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HAYABUSA JET Ⅰ / 佐野元春 感想レビュー
『HAYABUSA JET Ⅰ』(2025年)佐野元春
僕が佐野元春の熱心なファンになったのは1992年、アルバム『Sweet16』や「約束の橋」再リリースの後だ。言ってみれば僕は佐野元春ファンの第二世代だった。その頃にリリースされたコンピレーションアルバム『No Damage Ⅱ』を僕は数え切れないぐらい聴いた。後から知ったことだがこのベスト盤は初期からのファンには不評だったようだ。けど僕には関係なかった。
『No Damage Ⅱ』で1番好きだったのは冒頭を飾る「New Age(The Heartland Ver.)」。このアルバム用に再録されたものだ。佐野はライブで頻繁にオリジナルとは違うアレンジをする。この「New Age(The Heartland Ver.)」は当時のバックバンドであるThe Heartland とライブを通して練り上げたものだった。初期からのファンにとってはアルバム『Visitors』の「New Age」が本道だったろうけど、僕にとって「New Age」と言えばこっち。それは『No Damage Ⅱ』に再録された「約束の橋」も「新しい航海」も同じだ。
デビュー45周年を迎えた佐野の新しいアルバム『HAYABUSA JET Ⅰ』は80年代、90年代に発表した曲の「再定義」だそうだ。テーマはずばり”for new generations”。あの「Young Bloods」や「ガラスのジェネレーション」が新しい装いとなって披露されている。中には The Heartland 時代のように原型を解体してしまっている曲もある。野心的な試みだと思う。
新しい意匠を纏い、よりスリリングに生まれ変わった曲がある一方、個人的にはこれはやり直す必要があったのかなと思う曲もある。でも僕のような古いファンの戯言なんてどうでもいいし、その事についてここで詳しく述べるつもりはない。肝心なのは佐野のことを全く知らない新しい世代にこれらの曲がどう響くかだ。
直近のインタビューで佐野は HAYABUSA JET に改名しようとしたら周りに止められたと冗談めかして話している。僕はそれは半ば本気だったと思っている。佐野は現在の巷の音楽を見渡した時に、青年佐野元春が作った曲は今もまだ有効なんじゃないかと直感したのだと思う。だったらばそれを世に問うてみたい。そのために佐野元春という名前が邪魔をするのであれば取っ払ってしまえばいい。僕はそんなふうに想像する。それにどんな作家も自分が過去に作った作品であっても今現在や新しい世代に響かせたいと思っているはずだ。それは作家の本能ではないか。
佐野は自分の名前を伏せてまで新しい世代に届かせようとしている。昔ながらのファンに不評になるかもしれなくても、彼らの特別な過去の曲に思いっ切り手を入れたくてウズウズしている。新しい世代に響かせるために。佐野のこのトライアルが成功するかどうかはわからない。けど改めて思う。僕は佐野元春のこういうところがたまらないのだ。
僕もここに収められた曲の核になる部分は今も有効だと思う。そしてリフレッシュされた。オリジナルとは全く違う「New Age(The Heartland Ver.)」に30年前の僕が魅了されたようにアルバム『HAYABUSA JET Ⅰ』が新しい世代に届くことを切に祈る。ハヤブサ、新しい世代の元へ飛んでゆけ。
時
ポエトリー:
「時」
よどみなく消える、時間は
良いときも悪いときも
見さかいなく
わたしたちの舟はゆれる
岸が離れていても近くても
水草に手が届くなら
それが安心
いつからかわたしたちは
困り果てた顔をする
自由だからか
不自由だからか
しかし確かに
訪れるものがある
その日が来るとしたら
きっと今朝のように寒い日かもしれない
それは鉢に薄い氷が張るようなとても寒い日
それは水草の間に花が咲くようなきらびやかな日
一番小さなしあわせがわたしたちを満たすとき
時間はわたしたちだけのものになる
それが行って過ぎるまで
2025年2月
そういう芽生え
ポエトリー:
「そういう芽生え」
ぼんやりと生きることが
暮らしの支えになる
どうやら
そう信じていた節がある
自分に信念のようなものがあるとすれば
きっとそんなようなものだと
それもまた
ぼんやりと気づいた
ひとには
誰に教わるわけでもなく
そういう芽生えが
生まれながらにあるらしい
2025年2月
きみよりの
ポエトリー:
「きみよりの」
きみが何に急ぐのかぼくにはわからないけど
ぼくは手間どるのが結構すき
きみの手柄はぼくもうれしいけど
余るようならひとに分けてあげてほしい
きみとぼくがうまく合わされば今よりのんきになってしあわせになる
でものんきはぼくの性質だからぼくよりのしあわせということになる
ぼくとしては
ぼくよりもきみの方が少しだけしあわせになってほしいから
きみよりのしあわせがいいと思う
でもそれすら
ぼくよりのしあわせかもしれないけど
2025年1月
ペグ
ポエトリー:
「ペグ」
よく晴れた日
飛ばされそうでペグを打つ
隣人は片方の靴下をもう脱いで駆け出していた
路面は暖簾のように緩やかで
どこからもようこそと言われているようだった
わたしたちの水銀灯は熱を帯びていた
これから何をしようと責任は取る必要のない朝
二重にした袋からも汁が漏れそうな気がして
振り返るたび路面は揺れる
一方向しかないベクトルの
業務用でしかない喧騒を
我が事として捉えることができるのは
将来の夢が固まったひとだけだと聞いた
「ほんなら誰もおれへんやん」
振り返るとそこに影がいた
影もろとも飛ばされないようにペグを打つ
とてもよく晴れた日
2024年12月
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片目でものが見えるのは
ポエトリー:
「片目でものが見えるのは」
片目でものが見えるのは
海が見える丘にいるからで
眼下に広がる白波の
向こうに富士が見えていた
わたしたちの住む街にゃ
俄に人が増え始め
通りを隔てたお向かいの
ひとに会うのもひと苦労
伝えに聞いたところでは
俄に増えた人たちの
口の端のぼる事柄は
向こうに富士など見えはせぬ
おかしなことを言うものだ
わたしたちの住む街にゃ
そんなひとなどひとりもおらぬ
向こうに富士がきちんと覗く
どれどれ様子をうかがうと
俄に増えた人たちは
両眼をしっかり見る癖を
長い旅路で付けたらしい
ほれほれ皆さん聞きなされ
向こうに富士を見たいなら
ここは海の見える丘
片目でものを見ることです
心配せずともこの街に
ひと月ばかりおりゃあええ
そしたら眼下に広がる白波の
向こうに富士が見えてくる
ここは海が見える丘
片目ぐらいがちょうどええ
片目が世界を映してくれる
2024年10月