夕焼け/吉野弘

詩について:

夕焼け / 吉野弘

 

次のURLは海外在住歴の長いある女性の記事(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190312-00010000-binsiderl-soci)。満員電車での席を譲る譲らないにまつわる外国人と日本人の違いについての記事です。簡単に言うと、外国人は反射的に譲るけど日本人はなかなか譲らないという話。自戒も含め、納得するところも沢山ありました。

でも頭より先に体が動くって、記事にあるようにやっぱ習慣じゃないとなかなかね。悪意があるのは論外ですけど、基本的に我々は内気ですから(笑)。そんなことでどうすんのって記事を書いた人に怒られそうですが、代わりたくても言えない人も沢山いるのだと思います。

この記事を読んで思い出した詩があります。吉野弘さんの「夕焼け」という詩です。吉野さんは谷川俊太郎さんや茨木のり子さんらと共に戦後日本の現代詩を築いてきた人。現代詩というと難解なものを想像するかもしれませんが、茨木さんも吉野さんも生活に根差した平明な言葉を用いる方々。谷川俊太郎さんの詩をイメージすると分かりやすいかもしれません。

内気で優しいばっかりについ損をしてしまう人たち。吉野弘さんはそうした人々へいつも温かい眼差しを向けられていました。

 

「夕焼け」 吉野弘

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて・・・。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

 

人が怒られているのにまるで自分が怒られているような気持ちになってしまう人がいます。困っている人を見ると自分まで困った気持ちになってうつむいてしまう人がいます。人の気持ちに敏感すぎて、なんで私はいつもこうなんだろう、なんで私はこんな弱いのだろうと、情けなくってしまう。

けれど吉野さんは言うのです。そんなことはない。その気持ちは人間が生きていくうちで、もっとも大切なことなんだよと。あなたはぜんぜん間違ってないんだよと。

茨木のり子さんの「汲む」という詩に「人を人とも思わなくなったとき堕落が始まるのね」という一節がありますが、どちらも通底しているものは同じなのではないでしょうか。

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