。

ある人はいつしか大人になり、特別な出会いを経て家庭を持つ。自分なりのホームを見つけるんですね。そこで一区切り付けばいいのですが、やがて恐らく、また新しい問いが心に芽生え、心の漂流が始まるなんてことも。

ここが嫌だという訳ではなく、ここではない何処かに本当の居場所があるのではないか。そんな風に思うのもまた人の心のありよう。ま、この詩は心の漂流ではなく、実際に家を飛び出しちゃった人の話ですが(笑)。

いつの日か帰る日はあるのだろうか。この詩は漂流を鼓舞する力強さ、或いは漂泊の所在なさだけでなく、そういう希望も含まれている。そんな詩だと思います。

頭痛

ポエトリー:

『頭痛』

 

どんどんと過ぎて行く風景を背に僕の頭は痛い

僕の中心は眼鏡掛けが乗っかる鼻梁

そこを中心に思考は広がる風景は伸びていく

新幹線の鼻先のように風景は左右に広がり

その少し上 額の辺りから中に向かって

伸びていかないものが少しずつ入り込むから

どんどんと過ぎて行く風景を背に僕の頭は少しずつ痛い

 

 

2018年1月

Western Stars/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Western Stars』(2019)Bruce Springsteen
(ウェスタン・スターズ/ブルース・スプリングスティーン)

 

13のちょっとした、けれども大切な物語の中で僕が最も心を奪われたのは最後に収められた「Moonlight Motel」だ。主人公はかつて恋人と過ごした古びたモーテルを一人で訪れる。その愛すべき人はもういない。すれ違いによるものなのか、或いは永遠の別れがあったのか。いずれにせよもう若くない男は昔よく停めた駐車場の同じ場所に車を停め、自分自身に、愛した人に、そしてこの場所そのものに祝杯を上げる。

こう書くとなんかチープなストーリーだが、これがブルースの情景描写とスティール・ギターに奏でられた優しいメロディにより何とも言えない風景が目の前に立ち上がる。まるで自分がかつて経験したかのように切ない気持ちが蜃気楼のような立ち現われるのだ。

この曲は時系列が複雑で訳すのが難しかったとの訳者の弁がライナーノーツには記されている。前半の昔の出来事は現在形で、後半の今現在は過去形で書かれているそうだ。こういう書き方をすることによってかえってリアリティは立ち上がるのかもしれない。あまり語られないがブルースの音楽表現の確かさを見て取ることが出来る。

音楽表現と言えばライミングも見事で、内容もさることながらライムやアクセントの強弱でリリック自体にリズムを持たせているところは流石。個人的には「The Wayfarer」での言葉の転がり方が好きだ。

「The Wayfarer」は曲構成も素晴らしく、ブルースの真骨頂であるウォール・オブ・サウンドな曲で、時折聴こえてくるビブラフォンも効果的だ。最後のコーラス部分でいかにもダニー・フェデリーシなEストリート・バンド的オルガンの音色が聞こえてくるのが嬉しい。このアルバムはEストリート・バンドによるものではないが、ライナーノーツによると初代Eストリート・バンドのキーボーディスト、デイヴィッド・サンシャスが参加しているらしいので、そういうことなのかもしれない。ついでに言うと「The Wayfarer」の次に収められた「Tucson Train」にはいかにもロイ・ビタンなピアノのフレーズも出てくる。

ブルースの言によるとこのアルバムは「宝石箱のようなサウンド」だそうで、60年代~70年代の良質なポップ・ミュージックにオマージュを捧げたものになっているらしい。僕にはどのあたりがそうなのかよく分からないが、大掛かりなストリングスとホーン・セクションを配したサウンドは、ブルースの横に広がるソングライティングに奥行きを与え、情景をより立体的なものにしているが、何より手を添える感じのさりげなさがよい。陰影の濃いリリックと対照的なポップなサウンド。これもブルースが意図してのことだろう。

ブルース・スプリングスティーンは世間的には世界へ向けて力強いメッセージを歌うマッチョな人というイメージかもしれないが、実際はその真逆で名も無い人々の暮らしを綴るストーリー・テラーというのが本当のところ。僕にとっても初期のころからずっと変わらないブルースの大きな魅力のひとつだ。

ブルース自身もどれだけ巨大になろうと自分は1949年生まれの労働者階級の端くれで、自分もいつどうなるか分からないという漠とした不安を抱えたどこにでもいる一人の男という認識を持ち続けているようにも思う。

その年配の白人労働者階級というとトランプ大統領の支持層ということになるのだが、当然ブルースはトランプの支持者ではない。ブルースはただ自分とよく似た人々の生活を描いただけで、自分がたまたま白人労働者階級の出だったというだけだ。つまりブルースはそこを分け隔てていないのだ。

今トランプを糾弾するのは容易いかもしれない。ブルースにそれを期待する人も大勢いるかと思う。しかしブルースは一人のアメリカ人としての視点で言葉を紡いでいるだけだ。そこに他意はないと思う。

我々は何処から来て何処へ向かうのか。多くの人と同じく一人の孤独な男として、トランプ支持者であろうがなかろうが、白人であろうが黒人であろうが、若者であろうが年寄りであろうが、移民であろうがなかろうが、お前はそうだお前は違うではなく、一人一人にゆっくりと語りかけている。

このアルバムは僕の心を打ってやまない。それは他ならぬ僕たち自身も漠とした不安を抱える孤独な人間だから。いくら巨大になろうと、ブルースが僕たちから離れていかないのはブルースも同じだからなのかもしれない。

 

Tracklist:
1. Hitch Hikin’
2. The Wayfarer
3. Tucson Train
4. Western Stars
5. Sleepy Joe’s Café
6. Drive Fast (The Stuntman)
7. Chasin’ Wild Horses
8. Sundown
9. Somewhere North of Nashville
10. Stones
11. There Goes My Miracle
12. Hello Sunshine
13. Moonlight Motel