フィルム・レビュー:
『ビッグ・フィッシュ』 (2003年 監督:ティム・バートン)
私の父の自慢は小学校4年か5年の時、上級生もいる全校マラソンで2位になったという話。日頃の父の様子から私は全く信用していなかったのだが、ある日父はどこからか表彰状を探し出してきて私に見せた。すると驚いたことにそこには本当に‘校内マラソン大会第2位’と書いてあったのだった。その日以来、私は今までよりもほんの少しだけ父の話を信用するようになったが、それでもやはりその話は現実感の乏しいもので、本当と嘘の境をふわふわと漂っていた。言ってみればそれはファンタジーみたいなものなのかもしれないが、あれから何十年経った今となってはその本当と嘘の境を漂う所在なさこそが私にとってのリアリティーとなっている。もしかしたら、ティム・バートンにも似たような体験があったのかもしれない。
フィクションにはリアリティーが無いといけない。現実に起きたことよりその方がリアルに感じる時もある。物書きであれ絵描きであれ音楽家であれ、作家は現実に起きたことをそのままスケッチしている訳ではない。そこには作家自身の想像力の飛躍が存在する。芸術とは論文や新聞記事ではないのだから、正確に書くということはさして重要ではない。フィクションであれノンフィクションであれ、如何にリアリティーをぶち込めるかが鍵なのだ。ここで言うリアリティーとは、私にとって、あなたにとってという意味。嘘だってかまわない。
実際に起きたことの意味を、或いは実際には起きていない心の中で出来事を作家は我々に紐解いてくれる。現実に起きたかどうかは問題じゃない。大切なのは時に暖かく、時にひんやりとした手触りなのだ。
この映画は嘘の物語だ。けれどその嘘にはリアリティーがある。誰しも心当たりはあるかもしれないが、10代の頃は特別な力を持っていて、‘ほんとうのこと’と’まがいもの’を瞬時に見分けられる。本当に起きたことでも‘まがいもの’の場合はあるし、嘘の話にも‘ほんとうのこと’はある。この映画がどちらかは観た人の判断に委ねたい。
リアリティってリアリティのある言葉ですね。例えば、恋人との間や夫婦との間でリアリティを共有出来なくなる瞬間が別離の始まりと言えるのではないでしょうか。
ある新聞のコラムでは、愛が継続する時間は3年間くらいとのこと。4年で離婚する人が多いのも納得。50年金婚式を迎えるコツは、友情らしいです。
自分にとっては、 リアリティっていう感覚を共有出来そうなんは、嫁さんかなぁって感じですね。子はかすがい。