その他雑感:
「改元を機に」
年齢を数える時に昭和64年が平成元年で、平成31年が令和元年だから、オレは今何歳だなんていう数え方は誰もしないだろう。
てことは織田信長は「ワシは天文3年の生まれだぎゃ。天文は23年までで翌年は弘治になって、弘治は3年まででその次は永禄で、永禄12年の翌年が元亀元年で今年は元亀3年。てことは今ワシは39歳だがや」なんて数え方はしなかったはず。話が急に戦国時代に飛びましたが。
今我々が桶狭間の戦いの時の信長は27歳で、本能寺の変の時は49歳だったというのを知るのは恐らく信長の側近とか祐筆とかがしっかり書き留めていたからで、当の本人は自分の歳を正確に把握していたかどうか。出自が農民の秀吉の年齢が曖昧なのはもっともな話だ。
何が言いたいかって、昔の人は自分の歳に無頓着だったんじゃないのって話です。昔の日本人は西暦なんて知らなかった訳だから元号で数えなきゃならない。でも昔はころころと元号が変わったもんだから、いちいち天文何年だから何歳だとか数えてられないだろうし、ていうか庶民はそんなこと知らない。てことは自分の年齢は去年は幾つだったから今年は幾つだろうなぐらいの積み上げ式の数え方しか出来なかったんじゃないだろうか。
そうすっと自分の正確な年齢もそのうち分からなくなって、要するに「そういや近所の平蔵が今年40っつってたな、じゃあオレも今年は40か?」ぐらいのテキトーな認識だったんじゃないだろうか。
現代に生きる我々は同い歳のあいつはあーなのに自分はどーしてこんななんだとか、何歳だからこうしていなくちゃならないとか、わりと年相応ってことを気にしがちなんだけど、この際昔にならってその辺はなんとなくでいいんじゃないでしょうか。
元号っていうのはそういう年齢に曖昧さをもたらす効用があったのかもしれず、ならばそれに素直に従って行きましょうと。改元を機に年齢なんて大体でいいんじゃないかと思った次第です。これからは昔の人にならって「そういやオレは幾つだったっけ?」ぐらいの大らかさで行きましょうか。
昭和・平成・令和と三つ目ですな。この調子なら四つ目も行けるかも。約30年すると70代ですが。
おっしゃる通り何歳なんて微妙なもんです。子どもを見て「ぼく
はいくつ?」と聞くことはあっても、How old are you? なんて(教科書英語の権化かな(30年くらい前の))人の年齢 聞きませんよね。
今回なんか正月が2回来たみたいだから二つくらい年を加えてもいいかもし令和。
そやね、二つぐらいどうってことないね。