TV Program:
Eテレ 日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ マティス」
2019.1.21放送 感想
この日の日美は一人の芸術家の魅力をその芸術家を心から愛するゲストと共にその魅力を談義する恒例の「ダンギ・シリーズ」。今回のテーマは「アンリ・マティス」です。
~芸術家の役目は見たものをそのまま描きとることではなく、対象がもたらした衝撃を最初の新鮮な感動とともに表現することなのだ~
これはマティスの言葉です。ま、そういうことです。これで全部言い切っちゃってるから、もう他に言うことないですね(笑)。
僕にとってマティスは好きな部類には入るけど、同時代のゴッホとかピカソに比べてあまり強烈なイメージは持っていませんでした。どっちかっていうと優等生的なイメージ。だから今回の日美も何となく観始めたのですが、番組の冒頭で紹介されたこのマティスの言葉に僕は気持ちを一気に持って行かれました。
マティスといえば色鮮やかな色彩。特に「赤」が印象的です。その「マティスの赤」の魅力について、俳優の津田寛治さん。赤というのは強くキツイ色だけど、マティスの赤はドキッとさせる赤ではなく、逆に温かみを感じると仰っています。これは面白い指摘ですね。番組でも紹介されていましたが、マティスはアクの強い絵を描こうとしていたのではなく、何気ない初めからそこにあるような絵を目指していたとのこと。それを表現するのに敢えて個性の強い赤、反対の意味のもの用いてみる。穏やかな絵を反対のイメージを持つ色で構成してみる。そうすることでかえって本当の穏やかさが表現されるのではないか。マティスはそこに起きる化学反応を試していたのかもしれないですね。
この手法、音楽で例えるとポップ・ソングと同じですよね。悲しい詩に悲しいメロディを持って来ても聴き手には悲しい気持ちしか伝わりません。そこで悲しい詩ならば、敢えて明るいメロディを持ってくる。陽気な言葉ならば暗いメロディを持ってくる。そうすることで不思議な化学反応が起き、聴き手へ届くイメージは大きく広がってゆく。絵についても同様だということではないでしょうか。
マティスは赤を多用しますが、一緒くたに赤と言っても微妙に赤味を変えてくる。例えば下地に別の色を塗ってからその上に赤を重ねたり。アーティストの日比野克彦さんは言います。思考錯誤の末にこれだと思える瞬間がある。それは作家にとって大きな喜び。それが経験値として積み重なってくると同じ手法を用いたくなるが、作家自身の鮮度としては当然落ちるわけで、そこは作家の宿命として崩したくなる。それが一見同じ赤であって印象変えてくるマティスの態度にも繋がっているのではないかと。
マティスの第一次世界大戦の頃の絵は全てがそうではないが、色彩の魔術師と言われる人がキャンバスの大半を黒やグレーといった暗い色で覆い尽くしてしまう。お茶の水女子大学教授、天野知香さんんの話によると、元々あった風景やそれに伴う色彩を上から黒く塗りつぶしてしまっている絵もあるそうで、やはり芸術家は時代と無関係ではいられないのではと考えてしまいますと、司会の小野正嗣さんが言うと日比野さんはこんなことを言います。芸術家は時代に敏感に反応するように普段からトレーニングしているから、やっぱり時代からは逃れられない。とは言いつつ、作家独自の個性はあってそこからも逃れられないから、これはちょっと異質てすね、なんていう絵でも作家らしさは残っている。これも非常に面白い話でした。
晩年のマティスは創作のブロセスを写真に取って残している。素人考えでは、何かインスピレーションが降りてきて、さささっと描いてしまう、しかもマティスみたいな抽象画だと尚のことそう思ってしまうが、実はテクニックの占める割合は相当あるんだと。天野知香さんはこれは後進に対する教育という意味もあったということですが、マティスの芸術に対する考え方がうかがい知れて興味深いです。つまり、芸術というととかく感性で括られがちですけど、修練の部分、技術の部分も多くを占めるのだと。これは芸術全般に言えることではないでしょうか。
最晩年、キャンバスに向かう体力の落ちたマティスは新しい表現方法を獲得します。それが切り絵。図らずもキャンバスや筆から離れることでマティスは絵画という枠組みから解き放たれます。以前から、デッサンと色彩とに乖離を感じていたマティスは色彩によるデッサンという新しいスタイルを獲得するのです。それをマティスは「濃縮された音色」と言っています。
年を取るということは成熟するということではなくて、よりピュアになっていく。以前、あるアーティストがそんなことを言っていたのを聞いたことがありますが、マティスは正にそれを地で行く存在だったのかもしれません。
マティスは教会とその敷地をデザインするという創作も行っています。切り絵といい工業デザインといい、キャンバスに囚われない活動はまるで創作をインタラクティブなものとして捉える現代のアーティストのよう。冒頭の言葉や、異なる組み合わせによる化学反応への期待、テクニックの部分への信頼。そうした印象からもマティスは単に絵画に留まらない総合的なアーティストだったと言えるのではないでしょうか。