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Eテレ「落語ディーパー~風呂敷~」 2019.3.25放送 感想
珍しく2夜連続の「落語ディーパー」。昭和の大名人、古今亭志ん生の特集だそうです。ゲストに志ん生の孫弟子にあたる古今亭菊之丞を迎え、志ん生のエピソードを交えながらその魅力を語り合います。
1夜目の噺は「風呂敷」。あらすじを簡単に言うとこんな感じです。熊五郎が用事があるってんで出掛けるも、どうやら帰りは遅くなるらしい。女房のお崎がのんびりしていると、そこへ若い衆の新さんが熊五郎を訪ねてくる。あいにく熊五郎は居ないが、お崎も暇だし雨も降って来たんで、新さんお茶でも飲んでったらと新さんを家に上げるが、思いのほか熊五郎が早くに帰ってくる。別に平気な顔してお茶でも飲んでりゃいいんだが、この熊五郎がどうしようもないやきもち焼きとくる。しかも‘へべのれけ’に酔ってるとあっちゃあらぬ疑いを掛けられては大変。お崎は新さんを押し入れに隠して、さあどうしよう、近くの兄(あに)さんの元へ相談に行くのだが…。とまぁそんなお噺です。
流石NHKですね。「風呂敷」演じる志ん生の映像があるんです。これがやっぱり面白い、確かに東出昌大が言うように映像は白黒だし音声も明確じゃないから、古い資料映像のようで知らない人からするとつまらないものかもしれないけど、志ん生を知った身とあっちゃ動く志ん生がなんとも愛おしいのです。
やっぱしね、お崎さんにしても魅力的なんですよ。全然いやらしくないし、可愛げがある。頼りになるのかならねえのかよく分からない兄(あに)さんだっていい塩梅で、志ん生が演じると登場人物がホントに愛らしい。これはもうホントに誰にも真似できないですね。
で熊五郎は泥酔してる。これをまぁグデングデンに酔ってるだのヘベレケに酔ってるだの色んな言い回しがありますが、志ん生は「へべのれけ」と言う。これですよ、この言語感覚。「へべのれけ」と言うことで印象がぐっと近くなる。それでいてあの志ん生の語り口ですから、何とも言えない味わいがそこに生まれるんです。
番組出演者によると「風呂敷」は非常に難しい噺だそうです。だから、菊之丞は持っていないし、一之輔も一度高座にかけたことはあるけどそれっきりだと。対して若手の柳家わさびと柳亭小痴楽は割とあっけらかんと持ちネタにしているそうで、この辺りの距離感も面白いですね。
噺の中身にしたって、一緒にお茶を飲んだぐらいでこんな風になりますかね、というわさびは自分が演じる時は、新さんを間男にしちゃう。実際この噺は元々そういう噺だったそうですからそれでいいのかもしれないけど、お布団敷いてって噺にしちゃう。一方、一之輔はお茶飲んだぐらいでこんな風になってしまうっていうのがこの噺のミソだと言う。解釈の違いですけど、僕は一之輔派ですかね。この辺はもう年齢でしょうね。
てことで落語はこのように演者によって解釈を変えてもいいんです。勿論最低限のルールはあるのでしょうが、多少中身を変えても差し支えない。ここも落語の面白い所ですよね。また、菊之丞の師匠である古今亭圓菊は「風呂敷」のお崎と新さんのやりとりをお茶を飲むってパターンとお酒を飲むパターン、2種類用意していた節があると。その日のお客さんの状態によって使い分けていたんじゃないかっていう。お茶とお酒、ただそれだけの違いなんですが、やっぱりニュアンスは異なりますよね。なんか粋な話です。
落語というのは新作落語は除いて、みんな共通の噺なんです。それを如何に演じ分けていくかっていうところが腕の見せ所なのかもしれませんが、これ、音楽の場合もそうですね。カバー曲なんてのが時々ありますが、その歌い手の解釈、俺だったらこう歌うねっていう。硬い言葉で言うと批評ですが、そうした批評の精神がその芸術の価値を高めていく。落語もそういうことではないでしょうか。