TV Program:
Eテレ 日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」 2017.10.15放送分 感想
いや~、昨日の日美、面白かった。今回は関西人には東大寺南大門の仁王さんでおなじみ、運慶の特集です。現在、東京国立博物館で運慶展を行っているとのこと。そこからの放送となります。ゲストは見仏記でおなじみのみうらじゅん氏と美術史家の佐々木あすかさん。みうらじゅんのぐちゃっとした話も、佐々木あすかさんのガシッとした話も面白かったです。
で仁王像、私のような80年代ジャンプ世代にとってはやっぱ北斗の拳です。どう見ても昔の造形物とは思えない漫画チックなビジュアルは子供心にも訴えるものがありました。ちなみに向かって左側の口を開いた方が阿形(あぎょう)像で右側の口を閉じた方が吽形(うんぎょう)像。阿は宇宙の始まりを表し、吽は宇宙の終わりを表すのだそうです。う~ん、小学校の遠足以来何度も見ているがそういうことだったのか。なるほど。
続いて大日如来坐像。運慶のデビュー作だそうです。この坐像はそれまでの仏像とは全く違うそうで仏像らしからぬ造形をしているとのこと。例えば足の裏。仏様というのは偏平足と相場が決まっているのに、ちゃんと土踏まずの凹みまで表している。仏様は人ではないという概念があったから偏平足だったのか、単に昔からそうだったからそうなっていただけなのかは知らないけど、とにかく運慶は自分の審美眼というか自分の思い描く仏像というものがはっきりと目に見えていたのだ。
正直言って、仏様というのは正面から見ると、あぁ仏様だって感じは受けるけど、角度を変えて見ると、造形的におかしかったりして、それはやっぱり仏様というのは人ではないのだから当たり前で、異様なバランスがそれはそれでそういうもんだという納得をしてしまえるのだけど、運慶はそうはならなかった、ということではないでしょうか。
この大日如来坐像の台座の裏に運慶は自分の名前を書いている。仏像に製作者の名を入れるというのは運慶が初めてだったらしい。ということは、もう完全に作品として捉えているからで、もちろん仏様という存在は私たちとは比較にならないぐらい大きなものだったと思うんだけど、それでもなお仏像を作るというよりは芸術作品を作ってるっていう意識があったから名前を入れるってところに繋がってったんじゃないだろうか。
次は八大童子立像。これがもう大日如来坐像とも阿形像・吽形像とも違う世界。顔つきがめっちゃリアルです。こうして同じ手法を繰り返すのではなく、次々に新しいことに取り組んでいくっていう面もやっぱり芸術家です。この八大童子立像ですが仏像というより人。リアリティの追求、仏像という名を借りた想像物とでも言おうか、当時の人はどう思ったかは知らないけど、これはもう我々の時代の作品としてもいいんじゃないかっていう。瞳の輪郭を赤にするというのも完全に現代アートの世界で、リアリティとそこにフィクションを加えることで更にグッとリアリティをもたらす運慶の真骨頂。未だに先鋭的な部分が失われない所以ではないでしょうか。
体は確かに仏像の形を残しているが、顔はもう完全に人。証拠にどの角度から見てもリアリティがあって、仏像っていうある意味非合理的な描写ではなく理にかなった造形ということになる。その辺り、みうらじゅんが運慶はビートルズって言ってたけど、それがすっごく分かり易かった。ビートルズとかiPhoneみたいなそれまでの常識とは違うルートからポーンと新しいものが出てきて、まずは分かりやすくてポップでっていう。でその後にこれって凄いんじゃないかっていうような感想がやって来て、だから何百年経った今でも新しさがあるんだと思う。
最後は興福寺の無著・世親菩薩立像(むじゃく・せしんぼさつりつぞう)。これが後ろに立ってたら気配感じてめっちゃ怖いでっていうぐらい、人みたい。そっくりそのままに造形すればリアルというわけではなくて、本当はそうじゃないかもしれないけど、本当よりも内面を生々しく描いたリアリティっていうのかな。確かに生きているかのようなリアルな造形だけど、やはりどこかをデフォルメしたり抑えたりしているからこそのリアリティ。この人の最大のものを抽出したらこうなるだろうというような描写ということなのかもしれない。そうした見えないものを彫刻しているんだけど、運慶にはやっぱり見えているのであって、それは運慶自身の生き来し方というものがあればこそだろうし、そこの部分と年月を経て極めた技術というものが合致して生み出されたのだと。そしてそうした目に見えないものを我々に見せてくれる、何百年経った我々にも紐解いてくれる。それは何かと言われれば、やっぱり芸術としか言えない物だと思う。
てことでこの日本肖像彫刻の最高傑作と言われている興福寺の無著・世親菩薩立像は現在、東京国立博物館で展示中ということで奈良におわしません。来月、奈良に行こう思てたのにおれへんや~ん。ま、近いしそのうち行けるからえーか。