その他雑感:
『サザンオールスターズで年末年始』
今年の年末年始は図らずもサザンオールスターズ。紅白に元旦のスペシャルに、どちらも偶然チャンネルが合っただけなのについつい最後まで観てしまいました。特にサザンのフォロワーってわけじゃないですが、ほとんどの曲を知っていましたね(笑)。恐るべし、サザンオールスターズ!
紅白では他の歌手がさんざん出てきた後に聴くサザンというのが、すご~く新鮮でした。端的に言うと歌詞です。歌っていたのはかの「希望の轍」。これがやっぱいいんですよ。「希望の轍」なのに「希望」という言葉が一切出てこない。それでもやっぱ浮かぶイメージは「希望の轍」なんですね。それは何かって言うと情景描写なんです。
ほら、ついこの手の曲って応援したくなるでしょ。それは作者も同じ。だから普通はそこに作者の声が入ってしまうのです。でもこの曲には作者の声が入ってない。作者である桑田さんの気持ちとかメッセージは入ってないんです。いや、厳密に言えば入ってるんですよ。でも分かりやすく言えば歌い上げない系とでも言いますか、例えて言うと、コブクロとかゆずって歌い上げるでしょ。要するに情緒が入ってるんです。
これはどっちがいいって話じゃなくて、これは所謂J-POPの特徴でもありますけど、情緒的なんですね。入れ込んじゃう。ところが「希望の轍」には情緒がない。丸っきりないことはないんですが、ただ情景を描いているだけなんです。俺はこう思うとか、俺はこんな気持ちなんだぜとか、俺は応援してるぜっていうんじゃなく、ただそこに風景があるっていう。
桑田さんはその風景をスケッチしてるだけなんですね。そこに桑田さん自身の情緒は入り込まない。だから聴き手がそれぞれ、それこそ若い子でもお年寄りでも自分自身の経験とか希望に応じてそれぞれの物語を描けるんです。だからみんなのうたになり得るのですね。これはやっぱ凄いやって(笑)。紅白を観ながら僕はそんなことを思いました。
あと元旦にやってたNHKの「クローズアップ・サザン!」。この番組で印象に残った曲は「ミス・ブランニュー・デイ」。これ、80年代前半の曲ですよね確か。でも全く古びてない。今の時代を歌ってるような、ちゃんと今の曲になってるんです。音楽家に限らずアーティストというのはカナリアと言いますか嗅覚が優れていて、やっぱマーケティングではないんですね。アーティスト自身のフィルターを通してその時代の空気を感じていく。その先を感じていく。だから普遍性を獲得していくのだと思いますが、「ミス・ブランニュー・デイ」なんか正にそんな曲。2019年現在の事を切り取っているかのような曲で、ほんとにお見事!改めて桑田さんは凄い人だなと思いました。
で、全編聴いて思ったのはホントにヒット曲ばかりで、聴いてて楽しいのは知ってる曲ってのが大きいとは思うんですが、おそらく全然知らない人、例えば若い子がいきなりサザンの歌を聴いてもこりゃかなり楽しいんじゃないかと。改めて、僕は桑田さんは日本有数のソングライターだなと。もうポール・マッカートニーに見えてきました(笑)。
それにも関わらず、番組内のインタビューで桑田さんが語ったのは、「新曲を書きたい」と。これからのサザンはどういう風にやっていきたいですかっていう質問に「新曲を書いていきたい。ポップ・グループである以上。それがすべて」なんて言うんです。こんだけヒット曲がありながら、新曲を出して、それで勝負する。それがポップ・グループの宿命なんだって言うんです。普通のトーンで喋ってましたが、こん時の桑田さんの凄みはたまんなかったです。
ちょっと長くなりましたけど、両方の番組を観て思ったのは、もうサザンはみんなのものだなって。意図的でもなく、無理してってんでもなくこの開かれた感じ。それでいて密かに作家性を真っ先に持ってきている。矛盾しているようで自然体としてそれが同居してしまっている。こんなおかしなバンド、ちょっと見当たらない。
紅白を観てる時の家族あるあるって「最近は知らない歌ばっかりだよな」って感じで(笑)、今や皆が楽しめる歌ってほとんどないのかもしれないけど、デビュー当時、大人たちが眉をひそめたサザンオールスターズが40年やって、もしかしたら昭和が過ぎ平成が終わり新しい時代を迎えるにあたって、一番老若男女を楽しませる最大公約数なみんなのうたになってる。演歌でなく、歌謡曲でもなく、アイドルでもなく、サザンオールスターズっていうジャンルがみんなのうたになってる。2日続けて観たからちょっと僕も情緒的になってますが(笑)、それもあながち的外れではないのではないでしょうか。