その他雑感:
「叙事詩と叙情詩」
日本の音楽詞は叙情詩が圧倒的に多い。60年代フォークから70年代のニュー・ミュージック、現代に至る所謂Jポップまで、そのほとんどが叙情詩だ。人々の感情に寄り添う叙情詩には胸が締め付けられるいい歌が沢山ある。
一方、叙事詩というは作者が一歩引いた視線というのかな。主人公はあくまでも彼や彼女。その彼や彼女の動く様やその友人知人、周りで起きる出来事や景色を作者は個人的な感情は横に置いといてそのままスケッチする。そんなイメージだ。
叙事詩は叙情詩の様に直接聴き手の感情に訴えかけてこないが、第三者を主人公に据えることで、聴き手は独自の映像を浮かべることが可能だ。映画みたいなもんだな。但し、具体的な映像は無いので、聴き手は自分の経験や想像力を駆使して勝手に思い浮かべていく。それは100人いれば100通り。いつしかそれは自分自身の物語となってゆく。
叙情詩は感情に直接訴えてくるので瞬発力はあるけど、想像力という点では希薄かもしれない。それに曲そのものの力より聴き手の感情に左右される点が無くもない。誰だって振られた後に悲しい歌が聴こえてきたらどんな歌であれ思わず感情が昂ぶってしまうだろう。
僕はやっぱり叙事詩の方がしっくりくる。思い返してみても高校時代、好んで聴いていたのはレピッシュとかユニコーンとかフリッパーズ・ギターとか。初期のサニーディ・サービスもそうだし、このサイトでカテゴリーを設けている佐野元春も全くその通り。主人公は僕ではなく、彼彼女。みんな叙事詩だ。今も日本の音楽を沢山聴きたいんだけど、結局洋楽ばかりを聴いてるのはそのせいかもしれない。
で自分で書くときもやっぱり叙事詩がしっくりくる。僕は感情的なところがあるので、情緒的なところは出来るだけ廃していきたい。一歩引いた視線で、僕ではない誰か別の主人公に動いてもらう。
今まで沢山書いてきた詩を眺めてみても、自分でいい出来だなと思えるのはやっぱりそういう詩だ。僕には叙事詩が合っている。