『HAYABUSA JET』の「再定義」について

 

『HAYABUSA JET』の「再定義」について

 

『HAYABUSA JET Ⅱ』が12月にリリースされるとのこと。どうやら今年の佐野は「再定義」に夢中のようだ。思惑通り新しい聴き手のもとに届けばよいのだが、離れていたかつてのファン(要は年配者)を引き戻すだけだったとしたらちょっと残念。というか「Ⅰ」の時はそっちの意味合いの方が大きかったのではないかという不安はある。あくまでも印象だが。

僕がファンになった1992年は『Sweet16』アルバムやシングル『約束の端』がヒットした年ではあるけど、10代の僕がのめり込んでいったのは初期の『No Damage』や『Someday』を聴いたからであり、1992年にリアルタイムで流れていた『Sweet16』などはそのきっかけに過ぎない。

1992年当時でも1980年代初期のアルバムはバンドの演奏やサウンドがとても古く感じられたけど、そんなことお構いなしに僕は佐野の細く若い声とそこにしかない当事者としての歌詞、意思表明に惹かれた。つまり当然のことながら、いくら「再定義」しようが69才の佐野が歌う「再定義」には若葉の頃特有の’何か’は存在しない。

「再定義」はあくまでもきっかけに過ぎないし、それでも格好いいサウンドだなぁと単に音楽として興味を持ってもらえばそれでOKかもしれないが、いくらスピードを上げて『DOWNTOWN BOY』を「再定義」しようが、そこに僕がこの曲に想う最も大切なも

のは含まれていないわけで、つまり『HAYABUSA JET』に出来ることは限られているんじゃないかということ。それでも新しい世代に佐野元春という人の音楽を知ってもらえれば、それで十分だとは思うけど、それじゃ物足りないなと思うのは結局僕の独りよがりなのだろう。

「再定義」と言っても大きな枠で言えばセルフカバー。今年は45周年でもあるし、なんだかんだ言いつつそれはそれで僕も楽しんでいる。そう思えるのも2023年に『ENTERTAINMENT!』、『今、何処』という2枚の新作があったから。とはいえ本音としちゃそろそろ新しい歌を聴きたいところではある。ま、飽きっぽい佐野のことだし『Ⅲ』はないだろう。

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