漂泊者/W.H.オーデン

詩について:

漂泊者/W.H.オーデン

 

W.H.オーデン(1907年2月21日 – 1973年9月29日)。20世紀最大の詩人の一人と言われている巨人です。イギリス出身ですが、後にアメリカへ移住。時代が時代ですから戦争の影響が色濃く出ている詩が数多くあります。愛にまつわる詩も沢山ありますが、オーデンさんは同性愛者でありましたから、ヘテロセクシャルとはまた違う表現になっているところがとても魅力的です。

僕は海外の詩を読むのも好きです。が、はっきり言ってほとんど理解できていないです。海外の詩は宗教が絡んだりもしますし、それになんと言ってももともと詩は詩人が雲を掴むようにして編んだ言葉ですから、それが翻訳されるとなると尚の事理解し難い表現になる。ただそういう理解し難さが詩の魅力でもありますから、僕みたいなお調子者はその魅力に誘われてついつい海外詩へ手を伸ばしてしまうんですね。で結局ほとんど理解できない。僕の場合はそんなことの繰り返しです(笑)。

その点、オーデンさんは21世紀の日本人が読んでも割と馴染めるというか、こちらに引き寄せて読めるというか。無人島に本を持っていくなら間違いなく候補に上がるような、鞄の中にいつも忍ばせたい。僕にとってはそんな詩人です。

 

W.H.オーデンの詩「漂泊者」The Wanderer(壺齋散人訳)

運命は暗く どんな海の底よりも深い
運命に見舞われた人間は
春のさなかに 花々が咲き乱れ
なだれが崩れ 岩肌の雪がはがれるとき
自分の故郷を後にせねばならぬ

どんな手もあいつを抱きかかえることはできず 
またどんな女たちの制止もあいつをとめることはできぬ
あいつは番人たちの間をすり抜け 森を横切り
異邦人となって 乾くことのない海を渡り
息詰まる海底の漁礁を通り過ぎていく
かと思えば 湧き水のほとりに横になって
ぶつぶつと言葉を吐いたりもする
岩の上にとまった おしゃべりな小鳥のように

疲労した夕方 頭を前方に垂れたまま
夢見るのは故郷のこと
妻が窓から手を振って 喜び迎えてくれるや
一枚のシーツに包まって抱き合う夢だ
だが目覚めながら見るものといえば
名も知らぬ鳥の群れか
浮気をする男たちがドア越しにたてる音だ

あいつを敵の虜にするな
虎の一撃から救ってやれ
あいつの家を護ってやれ
日々が過ぎていく不安な家を
雷から護ってやれ
しみのようにじりじり広がる崩壊から護ってやれ
あいまいな数を確かな数に変え
喜びをもたらしてやれ
帰る日が近づくその喜びをもたらしてやれ

 

この詩はその名のとおり漂泊者を詠んだ詩です。が実際の漂泊とは限りません。心の漂流という見方も出来るんじゃないでしょうか。

人はある年齢になると旅に出ます。実際に家を出る人もいるでしょうが、そうじゃなくても心の旅を始める。旅というのは行き先が決まってますから、この場合はやはり漂泊と言った方が適切でしょうか。親の保護下から離れ、自分なりの価値観の揺らぎに目覚める。その問いへの旅は誰にも止めることは出来ない。思春期はその一つの例かもしれません。

ある人はいつしか大人になり、特別な出会いを経て家庭を持つ。自分なりのホームを見つけるんですね。そこで一区切り付けばいいのですが、やがて恐らく、また新しい問いが心に芽生え、心の漂流が始まるなんてことも。

ここが嫌だという訳ではなく、ここではない何処かに本当の居場所があるのではないか。そんな風に思うのもまた人の心のありよう。ま、この詩は心の漂流ではなく、実際に家を飛び出しちゃった人の話ですが(笑)。

いつの日か帰る日はあるのだろうか。この詩は漂流を鼓舞する力強さ、或いは漂泊の所在なさだけでなく、そういう希望も含まれている。そんな詩だと思います。

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