洋楽レビュー:
『Dragon New Warm Mountain I Believe In You』(2022年)Big Thief
(ドラゴン・ニュー・ウォーム・マウンテン・アイ・ビリーブ・ イン・ユー/ビッグ・シーフ)
年に数枚凄いアルバムというのがあって、去年で言うとリトル・ シムズとかウルフ・アリス、 今年で言うと宇多田ヒカルもそうだった。 ただ世間的に凄いアルバムであってもそれが自分自身にどう響いて くるかは別問題。 自分にとっても特別な響きを持つアルバムというのは年に1枚どこ ろか滅多にあるものではない。そういう意味でこのビッグ・ シーフの新しいアルバムは現在の僕自身の心象におぼろげに被さっ てきて、単純に凄いアルバムだなと思う一方、 自分にとっても特別なものになりつつある。
僕がビッグ・シーフを聞き始めたのは2019年に出た『U.F. O.F』と『Two Hands.』から。ただ正直に言えば、 2枚とも彼女たちの才気に圧倒されたままで今一つ手が届かないと いうか、好きだけど好きになり切れないもどかしさがあって、 多分それは幾分前衛的な彼女たちの音楽に敷居の高さを感じていた からかもしれず、それはまるで、 あぁ凄いけど僕とは違う世界にいる人たちですね、 という感慨を僕にもたらしていた。そして今回、 コロナの渦中にあってビッグ・ シーフは2枚組のアルバムを出すと言う。 けれど僕は不思議と少しも身構えなかった。そうか、 あの人たちから手紙が来るんだ、 そんなリラックスした気持ちだった。
予感は当たっていた。 遠くに感じていた彼女たちの音楽を身近に感じることが出来る。 それでいて彼女たちが僕たちの側に降りてきたということではない というのが分かる。まるで登山道ですれ違ったような感覚。やぁ、 こんにちは。そうか、連中も山が好きなんだな、なんだ、 僕と同じじゃないかって。遠いところにいる人たちではなかった。 2枚もあるアルバムの1曲目、『change』 の頭が鳴った瞬間から、何故だか僕はそんな感覚になりました。
今回は4つの場所で録音されたようです。 そのせいか風通しがいいです。行き止まらなくて、 すっと通り抜けていく感じ。サウンドはフォーク・ ロックやカントリーからシューゲイズ、ドリーム・ ポップまで幅広いんだけど、違和感全然ない、どれもビッグ・ シーフですって感じ(笑)。それはやっぱりエイドリアン・ レンカーの歌が中心にあるからだろう。
彼女のメロディーって起伏に富んでいるわけじゃないけど、 優しい。エキセントリックな感じじゃなくて馴染みがいい。 肌に沿って進んでいくような感覚ですね。つまり、 エイドリアンの書くメロディーにはノスタルジー、 懐かしさが含まれているような気がします。 でもってあの声ですから。僕は時折トム・ ヨークの声をプラスチックで至極人間的な声と形容するんですけど 、エイドリアンの声にも同じ印象を持っています。 決して力強くはないんだけど、芯に来る強さ。 やっぱりいろんなものが同居している声だと思います。
そこにさっき言ったような幅広いサウンドが乗っかかる。 エイドリアンの歌を生身の手のひらですくうようにバンドの演奏が 追随する。 けれど決してエイドリアンの歌に寄りかかっているわけじゃない。 ビッグ・シーフは基本的にはエイドリアン・ レンカーのバンドだと思うんですけど、 誰がどうということではなく、 耳に飛び込んでくるのはやっぱりバンド。 そういう風通しのよさも僕に親密さを感じさせるのだと思います。
アルバム・トータルで約80分。 1枚40分ぐらいというのもちょうどいい。 2枚組というのはどちらかがあまり聴かれなくなるという運命にあ るけど(笑)、 このアルバムに限ってはそういうことはなさそうです。