邦楽レビュー:
『834.194』(2019)サカナクション
個人的には随分と久しぶりのサカナクションです。彼らのアルバムを買うのは2010年の『kikUU-iki』以来。ということで僕は熱心なサカナクションのリスナーではないので、あしからず。
その間、世間的には大ブレイクしたわけだけど、僕としてはなんか物足りないというか、もっとグワッとした塊というかロック的な衝動というか、何じゃこりゃ?というような過剰さが欲しかったというのがあって。勿論好きは好きなんだけど、アルバムを買うまでには至らなかったのは、なんか綺麗に洗練されて小ざっぱりしたバンドだなという印象が拭いきれずにいたからかもしれない。
そこでこの2枚組。CDが売れない、しかもアルバムとしてのコンセプト云々というのが顧みられなくなったこのご時世において2枚組を出すという。これはもう聴かなきゃいけないなと。
本作に伴う山口一郎のインタビューで印象深かったのが、作為性/無作為性という話。「天才というのは尾崎豊やブルーハーツのことで、彼らは本能で書いてそれが認められる。けど僕たちはそれが受け入れられなかった。そこでどうしたら受け入れられるかを考えるようになり、そこで見つけたのがダンスやエレクトロニカを導入した今の形。」というような発言。山口によると、札幌でのアマチュア時代が無作為性で、認められて東京に出てきて今に至るというのが作為性ということになる。
なんかメンドクサイことを言ってやがると思いつつ、けどそれは大いに共感できる話で、つまり音楽家に限らずある程度認知されているアーティストというのはすべからく作為的なところが恐らくある。つまり作家性と商業性で、そこの使い分けは別に悪い事でも何でもなくて当然なのではと、素人だからこそ思ったりもするのだけど、山口一郎の場合は長くやってきたけど未だにそこのところがしっくりと来ない。つまり今回の2枚組はその気持ちのわだかまりが形になって現れたという風にも受け取れるのではないか。
そういう意味では僕がサカナクションに対しなんとなく物足りないと感じていた部分は的外れでもなかったし、当の山口一郎本人がそうだったのだから、そりゃ当然だろうと思うのだけど、その揺らぎというのがこのアルバムにはちゃんと出ていて、そこは本人が意識していたのかどうかは別にして、見事に揺らいでいるなぁ、というのがこのアルバムに対する僕の印象です。
つまり山口本人の言として、Disc1は作為性であると。認められて東京に出てきたスタイルを表し、だからキャッチーだしアッパーな曲もある。一方のDisc2は無作為性、本当はそんなこと言っている時点で作為的なんだけど、兎にも角にもウケるウケないは横に置いて内面に糸を垂れる、ありのままの音楽表現で行くんだというDisc2をセットする。
で実際に聴いていると確かにそんな感じはするし、具体的に言うと家で休みの日なんかにDisc1をかけてたら家族は喜ぶし、いい感じのリビングになるんだけど、Disc2はやっぱりそうじゃねえなって。家族が寝静まった夜に一人イヤホンを差して聴くというのがしっくりくる。
けどこれが聴き続けているとどうも違ってくるというか、だんだんそういう境目が無くなってくる。言う程1枚目は作為的でもないし、言う程2枚目は無作為でもない。当然ながら、時間の経過と共に彼らは成長しているのであって、無作為性なんて言ったって、もうそういうところへは戻れない訳だし、しかし戻りたいとする意識はここにあって、そういう作為性と無作為性が混ざり合う感じ、まだ完全に混ざり合っていない、不確かな感じがこのアルバムの魅力として横たわっているような気はする。
ということで、今この時期に2枚組にする必要はあったのだろうけど、山口一郎はこういうメンドクサイ人だからこそ信用できるのかなと。いずれこういう不器用な事をせずとも、全く自然な作為/無作為の交わったサカナクションというものが立ち現れてくるだろうけど、それは随分と先の話ではなく意外とすぐそこに来ているのかも。
個人的にはソロ活動をジャンジャンやりゃあいいのになぁと思ったりもするけど、それは余計なお世話(笑)。
Tracklist:
(Disc 1)
1. 忘れられないの
2. マッチとピーナッツ
3. 陽炎
4. 多分、風。
5. 新宝島
6. モス
7. 「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」
8. ユリイカ (Shotaro Aoyama Remix)
9. セプテンバー -東京 version-
(Disc 1)
10. グッドバイ
11. 蓮の花 -single version-
12. ユリイカ
13. ナイロンの糸
14. 茶柱
15. ワンダーランド
16. さよならはエモーション
17. 834.194
18. セプテンバー -札幌 version-